魑魅魍魎 終幕
姿が戻ったナナシと魍魎は、まるで先程までの事を覚えていないかのように、二人で手を繋いで拝殿へと戻ると、ごろんと横になり眠ってしまった。
「どういうことだ?封印は解けたのではないのか?」
雄座が二人を見ながら月丸に訊ねる。
「魑魅が言ったであろう?まだ、陽の元にその姿を見せられないのだろう。自ら、封を戻したのだ。幼く、純真な目で世の移ろいを見る事を望んだのであろう。」
そう言うと、月丸は優しい笑みを浮かべた。その月丸の元にあやめが歩み寄る。
「あやめも苦労を掛けたな。助かったよ。ありがとう。」
月丸の言葉にあやめが首を振る。
「いいえ。そんな。穢れ相手に手こずるとは、まだまだ力の不足を感じました。」
そのあやめの言葉を月丸が返す。
「穢れとはいえ、山神のものだぞ。俺の分身では太刀打ちできたかどうかも怪しい。今回はあやめが頑張ってくれたおかげだよ。」
その言葉に雄座も続く。
「ああ。あんな道を埋めるような数の魑魅を容易く封じたりするなんて、本当にあやめさんはすごいんだな。普段は流行りものが好きな普通の婦人にしか見えないのに。」
心から褒めたつもりであった雄座であるが、余計な一言で、あやめの顔に苦笑いを作らせた。月丸もくすりと笑いながら、その光景を見る。
雄座はふと、先ほどのナナシの言葉を思い出す。
「何者かに穢れが連れ出された、そう言っていたな。」
雄座の言葉に月丸が頷く。
「ああ。そいつが穢れに体と力を与えた。そのせいで、さ迷っていた魍魎も、あの穢れた魑魅を山神魑魅と混同してしまったのだろう。しかし、一山神の穢れを実体にするなど、余程の力を持つ者でなければ、出来るはずはないが…。」
月丸が言い終わる前に、あやめが割って入る。
「穢れた魑魅から聞き出しました。その者の名は、『月詠』と。」
あやめから出た言葉に、月丸が目を大きく見開く。雄座もその名は知っている。だからこそ驚く。
月詠命
神代の時代、伊邪那岐命が黄泉の国より帰り、阿波岐原において禊ぎを行った際に、天照、須佐之男と共に生まれた三神の一人である。
雄座は驚きながらも、あやめに言う。
「古来から天照、月詠、須佐之男といえば、三柱の貴き神だぞ。俺の知る限り、月詠と言えば、稲やら穀物の神だったぞ。そのような神があのような穢れた者を生み出すわけがないだろう。きっと、あやめさんに恐れをなして、口からでまかせを言ったんじゃないか?」
雄座の言葉に月丸が応える。
「だといいな。だが、正直、あり得ぬ話でもない。月詠は夜の食国を手中に治める神。陽の目の届かぬ者を操ることなど容易いであろう。」
あやめも月丸の言葉に続ける。
「いずれであれ、月詠であれ、違う者であれ、何者かが暗躍していることは確かです。気を付ける必要はあると思います。」
月丸はこくりと頷く。雄座はむう、と一言零すと、腕を組んで考え込んだ。
そんな雄座を見て、月丸は穏やかに笑う。
「まぁ、とりあえずは魑魅の件が解決したのだ。先の事は考えても分からないのだから、一先ずは良しとしよう。」
月丸はそう言い、この話を打ち切った。
丁度その時、陽が昇り辺りの景色の輪郭を鮮明にしてゆく。やっと長い夜が終わった。
あやめはその後、神田邸へと帰っていった。雄座はと言えば、月丸に促され、小屋で仮眠をとった。
一眠りした雄座は、賑やかな外の声に目を覚ます。枕元に置いていた懐中時計を見ると、既に昼の一時を過ぎた頃であった。上身を起こすと、ぼうっとした頭にふと、疑問が湧く。
小屋の外が賑やか。
月丸しか居ないこの社で、賑やかな事があるわけがない。雄座は慌てて夜具から身を上げると、からりと戸を開ける。
唖然とする雄座。境内にはナナシと分身であろう小さな月丸が二人、三人で鞠を投げて遊んでいた。
「おお。雄座。起きたか。」
「ゆーざ。おきたか。」
月丸の分身が声をかけると、ナナシも月丸の真似をするように続いた。
「あ…ああ。おはよう。何だ…遊んでいたのか。外から賑やかな声が聞こえたので、何事かと思ってな。」
言いながら、月丸とナナシの元に歩を進める雄座。
「分身二人で遊んでやっていたのか。」
雄座は笑いながら月丸に言うと、月丸は首を傾げる。
「何を言っている。分身は一人しか作ってはおらん。」
そう言う月丸。
「しかし、そっちにも月丸が…。」
言いかけて雄座は気付く。
少し離れたところに、雄座と話していたナナシに鞠を投げて良いのか分からず、動きを止めている月丸と同じ、装束姿の童。魍魎であった。
汚れていた身なりは、月丸が洗ったのであろう。すっかりと綺麗になっている。肩ほどの髪は日の光に当てられ、きらきらと輝いている。日本人形のような愛らしさと変わっており、昨晩までの恐ろしさなど微塵もなかった。
「魍魎だったか…。すっかり見違えたな。」
雄座が呆けたように魍魎に目をやりながら呟くと、自慢気に月丸が答えた。
「本来は山神の精霊だ。魑魅がナナシに戻ったので、また子供になってしまったがね。」
月丸が言うように、確かに、いつか見た柳の精霊のように、何処か品があり、神々しさを感じる。
「ふむ。」
そう声を洩らすと、雄座は疑問を口にする。
「なぁ月丸。何で魍魎はお前と同じ格好をしてるんだ?」
話に飽きたのか、ナナシは魍魎に向き直し、鞠を投げるように催促している。月丸はナナシに目をやりながら、雄座の問いに答えた。
「なに。魍魎の衣は血の染み込んだぼろだったからな。俺の分身と同じ背丈だったから、術で作って一先ず着せたまでだ。」
ふむ。と再び雄座の口から洩れる。そのまま腕を組み、なにやら思案する雄座。
「どうした?」
月丸の言葉に、雄座は何かを思いついたように言う。
「そうだ。飯だ。月丸。お前たち飯は食ったか?」
考え込んだと思ったら、そのような言葉だったので、目を丸くして驚く月丸。そしてすぐに笑い出す。
「何だ。飯の心配をしていたのか。随分と真面目な顔をするものだから、何事かと思ったよ。」
雄座は頭を掻きながら、月丸に応える。
「ナナシ達に、菓子を買ってやらないとだろう?ちょっと行ってくるよ。」
そう言うと、雄座は小屋に戻り、身を整えると、さっさと社を飛び出していった。
「どうしたんだ?雄座は。」
鳥居を飛び出した雄座の背を見ながら、呆気に取られた月丸が呟いた。
「帰ったぞー。」
それから二時間程で両手に沢山の包みを持った雄座が帰ってきた。
「おかし!」
「おかし。」
雄座が鳥居を潜った途端、ナナシと魍魎が漂ってくる甘い匂いに気付き、声を上げ、駆け寄ってきた。
「まぁ待て。ほら、ナナシ。お菓子を食べる前にする事は何だった?」
まとわりつかれて参った雄座は、ナナシに尋ねる。
「手を洗う!」
ナナシは満面の笑みを浮かべ、魍魎の手を引いて手水場に駆けていった。その隙に、雄座はいつもの濡れ縁まで足早に向かうと、手に持つ包みを全て下ろした。
「随分と買ってきたな。」
月丸は呆れたように雄座を見る。しかし、当の雄座は満足げな顔を向ける。
「店の者も沢山注文したので驚いていたよ。でも、それだけじゃ無いぞ。」
そういうと、雄座は包の中から少し大きめの包みを月丸に渡した。首を傾げる月丸に、開けてみろと雄座に促され、包みを開けると、子供の着物が、男女二着づつ、畳まれていた。
「一着は月丸のだ。男物も女物もあるから、どちらでも気分で着られるだろう?もう一着は、ナナシと魍魎のだ。」
にぃ、と満面の笑みを浮かべる雄座。月丸もつられて苦笑いを浮かべる。
「ナナシと魍魎の服か。ありがたい。術で作っても、数日で消えてしまうからな。だが、何故俺の分も?」
訊ねる月丸に雄座は笑いながら答えた。
「外に行く時、それらしい服があった方が良いだろう?以前買った洋服だけだったしな。なので、二人とお揃いにしてみた。子供らしくて良いだろう?」
雄座の答えに月丸が笑う。
「子供…。お前、分身が俺なのを忘れていないか?とはいえ、」
月丸は着物を手に取り、改めて雄座に向き直す。
「ありがとう。雄座。」
「ああ。これくらいしか出来んからな。」
手を洗ったナナシと魍魎が、待ちきれぬように、駆けてきたため、皆で菓子を囲むこととなる。
数日、この様に賑やかな時間が、この社に訪れた。雄座は社に向かう度、洋菓子を大量に買ってくる。月丸には口直しに果物等も買った。
ナナシも魍魎も、雄座がやってくると、嬉しそうに鳥居まで迎えにきた。勿論、菓子が目当てなのだろうが、そんな姿が、神とも思えず、人の子を世話する様に、雄座も接していた。
「雄座。数日内に天狗がナナシと魍魎を迎えに来るそうだと、あやめから話があったよ。」
十日程経ったであろうか。いつものように菓子を囲み茶を飲んでいるとき、月丸から伝えられた。
天狗に任せるのは分かってはいたが、ここ数日、楽しく過ごしたせいか、別れるのも些か寂しい雄座。
「そうか。それは寂しくなるな。」
美味しそうに菓子を頬張るナナシ達を見ながら、呟く雄座。月丸も頷く。
「この社に来てから、おそらく一番騒がしい時間であったな。俺も楽しかったよ。」
月丸も二人を見る。雄座と月丸の視線を感じたナナシは、二人を交互に見ながら、口をもぐもぐと動かしている。
元は穢れた魑魅から始まった一件であったが、終わってみれば毎日、楽しそうに子供の世話をする月丸の姿。穏やかな時間を月丸に与えてくれたこの二人には、感謝の念を抱く。
一人寂しい時間を長く過ごした月丸に、賑やかな時間を与えてくれたのだから。
判らぬことは多い。穢れに力を与えた月詠、百鬼夜行の封印。月丸が何故、百鬼夜行を封じているのか。そもそも月丸の事すら、今の月丸しか知らない。
だが、今は楽しそうに笑う月丸を見ていれば、それで良い。いつか、月丸が話したくなれば聞けば良い。
そう思えた。




