魑魅魍魎 漆
ナナシの口から吉房の名が出たことで、月丸はあやめの言うことが真実であることをすぐに悟った。雄座も同じく、月丸の口から伝えらえれていた吉房の名が、さも当たり前のようにナナシが知ることに驚きはしたが、月丸の話とあやめの話が真実であることに驚く色を見せる。
「ところで、あやめが言っていた和代の言葉とは何だったのだ?」
月丸に抱かれ余程心地良かったのであろう。先ほどまで洋菓子を口いっぱいに頬張っていたナナシは、気づけば月丸の膝の上でうとうとと舟をこぎ始めた。月丸はそっと自分の膝の上にナナシを寝かせると、寝息を立てるナナシの背をとんとんと優しく叩きながら、あやめに訊ねた。
「はい。恐らく、天狐様の力によるものだと思いますが、ここ数日、毎晩同じ寝言を言うのです。夜うなされながら、
『折角綺麗になった器に汚れたものが入りそう。あの神社に行ければ…。』と。
和代様ご本人は全然覚えていないようですが。」
あやめの話を聞き、雄座がこくりと頷くと、月丸に向かう。
「綺麗な器とは、魑魅であるナナシの事か?確かに全く悪意のない純粋そうな童子だが…。汚れた者が入るとは…どういうことだ?」
雄座の問いに月丸が応える。
「天狗の伝承を聞く限り、魑魅は話に聞くような、恐ろしい者ではなく、慈悲深い神であったようだな。吉房もそれを知って、魑魅を討つことはしなかったのだろう。怨をその身に宿したその身を嘆き、吉房に自身を討つように言ったのであろう。」
月丸は相変わらずナナシの背を優しく叩きながら、小屋の方へ眼をやる。雄座もふとつられて視線を運ぶ。
「吉房は…、師は魑魅を封印し、魑魅に生まれた怨を浄化しようとしたのだろうな。あの人のやりそうなことだ。穢れを祓い、奪う必要のない命は奪わない。」
まるで親が子を見るような優しい目でナナシに目を落とす。そんな月丸の姿に雄座は改めて小屋を見ながら、月丸に言う。
「ナナシも。月丸と同じく、吉房殿に救われた者だったのだな。」
雄座の言葉に月丸は頷く。
「ああ。俺も魑魅も、ただの人間であった吉房に穢れを祓ってもらえた。吉房の元、俺と魑魅は同じようなものだろうな。」
「守ってやらないとな。ナナシを。」
雄座の言葉に月丸は頷く。
「ナナシの、魑魅の身体を狙っているのであろう昨晩の魑魅。何者かは分からぬが、魑魅の如く魂を喰らう。天狐が『汚れたもの』というなら、奴は魑魅が持った穢れと考えるべきであろうな。そうであれば、食欲のために魂を喰らうのも頷ける。奴に山神の理性はもうない。ただ、吉房への恨みと、食欲だけだ。」
雄座も月丸の言葉を静かに聞く。
魑魅が吉房に封じられたのは、月丸が吉房と出会う前。そして封印の間際か、封印されし時かは分からないが、魑魅の穢れが、魑魅として世に現れた。
その穢れの魑魅が魍魎を引き連れ、山や村などで魂を喰らう恐ろしい妖怪として語り継がれていたのであろう。そこで雄座は感じた疑問を口にする。
「吉房殿の封印は、完全ではなかったのか?」
真面目に聞いたつもりの雄座。あやめからは驚きの、月丸から返ってきたのは小さな笑い声だった。
「吉房はただの人間だよ。いくら陰陽の術を用いるとはいえ、一人で山神を封じるということだけでもすごいことだぞ。」
「そうですよ。山神を封じるなんて、私たち天狗ですら数人がかりで封呪を施してやっとなんですよ。人一人で山神封じ等、月丸さんから聞かなければ、誰も信じない話ですよ。」
月丸の言葉にあやめも重ねるように語る。その気に押され、雄座も焦るように呟く。
「そうなのか?」
「そうですよ。山神を完全に封じるなど、神の技ですよ。どのように優れた陰陽師でさえ、どのような妖怪でさえ、完全に封じることは出来ないと思います。でも…。」
あやめは言葉を止め、月丸を見る。その視線を受けつつも、月丸はナナシに目を落とし、ナナシの絹のようなさらさらとした髪を撫でている。あやめは言葉を続ける。
「地に存在するもので、神にも近い御妖霊なら或いは。」
あやめの言葉に雄座は、はっと月丸を見る。さすがに月丸も顔を上げ、雄座に苦笑いを浮かべる。
「妖霊は何でもできるわけではないぞ。それ程の力があれば、この社の封印をどうにかして、街を散策でもしているところだよ。」
そう。月丸は社からは出られない。ならば、穢れた魑魅の封印は難しいだろう。だが、分身では月丸の力を数分の一も使うことができないであろう。雄座がうむ、と考えていると、月丸があやめに訊ねた。
「あやめ。もし、天狗として魑魅と戦おうとなったら、どういう手段をとる?」
あやめは驚く。自分よりも遥かに高位の存在である月丸が、自分に問うとはどういうことか。頼られるのが嬉しくもあり、はたまた試されているのか、あやめは目を丸くしていたが、月丸の表情は真剣なものである。あやめは恐る恐る答える。
「魑魅などは天狗にとっては、大した力は持ち合わせませぬ山神。特に策を練らずとも、討つのであれば容易い事かと思いますが、強いて言うならば、辺りに命ある者を排する必要が…。あ。」
あやめは答えながら気が付いた。月丸が動くのであれば、雄座が必ず傍にいる必要がある。しかし、雄座が傍にいれば、魑魅から魂を吸われてしまうであろう。だからこそ、月丸には策を練る必要があったのだろう。気が付いたあやめは、改めて月丸に願い出る。
「御妖霊。穢れた魑魅…。邪なる山神退治を私にお任せ願えませんか?」
月丸はあやめが言葉を止めたとき、自分には雄座が必要であることをあやめが認識したのは理解した。だが、自分が動き、危険を被るならば、幾らでも甘んじるが、友人が危険に飛び込もうとするのであれば、躊躇する。あやめの言葉に月丸が困ったような表情を見せる月丸。だが、あやめは言葉を続ける。
「天狗の長である鞍馬天狗より幼き日より鍛錬を受けてまいりました。天津の神や黄泉の神には敵わずとも、大地の神には負けぬと自負しております。何より、山神が類である私には、魑魅の術は通じませぬ故、恐れることもございません。」
あやめは真面目な顔つきから、笑みを込めて雄座に向き直す。
「天狗って意外と強いんですよ。どうかお任せください。」
笑みをむけられ、雄座も苦笑いする。
「知っているよ。月丸もあやめさんも、埒外なのは。でも、魑魅の術が効かないって本当かい?」
雄座の問いに、あやめは胸を張って答える。
「私、これでも山神に類する者ですよ。妖ならいざ知らず、魑魅は神が類の魂を吸い取ることは出来ないのです。」
「ほう。ならばそれほど危険はないと言う事か。」
あやめと雄座の会話を耳に入れながら、月丸はふと考えた。
昨晩、魑魅と対峙した時、魑魅は月丸に感じさせぬまま、月丸の魂を吸おうとしていた。そして吸えぬ事に苛立ちを見せた。
あやめの言う「神が類の魂を吸い取ることは出来ぬ』。妖でも鬼でもない、神が類でしか、魑魅からは逃れられないのだ。それが本当だとすれば、「妖霊」とは一体何なのか。人でも妖怪でも神でもない。
ふと己の存在を考え、月丸は笑う。考えても分からぬ事。何より妖霊であったために、昨晩は雄座をあの場で護ることができた。妖霊である自分をありがたいと思える日が来るとは思わなかった。
「月丸?どうした?」
ナナシの頭を撫でながら、一人くすりと笑う月丸に雄座が尋ねる。その声に我にかえる月丸。
「ああ。何でもない。あやめ。そう言うことであれば頼めるか?如何やら今回の魑魅は俺には相性が悪い様だ。」
月丸がそう言うと、あやめの顔がぱっと明るくなった。月丸に頼られるのがよほど嬉しいのが、雄座でも見てとれる。
「お任せください。今度こそ、月丸さんのご期待に応えて見せます。」
嬉しそうに頭を下げるあやめに、月丸は困った様な笑みを浮かべながら、あやめを制する。
「あやめは信頼しているが、どうか危険と判断したらすぐに逃げてくれ。本物の魑魅がここに居る以上、相手も魑魅の力だけとは限らないしな。何より、穢れは何を起こすか想像もつかぬのでな。」
月丸の言葉にあやめもこくりと頷く。
「なぁ、月丸。俺はどうしたら良い?」
雄座も何かしら手伝いたいと言わぬばかりに、身を乗り出した。
「俺以上にお前は魑魅との相性が悪いぞ。下手をすれば魂を吸われる。お前は俺と社で留守番だ。」
魂を吸われる。抵抗もできず、単純に命を取られるのであれば、雄座にとってそれがどれほどの危険かは容易に想像できる。月丸がそれに対して何もできないのであれば、雄座には月丸の言葉に同意を示す他よりなかった。
あやめは立ち上がると、胸を張り、満面の笑みで雄座に言う。
「私にお任せくださいな。早々に終わらせてきます。どうぞ心配しないで。」
そういうことになった。
あやめは一度神田邸へと戻り、夜更けにまた来ることになった。ナナシも暫くしてから目を覚まし、あやめの持ってきた菓子の余りを嬉しそうに頬張った。
魑魅と魍魎のことが無ければ、どれほど穏やかな時間であろうか。ナナシの遊び相手に分身を作った月丸と共に、境内で遊ぶ二人の幼子を眺め時間を過ごす。
「ナナシが魑魅であるとはな。魂よりも洋菓子を好んで食っていたし、およそ結びつかないな。」
分身と遊ぶナナシを見ながら、雄座が呟いた。その呟きを聴きながら、月丸はくすりと笑う。
「俺が気付かぬのに、雄座…お前が気付く訳もなかろう。だが不思議なのは、本当にナナシからは何の気配も感じないのだ。山神でもない、妖でもない、恐らくは精霊でもない。」
月丸はふう、と息を溢すと、湯飲みを口に運び、再び息を溢した。
「和代は天狐の声をあやめに伝えたかったのだろう。ならば、天狐の言うことだ。ナナシが魑魅で間違い無い。穢れが狙っているのも間違いない。社に行ければといったのも、恐らくナナシが社の結界に護られれば、穢れが近づけないということだろう。あとはあやめを信じよう。」
雄座も月丸につられてか、ふう、と息を吐く。
「あやめさんは強くても婦人だ。危険と感じたら、俺を使って分身を向かわせればいい。俺にできる事はそれくらいだ。幾らでも鳥居の前で立って待っているぞ。」
雄座の力になりたいと思う気持ちは月丸に伝わっているが、いかんせん、穢れた魑魅が魂を吸う範囲も良く分かっていない。せめて、雄座は安全なところに置いていたい。
無二の友を危険にさらしたくはない。
外に出させたとして雄座がもし、何かの拍子に殺められたら。
そう考えただけでも月丸の全身に鳥肌が立つ。
「雄座。お前は優しいな。だが、婦人でもあやめは天狗であり、本当に強いのだぞ。あやめが敗れた死姫が異常なほどであっただけだ。」
月丸はそう言いつつ雄座をなだめながら、ナナシと遊ぶ自身の分身を使って、社の中に更に護るための結界を重ねていた。




