表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第二幕 狐
8/175

狐 終幕

「お疲れ様だったな。雄座。勉強になったか?」


 そう言うと目の前に立つ雄座を座るように促した。


「あぁ。本当にお疲れだよ。まさか本物の妖怪を見る羽目になったのだからな。勉強も何も、見るは百聞以上に価値があったとは思うが……何分、初めての経験で随分と肝が冷えたよ。」


 雄座は愚痴をこぼしながら月丸の横に腰を下ろした。月丸は雄座の言葉を聞きながら、そばに置いてあった盃を雄座に渡し、酒を注いだ。

 辺りは月明かりの中、辛うじてその輪郭を保つ木々がわずかな風に揺れ、闇の中を賑わしていた。いつもの風景である。いつもの景色の中、雄座は先程までの出来事が夢のように思えた。注がれた酒を喉に流し込むと、一息、ため息をつくと雄座が尋ねた。


「月丸。先程の出来事、説明してくれるのだろうな?」


 月丸はいつもの澄んだ笑みを浮かべ、空になった雄座の盃に再度、酒を注ぐ。


「雄座は見ていただろう? タチの悪い野狐やこがあの娘に取り付いていたので、野狐を消し去った。見たままだよ。」


 そう言うと月丸も自分の盃を口に運んだ。

 雄座は境内に目をやりぼんやり向けたまま、口を開く。


「和代さんの……魂が既に喰われている、お前の分身がそう言っていた。なのに野狐が消えた途端に普段の彼女に戻っていたようでもあったが……。」


 雄座が言い終える前に月丸が言葉を繋ぐ。


「分身とはいえ、アレも俺だぞ。まぁ、確かに言った。あの娘の魂は、恐らくあの野狐が現れた時に既に喰われていたのだろうよ。」


「でも……和代さんは俺のことにも気付いたし、御前と話していた姿はどう見ても生きている。」


 生きていた安堵と魂を喰われたと言う不安とで、雄座は考えがまとまらない様であった。


「その辺りは、俺も詳しく分からぬ。ただ、明日になれば語り部が全てを教えてくれるだろうよ。その時は雄座、お前も聞いてくれ。」


 月丸の顔は変わらず笑みを浮かべていた。雄座には分からない。


「明日?何故今分からぬのだ?」


 雄座は月丸の方へ体を向け聞いた。


「今分からぬでも明日分かる。それだけだ。

しかし雄座よ、お前さん、滅多に見ることの出来ないものを目にできたな。」


 雄座の疑問を晒すように月丸が言う。


「あぁ、肝が冷えたよ。昔話が現実に俺の目の前で起こったようなものだ。あのような怖ろしい妖狐など見た人間は俺くらいの者ではないか?

 尾が九本もあった。伝説の九尾の狐を俺は目にしたんだ。」


 興奮気味の雄座に落ち着き払った月丸が返す。


「残念だが雄座。あの尾は幻術だ。狐の虚勢のようなもので、本来、あの野狐の尾は三、四本程度だろうよ。」


 雄座は首をかしげる。


「では天狐ではなかったのか……それでもあれ程なのか。」


 月丸は雄座の一言一言が楽しむように聞いていたが、ふと月丸が目を落とすと雄座が先程から左手を握り締め続けているのに気付く。


「まぁ、強い野狐の部類であろうな。俺が彼奴の瘴気を抑えていたものの、幾分かはお前さんにも害を与えていたようだ……。」


 雄座も月丸の言葉で思い出したかのように左手を開くと、そこにはすっかりと黒く変色し、節々が千切れた人型の切り紙があった。


「おぉ…」


 雄座が驚く。渡された時は真っ白な人型であった。雄座に手渡された切り紙を見ながら月丸が語る。


「この人型はお前さんの身代わりであり、身を守るための結界でもあった。あの野狐は俺が予想していたよりも強い瘴気を放っていたようでな。切紙それがお前さんの身代わりとなって瘴気に犯され切り刻まれたんだよ。」


 月丸の言葉に雄座は全身に鳥肌がたつのを感じた。


「ふむ。これがなければ、俺はあの部屋で狐の瘴気にやられて死んでいたのか…。」


 雄座の言葉に月丸が続ける。


「いや、お前さんだけはどんなことがあっても死ななかったよ。」


 その言葉に不思議そうな顔をする雄座から目線を逸らして月丸は月を見上げた。


「もし、あの狐が天狐、稲荷の御使いであれば俺に勝ち目はなかったのでね。俺とあの老人を贄として差し出すつもりであった。そうすれば、俺や老人は死んでもお前さんだけは残る算段であったが…。」


 ふうっと大きく息を吐いた。


「…そうならなくて良かったよ。」


 雄座は寒気を覚えつつ月丸の手にある色褪せた切り紙と月丸を見続けた。自分と男爵をいとも容易く犠牲にすると口にする月丸の言葉に何も言えなかった。


「まぁ、あの瘴気を抑えるのに、俺の分身では力不足だったみたいでな。片付いた途端に花の精気が尽きてしまった。あの花には悪いことをした。」


 哀しそうに境内に咲く花に目を移す月丸を雄座はただ黙って見ているしかない。


 その日は既に明け方近くなっていたため、雄座は神社に泊まることとなった。拝殿の隣にある家屋に月丸が布団を用意していた。あまり語らない月丸である。雄座は月丸の言っていた「語り部」が来るのを待つしかなく、止むを得ず体を布団に埋めた。





 翌朝。


 日も上り、日の光で雄座は目を覚ます。懐中時計を見ると、既に九時を回っていた。疲労のため、随分と熟睡してしまったようだ。そう思いつつ、身を整え障子を開けると、まるで何もなかったように月丸が境内を掃除していた。


「おぅ雄座。ゆっくり休めたか?」


 雄座に気付いた月丸が声をかける。


「あぁ。お陰様でな。さて、月丸今日こそは事の顛末を聞かせてもらうぞ。」


 興奮する雄座に月丸は静かに微笑んだ。


「まだ語り部が居らぬよ。縁にでも座ってゆっくりしておけ。お茶でも入れよう。」


 そう言うと月丸は奥に消えた。残された雄座は月丸に言われたとおり縁に座り、どこを見るでもなく、辺りを眺めた。


 やがて、いつものように雄座にお茶が出され、いつものように月丸が隣に腰を下ろした。


「月丸、昨日から言っている語り部とやらは何者なのだ?」


「雄座よ。随分急いて居るようだが、少し落ち着いてはどうだ?落ち着いたほうが話の飲み込みも早いぞ。」


 はやる雄座を面白がるように月丸は窘め、ゆっくりとお茶を口に含んだ。




 午前中のため暑さも緩やかで、境内の木々の木漏れ日も相まって、しばし穏やかな時間が流れた。


 正午になろうという時分に差し掛かる頃、鳥居の前に一台の自動車が停まった。


「語り部の到着だ。」


 月丸の声に雄座は顔を上げた。鳥居を潜り入って来たのは和代であった。昨晩まで臥せっていたとは思えぬほど肌つやがよく、何より日の下で見ると髪を結い上げ、淡く化粧をした和代は美しかった。そして、月丸の言う結界を、まるで何もないかのようにすんなりと神社へと足を踏み入れる和代に雄座は驚く。

 二人の目の前まで来ると、和代は軽く会釈して口を開く。だが、その声は和代のものではなかった。


「妖霊よ、待たせたようだな。」


 月丸は和代に向かって一礼した。


「いいえ、御足労頂き恐縮です。何分私はここから外に出ることが叶いませんので。」


 昨日雄座の目の前で野狐は消滅したと認識する雄座には、またも理解出来ない状況となった。明らかに和代に何かが憑いている。しかし、月丸は穏やかに迎え入れている。拝殿へと和代を案内する月丸が立ち尽くす雄座に向かって声をかける。


「どうした雄座。お前も来るんだ。顛末を知りたいのであろう?」


 月丸の言葉に和代は雄座を見た。それと同時に月丸は和代に向かって願い出る。


「この者は私の友人で、私はあの男の頼みでその娘を助けようと伺いました。願わくばあの男も同席させて頂きたい。」


 和代の目を見ながら、いつもの笑みもない表情で回答を待つ月丸。暫く雄座を見つめた後和代は静かに頷いた。


「よかろう。和代の記憶にもこの者の姿がある。ならば共に聞いてくれるか?」


 雄座が昨晩聞いた和代の怖ろしい声とは違い、低く、しかし穏やかな声であった。雄座は一度強く頷いた。



 板の間に腰を下ろした三人。月丸がいつの間にか用意していたお茶をそれぞれに差し出した。


「さて、何から語ろうか。」


 和代…いや、その者は静かに口を開いた。


「妖霊よ、お主の思うたとおり…私は天狐と呼ばるる類の狐じゃ。」


 静かに頷く月丸を横に雄座は困惑する以外の表情を持ち得なかった。その表情に月丸もふと気が付いた。


「雄座、この方が和代さんを救ってくれたのだよ。」


 戸惑う雄座に月丸は答を与えた。しかし月丸の言葉に雄座は話が見えず、ただ唖然とする。


「妖霊よ、私はこの娘を守ることが出来なかったのだよ。その様な言い方をされると胸が痛む。」


 天狐は悲しそうな表情で俯いた。


「まるで言い訳でもするようで情けない話ではあるが聞いてもらおう。」


 天狐はそう前置きして静かに語り始めた。


「私は遥昔よりあの地あの家を守り続けた狐であった。修業を重ね妖力を得て、長い年月をかけて天狐となった。それ以来ずっとあの地を守るために様々な悪しき気の流れを防ぎ、また打ち消してきた。この地の民を、地を守るために生きていた。この娘の一族は我が祠を護りし一族よ。」


 静かに語る声に雄座は聞き入った。和代から発する気品ある声に冷静さを取り戻した。


「あなたほどの力のある方が何故あのような野狐にを祓えなかったのですか?」


 素朴な雄座の問に答えたのは月丸。


空狐くうこ…になられましたな。」


 月丸の言葉に天狐は頷いた。


「さすが妖霊。お見通しであるか。左様、私はこの娘の家の者が祠を移した際、明神より空狐の力を頂き、神となった。だが、空狐の力を頂く際には三月の間、天へと昇らねばならぬ。私が天へと昇っている間にあの野狐がこの娘の祖父に呪をかけたのだよ。」


 雄座の頭にも御前の話が思い出された。天狐が続ける。


「かの野狐がかけた呪は巧妙であった。戻った私ですら気付かなかった。私があの祠に戻ったとき、あの野狐は気配すら消し、機会を伺っていたのだろう。私が再度天に昇ったのが三月程前のこと…」


「野狐が呪を開放した。」


 月丸が続けた。


「左様。戻ったときには最早手遅れであったのだ。私はこの娘に憑依する事で何とかこの娘の意識を残す事が出来たが、私がこの体から出ればこの娘はたちどころに死んでしまうであろう。」


 雄座はその言葉に息を呑んだ。何故なら今雄座の目の前にいるのは和代の抜け殻で、中身は天狐なのだ。つまり助ける事ができなかったのだと悟った。その表情を読み取ったのか天狐は雄座に目を向けた。


「我が力及ばず本当に申し訳なかった。」


 和代の、いや、天狐の目からは大粒の涙がこぼれた。守りきれなかった無念さが雄座にも伝わってくるようであった。


「野狐とはいえ、天狐に近い妖力を持っておる輩でした。止む終えぬことと思います。私とて、あなたが野狐の力を抑えてくれたからこそ、安心してやり合う事ができました。」


 月丸は天狐に向かい深々と頭を下げた。


天狐も顔を拭い、月丸に向かった。


「せめて、この娘を生き返らせる。」


 天狐は静かに、だが力強く語った。


「我が身を打ち消し、我が妖力全てを施せばこの娘の魂を取り戻せよう。」


 天狐の一言に月丸は目を空へ向けた。


「あなたの数千年の終りとなります。それでもよろしいのですか?」


 月丸の一言に天狐は初めて微笑んだ。


「守ることが出来なんだ守り神など、最早生き続けても恥を晒すのみ。なれば守れなかった者を救うことでこの命消えるとも悔いはあるまい。」


月丸はその言葉にただ目を閉じた。


 それを見た天狐は改めて月丸に向かい姿勢を正した。


「妖が類の頂点となる妖霊よ。お主を見込んで頼みたい。この娘の魂を戻した際、ほんの僅かではあるが、我が神の力も娘に継いでしまうだろう。悪しき者に狙われぬ様、この娘を助けてやってほしい。」


 そう言うと天狐は床に手をつき、深々と頭を下げた。静かに頷くと、月丸も同じく手を付き、礼を返す。


「神のお頼みとあらば、断る道理はございませぬ。それにこの娘は、我が友の知人。我が力及ぶ限りお助け致します。」


 月丸の言葉に安堵したのか、天狐は先程の微笑みとは違い、安堵した表情を浮かべた。


「出会えたのがお主で良かった。不思議な事よ。我が生きてきた長い年月、このように善意を持つ妖霊を見たは初めてであった。」


 月丸はただ微笑んだ。


「…良い師を持ったようだな。」


 天狐のその言葉に月丸は微笑みながら頷いた。それを見た天狐はまた頷き、静かに目を閉じた。


 その刹那、和代の体が白く光るのを雄座はその目に見た。光の中で和代から九本の狐の尾のようなものが現れ、その光が和代の体へと吸い込まれてゆく。いつしか光も消え、和代の体はその場に崩れた。


 倒れた和代を月丸が抱き上げた。


「雄座、座敷に布団を一つ敷いてくれ。この娘が気付くまで休ませる。」


 すっかりと状況に置いていかれていた雄座は月丸の言葉に軽く頷き慌しく駆けていった。


「なんとも未練のない事だ。数千年かけて空狐にまで昇った力を躊躇う事無く捨てるとはな。」


 抱いた和代の顔を見ながら月丸は一人呟いた。


 その後、一刻程で和代は目を覚まし、なぜ自分がここに居るか、わからぬまま月丸達に軽く挨拶し帰っていった。



 月丸と雄座は、また二人で縁側に腰を掛け煎茶を啜った。


「空狐とは最早神と同座となる。神に上り詰めた狐だ。あのお方…娘を救った狐はそこまで上り詰められたお方だ。」


 突然の月丸の言葉に雄座が振り向いた。


「なんとも、稲荷様の御使とはいくつも呼び名があるものだな。」


 雄座は力の抜けた声で返した。それを聞いた月丸は続ける。


「空狐とは三千年以上は軽く生きた善狐のみがたどり着ける。空狐自体が既に神だぞ。御使などと言うと罰が当たるぞ。」


 月丸は雄座に微笑んだ。雄座には少々理解の範囲外であると思った。月丸は分かりやすい言葉を選んで続けた。


「その神様が娘一人のためにその地位も力もさっさと捨て、その見返りに娘に命を吹き込んだのだよ。」


 雄座の中に先程の光と白い九尾が思い起こされた。


「天狐は俺等がこの件に手を出そうと出すまいと、この方法で娘を助ける気でいたらしいな。」


 押し黙る雄座に向かい月丸は続けた。


「魂を喰われた刹那、急ぎ娘に憑り付いたのだろう。そしてせめて生き返らせたとき娘が困らぬよう意識や記憶を繋ぎとめておいたのだろうよ。」


 月丸はくすっと笑った。


「神とは大変なものだ。全てに配慮しておられる。」


 不届きなと思いつつ月丸の顔を振り返るとその顔には敬意の笑みがあった。


「あの時、私なんぞがあの野狐を手玉に取れたのは天狐が野狐の妖力を押さえ込んでくれていたのだろうよ。そうでなければああも容易くはいかなかっただろうな。」


 月丸は珍しくため息を付いた。その月丸を眺めつつ雄座はふとした疑問を口にした。


「…では、天狐がおらねばあの野狐には勝てなんだか?」


 月丸は少し考える素振りで雄座に向いた。


「恐らく、一苦労であったかもしれん。あの部屋に入った瞬間、悪しき気配の更にその周りに善の気配を感じた。すでに野狐の邪気を包み込んでいたのだろう。野狐は半分も力をだせなんだろうな。」


 月丸はあぁ、と言葉を継ぎ足した。


「一ついえることは、天狐が居らねば、あの部屋に踏み入った瞬間、お主はもうここには居らんであろうな。感謝したほうがよい。」


 そう言って月丸はころころと笑った。雄座はそれを聞きながら苦い顔をした。


「ことが大きすぎて今回の事は良とも悪とも言えんな。月丸、酒はあるかね?」


 頭を掻きながら尋ねる雄座に月丸の口元にいつもの笑みが戻った。


「無論酒はあるが、まだ昼間だぞ」


 そうは言いつつも月丸は腰を上げた。


「そう、だから呑むのだ。酒でも入ればお前の話も理解できるかも知れんのでな。まず話の始めからゆるりと話し合おうか。」


「ならばゆるりと聞かせようか。」


 月丸は奥へと消えていった。


 雄座は一人縁側に腰を据えたままどこを見るでもなく境内を見回した。


「…俺は神に会ったということかな。」


 雄座にも微笑が漏れた。


「まぁ俺の専門は妖怪だ。神仏ではない。野狐のことでも詳しく聞くとしようか。」


 やがて酒の席が設けられ二人は静かに語り通した。

 いつものように。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ