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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第捌幕 魑魅魍魎
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魑魅魍魎 参

 やがて日が落ち、辺りが薄暗くなった。懐から取り出した懐中時計は夜の七時を回っている。


 あれから2時間ほど眠っていたナナシは、月丸と手遊びをする程度には慣れてきていた。目を覚ましたナナシに月丸は遊びながら色々なことを聞いた。


 どこから来たのか。


 自分が何の精霊か解っているか。


 どうして雄座についてきたか。


 しかし、ナナシは自分がどこで生まれて、なぜ洋菓子店に居たのかも解っていなかった。ただ、雄座が与えたワッフルが美味しかったため、またほしくて付いてきたという。これ以上聞いても仕方がないので、月丸の知る遊びを教えながら遊ぶ。夕刻頃には、ナナシがきゃっきゃと笑いながら遊ぶ程、月丸に懐いた。その姿に雄座もナナシが怪しい者ではないのであろうと、二人の遊ぶ姿を眺めて過ごした。


「雄座。退屈であろう。そろそろ行ってみるか?」


 月丸がそう言うと、雄座は苦笑いを浮かべる。妖怪同士が、子供の手遊びをしている姿を見るだけでも、決して退屈ではなかった。月丸はその容姿から、子の相手をしていると、どこぞの若く美しい母親にしか見えない。ナナシも、人ではなく、精霊なだけあって、改めてみると容姿が良い。髪は黒くおかっぱであるが、さらさらとした綺麗な髪をしている。そして、目にかかる髪の毛で分かりづらいが、まるく大きな瞳は愛嬌がある。そんな二人が幼稚な遊びをしているのだ。眺めているだけで退屈などすることはない。


「いいや。見ていて面白い。月丸の古風な遊びは中々見ることができないからな。退屈などはないよ。」


 笑って言う雄座に、複雑な笑みを見せる月丸。


「まぁ、数百年もここにいたのだから、俺の知っている遊びはすずから教えてもらったものだけだから。今度雄座にでも新しい遊びを教えてもらおうかな?」


 そう言うと、境内の端に生える青々と茂った梅の木の枝を一本手に取り、分身を作り上げた。梅の花のような薄く紅が差したような銀色の髪の毛に、赤い目をした幼い月丸。分身であれば、ナナシとさほど変わらぬ背丈である。当のナナシも、月丸の陰に隠れて、興味津々に分身を見ていた。


「よし。行こうか。」


「ああ。行こう。」


 雄座は分身を連れて神社を出た。



 銀座の大通りに出ると、夜とはいえ時間が早いため、人通りもあり、市電も走っている。街灯の明かりがきらきらと通りを照らす光景は、いつもの銀座とまた違う顔を見せる。そんな通りを月丸を連れて、築地方面に歩いて行く。


「しかし、火車だとすると、こんな人通りの多い土地で暮らしていくことは出来そうにないがな。もしかすると他の何かかも知れないが。」


 月丸が人通りを眺めながら呟く。


「他の何かとは、別の妖怪ということか?」


 雄座の言葉に月丸が頷く。


「ああ。だが、何の妖怪かは、妖気を感じるか、見てみなければ分からないな。火車なら追い払うことは容易いが…。他の妖怪だったとしたら、どうであろうな。」


 そんなことを話しながら、二重橋を渡る。このまままっすぐ行くと、歌舞伎座もあり、普段は人も多く賑わっている。勿論この時間でもそれなりに人の往来がある。火車であった場合、これほど人通りのあるところに現れるかも怪しいが、とりあえず、先に紹介してもらったのず屋に向かうことにする。言われた通り、二重橋を渡り、すぐに一本目の小道を左に曲がると、数軒先の屋先に忌中札が建てられ、人の出入りの多い家屋が見えた。

 雄座と月丸が遠目から眺めていると、喪服の者からそうでない者、色々な格好の者が出入りしている。そういえば、昼間聞いた話だと、故人が営業する飲食店であった。なじみの客が突然の訃報に喪服も準備できず、慌ててやってきたのであろう。


「どうだ月丸。何か感じるか?」


 そう訊ねる雄座に月丸は首を横に振る。


「ここからでは怪しい妖気などは一切ない。せめて故人の傍に行ってみないとな。」


 腕を組み悩む雄座。


「知らぬ方ではあるが、故人をしのぶことは悪いことではないだろう。せめて線香をあげに行こう。」


 そう言いながら、雄座は懐から小さな風呂敷を取り出す。財布から幾らかを取り出すと風呂敷に包み、懐に入れなおした。不思議そうにその行動を見る月丸に雄座が言う。


「ああ。御仏前だよ。」


 そして月丸の手を取ると、のず屋へと向かった。

 雄座は家人を見つけると、風呂敷を渡しながら挨拶を述べた。


「この度は突然の事で。本当にご愁傷さまです。御先代が亡くなったと伺って慌てて出てきたものですから、このような格好で申し訳ございません。」


 丁寧に頭を下げる雄座。家人の方も雄座を店の客であろうと思ったのだろう。特に怪しむ風もない。


「いえいえ、来ていただいてありがとうございます。父ももう歳でしたから。ですが、こうして馴染みのお客さん達が来てくれたのだから、父も喜んでいると思いますよ。どうぞ、顔を見てやってください。」


 そう言われ、店の奥の座敷に通される。故人の遺体が布団に横たわっており、枕元に小さな祭壇が置かれる。手は胸元で合掌され、数珠が掛けられている。布団の上には、魔よけの守り刀が置かれていた。


 雄座と月丸は、枕元の祭壇の前に座ると、線香をあげ、合掌した。家人が言っていた通り、余程良い店主であったのだろう。馴染み客が絶えることなくやってくる。


「人のいい、気持ちの良い親父さんだった。」


「金がない時にタダで食わせてくれた。」


「銀座の大火の時などは、自分も大変なのにただで飯を配って歩いていた。」


 そんな声が雄座の耳に入る。家人も、そんな先代を誇るかのように悲壮感はない。余程、好かれていたのだろう。そんな故人を奪われ、家人を悲しませるわけにはいかない。雄座は目を開けると、再度家人に頭を下げて、のず屋を後にした。のず屋の正面の店まで歩くと月丸に言う。


「どうだ?月丸?」


 月丸は首を横に振る。


「怪しい気配は一切ないな。」


 月丸の応えに、雄座は少し考え、月丸に言う。


「月丸。周りの者に見えなくなる結界が有ったろう?あれを使ってくれないか?」


 月丸は雄座の言葉を察し、尋ねる。


「現れるまで待つ気か?俺は構わないが、雄座は疲れるのではないか?」


 そうは言っても、雄座の真面目な顔つきに本気であることをすぐに理解した月丸は、手を前に出し、くるりと一回りした。雄座の目にもわかる淡い光が二人を包む。しかし、通行人の誰一人、それに気付く者はいなかった。二人は、周りからは見えなくなった。


「噂では、通夜に拐われるらしいから、一晩、見張っていればいい。現れれば追い払えばいいし、現れなければ、それはそれで良いだろう?」


 雄座の言葉に月丸は淡く笑みを浮かべながら頷く。


「ああ。雄座がそれで良ければ構わぬよ。」


 月丸は雄座に同意し、側にあった桶に腰を下ろした。雄座も店の壁を背に、のず屋が見える位置に腰を下ろした。


 暫くは、故人の訃報を聞いた弔問客がひっきりなしに出入りしていた。それこそが故人の人柄を表しているようだ。となれば、伝記のように、火車が悪人を狙うのであれば、此処には現れる由もない。しかし、人が生きる中で、事の大小あれど僅かにでも悪行を犯すのも、また事実。今は火車が現れるか否かを見届けるのみである。




 弔問客がまばらになった頃、雄座はふと、懐中時計を取り出す。既に時計の針は深夜の一時に近い。


「やはり、妖怪が現れるとしたら丑三つ時というところか?」


 雄座の呟きに月丸が小さく笑う。


「俺も妖だが朝から掃除や勤めで動いているし、昼間も会っているだろう?」


 月丸の冗談に、雄座も笑った。


「そう言えばそうだ。ならば時間は関係ないな。」


 その矢先、月丸が慌てたように立ち上がった。


「雄座。ナナシが居なくなった。」


 月丸の言葉に、雄座も月丸に目を向ける。


「一緒にいたのではないのか?」


 月丸はこくりと頷きながらも、首を傾げる。


「眠そうにしていたので、拝殿の中に布団を敷いてやったのだが、外に出てみたら、既に姿がなかった。社の中にも気配がない。」


 という事は、社の外に出たのだろう。しかし、この時間とは言え、ナナシも人ではない。もしかしたら、自らの住処に戻ったのかもしれない。居なくなってしまえば、探しようもない。雄座はうむむ、と考え込んだ。


「まぁ、精霊か何かであろうし、人の子の様に心配する必要はないだろう。」


 そう言いながらも、月丸は懐から符を取り出し、猫の様な式神を現すと、四方に放った。


「お前も心配しているではないか。」


 雄座はにやりと笑みを浮かべ、月丸に言う。月丸もそれに応える様に、薄く笑みを浮かべた。



 時計が二時を指そうという時分に、それは起きた。


 のず屋は、二階建てのそんなに大きくない家屋ではあるが、雄座の目にはそれが見える。


「月丸…。のず屋の屋根の上、何か居ないか?」


 雲が隠した月明かりでは、はっきりと見ることができない。しかし、何となく動く影が見える。雄座はその影に視線を向けながら月丸に問う。


「いる。」


 月丸は一言発し、立ち上がると、ひょいっと屋根まで飛び上がった。雄座は状況が見えぬまま、屋根の上をただ眺めることとなった。




 屋根の上に降り立った月丸は、そこに居た何者かに目を凝らす。


 背丈は三尺程度か。ぼろぼろの着物を纏い、おかっぱ頭の幼女の様な容姿。日に焼けた様な赤黒い肌ながら、目は瓦斯燈の様に白く光り、その異様さを際立たせる。その小さな口元にはのず屋の主人の亡骸を咥え、ぶら下げている。


 月丸に気付くと、それはまるで威嚇するかの様に口角を上げ唸り声を上げる。ただの妖怪であれば、月丸も気にする事はないであろうが、不思議なことに、亡骸を咥え、面前に立つこの者からは妖気を感じない。しかし、月丸の眉間に皺が寄る。


魍魎もうりょうかよ。随分と珍しい奴が。」


 月丸はそう呟き、すっと口元に指を置くと、聞き取れないほどの小声で術を唱える。口元に当てた手をさっと魍魎に向けて広げ向けると、何も無い魍魎の足元から、白い糸が幾重にも巻き上がり、魍魎に絡んでゆく。逃さぬ様に、地に縛ろうとした月丸であったが、直ぐにその手を下ろした。

 魍魎に絡む糸は、魍魎に触れる矢先に直ぐに燃え落ちていた。幾重にも巻いた糸は、魍魎の体に触れては燃え落ちゆくのを繰り返すだけであった。


 月丸は直ぐに、とん、と地面を蹴って一足飛びに魍魎との距離を詰めると、両手を魍魎の鼻先に当てると同時に、妖気を放つ。衝撃で、魍魎は仰け反り、口に咥えていた亡骸を落とした。月丸は直ぐに亡骸を掴むと、雄座の元へと飛んで降りた。


「雄座。魍魎と呼ばれる妖怪だ。お前は遺体を元に戻しておいてやれ。俺が魍魎の相手をする。」



 矢継ぎ早に雄座に告げる月丸に気圧され、雄座はこくこくと頷くと、亡骸に肩を回すと、のず屋に入って行った。

 そこで雄座が見たものは、不思議な光景であった。弔問客も、家族も、通夜にいる者全てが眠っていた。何より奇異なのが、それまで動いていた様な姿で眠っている。

 立ったまま眠っている者、客に出そうとしているのか、酒を盆に乗せ、運びながら寝ている者、膝を突き合わせ、話をしている様に、正座のまま寝ている者。


 直ぐにそれが、月丸の言った「魍魎もうりょう」の仕業である事を雄座は悟った。のず屋の先代の亡骸を改めて布団に寝かせると、一度合掌し、雄座はのず屋を出た。


「月丸!」


 雄座が見たのは、月丸に襲い掛かろうとしたまま、地面から肩にかけて氷漬けに固められた幼い娘の様な姿であった。今の月丸とさほど変わらぬ背丈ではあるが、恐ろしく光る目、口からは茫々と白い焔が立ち、恐らく月丸が動きを止めるためにやったであろう氷を内側から溶かしているのか、身体中から湯気が昇っている。あまりの異形に、雄座は驚き目を見開く。


 そろりそろりと月丸の元へ行く。


「これが、魍魎もうりょうか…。随分恐ろしい姿をしているな。」


 唸り声を上げるだけだが、魍魎は月丸の封を解こうと、唯一動く首を髪を乱しながら左右に振り続けている。月丸は右手を魍魎に向けたまま、険しい顔を崩さない。


「雄座よ。すまないが、こいつを追い払えば、他所でも同じ事をする。ここで討つ。」


 月丸の表情から、それが本気である事は直ぐに理解できる。それ程魍魎とは危険な者なのであろう。


「そんなに恐ろしい奴なのか?」


 雄座の問いに月丸は魍魎に目を向けたまま応える。


魍魎こいつは自我を持たずに、ただ、欲のままに動く。その欲とは、食欲だ。」


 その言葉に雄座はぞっとする。


 その食欲とは、遺体を喰らう事。ここで追い払えば、他所で同じ事をするのは道理である。


「分かった。月丸に任せる。」


 月丸は雄座の同意を確認すると、左手で懐から護符を一枚取り出し、呪を唱え始めた。呪を唱え始めると、魍魎の顔が更に険しく、狂ったように首を振り始めた。


 呪が止まると同時に、月丸は左手の護符を魍魎に向かって投げる。護符は月丸の手から離れた瞬間、絵巻などに書かれる、龍の姿へと変わり、獲物を呑み込まんと大口を開けて魍魎へと飛んでゆく。


ぎょぶり。


 嫌な音が辺りに響いた。

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