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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第二幕 狐
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狐 肆

 ベッドの上にゆっくりと立ち上がりながら、恐ろしい形相と化した和代に月丸の分身が対峙する。


「この屋敷の主に頼まれました。娘をお返し願いたい。」


 月丸は静かに、だが厳しく言葉を出した。その表情に笑みはない。


「我はこの娘をその主である重太郎との約束にて貰ったのだ。返す義理はない。」


 雄座はただ部屋の隅で二人の会話を聞いていた。あまりのことに足が震えている。読み物としての狐憑きではなく、目の前で現実となった事態に恐怖する。


「もう一度申します。娘をお返し願いたい。」


 月丸はゆっくりと和代の元へ歩を進めた。


「お主のその気配…さては妖霊じゃな?妖霊ごときが、我に命ずるか。我は天狐ぞ。」


 和代がベッドの上に立ち上がり、その背が光り輝く。そしてその光は徐々に九本もの尻尾に姿を変えた。その姿を見ながら、雄座の頭に月丸の言葉が思い起こされた。


 相手が天狐であれば勝てるかわからぬ、そう言ったことと良い結果でない、その言葉が意味していたものを雄座なりに悟った。

 だが、月丸はすでに手を伸ばせば和代に触れる位置にいた。


「ほう。随分と見事な尾だ。狐の尾は霊力の強さを示すという。随分と修行されたのでしょうかな?」


 月丸は和代の目を見ながら問うた。雄座にその問いの意味はわからなかったが、和代は不敵な笑みで答えた。


「そのとおりよ。うぬも妖霊であれば我が尾が示す我の存在を知っておるはずだ……。 早々に立ち去れ。なれば命はとらぬ。」


 そこまで和代が語った時、月丸はくすっと笑った。


「何がおかしいか。」


 和代の目が血走った。月丸には雄座がいつも見る笑みが戻っていた。


「お前さんが天狐ならば俺はもう神の一柱にでもなっているよ。」


 月丸は言った。


と同時に和代に向かって手をかざした。


 その刹那。


 ドン。


 大きな音を立てて和代は壁まで吹き飛んだ。雄座はもはや息をするのさえ忘れてこの不思議な光景を眺めているしかなかった。


 壁に勢い良く叩きつけられた和代、常人であれば気を失うか命を落としそうなものだが、何事もなかったように立ち上がった。


「お前さんは天狐ではない。天狐の何を盗んだかは知らぬが、力までは真似できまいよ。ちょっと力を付けた所為で、野狐が調子に乗ったようだな。」


 伸ばした手を下ろしながら月丸は和代……野狐を挑発するように言う。


 和代の姿をした目には月丸に対する憎悪のためか、血走った目を大きく開いている。


「その証拠に…。」


 月丸の言葉。


 ドン。


 再びかざした月丸の手により、再度野狐は壁に押さえつけられた。


「…妖霊ごときの術に掛かっておる。」


 そう言うと月丸が笑った。野狐は更に憎らしげに月丸を睨みつけた。


「たわけた妖霊よ。我の神の力を以て我に逆らったことを後悔させてやるぞ。妖霊!」


 妖狐は苛立ちの雄たけびと共に、まぶしいくらいの光に包まれた。


徐々に光が収まる。


 次の瞬間雄座は目を見張った。


 和代の体は床にどさっと音を立てて崩れ落ちた。そしてその上に立っていたのは、この部屋の高い天井に頭が届きそうなほども大きな体躯の禍々しい雰囲気を持つ狐の姿である。


「これが野狐か…。」


 おぞましくも口が大きく裂け、目は真紅と思えるほどに赤く血走り、その九本に裂けた尾は光を放っている。さしずめ後光がかかったように見えた。


「妖霊、うぬの血を啜り、肉を喰らい、その力を全てもろうてやるわ。天狐を愚弄した事を後悔するが良い。」


 月丸は驚く事もなくただ微笑んでいる。


「月丸!」


 雄座はとっさに叫んだ。


 月丸に向かって妖狐がその大きな口を拡げ襲い掛かった。月丸を喰らおうとその牙が月丸に突き刺さろうとしたその刹那である。



 きぃぃぃぃん



 雄座はとっさに耳を塞いだ。塞がなければ鼓膜が破れそうな程の音であった。


 跳びついた筈の妖狐は宙を咬んだまま動く事が出来ない。歯が月丸の周りの何かに刺さったまま抜けないかのごとく首を動かしている。


「喰らうのではなかったのか?」


 月丸は笑っている。笑ったままその右手を妖狐の開いた口の中に入れた。


「お前さん…娘の魂をすでに喰っていたか。困った野狐だ。」


 そう言うと妖狐の口に入れた月丸の右手が大きく輝いた。

 それと同時に狐は目を大きく見開き、逃げようと暴れるが、口を月丸の前に開いたまま、何かに捕まっているかのようにその場から離れられない。


「狐。最後に聞くがよい。私を喰らうのであれば、偽の尾ではなく本物の九尾となってくるべきだったな。

天狐と称しておるが、お前さんはただの野狐だ。いや、悪さの過ぎた野狐だな。」


 言い終わるのが早いか、月丸の右手の光はさらに大きくなり、雄座も直視することができなかった。


 雄座が次に目を開いた時には、あのおぞましい妖狐の姿は消えていた。そのかわりに倒れていた和代が月丸の前に立っていた。





「月丸…一体どうなったのだ?」


 一人状況について来れなかった雄座はやっとのことで言葉を搾り出した。


「なに、もう済んだ。狐は消し去った。」


 月丸は雄座に視線を向け、いつもの、穏やかな笑みを湛えていた。月丸の視線に促され、和代もゆっくりと振り返った。雄座は息を呑んだ。先程の狐の顔がすっかりと消え、和代自身の美しい顔立ちで雄座へと視線を向けた。


「……雄座さん?」


 和代は記憶の欠片から面影の名を口にした。


「あ、はい、ご無沙汰をしております。」


 訳も分からず雄座は頭を下げた。


「まぁ、本当にご無沙汰をしておりました。でも、なぜこんな時間に突然にいらしたので?」


 何が何だか分からない雄座にはもはや言葉すら出ずに和代を見つめる。そこに月丸が割って入った。


「雄座。老人を連れてきてもらえないか。もう終わった、娘は大丈夫だと伝え連れてきてくれ。」


 雄座は言葉も無く頷くと、ふらっとドアを開け男爵の元へ向かった。


 雄座の背を見送ると月丸は和代へ向き直った。



「よろしいのですか?」


 月丸が和代に尋ねた。


「私のせいでもある。こうでもせねばこの娘が哀れでな。せめてもの償いと思ってくれ。」


 和代が答えた。だがそれは和代の声とは異なる別の声であった。


「お主にも迷惑を掛けたようだ。すまなかったな。妖霊よ。」


 和代の口から出る言葉に月丸は頭を軽く下げた。


「友人の頼みでした。御謝り頂くことはございません。」


 和代も礼をとるかのように頷いた。


「明日にでもお主に経緯を語ろう。この娘の将来のためにも聞いていただきたい。」


 和代の言葉に月丸は再度頭を下げた。


「畏まりました。」


 月丸の言葉に安堵した表情を浮かべる和代。


「その身は式神か? ほぼ力も出せぬのに、よくぞあの悪狐を消し去ってくれたな。」


 その穏やかな言葉に月丸も笑顔で返す。


「あなた様が相手であれば、逃げ帰っているところでした。お力になれて何よりです。」


 そのうち走ってくる足音が近づいてきた。雄座が男爵を連れて息を切らせながら入ってきた。


「おじい様、そんなに慌ててどうしたのですか。」


 和代の声である。


「和代…お前、もう大丈夫なのか?」


 神田老人は目に涙を溜めながら和代の肩を抱いた。


「どうしたのですか、おじい様。あらあら、どうしましょう……。」


 戸惑っている和代にしがみつきながら男爵は何度も謝り続けた。その光景をいつもの笑みを湛えた表情で月丸は眺めていた。雄座はすっかりと置いてけ堀となっていた。


「……なぁ月丸よ……。 もうこれで全て片付いたのか?」


 和代と男爵のやりとりを見ていた雄座が思い出したように月丸に目をやり、ハッとする。先程まで月丸が立っていた場所に月丸の姿はなく、薄紅色の野花が落ちていた。


 雄座は男爵に何度も礼を述べられ屋敷を出た。午前三時を回り、町はすっかりと沈黙し、闇の世界が覆っていた。


 瓦斯灯も消え、漆黒と化した街を自動車の前照灯が照らし出す。雄座は一人、後部座席で、窓の外の闇の世界をながめる。


「妖狐とは…本当にあるものなのだな。」


 先程までの出来事は、雄座には情報量が多過ぎたため、戻って月丸に聞けば良いと、疲れた頭を休めていた。

 やがて雄座を乗せた自動車は社の前に到着した。昼間数度ここに来た運転手は社が見えずとも、場所を覚えていた。


「神宮寺さん、到着しましたよ。」


 ぼんやりと先ほどまでのことを思い返していた雄座は運転手の言葉で我に返る。ドアを開ける運転手に促され車を降り、一礼すると雄座は社へと歩を進めた。ふと顔を上げると拝殿のいつもの濡れ縁に腰掛け、足をひらひらさせながら、鳥居を潜る雄座に向って手を振っている。


「何とも気楽な……。」


 月丸の姿に肩の力を抜かれた雄座は、深いため息を零すと、月丸の元へ向かった。


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