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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第捌幕 魑魅魍魎
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魑魅魍魎 陸

 日もすっかりと昇り、時計の針は既に午後三時を指した頃、月丸と雄座は社に戻り鳥居をくぐった。


 月丸と雄座は朝食を食べた後、魑魅と魍魎の気配がないか、日本橋、八丁堀を散策したが、魑魅魍魎の痕跡はなかった。しかし、痕跡はなかったものの、銀座もさることながら、日本橋も負けず劣らずにその街並みは美しく、広く開けた通りは、銀座と同じく中央に路面電車が走り、その横を自動車が流れている。銀座と変わりのない活気に溢れており、月丸の目を楽しませた。興味津々に辺りを見回す月丸は、その愛らしさと髪の色で、辺りの道ゆく者の視線を浴びた。

 月丸の明るい表情で、いつしか日本橋見物に変わってしまったが、気が滅入ってしまうよりは良い。一通り見物した後、月丸が所望した洋菓子を買って帰ってみればこの様な時間であった。


「ふう。久しぶりにこんなに歩いた気がするな。」


 雄座は拝殿の濡れ縁に腰を下ろすと、大きく息を付いた。

 戻ってすぐ、月丸の分身を見るや、一緒に遊ぼうと言わぬばかりにナナシが走って寄ってきた。そのため、ナナシの遊び相手は、月丸から分身に移った。

 腰を下ろし、汗を拭っていた雄座に月丸が麦茶を渡した。


「すっかりナナシは馴染んだようだ。朝から遊んでくれと騒がしいよ。」


「ああ。昨日とは表情が違う。ナナシは随分と楽しんでいたようだな。」


 雄座は分身と無邪気に遊ぶナナシを見ながら月丸に答えると、月丸から受け取った麦茶を口に流し込んだ。

 雄座の言葉に月丸もナナシと己の分身に目をやる。


「そうだな。笑うようになったし、遊んでほしいという意思を示すようになった。何より、随分と洋菓子を気に入ってしまったようでな。昼に芋をふかしてやったのだが、昨日のが食べたいと愚痴をこぼされた。」


 月丸はそう言いながら、苦笑いを浮かべた。そんな月丸を見ながら、帰りに洋菓子を買って帰ろうと言ったのは、ナナシのためか。そう雄座は納得した。


「では、早速食べようか。」


 月丸がナナシを呼ぶと、菓子を見つけたのか、満面の笑みで走り寄ってきた。すぐに洋菓子を取ろうとするナナシの手をポン、と月丸が触れる。


「だめだ。土遊びをしていたろ?手を洗ってきなさい。」


 月丸がそう言うと、ナナシは月丸の分身の手を取って、手水場に走っていくと、手を洗い始めた。


「随分と言うことを理解できるようなったんだな。」


 その様子を見ていた雄座が驚いたように呟いた。月丸もくすりと笑いながら、雄座の呟きに答える。


「菓子が食いたくて、言うことを聞いているんだよ。まぁ、それでなくとも賢いようだ。」


 分身は既に戻してある。月丸、雄座、そしてナナシは菓子を囲んで、のどかな時間を過ごしていた。やがて、鳥居から一人の影が目に入る。


「月丸さーん。」


 あやめであった。左手に風呂敷包みを、右手を挙げて手を振りながら、笑みを浮かべて入ってきた。


「あれ?あやめさんじゃないか。随分と久しぶりだな。」


 雄座が言うと、あやめは厳しい顔つきで雄座に答えた。


「そうですよ。随分と久しぶりですよ。雄座さん。あれから一度も和代様をお誘いすることも会いに来ることもないじゃないですか。どういうことですか?」


 突然そんなことを言われた雄座は、何のことかと目を開いて驚くばかり。そんな雄座を見て、あやめは大きくため息をついた。


「和代様、また雄座さんにお会いしたがってますよ。たまにはお茶にでも誘ってあげてくださいな。」


「ああ。わかった。」


 雄座の答えを聞き、改めてため息を零すあやめ。暫くすると、あやめは月丸に目を移す。


「月丸さん。和代様が不思議なことを言われておりましたので、お伝えに参りました。」


 月丸は、口に含んでいた菓子を飲み込むと、あやめに問う。


「不思議なこと?以前言っていた天狐の力による言葉か?」


「多分」


 あやめはこくりと頷くと、月丸と雄座の間に座るナナシに気付くと、ん?と顔を傾げ、ナナシを覗き込んだ。


「あやめ。この子を知っているのか?」


 月丸の問いに、あやめは暫くナナシを見る。ナナシは何も分からぬように菓子を口に入れてはもぐもぐと口を動かしている。やがて、あやめは腰を伸ばすと、月丸に向きなおした。


「知っているも何も。この子、魑魅じゃないですか。何で東京に…?」


 月丸と雄座は驚いたように声を重ねる。


「魑魅?」


 二人の反応に驚いたようにあやめは肩をすくませ、月丸と雄座を交互に見る。


「あやめさん。魑魅は別に居るぞ。こいつは、ナナシと呼んでいるが、なんぞの精霊と聞いていたが。」


 雄座の言葉に月丸も頷く。


「ああ。およそ魑魅とは感じる気が異なる。ナナシには昨晩見た魑魅とは似ても似つかぬ気を持っている。ナナシが魑魅であるわけがなかろう。」


 月丸の言葉を聞きながら、あやめはふむふむと小さく頷きながら、持っていた風呂敷包みを雄座に渡す。雄座の鼻先に、甘い香りが漂う。


「あやめさん。これは?」


 雄座の問いに、あやめは笑って答えた。


「追加の洋菓子です。まさか、こんなに買ってきているとは思わなかったので、たくさん持ってきちゃいました。」


 そう言うと、あやめは、すぐに笑顔を消し、月丸に視線を向ける。


「月丸さん。この子は間違いなく魑魅です。山神が一である天狗と魑魅。見間違うことはありません。ですが、魑魅はこの子だけのはずですが。昨晩見た魑魅とはなんです?」


 あやめの問いに雄座は昨晩までの話を聞かせると、あやめはふむ。と頷いた。


「和代様の言葉の意味が分かった気がします。その前に、魑魅がどんな山神かはあまりご存じなさそうですね。」


 あやめは、月丸の横に腰を下ろすと、魑魅について語りだした。




 あやめの話によると、魑魅はやはり山神であった。しかし、古き時代に疫病が流行った際、その疫病の蔓延を防ぐため、治らぬ者を魑魅が魂を抜き、魑魅が生み出した魍魎がその亡骸を片付けた。それは病で苦しむ者を速やかに楽にしてやる山神としての優しさであり、残る者に病を残さぬよう、亡骸まで残さずに魍魎に食わせた。そのおかげで、疫病の蔓延は防げたのだという。しかし、人にとっては、疫病の蔓延、命を奪う妖怪に亡骸を喰らう妖怪とあらば、それはそれは恐れられた。その結果、時の帝は名のある武者や陰陽師に魑魅魍魎退治を命じた。

 それから、魑魅と魍魎は、日に日に現れる武者や陰陽師に切られ、焼かれ、散々に傷を負うこととなる。そんな中で、本来、無益に魂を奪うことはなかった魑魅は、人を恨むようになり、やがて、討伐にやってきた者の魂を吸い取り、魍魎に食わせるようになったという。


 魑魅の変わり様を不安視した同じ山神である鞍馬天狗が向かった時の事であった。本来、生者の命を無駄に奪うことをしない魑魅が、人を襲うようになった。その真相を探るためであった。鞍馬天狗が目にしたのは、丁度、ぼろを纏った一人の若い陰陽師と魑魅が対峙しているところであった。

 その陰陽師は、魑魅にこう問うたという。


「何故に人の魂を喰らうや。」


 その問いに魑魅が応える。


「魂を喰わらねば、病で長き時を苦しむこととなったであろう。それはあまりに哀れであった。だから喰ろうた。」


 陰陽師は続けて問う。


「名のある武士や、宮仕えの陰陽師の魂を喰ろうたのは何故?」


 その問いに魑魅が応える。


「人の世のためと思い、病人の魂を喰ろうた。しかし、人はその返しに槍で我を刺し、刀で我を切り、術で呪い、焼き、我を滅ぼさんとした。だから喰ろうた。人が全てこのような者たちなのであれば全ての者を喰ろうてやるわ。」


 陰陽師が言う。


「人全てがそうに在らず。山神魑魅のなされし慈悲に気付かず、愚かにも魑魅を討とうなどとした者に代わり、謹んでお詫び申し上げる。最後に我が命一つで、人の愚かを許していただきたい。」


 陰陽師は深々と頭を下げ、魑魅に命を差し出した。その姿に魑魅はおんおんと涙したという。


「我は山神ぞ。その我が怒りに任せ魂を喰ろうた。我は最早山神に在らず。我は怒りでこれからも人を喰らうであろう。ならば、我を思いやってくれたお主の力で、我の命を絶つがよい。最早己でこの怒りは止められぬ。

お主の力で、我を終わらせてくれまいか。」


 心よりの願いを聞き届けた若い陰陽師であったが、魑魅を哀れんだのか、命を奪うことはせずに、魑魅の力を封印した。残ったのは神の力の身を残した魑魅のかけら。その姿は幼い男児のような愛らしい姿となっていた。


 若き陰陽師は、後からやってきた魑魅退治の武者達から、魑魅のかけらを守り、随分と傷ついた。見かねた鞍馬天狗はその魑魅のかけらの子をその陰陽師から預かったのだという。それ以来、魑魅のかけらは天狗の里で守られながら、若き陰陽師が封じた魑魅の力が浄化されるまで待っているのだという。



「では、あやめはナナシに会ったことがあるのか?」


 月丸の問いにあやめはこくりと頷いた。


「はい。まだ幼い時ですが、祖父に連れられて一度だけですが。でも、間違うことはありません。魑魅のかけらの子を守るのも天狗の役目だと聞いて育っておりますので。」


 あやめはナナシを見ながら月丸に答えた。


「ナナシが魑魅というのなら、昨日現れたあの魑魅は何なのだ?そして何故、天狗の里で護られているナナシが東京に来ているのだ?」


 雄座は浮かんだ疑問をそのまま口にした。あやめは苦笑いを浮かべ、雄座に答える。


「それは私にもわかりませんよ。でも、祖父が言うには、魑魅が浄化されて解放されれば、山神としての慈悲ある魑魅が蘇るそうで。天狗の里でも丁重に祀られていたのですが、なぜここにいるのやら。」


 二人のやり取りをよそに、月丸は目を瞑ったまま薄く微笑みを浮かべる。


(他者の罪を被って命を投げ出そうとは、昔から師は変わらぬのだな。)


 月丸は目を開けると、相変わらず菓子で頬を膨らませているナナシに訊ねた。


「お前は、吉房を恨んでいるか?」


 月丸の問いに雄座とあやめは揃ってナナシに目を向ける。ナナシは暫くもぐもぐと口を動かしていたが、こくりと飲み下すと、笑って答えた。


「吉房。好き。会える?」


 月丸はそっとナナシを抱きしめた。


「俺も吉房に会いたい。いつか会えるといいな。」


「つきまるも会いたいの?一緒だ。」


 月丸は暫く、ナナシを抱きしめていた。雄座とあやめは、静かに二人を見守った。



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