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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第捌幕 魑魅魍魎
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魑魅魍魎 終幕

 姿が戻ったナナシと魍魎は、まるで先程までの事を覚えていないかのように、二人で手を繋いで拝殿へと戻ると、ごろんと横になり眠ってしまった。


「どういうことだ?封印は解けたのではないのか?」


 雄座が二人を見ながら月丸に訊ねる。


「魑魅が言ったであろう?まだ、陽の元にその姿を見せられないのだろう。自ら、封を戻したのだ。幼く、純真な目で世の移ろいを見る事を望んだのであろう。」


 そう言うと、月丸は優しい笑みを浮かべた。その月丸の元にあやめが歩み寄る。


「あやめも苦労を掛けたな。助かったよ。ありがとう。」


 月丸の言葉にあやめが首を振る。


「いいえ。そんな。穢れ相手に手こずるとは、まだまだ力の不足を感じました。」


 そのあやめの言葉を月丸が返す。


「穢れとはいえ、山神のものだぞ。俺の分身では太刀打ちできたかどうかも怪しい。今回はあやめが頑張ってくれたおかげだよ。」


 その言葉に雄座も続く。


「ああ。あんな道を埋めるような数の魑魅を容易く封じたりするなんて、本当にあやめさんはすごいんだな。普段は流行りものが好きな普通の婦人にしか見えないのに。」


 心から褒めたつもりであった雄座であるが、余計な一言で、あやめの顔に苦笑いを作らせた。月丸もくすりと笑いながら、その光景を見る。

 雄座はふと、先ほどのナナシの言葉を思い出す。


「何者かに穢れが連れ出された、そう言っていたな。」


 雄座の言葉に月丸が頷く。


「ああ。そいつが穢れに体と力を与えた。そのせいで、さ迷っていた魍魎も、あの穢れた魑魅を山神魑魅と混同してしまったのだろう。しかし、一山神の穢れを実体にするなど、余程の力を持つ者でなければ、出来るはずはないが…。」


 月丸が言い終わる前に、あやめが割って入る。


「穢れた魑魅から聞き出しました。その者の名は、『月詠つくよみ』と。」


 あやめから出た言葉に、月丸が目を大きく見開く。雄座もその名は知っている。だからこそ驚く。


 月詠命つくよみのみこと

 神代の時代、伊邪那岐命イザナギノミコトが黄泉の国より帰り、阿波岐原において禊ぎを行った際に、天照アマテラス須佐之男スサノオと共に生まれた三神の一人である。

 雄座は驚きながらも、あやめに言う。


「古来から天照、月詠、須佐之男といえば、三柱の貴き神だぞ。俺の知る限り、月詠と言えば、稲やら穀物の神だったぞ。そのような神があのような穢れた者を生み出すわけがないだろう。きっと、あやめさんに恐れをなして、口からでまかせを言ったんじゃないか?」


 雄座の言葉に月丸が応える。


「だといいな。だが、正直、あり得ぬ話でもない。月詠は夜の食国を手中に治める神。陽の目の届かぬ者を操ることなど容易いであろう。」


 あやめも月丸の言葉に続ける。


「いずれであれ、月詠であれ、違う者であれ、何者かが暗躍していることは確かです。気を付ける必要はあると思います。」


 月丸はこくりと頷く。雄座はむう、と一言零すと、腕を組んで考え込んだ。

 そんな雄座を見て、月丸は穏やかに笑う。


「まぁ、とりあえずは魑魅の件が解決したのだ。先の事は考えても分からないのだから、一先ずは良しとしよう。」


 月丸はそう言い、この話を打ち切った。

 丁度その時、陽が昇り辺りの景色の輪郭を鮮明にしてゆく。やっと長い夜が終わった。







 あやめはその後、神田邸へと帰っていった。雄座はと言えば、月丸に促され、小屋で仮眠をとった。


 一眠りした雄座は、賑やかな外の声に目を覚ます。枕元に置いていた懐中時計を見ると、既に昼の一時を過ぎた頃であった。上身を起こすと、ぼうっとした頭にふと、疑問が湧く。


 小屋の外が賑やか。


 月丸しか居ないこの社で、賑やかな事があるわけがない。雄座は慌てて夜具から身を上げると、からりと戸を開ける。


 唖然とする雄座。境内にはナナシと分身であろう小さな月丸が二人、三人で鞠を投げて遊んでいた。


「おお。雄座。起きたか。」


「ゆーざ。おきたか。」


 月丸の分身が声をかけると、ナナシも月丸の真似をするように続いた。


「あ…ああ。おはよう。何だ…遊んでいたのか。外から賑やかな声が聞こえたので、何事かと思ってな。」


 言いながら、月丸とナナシの元に歩を進める雄座。


「分身二人で遊んでやっていたのか。」


 雄座は笑いながら月丸に言うと、月丸は首を傾げる。


「何を言っている。分身は一人しか作ってはおらん。」


 そう言う月丸。


「しかし、そっちにも月丸が…。」


 言いかけて雄座は気付く。


 少し離れたところに、雄座と話していたナナシに鞠を投げて良いのか分からず、動きを止めている月丸と同じ、装束姿の童。魍魎であった。

 汚れていた身なりは、月丸が洗ったのであろう。すっかりと綺麗になっている。肩ほどの髪は日の光に当てられ、きらきらと輝いている。日本人形のような愛らしさと変わっており、昨晩までの恐ろしさなど微塵もなかった。


「魍魎だったか…。すっかり見違えたな。」


 雄座が呆けたように魍魎に目をやりながら呟くと、自慢気に月丸が答えた。


「本来は山神の精霊だ。魑魅がナナシに戻ったので、また子供になってしまったがね。」


 月丸が言うように、確かに、いつか見た柳の精霊のように、何処か品があり、神々しさを感じる。


「ふむ。」


 そう声を洩らすと、雄座は疑問を口にする。


「なぁ月丸。何で魍魎はお前と同じ格好をしてるんだ?」


 話に飽きたのか、ナナシは魍魎に向き直し、鞠を投げるように催促している。月丸はナナシに目をやりながら、雄座の問いに答えた。


「なに。魍魎の衣は血の染み込んだぼろだったからな。俺の分身と同じ背丈だったから、術で作って一先ず着せたまでだ。」


 ふむ。と再び雄座の口から洩れる。そのまま腕を組み、なにやら思案する雄座。


「どうした?」


 月丸の言葉に、雄座は何かを思いついたように言う。


「そうだ。飯だ。月丸。お前たち飯は食ったか?」


 考え込んだと思ったら、そのような言葉だったので、目を丸くして驚く月丸。そしてすぐに笑い出す。


「何だ。飯の心配をしていたのか。随分と真面目な顔をするものだから、何事かと思ったよ。」


 雄座は頭を掻きながら、月丸に応える。


「ナナシ達に、菓子を買ってやらないとだろう?ちょっと行ってくるよ。」


 そう言うと、雄座は小屋に戻り、身を整えると、さっさと社を飛び出していった。


「どうしたんだ?雄座は。」


 鳥居を飛び出した雄座の背を見ながら、呆気に取られた月丸が呟いた。





「帰ったぞー。」


 それから二時間程で両手に沢山の包みを持った雄座が帰ってきた。


「おかし!」


「おかし。」


 雄座が鳥居を潜った途端、ナナシと魍魎が漂ってくる甘い匂いに気付き、声を上げ、駆け寄ってきた。


「まぁ待て。ほら、ナナシ。お菓子を食べる前にする事は何だった?」


 まとわりつかれて参った雄座は、ナナシに尋ねる。


「手を洗う!」


 ナナシは満面の笑みを浮かべ、魍魎の手を引いて手水場に駆けていった。その隙に、雄座はいつもの濡れ縁まで足早に向かうと、手に持つ包みを全て下ろした。


「随分と買ってきたな。」


 月丸は呆れたように雄座を見る。しかし、当の雄座は満足げな顔を向ける。


「店の者も沢山注文したので驚いていたよ。でも、それだけじゃ無いぞ。」


 そういうと、雄座は包の中から少し大きめの包みを月丸に渡した。首を傾げる月丸に、開けてみろと雄座に促され、包みを開けると、子供の着物が、男女二着づつ、畳まれていた。


「一着は月丸のだ。男物も女物もあるから、どちらでも気分で着られるだろう?もう一着は、ナナシと魍魎のだ。」


 にぃ、と満面の笑みを浮かべる雄座。月丸もつられて苦笑いを浮かべる。


「ナナシと魍魎の服か。ありがたい。術で作っても、数日で消えてしまうからな。だが、何故俺の分も?」


 訊ねる月丸に雄座は笑いながら答えた。


「外に行く時、それらしい服があった方が良いだろう?以前買った洋服だけだったしな。なので、二人とお揃いにしてみた。子供らしくて良いだろう?」


 雄座の答えに月丸が笑う。


「子供…。お前、分身が俺なのを忘れていないか?とはいえ、」


 月丸は着物を手に取り、改めて雄座に向き直す。


「ありがとう。雄座。」


「ああ。これくらいしか出来んからな。」


 手を洗ったナナシと魍魎が、待ちきれぬように、駆けてきたため、皆で菓子を囲むこととなる。





 数日、この様に賑やかな時間が、この社に訪れた。雄座は社に向かう度、洋菓子を大量に買ってくる。月丸には口直しに果物等も買った。


 ナナシも魍魎も、雄座がやってくると、嬉しそうに鳥居まで迎えにきた。勿論、菓子が目当てなのだろうが、そんな姿が、神とも思えず、人の子を世話する様に、雄座も接していた。



「雄座。数日内に天狗がナナシと魍魎を迎えに来るそうだと、あやめから話があったよ。」


 十日程経ったであろうか。いつものように菓子を囲み茶を飲んでいるとき、月丸から伝えられた。

 天狗に任せるのは分かってはいたが、ここ数日、楽しく過ごしたせいか、別れるのも些か寂しい雄座。


「そうか。それは寂しくなるな。」


 美味しそうに菓子を頬張るナナシ達を見ながら、呟く雄座。月丸も頷く。


「この社に来てから、おそらく一番騒がしい時間であったな。俺も楽しかったよ。」


 月丸も二人を見る。雄座と月丸の視線を感じたナナシは、二人を交互に見ながら、口をもぐもぐと動かしている。


 元は穢れた魑魅から始まった一件であったが、終わってみれば毎日、楽しそうに子供の世話をする月丸の姿。穏やかな時間を月丸に与えてくれたこの二人には、感謝の念を抱く。


 一人寂しい時間を長く過ごした月丸に、賑やかな時間を与えてくれたのだから。


 判らぬことは多い。穢れに力を与えた月詠、百鬼夜行の封印。月丸が何故、百鬼夜行を封じているのか。そもそも月丸の事すら、今の月丸しか知らない。

 だが、今は楽しそうに笑う月丸を見ていれば、それで良い。いつか、月丸が話したくなれば聞けば良い。

 そう思えた。


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