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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第捌幕 魑魅魍魎
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魑魅魍魎 伍

 夜の騒動がまるで夢であったかのような錯覚を覚える朝の日差しを浴びながら、月丸と雄座は一睡もせぬまま、魑魅魍魎を如何するかを悩んでいた。


 雄座が側にいてくれれば、月丸は山神である魑魅にも負ける気はしない。だが、姿を隠そうが、結界を張ろうが、魑魅はそこに隠れる姿ではなく魂を捉える。つまり、雄座が側にいれば、雄座に大きな危険が伴う。かと言って、安全な場所まで離れてしまえば、勝てるかどうかは怪しい。


 いっそ、魑魅と魍魎がこの社まで出向いてくれれば、何も悩むことはないのだが。そう考えて、月丸は薄ら笑った。出来ぬ事を考えるより、出来る事を考えるべきだった。


「吉房殿が魑魅を封じたのであれば、封じ方を月丸は何か聞いていないのか?」


 雄座は昨晩、そのような事を聞いた。だが月丸が吉房と出会って以降、魑魅とやり合った記憶はない。単純に、吉房が月丸と出会う前に、魑魅を封じていたのであろう。


「残念ながら、魑魅に関することは何も聞いていない。」


 月丸にはそう答えるしかなかった。


 あれやこれやと語るうちに、今に至る。陽が昇れば、魑魅と魍魎は姿を隠す。腐っても山神である魑魅は、天照大神の象徴である陽が姿を見せているうちは闇に姿を隠す。魑魅を討つには、夜を待つ必要がある。一先ず、月丸は思い立ち、分身を作った。


「雄座。昨日の場所へ行こう。」


 月丸の言葉に、雄座は頷く。


「ああ。行こう。」




 二人は昨晩同様、銀座の大通りを築地方面へと歩く。陽が昇ったとは言え、早朝である。それほど人出はない。橋を渡り、一つ目の小道に入ると、昨晩同様、忌中札の立ったのず屋が見えた。その手前には、道を抉るような穴が空いている。昨日月丸が雷を落とした場所である。


 雄座はふと気付き、穴に駆け寄った。月丸も、何事かと、雄座の後を追う。穴の側で雄座はしゃがみ込むと、月丸に目を向け、腕を上げた。

 その手には、一本の梅の枝があった。


「良かった。傷などついていないようだ。」


 安堵する雄座の姿に、月丸はくすりと笑う。


「お前は、良いやつだなあ。」


 雄座は立ち上がりながら、梅の枝を懐に仕舞い込む。


「お前の分身であり、俺を守ってくれたのだ。大事にするのは当然だろう?」


 当然と言わぬばかりに雄座が答える。月丸も小さく頷いた。


「おい、兄さん。あんまりその穴に近づかない方が良いぜ。雷様の祟りだって話だからな。」


 道行く年配の男が雄座に声をかけた。


「雷様の祟り?何でまた?」


 雄座はこの穴が月丸の所業である事は知っている。しかし、祟りと聞いては、どの様な噂になっているかも気になる。

 男は雄座が知らなそうな顔を見せると、眉間に皺を寄せ、仕方なさげに言う。


「何だ?知らねぇのか?去年は汐留川の淵と千鳥ヶ淵に。そして今度は木挽町と来た。こんなに雷が落ちるなんざ、雷様の祟りに違いねぇよ。」


 雄座は苦笑いを浮かべながら男の話を聞いていたが、ふと、のず屋に目を向ける。特に騒いでいる様子はない。恐らく、先代の亡骸も、昨日のまま、消える事なく在るのだろう。そう思い、雄座は男に言う。


「あぁ、その話なら聞いたことがありますよ。汐留川の淵のやつなんかは、淵がごっそり抉れる程だったんですってね。」


 雄座が話に乗ったせいか、男も口が滑らかになる。


「おうよ。あん時は暫くして何人かの土左衛門も見つかったりしたからなぁ。祟りじゃなくても縁起が悪過ぎらぁな。」


 雄座はふむ、と聞いていたが、閃いた様に男に語る。


「いや、この雷は、もしかすると、のず屋の先代を護ったんじゃないですかね。ほら、最近は遺体が消えるなんて、よっぽど祟りの様な事が起こってる。でものず屋の先代は、消えていない。」


 通りすがりだった男は、いつしか雄座の話をふんふん、と聞いている。


「多分、昨日の晩、遺体を消し去る何かが現れた時、雷様がその何かに天罰を与えたんじゃないですかね。これも先代のお人柄ですかね。」


 男はふむふむと聴きながら、穴とのず屋を交互に見る。


「ああ、そうかも知れねぇなぁ。あの親父さんなら、雷様に護られてもおかしくねぇや。」


 そんな話をして男は去っていった。後ろに控えていた月丸は、冗談ぽく笑いながら雄座に尋ねた。


「俺は雷様だそうだ。」


 月丸の言葉に、雄座も笑って答えた。


「噂は兎も角、お前が護ってくれているのは事実であろう。」


 雄座の言葉に、月丸は複雑な笑みを向ける。昨日は警官が犠牲になった。月丸の目の前で犠牲が出たのだから。雄座は何となく、月丸の考えている事を理解できた。


「今晩。決着をつけたいな。」


 月丸の言葉に雄座が頷く。長引けば犠牲は増えるだけである。だが、魑魅と魍魎がどこに隠れているかなど、到底判らない。来た道を帰りながら、考えていると、雄座の腹が鳴った。幼い姿の月丸の頭は、丁度雄座の腹の高さ。雄座の腹の音を聞き、くすりと笑う。


「そう言えば、昨日の菓子を食ってから、何も食べていないな。腹が減っているのだろう?」


 月丸が笑いながら雄座に言う。雄座もつられて笑うが、いかんせん、まだ朝早い時分である。飯屋など開いていない。判ってはいるが、飯を気にし始めると、更に腹が空いた気になる。雄座はふと気になり、月丸に問う。


「お前も、昨日の菓子を食べただけだろう?腹は空かないのか?」


 雄座の問いに、月丸は微笑む。


「食わねば食わぬで慣れるものだ。社の中で育てる食い物もそう多くはないからな。数百年過ごすうち、食わぬ日が何日かあっても気にならなくなった。」


 そうか。雄座は一言返したのち、銀座へ向かう足を止めた。


「では折角なら、一緒に朝飯を食うか。歩いて行けば、丁度開いているだろう。」


 そう言うと雄座は銀座とは反対方向に歩き出した。月丸は目を丸くして、雄座に手を引かれていった。



 暫し後。二人が居たのは、築地である。銀座のカフェ程、モダンなものではないが、平家造で店の中はコーヒーの香りが漂う。テーブルに座る月丸の前には、数個のパンと、ジャガイモと牛乳で作ったスープ。厚く焼かれた卵焼きが並べられていた。


「へぇ。こんな朝早くから働いている店もあるのだなあ。」


 店の中には雄座達以外にも数名の客が居た。その多くは、外国人であった。


「ここは外国人がそこそこ住んでいてな。外国では、朝食を店で食べる国もあるらしい。そんな人達のために朝早くから店を開けてるんだ。」


 雄座の言う通り、築地界隈には、明治初頭に外国人のための居留地があった。しかし、外国人の多くは、新橋横浜間で列車が走り始めると、横浜に移った。仕事で止むを得ず滞在する者や、家族がある者など、築地に暮らす外国人は少数である。だが、ここの様に、そういう外国人向けの店というのは、少なからずあった。


「雄座は物知りだなぁ。」


 パンをちぎって口に運びながら、周りを見回す月丸。銀色の月丸の髪の色は、此処ではそれほど目立たない。これもまた月丸にとっては新鮮であった。


「魑魅と魍魎を何とかせねばならないが、そんな時でも腹は減るのだから、人とは難儀なものだなぁ。」


 雄座はパンを齧りながら、呟いた。本来ならば、魑魅と魍魎を探す必要はあるのであろうが。雄座の呟きに、月丸は微笑む。


「疲れれば寝る。体を動かす気が無くなれば、飯を食ってその気を満たす。生き物の本来だ。人に限った話ではないし、それが当たり前なのだよ。雄座。」


 月丸はそう言うと、パンを口に放り込み、美味しそうな顔を満面に浮かべる。

 月丸の言う通りである。人は食によって働く気力を得る。犬も猫も、魚も。それは当然のことであるのだ。その当然を、百鬼夜行の封のために捨てた月丸が、雄座には可哀想に見えた。

 そんな雄座の考えが、顔に出ていたのかは分からないが、月丸が不意に語り出した。


「なぁ雄座。魑魅も魍魎も一緒なのだよ。あやつらはただ食い物を探しているだけで、悪い事をしているわけではない。ただ、その食べ物が魂であったり、亡骸であったり。生きる者には迷惑な話なだけだな。」


 月丸は小さくちぎったパンを口に放り込み、飲み込むと言葉を続ける。


「だから師は封印という手段を取ったのであろう。魑魅魍魎あいつらから恨みは買った様だがね。」


 雄座は腕を組み考える。月丸の言う通りである。魚から見たら、人などは今の魑魅魍魎の様であろう。海に現れ、仲間の魂を奪い、亡骸を喰らう。だが、人が生きるためには必要なのだ。魚を食うたびに、その魚が生きてきた時を考える様なことはしない。魑魅魍魎もただ食欲を満たすためだけにやっているとしたら?

 月丸から聞いた魑魅の力であれば、現れた周囲の者全てを巻き込んで魂を喰らい尽くせたはずだが、そうはしていない。見た限り、近づいてきた警官だけである。魍魎にしても、既に亡くなった者だけを奪い喰っている。無闇に殺めて喰おうとはしなかった。


「人も肉や魚を食う。魑魅魍魎と変わらぬと言う事だな。」


 雄座の呟きに、月丸は頷く。


「人も、動物も、生きる者全ての業だ。仕方のない事だよ。でも、だからといって放っておくわけにもゆくまい?」


 月丸の言葉に雄座は頷く。


「ああ。せめて、山に帰ってもらいたいものだがな。」


 雄座の答えに月丸が首を振る。


「それも難しい。魑魅は師から封じられた事で、陰陽師に強い恨みを持っていた。その念を晴らすまでは、容易くは帰らないだろう。」


 月丸の言葉に雄座は再び眉間に皺を寄せる。


「討つしかないのか?」


 雄座の言葉に、月丸は頷いた。


「俺では、そうするしかできないな。」


 師匠である吉房が行った封の術を月丸は知らない。ならば、討つしかない。雄座も頷くしかなかった。

 ただ飯を食っていた神は、その行為で封印された。封印が解け、動ける様になれば、己を封じた者を恨むのも、何となく理解できる。ただ、討つしか手段がないのも哀れに感じる。

 雄座はコーヒーを一口含むと、ふう、と一息零すと、頷いた。


「俺は月丸を信頼している。今回もお前に任せるさ。頼むよ。」


 雄座の言葉に、月丸はこくりと頷いた。


 

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