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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第玖幕 月丸
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月丸と鞍馬天狗 弐

 鞍馬と妖霊の戦いは既に対峙してから五日ほど過ぎていた。


 鞍馬が剣技を繰り出せば、その剣技を真似て妖霊が放つ。術を使えば、それも吸収する。まるで自分が、妖霊を育てている気にもなった。


 だが、鞍馬は妖霊との戦いが楽しくなっていた。技を見せれば、それを学び、自分のものとする。優れた弟子を持った様な感覚である。過去に一人だけ、その様な弟子がいた。人でありながら鞍馬の剣技を受け継いだもの。名を遮那王しゃなおうと言い、後の源義経である。

 親に捨てられた遮那王を哀れと思い、生きるための勉学と剣技を教えてやった。だが、遮那王は鞍馬の恩に報いるためか、ひたすらに鞍馬の教えを吸収し、勉学も剣技も、人としては特に秀でるものとなった。鞍馬の正義を信じ、愛情豊かに育った遮那王の最後は哀れなものであった。しかし、義を持つ者を育てる喜びを鞍馬に教えたのもまた遮那王こと、源義経である。


 妖霊との戦いはそれに似ていた。

 妖霊は鞍馬の技を学び、考え方を学んでいる様であった。しまいには、鞍馬が「休憩じゃ。」、そう言うと、妖霊は戦いをやめ、鞍馬が立ち上がるまで剣技を覚えるために素振りをしたり、場合によっては眠りについた。それはかつての、遮那王の様に、教える喜びを鞍馬に微かに与えていた。


 まるで妖霊を鍛えている様な錯覚にも陥る。倒すべきと帝より命を受けたが、いつしか鞍馬は現妖霊が、以前の妖霊ほど人に仇を為すものではない様に思えた。



 妖霊が作り出した黒い焔の太刀は、いつしかまるで鋼でできた太刀の様に姿を変えていた。これも、鞍馬が使う太刀を見て、学び、使いやすい様に変化させていったためであろう。


きいん


 妖霊の太刀を鞍馬は受ける。妖霊は受けられたと思えば、直ぐに太刀を引き、鞍馬の力を利用して後ろに飛ぶ。飛びながら左手で妖気の刃を乱れ打つ。


 鞍馬はその全てを、流し、太刀で受け、躱し、妖霊へと踏み込むと、横一閃、太刀を振るう。それを妖霊は太刀を立てて受け、そのまま吹き飛ぶ。


「随分と上手くなりおって。」


 鞍馬はぼそりと呟く。

 妖霊が吹き飛び、転げた砂煙の中から、ぶわりと妖霊が剣を構え舞う。


 すわ、鞍馬を斬りつけんとした時。鞍馬が言う。


「ちと休憩じゃ。水を飲んでこい。」


 その言葉に妖霊は、そのまま鞍馬の目の前に着地すると、右手の太刀を納め、言われた通り、川へと水を飲みに走っていった。

 その後ろ姿を眺める鞍馬。


「くそ。調子が狂うわい。妖気は違いないが、あいつは本当に妖霊か?」


 鞍馬は丁度良い岩に腰を下ろすと、腰に下げた竹筒の蓋を開け、ごくごくと音を立てて喉を潤した。


「もし、妖霊だったとして、彼奴を導いてやれば悪しき者にならぬのではないか?晴明の様に。」


 平安京の陰陽師。安倍晴明も妖霊であったが、師の導きで陰陽寮へと入り、帝のために勤めた。人の友であった道満と接する事で、野の人々のためにもその力を振るった。

 導きなくば、何かの拍子で前の凶暴な妖霊の様になるかもしれない。遮那王の様に学を教え、正義を教え、剣技を教え、あの純粋な妖霊を義の妖としてやりたい。鞍馬はそう思った。


「ならば、次で決めるか。」


 ぼそりと呟く。力で妖霊を負かし、妖霊を鞍馬山に連れて行く。鞍馬の目の色が変わる。

 神々と数多の妖、人の軍勢を相手に一人戦った悪しき妖霊。その力を正義に使えば、何者も不幸にならない平和な世が作れるのではないか。そう思えばこそ、鞍馬の決心は固まった。


 数日にも及ぶ鞍馬と妖霊の戦いで、武蔵野一帯に潜む妖や土地神は恐れを成して逃げ、隠れていた。

 そのおかげで、戦いの邪魔をするものは居ない。鞍馬自身も、長き生の中で強くなり過ぎた。こうして全力で伏せようと考えたのも、随分と久しぶりである。

 自然と笑いが洩れる。


「何がおかしい?」


 その声に顔を上げると、川から戻ってきた妖霊が立っていた。


「何でもないわ。すぐにやるか?」


 鞍馬の問いに、妖霊は首を横に振る。


「疲れた。寝ていいか?」


 妖霊の問いに、鞍馬は頷く。するとその場で妖霊は横になり、寝息を立て始めた。

 当然であろう。鞍馬の太刀を受ける程の焔の太刀を出し続け、鞍馬の剣技に耐えるため、いずれも妖気を放ち続け、力を使い続けているのだ。疲れるのも然り。だが、自分を退治しに来た相手に寝て良いかと聞き、承諾すれば、無防備に寝る。やはり、悪き者とは思えない。


「変な奴じゃ。」


 妖霊の無邪気な寝顔を眺めながら、鞍馬は呟いた。



 やがて妖霊が目覚めると、二人はどちらが言うでもなく、立ち上がると、間合いをあけて剣を構えた。


「妖霊。これで終いじゃ。儂が勝ったら、お前を鞍馬山へ連れて行く。そこで世の理を学べ。良いな。」


 妖霊は暫く考え、尋ねる様に言う。


「お前に俺が負けたらと言うことか?」


「そうじゃ。」


 鞍馬が答える。


「俺は負けない。」


 妖霊が言う。


「ならば。」


 鞍馬は発すると同時に、両手を広げる。その刹那、妖霊の周りに丸く光る結界が現れた。


「殺さぬ程度に負かせてやる。これで最後じゃ。」


 妖霊は結界から逃れようとするが、体を当てても、焔の太刀で打とうとも、結界はびくともしない。


「ほれ。お主の全力を持ってやらねば、結界は壊せぬぞ。」


 そう言うと、鞍馬は一言、呟く。


「嵐。」


 瞬く間に結界の中に渦を巻く竜巻が現れる。妖霊は飛ばされぬ様、地に踏ん張るが、やがて苦しそうに倒れ込むと、地面を掻き始めた。


「その結界の中の嵐の中では、息を吸うことすら出来ん。そのまま気を失うが良い。それで儂の勝ちじゃ。」


 恐らく、妖霊には届かぬ言葉を吐き、鞍馬は手を下ろした。鞍馬はあまり妖術を使うことはない。剣技だけでおおよその敵には勝てる。妖霊相手にも、大した術は使わなかったが、鞍馬が本気を出せば、神すら討てる力を持つ。術を放つと言うことは、鞍馬が本気を出した事に他ならない。


 妖霊は地に附したまま、両の手を拡げた。何をやろうとしているのか、鞍馬は妖霊を見る。

そしてかっと、目を見開いた。


 嵐の中、妖霊がゆっくりと立ち上がる。両の手は拡げたまま。しかし、結界の中を乱れ吹く嵐に、妖霊の髪すら揺れていない。


「そうじゃ。守り止まることも大事。覚えておけ。」


 妖霊は、はぁはぁと肩で息をしながら、鞍馬を睨む。しかし、鞍馬は慌てる事なく、その光景を眺める。


「妖霊よ。儂ら妖の戦いは剣技も体術も、何より妖術が必要となる。それらを知らねば、戦うことなど、そもそも出来ぬぞ。」


 妖霊の焔の太刀は既に消えている。身を守るための結界で精一杯なのであろう。鞍馬は更に術を重ねる。


「嵐刃」


 妖霊を囲む結界の中のに、数多の風の刃が現れると、吹き荒ぶ嵐の中を暴れ飛ぶ。


 きぃんきぃんと風の刃が妖霊の結界に当たる甲高い音が辺りに響く。やがて。


ぱりん


 結界の破れる音が響くと、鞍馬の結界は嵐と風刃が渦巻くのみとなった。


 既に討つ気のない鞍馬はすぐに術を解いた。加減はしたが、嵐刃の中にいてはひとたまりも無いであろう。そう考えたが、すぐに太刀を構えた。


 ぼろぼろになりながら、妖霊は立っていた。


「うおおお」


 妖霊は獣の様な雄叫びを上げると、鞍馬目掛けて駆け出す。手には再び焔の太刀を現したが、形も定まらず、ぼうぼうと燃えているだけの様にも見える。嵐刃を防ぐためと、その体の傷から、よほど体力と妖力を持っていかれたのであろう。

 

 力なく振られた妖霊の焔の太刀を容易に躱すと、太刀の刃を峰に返して妖霊の背を打ち付けた。吹き飛び、木に打ち付けられる妖霊。


「どうだ?これで儂の勝ちじゃろう。」


 鞍馬が声を上げる。妖霊はゆっくりと立ち上がると、構えたまま、じっと動きを止める。

 鞍馬はそれを構えたまま見る。何かをやろうとしている。しかしそれが何かはわからない。


 ぶわ


 妖霊の体の周りから、黄金に光る煙の様なものが昇り立つ。それと同時に、妖霊から感じる妖気が大きく膨れ上がるのを感じる鞍馬。


「これが妖霊の本気かよ。」


 鞍馬が呟くと同時に、妖霊は地を蹴り、瞬く間に間合いを詰めた。その手には、先程の力なきものではなく、形を戻した焔の太刀。鞍馬目掛けて下から切り上げる。それを太刀で受ける鞍馬。

 そのまま焔の太刀の刃を滑らせ、横から斬り付ける鞍馬。妖霊は蹲みそれを交わすと、鞍馬の腹目掛けて妖気を放つ。


どん


 それを受けつつも鞍馬は引くことなく、返す太刀で左袈裟に太刀を振り下ろす。


きいいん


 鞍馬の太刀を受けたのは、妖霊の小さな結界であった。左手を広げ、その小さな手と同じ大きさの結界。


「むう。」


 鞍馬は驚く。妖霊は、小さい結界しか張れないのではなく、範囲を狭め、鞍馬の太刀を防げる様に厚い結界を張ったことに驚いた。


 が、鞍馬の太刀の威力は防げずに、妖霊は後ろへと飛ばされる。直ぐに起き上がると、その場で焔の太刀を振る。振るたびに妖気の刃が現れ、鞍馬に向かって飛んでくる。


「それは効かぬ!無駄なことをするな!」


 太刀で受け、流し、避けようとしたとき、鞍馬は気付く。足が動かない。見ると、両の足が結界によって地に縛られていた。

 先程鞍馬がやった様に、妖霊が全身を包む結界を張っていれば、破ることなど容易い。しかし、妖霊は小さく、強固な結界で足だけを止めた。しっかりと考えている。


「面白い。」


 鞍馬が言葉を発すると同時に、鞍馬の腹を躱しきれない妖気の刃が斬り付ける。


「ふん!」


 気合で妖気の刃を消し飛ばす鞍馬。構え直そうとしたとき、既に妖霊は目の前に上段に構えて跳躍していた。


 太刀を振り下ろす妖霊。鞍馬がかっと目を見開くと、妖霊の足元から驚くほどの速さで竜巻が現れ、妖霊を宙高く舞い上げた。


「ほうら。」


 鞍馬は妖霊の周り丸く玉の様な結界を張ると、その中を炎が満たす。妖霊はすぐに太刀を納め、身を守るため、周囲に結界を張る。

 鞍馬は足を固められたまま、太刀を大上段に構える。


「ほれほれ!身を守ってばかりでは、儂には勝てんぞ。」


 そう言うと、並ならぬ速さで太刀を振り下ろす。巨大な一刃の風の刃が、空に浮かぶ結界ごと切り裂いた。


 炎が消え、妖霊が落ちて来る。その体からは、先程の鞍馬が放った刃を防げなかったのか、右腕が離れていた。


 どすんと地に落ちる妖霊。右手を失い、勝負あったと思った。だが、妖霊はゆらりと立ち上がると、ぼたぼたと右腕から血を流しながら、鞍馬目掛けて駆けた。

 左手を振り、妖気の刃を幾重にも放つと、鞍馬の頭を越えるほど跳躍する。


 妖気刃を受けながら、頭の上を飛ぶ妖霊に目をやると、これまでに無いほどの強い妖気を放ってきた。妖気を防ごうと、鞍馬が上に結界を張ろうとしたとき、足元からも気配を感じる。


 その刹那、鞍馬の足元から黒い焔が吹き出し、その身を焼く。それと同時に、上からは妖霊の妖気を当てられた。


「ふん!」


 鞍馬は気合一閃。巨大な翼を広げ、焔を打ち消した。すぐに振り返ると、焔の太刀構え、妖霊が向かって来る。


 鞍馬は真正面から妖霊の渾身の太刀を己の太刀で受け止めた。


きいいん


 刹那、鞍馬の太刀は折れ、妖霊の焔の太刀は鞍馬の左肩から腕までを切り裂いた。鞍馬に刺さったままの焔の太刀をそのままに手放すと、妖霊は空中でくるりと身を翻しながら、その手にはもう一本、焔の太刀が現れていた。そして鞍馬の残る右手を狙って、横に斬りつける。


 鞍馬は折れた太刀に妖気を込め、鍔元で妖霊の刃を受けると、焔の太刀が刺さる左手で、腰に収めた小太刀を抜くと、妖霊の腹深くに突き刺した。


 どさりと地に落ちる妖霊。既に先程までの強い妖気はない。それと同時に、鞍馬に刺さった焔の太刀が描き消えた。


 刹那の攻撃であったが、あまりに見事な連携に、鞍馬はつい、全力で応じた。それでも肩から左腕を見事に斬られた。


「…儂の負けか。」


 最後に立っていたのは鞍馬であった。しかし、こうも幼い妖霊に対等の戦いをされた、しかも、腕までやられたとあっては、これで勝ったとは言い難い。鞍馬はふう、とため息をつくと、急ぎ、近くに置いてある荷物を取りに駆けた。






 ぱちぱちと焚き火の音が響く。妖霊がゆっくりと目を開けると、上身を起こした。辺りを見回し、焚き火の向こうに座る鞍馬を見つける。


「俺、負けたのか?」


 起きて早々、尋ねる妖霊に、鞍馬が答える。


「良い攻撃であった。護法魔王尊が左腕を斬られたのだ。お前の勝ちで良い。」


 鞍馬に言われ、鞍馬の左腕を見ると、衣は切り裂かれ破れている。しかし、左肩から腕に掛けて青黒く染まっているが、何もなかった様に動かしている。そして気付いたように妖霊は自分の腕を見る。


「斬られたのに…」


 鞍馬に斬られ、落ちたはずの右腕が付いている。直ぐに服を捲ると、刺されたはずの腹すら、なんの怪我もない。

 そんな妖霊を見て笑う鞍馬。


「がはは。儂が作った秘伝の薬じゃ。手や足がもげた位なら癒してやれるわい。」


 妖霊は斬られたはずの腕をまじまじと眺めている。その姿を見ながら、鞍馬が言う。


「お前はまだ無邪気。帝には妖霊討伐を命ぜられたが、お前と剣を交え、悪しきものではないと感じた。」


 腕をさすりながら、妖霊は鞍馬の言葉に耳を傾ける。


「良いか。お前は強い。無闇に他の者を殺めてはいかん。自ら他の者に害をなせば、皆がお前を敵と思う。」


 妖霊は首を傾げて尋ねる。


「俺はお前を殺めてないぞ?」


 鞍馬は頷く。


「それでいい。じゃが、世には悪き者もおる。お前の力を振るうは、まずは己が身を守るためにだけ使うが良い。出来るか?」


 静かに語る鞍馬に、妖霊はしばらく考えた後、頷いた。


「ならば、良い。次は勝って、お前を鞍馬山に連れて行こう。いずれ、また来る。」


 そう言うと、鞍馬は京へと戻って行った。

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