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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第二幕 狐
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狐 参


 ひとしきり話し終わると、男爵は一つ大きくため息を付いてお茶を含んだ。


 雄座はただ驚き呆然としていた。男爵は俯き再度深呼吸のようなため息をつき、月丸を見た。ずっと瞼を閉じたまま、男爵の話を聞いていた月丸もゆっくりと目を開いた。


「……何とか和代を救えませぬか?」


 助けを請うような…まるで懺悔する様な、そんな目で男爵は月丸を見ていた。


「月丸…」


 雄座も不安そうに月丸を見た。月丸は目を開き、いつものとおり、微笑みを含んだ穏やかな表情に戻った。


「今からその、和代さんの元へ行ったほうがよさそうだな。三月もそのような状態なのでしょう?」


 月丸の言葉に男爵は頷く。


「お力添え頂けるのですか?」


 月丸はこくりと頷くと、雄座に顔を向け微笑んだ。


「実はな、雄座。俺はこの御社から出ることが叶わぬのだ。なので、お前が行ってくれないか?」


「何だと」


 雄座の驚いた顔に対して、月丸は笑いながらも困った顔を見せる。


「出られぬ理由はまた今度説明しよう。その代わり、俺の分身を同行させるよ。」


 そう言うと、月丸はすっと立ち上がり、境内に出た。雄座と男爵もそれにつられ、境内に出る。月丸は自分の髪の毛を一本抜き、境内に咲く野花を一輪、そっと抜き、髪の毛を結び付けた。その一つ一つの動作に雄座は目を惹きつけられた。何をしているかわからない。しかし、何かが起ころうとしている。

 直視する雄座達を気にも止めず、月丸は髪を結びつけた花を放った。花はゆるゆると地に落ちながら、ゆるゆると人の形へと変わって行く。


とん、とつま先の着く頃には、月丸に似た童がそこに居た。


 雄座と男爵は、何が起こったのかわからず、目を見開き、先程までただの花であった童を見ていた。


「こやつを連れて行け。俺の分身だ。」

「こやつを連れて行け。俺の分身だ。」


 月丸と同じ言葉を同時に発した。なるほど分身であるから、月丸と同じ動きをするのだろう。見た目も確かに月丸に似ているが、十歳前後の子供の姿である。先程月明かりに見えた花は薄紅色の花びらを持っていた。そのためであろうか、髪の毛は白銀ではなく、薄紅色をしている。身に纏う衣も薄紅色の装束である。


「月丸……お前が居なくて大丈夫なのか?」


 雄座が不安そうに月丸に問う。


「問題ない。分身ではあるが、それも俺だ。姿は異なるが、何も変わらぬよ。」


 そう言うといつものように微笑んだ。雄座が月丸の分身を見ると、月丸同様、微笑んでいる。しかし、その姿は子供にしか見えない。


「……お前がそう言うなら、大丈夫なのだろう。行ってくる。」


 雄座は諦めたように頭を掻きながら呟くと、男爵を鳥居に促した。


「外に自動車を待たせてある。よろしく頼む。」


 男爵も月丸の分身に唖然としていたが、その不思議な力を間近で見て、その辺にいる霊能力者を自称する者などより、遥かに孫娘を助けてくれるであろう期待の目を雄座に向けたが、自分には何もできない雄座にはその視線を受け流すほかない。


 雄座が鳥居を潜ろうとすると、月丸の分身が雄座の手を掴んだ。子供が親の手を握るような風である。


「どうした?」


 雄座が視線を落とすと、月丸の分身はいつもの微笑みがなく、わずかに不安な表情をしていた。


「雄座、お前にはこの御社の結界は効かぬらしい。老人を結界に入れたように、一応、俺もお前に結界の外に出してもらおうと思ってな。俺一人で出て万が一結界に阻害されては元も子もない。」


 月丸はこの結界から出られないと言っていた。理由は後から聞けば良いが、どうやら鳥居を抜けるには自分が必要なのだと感じ、雄座は月丸の分身の手を握り返した。驚いたように月丸がその手を見るが、すぐに穏やかな表情へと戻した。


「お前は本当に不思議な男だ。」


 そう呟く月丸の手を引き、鳥居をくぐる。

 鳥居を抜けると、月丸の分身はきょろきょろと辺りを見回し、嬉しそうな顔を雄座に向けた。


「分身とはいえ、御社から出られたぞ……こうも簡単に。」


 雄座には結界も見えなければ、鳥居の外も中も同じ空間である。喜ぶ月丸を見ながら、理解しえぬ事の多さに複雑な表情を浮かべた。そんな雄座も男爵も忘れてしまったかのように月丸の分身はとととっと自動車に駆け寄っていってしまった。その顔は初めて見る自動車に興味津々なようで、ペタペタと触りながら嬉しそうな顔をしている。


「月丸。ご機嫌なところすまないが、そろそろ男爵の屋敷へ向かわなければならぬのであろう。」


 あまりに嬉しそうに自動車を眺める月丸に申し訳なさそうに雄座が言う。


「あぁ、すまない。御社の外に出るのがあまりに久しくて、つい浮かれてしまった。」


 運転手が後ろのドアを開け、三人は車へ乗り込んだ。


「すぐに自宅へ戻ってくれ。」


 男爵の言葉で運転手は頷いて、自動車を発進させた。

 雄座がふと月丸を見ると、窓から珍しいものでも見るかのような表情で眺めていた。ふと、月丸を見ながら、頭に浮かんだ疑問を口にした。


「月丸よ……御社の外はお前にとって珍しいのか?」


 その雄座の言葉に月丸が笑って返す。


「それは珍しいよ。こうして体が外に出るのは、数百年ぶりだ。だから、建物も、自動車も、ガス灯も、実際に見ると面白い。」


 月丸は笑いながらも窓から目を離さず、流れる外の景色を堪能していた。


「何百年……」


 唖然とする雄座と、気を使って黙する男爵と、そんな二人を意に介さず、外を流れる景色を楽しむ月丸。車中では、街の看板を見ながら、「あれはなんだ?」という子供の姿をした月丸の質問に雄座と男爵は答え続けることとなった。そのせいか、到着したときには、二人とも緊張の糸が途切れたように、落ち着くこととなる。



 

 やがて自動車は麹町にある神田邸へと到着し、その門を潜った。その瞬間月丸の顔に疑問の色が浮かんだのを雄座は見逃さなかった。

 玄関の車寄せに入ると、自動車は停止した。三人は車を降りて、男爵の案内で件の稲荷祠に向かった。雄座は前を歩く男爵に聞こえぬ程度の声で月丸に問いかけた。


「屋敷に入った時…何か感じたのか?」


 雄座の言葉に月丸も多少驚いたらしく、目を見開き雄座を見た。


「雄座、お前も気付いたのか?」


 雄座は首を横に振った。


「やはり何かあるのだな。屋敷に入った時、お前の表情が少し変わったので気になった。」


 雄座の観察力に月丸は感心した。


「よく見ているな。私はてっきりお前も感じて分かったのかと思ってしまった。」


 月丸は小さく笑った。がすぐに表情が変わり真面目な顔つきになった。


「思ったとおり狐ではあるが……随分と強く、凄まじい狐が居そうだ。」


 雄座は老人の話を思い出した。


「尻尾が四、五本ある狐と…。まさか九尾の狐が類ではあるまいか?」


 雄座の推理に月丸は首を振った。


「四、五本程度の尻尾なら所詮は妖狐であるのだが…天狐程の強い力を感じる。」


 雄座は先刻月丸に聞いた話しを思い出していた。


「天狐であるならば善の狐であろう。それが悪さをするなどと……。」


 月丸は目を前に置いたまま続けた。


「その力をどう使うかは狐によるとも言ったな。仮にも天狐ともなれば、神の類に入る。俺ではもう太刀打ちできるかわからんな。」


 月丸は続ける。


「しかし、天狐であれば、祠を移しても老人の話どおり祀り上げていればお許しになると思うのだが。」


「これが先程お話した祠です。」


 月丸と雄座が話していたが、男爵の一声で会話は終了した。二人は男爵が指し示すその祠を見た。立派な社にお供え物が置かれている。男爵が毎日詣でているのだろう。葉の一枚も落ちていない。


「月丸、どうだ?」


 雄座の問に月丸は答えず、男爵に向かって一言告げた。


「老人、お孫さんの部屋へ急いで連れて行ってくれ。」


 月丸の言葉は男爵と雄座を緊迫させるに十分であった。男爵は出来る限り速く歩き屋敷に入っていった。月丸と雄座も後を追う。


「月丸、どうなのだ?」


 歩きながら雄座が尋ねた。


「あまり良い結果ではないかもしれぬ、とだけ言っておく。」


 月丸はそれだけ語った。雄座もその言葉が何を意味するかは感じ取った。

(月丸では手に負えぬのか?)

 頭をかすめた言葉を雄座は首を振り消し去ろうとした。


 速歩で先導する男爵が、一つの部屋の前で立ち止まった。


「この部屋が和代の部屋です。」


 月丸は部屋のドアを一瞥すると、男爵に顔を向けた。


「老人、私と雄座が今から部屋に入るので、あなたは祠で待っていてほしい。どうなるかは分からぬが出来る限りはやろう。」


 神田老人は頷いてまた祠へと引き返した。


「雄座、来い。色々学べるかも知れんよ。」


 月丸の口元にいつもある笑みは無かった。雄座も自然不安になった。不安の色を浮かべる雄座。


「この部屋から出るまで、ずっとこれを握りしめておくようにな。大丈夫だとは思うが念のためだ。」


 そう言って月丸は懐から人の形に切られた紙を取り出して雄座に渡した。


「お前さんに何かあったら身代わりになってくれる。だから離さぬようにな。」


 雄座は頷くしかなかった。月丸から人型の紙を受け取ると右手で握った。雄座の姿を確認して、月丸の目はドアに戻った。その顔にはいつもの微笑みはない。


「雄座、開けてくれ。」


 その言葉に頷き雄座は和代の部屋のドアを開いた。その横を月丸はすっと部屋の中へ入っていった。雄座も続いて部屋へと入ってドアを閉めた。

 ドアを閉め、部屋を見渡す雄座。年頃の娘の部屋であるが、男爵家の孫娘とあって、部屋は洋風の調度品や家具で彩られ、それを電球の光が暖かく照らす。

 広い部屋の中程に、高級そうなベッドが置かれている。木製のベッドには足や側面に見事な彫刻が彫られている。そのベッドに、人の形で布団が盛り上がっている。和代であろう。



「随分と悪さをしているようですね。」



 月丸はベッドに横になっている和代に向かって静かに語りかけた。すっと和代の目が開き、ゆっくりと上体を起こした。その顔は和代のものであろう。窓から入る月明かり程度でも、大きな瞳とその均整のとれた優しい顔立ち、腰ほどの長さで艶のある黒髪は雄座の目を留めるのに十分な美しさである。その和代は月丸を見つめ続ける。

 一時の沈黙を和代の姿をした者が破る。


「ほぅ、うぬも妖が類じゃな?この娘はわしがもらっておる。喰らうならよそへ行け。」


 おぞましい声を放つ和代の顔が段々と変化してゆく。目は釣りあがり、口は大きく裂けて、真っ赤な舌を出している。先程までの美しい娘の顔はすでに無かった。



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