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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第玖幕 月丸
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来訪者

 空は雲一つなく、穏やかな日差しが境内に注ぐ。月丸は参道の石敷を箒で掃きながら、空の青さを見上げる。


「良い天気だ。」


 何気なく呟く。

 そんな月丸を他所に、雄座に買ってもらった着物を着たナナシと魍魎が走り回ったり、咲く花を眺めたり、池の水をすくってみたり、忙しなく動いている。

 そんな光景を、今日の陽気の如く、穏やかな笑みで眺める月丸。ナナシと魍魎の姿に幼い日のすずと自分を重ねる。


 あの頃は何も考えていなかった。遊ぶのが楽しく、人と接するのが楽しい。その様な自分が選んだのは、この結界で暮らす永き世。消滅するまで、ここで生きれば良い。消滅できなければ、変わることのない景色で生きれば良い。そう思った。しかし、ある日突然、結界に守られたこの社に雄座が現れ、雄座は自分を、分身とはいえ外に連れ出した。そしてあやめを呼び、そして今、こうして遊ぶ童を運んできた。


 楽しい。


 久しく考えなかった感情である。今、雄座と共にいるのは楽しい。何が起こるか判らない。同じ毎日であったことが、毎日変化するようになった。外の世界と触れることができた。こうして、空の蒼さを思い出すのも、雄座のおかげだと思う。


 当の雄座は、昼を過ぎると、両手に菓子や果物を下げ、汗をかきながらやってくる。ナナシ達に食べさせるために、あれから毎日、ほぼ同じ時間にやってきた。最近では、菓子以外も食わせると、飯や煮物等も持ってくる。

 そんな雄座にナナシも魍魎もすっかり心を許していた。封じられているとはいえ山神とその精霊。人に心を許すなど、あり得ぬ話だが、月丸の目の前で、そのあり得ぬ事があり得ている。山神すら懐かせる雄座の姿をふと思い出して呟く。


「お前は本当にいい奴だなぁ。」


 ナナシと魍魎が月丸の元にとてとて、と駆けてきた。


「ゆーざ、もう直ぐ来るね。」


 ナナシが嬉しそうに月丸に言う。


「ケーキ…」


 ナナシに続き、魍魎も呟いた。月丸はくすりと笑うと、腰を曲げ、二人の目線に合わせる。


「もう直ぐ来る。それまでは遊んでいなさい。」


 月丸に言われ、こくりと頷くと、再び二人は池へと向かって走っていった。


 走る二人の背を見ながら、視界に別の影が映る。鳥居の方向。そろそろ来る頃であった。雄座に声をかけようと、鳥居に目を向ける月丸。


 しかし、月丸の目に映ったのは、雄座ではなかった。


 身長は七尺程、黒い覆面で顔を隠し、紋の無い羽織りを纏い、真っ黒な袴に高下駄を履く。その右手には、抜身の刀が握られている。

 およそ時代錯誤とも思える姿である。



 月丸は直ぐにナナシと魍魎が居る池の周り纏めて結界を張る。目は大男から離さない。何故なら、その男がいる場所は鳥居の内側。結界を越えていた。


「何用かな?此処は神社。その様に刀を抜く様な場所ではあるまい?」


 月丸の言葉に、男は反応を示さない。だが、人では無いのは気配で分かる。余程高位の妖か…それとも神が類か。

 巧みに気配を消す男。笑みを消さぬが、警戒する月丸。


 ちらりと目線をナナシ達に向ける月丸。張られた結界に驚き、どんどんと叩きながら、心配そうに月丸を見ていた。


 月丸の目線が振れた刹那。


 どん。と大砲の様な音が響くと同時に、大男は驚くほどの速さで月丸の元まで飛び込むと、右袈裟に斬り下ろした。


 その刀を月丸は箒の柄で受け止める。箒は淡く光を放つ。月丸の妖気を注ぎ、竹の柄は刀を受け止めるほど硬く、強くなっている。本来ならば、結界を張って相手の攻撃を抑えるのが、いつもの月丸の手段であった。しかし、結界を張る暇もなく、斬り付けられ、受け止めるしかなかった。


「何者かは知らぬが、程々にせぬと痛い目を見るぞ。」


 月丸はそう言うと、大男が押し込んでくる刀を利用して、そのまま後ろに飛ぶ。飛びながら懐から符を出そうと一度箒から手を離し、再び箒を握る。次の瞬間。


ざん。


 距離を開けようとした月丸を追って、大男は更に踏み込み、横薙ぎに刀を振る。あまりの速さに符を出せない月丸。

 横から来る刀を再度、箒で受け、そのまま上へと流す月丸。大男の懐に入る形となり、月丸はそのまま面前、大男の腹に気を放つ。


 どん。


 大男は弾ける様に後ろに吹き飛ぶが、倒れる事なく、両足で踏ん張る。吹き飛んだお陰で、二人の間に僅かな空間ができた。


「妖気を放った程度では効かぬか…。神が類か。」


 全力で放ったわけでは無いが、唯の妖であれば、今の一撃でも十分であったろうが、目の前の大男は、後ろに弾かれ、腹を撫でてはいるが平然と立っている。妖霊の妖気に耐える。神に属する何者かであるのは明白である。魑魅の穢れを連れ去りし月詠につく者かも知れない。


「あまり時間をかけられぬのだ。もう直ぐ友が来るのでな。」


 そう言うと、月丸は地面をとん、と蹴る。ふわりと大男へと飛ぶ。その月丸に向かって、下から刀を斬り上げる大男。その刃をとん、と踏み、斬り上げを利用し、更に高く飛ぶ月丸。


 月丸が睨むと、ごう、と大きな音を立てて、大男の周囲に、蒼い焔が取り巻き、その身を焼こうとする。

 大男は直ぐに刀を横薙ぎに振る。すると、男の周りに大きな竜巻が現れ、月丸の焔を掻き消した。


 驚く月丸。


 竜巻は轟々と音を立てて、空へと消えていった。天狗の姫、あやめの術などよりも遥かに上を行くものである。


 驚く月丸を他所に、今度はこちらの番と言わんばかりに、大男が凄まじい速さで宙を幾度も斬る。斬る側から、風の刃が飛び出し、月丸に向かって飛んできた。

 目の前に結界を張る。


きぃぃぃぃぃん


ばりん


 過去、芦屋道満によって破られた様に、わずか一太刀で結界が音を立てて破れた。月丸は次々飛んでくる風の刃を箒で受け流し、空へと逃す。

 背面は拝殿、本殿がある。避けては後ろへと被害が出る。全ての風の刃を退けると同時に、月丸はとん、と地面に降り立った。


「これは随分と強い神だな。話を聞きたかったが、先ほども言ったとおり、間も無く友が来る。本気でゆくぞ。」


 そう言った月丸の体から、ゆらゆらと黄金に光る妖気が目に見えて立ち上がる。


 次の瞬間。


「止めじゃ止めじゃ。儂は本気じゃったのに…。あれで本気でなかったとはな。やはり勝てぬかよ。」


 大男は最も簡単に刀を地面に突き刺し、両手を上げた。


「どう言う事だ?」


 月丸の問いに、大男が答える。


「随分昔、貴様に敗れたが、今度こそは勝てると思ったのだがな。」


 そう言いながら、大男は覆面を外す。その顔は白髪の長い髪を後ろで縛り、鋭い目に筋の通った鼻。髪と同様に真っ白の口髭を生やす。深々と刻まれた皺は、老人であろうと言うことは分かるが、それを感じぬ威厳の様なものを見せる。


「この顔、覚えておらぬか?妖霊よ。」


 そう言われ、月丸はじっと大男の顔を睨む。大男の口ぶりでは、以前に戦った事があるらしい。記憶を辿る月丸。何となく見た記憶はあるが、思い出せずに沈黙する月丸。


「ふん。儂程度では、記憶にすら残らぬかよ。忌々しい。」


 苛立つ表情を浮かべる大男。


 その時。


「お爺様?」


 その声に月丸と大男は声のした鳥居の方に目を向けた。そこにいたのは、沢山の菓子の包みを持った雄座とあやめであった。


「おお!あやめや。爺じが会いにきたぞ!」


 先程まで殺気の篭った鋭い表情が大男から消え、嬉しそうに頬を緩ませ、あやめに向かって走っていった。


 呆気にとられる月丸。


「あやめの爺さん…。もしかして、鞍馬天狗か?」


 鞍馬天狗はあやめの元に着くや否や、あやめの脇に手を当て、むんずと子供のように持ち上げた。


「あやめや。爺じが来たからにはもう安心じゃぞ。ちゃんと食うておるか?爺じは心配で心配で…。」


 その側で、こちらも呆気にとられる雄座。大男があやめをまるで幼子をあやす様に持ち上げている。同じ驚き止まっていたあやめも、雄座の呆けた顔が視界に入り、我を取り戻す。


「ちょっ…お爺様。あやめは子供ではありませんよ!お離しください!」


 鞍馬天狗の手から逃れようと暴れるあやめを、今度はぎゅうと抱きしめる。


「儂から見たら子供じゃよ。天狐が消失したと知った時、あやめが心配で直ぐに駆けつけるつもりじゃったが、何があっても行かせぬと、父母に言われてな。」


「それは当然です。一族の長に勝手をされては困ります。お父様とお母様がお止めになるのも当然です。」


 両の手を突っ張り、何とか鞍馬天狗の腕から離れるあやめ。息を整えながら尋ねる。


「大体、なぜお爺様がここに居るのですか?しかも…。」


 あやめは月丸に視線を向けると、そのまま境内を流し見る。笑ったまま言葉を続けるが、その目は怒りの色を浮かべる。


「お爺様?何故、争った形跡があるのです?月丸様の事は手紙でお知らせしていたはず。お爺様がお手を上げて良い方ではありませんよ。」


 余程あやめを可愛がっているのだろう。先程の威厳もなく、鞍馬天狗はあやめに問われ、おろおろと言い訳を始めた。


「いや、この神社に入ったらな、あの妖霊が『曲者』と襲ってきてな…。それで仕方なく…儂は止めよと言うたのじゃが…。」


 鞍馬天狗の言葉に、あやめは月丸を見る。あやめの視線に気付き、にが笑う月丸。


「お爺様。嘘は通じませんよ。そもそも、天狗の長が、言い訳するなどと言語道断です。」


 怒るあやめにおろおろと宥めようと慌てる鞍馬天狗。その姿に、唖然と眺めていた雄座が呟く。


「…天狗の長で、あやめさんの祖父…。本物の鞍馬天狗か…。」


 天狗の面ほど、顔が赤くなければ鼻も高くない。昔話に聞くほど、異形でもない。しかし、その筋の通った鼻は、当時の人が見れば、あの様な高い鼻に見えるのかもしれない。だが、その見目は、老人と感じさせない無骨さと鋭さがあった。その背丈は如何だろう。これ程大きく、老人にしては着物の上から見ても、筋骨隆々であるのがわかる。

 そんな大男が、雄座よりも小柄なあやめに叱られあたふたとしている。雄座が呆けるのも仕方がない。

 雄座の呟きを聞き、話を逸らすかの様に鞍馬天狗があやめに尋ねた。


「おお。あやめや。こちらの御仁はどなたかな?見るに普通の人の様であるが…。」


 怒っていたあやめも、雄座を引き合いに出されては折れるしかない。素直に紹介する。


「神宮寺雄座さんです。人ではありますが、月丸様のご友人で、文士をなさってます。」


 あやめの紹介に今度は雄座が慌てる。


「ああ、どうもはじめまして。神宮寺です。まさか鞍馬天狗様にお会いできるとは思わず、驚いてしまいました。」


 あやめの気を逸らせたことに、鞍馬天狗は上機嫌に話す。


「ほほう。妖霊の友か。まるで晴明と道満のようであるな。いやいや、良かったら話でも聞かせてくれぬか?神宮寺殿。」


 そう言うと、鞍馬天狗はその大きな手で雄座の背を押し、月丸の元へと歩いてゆく。その背を見ながら、あやめはふぅ、とため息を溢し、跡を追った。


「さぁ、妖霊よ。儂の孫娘が世話になっておるようじゃ。色々話を聞かせてくれ。茶はあるか?」


 遠慮なく言い放つ鞍馬天狗。


「お爺様!」


 あやめの再びの叱責にしゅんと肩を落とす鞍馬天狗。その姿に月丸は声を上げて笑った。


「ははは。伝説の鞍馬天狗も可愛い孫娘の前では形無しだな。丁度雄座達が茶菓子も買ってきてくれたし、お茶にしよう。」


 月丸の言葉に、鞍馬天狗が再び殺気立つ。


「可愛い孫娘だと?妖霊、お主男か女か知らぬが、あやめに手を付けてはおらぬだろうな。いくら可愛いからと言え、あやめに近づく虫はこの儂が…」


 言いかけて、あやめに背中をばん!と叩かれて、再びしゅんとする鞍馬天狗。


「すまぬ。あやめ。冗談じゃて…怒らんでくれ。」


 そう言いながら、月丸の案内で、小屋へととぼとぼと歩いてゆく鞍馬天狗。その手を背に当てられる雄座は、ただ、鞍馬天狗にその押されて歩くしかなかった。


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