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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第二幕 狐
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狐 弐

 かたん


「色々考えているようだな。」


 雄座の横に茶を湛えた湯呑みと茶受けの団子が置かれた。

 月丸の言葉に雄座は頭を掻きながら答えた。


「いいや。俺の頭ではいくら考えても空想や想像でしかない。お前に聞くのを待つことにしていただけだ。」


 雄座の横にゆっくりと腰を下ろし、月丸もまた湯呑みに手を伸ばした。


 月丸は湯呑みを口に当て茶を啜っている。一息つくと、月丸は境内を眺めながら口を開いた。


「以前この御社は、妖怪を鎮座し鎮めるための社である事は話したな。」


 月丸と出会った時に語られたのを雄座は覚えている。雄座が「あぁ」と返すと月丸は続けた。


「ここにおる妖怪はな、人の悪意によって人に仇なす存在になった者や、元々悪意の塊のような者達だ。そんな者たちを浄化し、悪意から解放してやる為にこの御社がある。」


 雄座は、境内に目をやりながら月丸の話を聞く。


「ここに座する……つまり封じておる妖怪達は、人を恐れる。人を憎む。人を嫌がる。穏やかに浄化するためには、この神社に人が入って来るのは困るのでな。」


 ここまで言うと、月丸は茶受けの団子を一つ、菓子楊枝で刺して口に運んだ。雄座もつられて出された団子を一つ手で摘み、口に入れた。

 僅かな静寂の後、月丸が続けた。


「人がここに入らぬよう、この御社には結界が張られているんだよ。その結界によって、この社の目の前にいたとしても人はこの御社の存在が見えぬし、立ち入ることも出来ぬのだよ。見えぬところに入ってくるなど、普通ではない。」


 そう言うと、月丸は雄座に視線を向け、苦笑いを浮かべる。


「俺がまるで普通では無い言い方だな。」


 雄座は頭を掻きながら困ったような表情を浮かべる。その様子をクスリと笑いながら眺める月丸。


「まぁ、普通ではないな。本来、入れぬ、見えぬ場所に、ただ涼を取るために結界を物ともせず入ってきて、ましてや最近は二日に一度はやって来てこうして妖霊と語らう。うん。雄座はやはり普通ではない。」


 雄座の方へ向け、持っていた菓子楊枝をクルクル回しながら、月丸は嬉しそうに笑いながら付け加える。


「……だが、こうして話が出来て、俺に付き合ってくれる雄座は、ありがたい。」



 湯呑みを口に付けたまま、うーん、と唸る雄座。

 屈託無くありがたいと言ってくれた月丸に僅かに照れたのと、普通でないと言われ複雑な心境で、返す言葉が出なかった。


 そんな雄座の姿を口元の笑みを絶やさずに月丸が言葉を続ける。


「俺も不思議なのだが、どうもこの社に座する妖怪達が、何故か雄座を受け入れているように感じる。雄座が社に来ても妖怪達の恐怖や嫌悪などの意思は感じない。」


 月丸は本殿に目をやる。


「先ほどの老人が入って来た時、妖怪達の中にそういった感情を感じた。だが、お前が手を引いていたので、許したようだ。」


 月丸の言葉に雄座が疑問を口にする。


「その妖怪達にとって、なんで俺は良くて、御前はダメなのだろうか?御前の方が立派な人だと思うがね。俺なんぞは貧乏しか取り柄がないのに。」


 雄座の言葉に菓子楊枝を雄座に向けながら月丸が答える。


「それは俺にも分からないよ。妖怪が懐く性分なのではないか?」


 そういうと、月丸は持っている菓子楊枝で団子を刺して、口に運んだ。


「月丸もわからないとはどうにも解せないが……。俺がここに遊びに来ても良いのならそれでよいか。」


 月丸もわからないのであれば、自分にもわからない。自分が社に受け入れられているならそれでよいと、雄座はこの話を止めた。


「それはそうと、月丸。御前に憑いている狐のことを教えてくれ。怪談や伝奇では、狐憑きなんぞは、狂人の如く変わってしまうと聞くが、御前にはそのような素振りはないぞ。」


 先程まで境内に向けていた眼を月丸に向け、雄座が問うた。


「狐にも色々ある。」


 月丸の言葉に雄座は頷く。


「例えば、(狐の嫁入り)なんぞはよく聞くものかな?」


 雄座が答える。


「あぁ知っている。江戸八丁堀の屋敷に婚礼の行列が入ったが屋敷のものは誰も知らないといった話であろう?その時に必ず雨が降るという…」


 月丸が頷く。


「ふむ。人をからかったりする話だな。他にも今昔物語や行脚怪談袋といったか? 狐の話が出てきた?」


 雄座は何度も頷きながら聞く。ここ数日、雄座が月丸にねだられて人間が考える怪談を話したりしていた。月丸はそれを指を折りながら思い出すように話す。


「人を狂人にする狐憑きなんぞもあるが、老人から感じたのは「野狐やこ」と呼ばれる霊力を宿した奴の気配だ。ただ、善か悪かはわからん。」


 雄座は首を傾げた。


「だが月丸、先程の話では恨みを持つ狐と言っていたではないか。であれば悪い狐ではあるまいか?」


 雄座の問に月丸は軽く頷いた。


「確かにやたらに強い恨みを感じた。が、その恨みもあれば、何故か清らかな気配も感じた。なので、老人の非に対してなのか、それに有らずかは俺には解らぬ。老人に非のある恨みであれば止む負えぬと思うが。」


 雄座は少し考え込んだ。


「俺は御前を子供の時分より知っているが、人の出来た素晴しい方だぞ。狐とはいえ、恨みを買うなどとは思えん。」


 考え込み首を傾ける雄座に月丸はもう一度お茶を勧めた。


「まぁ本人に話を聞かねば経緯なんぞは分からんよ。気にしても始まらんさ。」


 月丸は境内の木々を眺めながらお茶を口に含んだ。その隣で雄座はふと顔を上げた。


「月丸、先ほど言った(野狐)とは何だ」


「雄座、妖狐ようこにも様々おってな……」


 そう言いながら体を雄座のほうへ向き直した。


天狐てんこと呼ばれる狐は千年以上生きた神通力をも持ち、その尻尾も八尾、九尾になる。稲荷神などその御使いの類で、もう神のようなものだ。」


 雄座が月丸の言葉を遮る。


「尾に力を貯めるから増えていくのだろう?九尾の狐なんぞは知っているが、稲荷様も同じなのか?」

 

 月丸がこくりと頷く。


「その大きな力を何かを守るために使うか、己の欲望のままに使うかは、その狐次第。人も同じであろう?」


 月丸の言葉に、今度は雄座がこくりと頷く。それを確認して月丸が続ける。


「最も強い天狐にわずかに劣るが、やはり神の次元であろうが仙狐せんこと呼ばれる狐だ。仙狐も五尾、六尾の姿をしておるな。そして天狐同様、良い者もおれば悪い者もおる。そして野狐は、妖術がそこそこ使えるようになって悪さなんぞもするが、まぁ、半分妖怪になったような者だ。」


 雄座はふむふむと頷く。


「では、御前に憑いているのは悪さをする野狐であるのか? 憑かれるとどうなる?」


 雄座の問に月丸は静かに首を横に振った。


「俺も気配だけでは何も分からぬ。それこそ天狐や九尾程なら即座に分かるというものであろうが、余程の力を持つ野狐でない限りは何も見えてこない。」


「妖霊ともあろう者が頼りないことだ。」


 雄座が呟いた。


「違いない。」


 月丸も雄座の呟きに微笑んだ。


「老人に心当たりがあればきっとこの社にまた来るであろう。」


 そういうと月丸はゆっくり腰を上げた。


「それまでは酒でも飲んで待とうか。どうせお前が居なければ、あの老人はここに入れない。老人が来るまで待っていておくれ。肴でも用意しよう。」


 そう言うと月丸は拝殿の中へとすすっと消えていった。

 雄座は憮然とした顔で月丸の背中を見ていた。






 すでに数刻過ぎていた。辺りは夜という闇の景色を見せている。社の中は心を落ち着かせる虫の音だけが響いていた。


 雄座と月丸は互いに手酌で呑んでいる。


 辺りに蛍がほのかな灯りを加えている。月丸はその光を静かに眺めていた。


「御前が今日来るとは限らんよな。」


 静寂を雄座が破った。


「恐らく今日来る。あの目は十分に心当たりがある。隠し事を私に言い当てられたのだ。恐らく夜にでも一人でやってくるさ。」


 やはり雄座は憮然としたまま杯を干した。


 恐らく午後十時を過ぎたくらいであろう。銀座とはいえ、すっかり静寂が包む時間である。


「雄座。やはり御前がおいでだ。社の外へ出て迎えに行ってやれ。」


 月丸の声に雄座は耳を澄ました。遠くから自動車の音が聞こえてきた。ゆっくりと、だが徐々に音が大きくなっていく。そして鳥居の前で音が止まった。少しの間を置いてばたん、と最後の音を出した。


 雄座は月丸の言うまま、鳥居を出ると、そこには男爵が立っていた。


「御前…」


 雄座は呟いた。男爵は気恥ずかしそうに答えた。


「雄座君。居てくれて良かった。私一人ではあの神社に行けなさそうだからね。」


 苦笑する男爵に雄座も苦笑いを返す。


「月丸は…あの宮司は御前が来られるのを承知していたようです。私も待っておくように言われていましたよ。」


 男爵の手を取り、鳥居をくぐると、男爵は昼間と同様に周りを見回した後、拝殿の前に立つ月丸の元へと歩いて行った。

 男爵が目の前に来ると、月丸は軽く頭を下げた。それに合わせ男爵も頭を下げる。


「昼間は済みませんでした。この神社といい、失礼ながらあなたの姿といい……、何より誰にも語っていないことを言い当てられて気が動転してしまいました。」


 そう言うと男爵は改めて頭を下げた。月丸は微笑み男爵に頭を上げるように促すと、雄座に顔を向けた。


「この方の話を伺おう。雄座、済まないが拝殿へ案内してやってくれ。」


 雄座がこくりと頷くのを見ると、月丸は本殿の方へと足を運んだ。


 境内は月の明かりに照らされ、美しく幻想的な姿を見せる。そして木々に月明かりを閉ざされた闇には、蛍が光を与える。そしてその中を闇に向かって消えてゆく月丸の背を男爵は見つめていた。


「雄座君の知人と言ったね……。彼女は何者かね?

あの目に見られると何故か助けを求めたくなった。」


 人から見れば白銀の煌びく髪に赤き瞳と異質ではあるものの、その姿はあまりに美しく、常に穏やかな笑みを絶やさないその姿は普通に見れば美しい女性であろうが、その妖艶さに人ならざる何かを感じたのかもしれない。他の者に話したのであれば、痴呆にでもなったかと思われるような事でも、あの宮司の娘なら聞いてくれるかもしれない。藁にもすがりたい男爵にとっては、頼れる可能性を感じた。


「俺も詳しくは知りませんが、月丸が話を聞こうと言うなら、きっと大丈夫だと思いますよ。」


 そう言うと、月丸に言われた通り、男爵を拝殿の中へと案内した。月明かりがあるものの拝殿の中は外と比べ暗かったが、月丸が用意したと思われる座布団が置かれていた。いつのまに用意していたのか、そう思いつつ、男爵を座らせた。

 そこに月丸が入って来た。


「すまない。普段はまず使うことがないから、明かりを忘れていたよ。」


 そう言うと、奥から持って来た丸行灯を置き、火を灯した。部屋が瞬く間に明るくなる。電球とまではいかないが、普段使わない年季の入った行灯を持ち出すのも、月丸なりの配慮であろうと雄座は考えた。


 明かりや酒の用意を終え、月丸も座して男爵に話しかける。


「さて、老人。雄座も私同様、妖には明るい。知り合いの雄座と思わず、どうぞ私と同類と思いお話下さい。」


 月丸の言葉に雄座が苦笑した。同類といわれては自分が妖怪と言われているようなものだ。


「そうかもしれませんな。雄座君の書物はいくつか見ているが、怪談には定評がある。」


 雄座を見て男爵は微笑んだ。月丸が妖霊であるのを知らない男爵には知識の上での同類ととった。


「昼間も感じたが、こうしてゆるりと見ているとやはり老人、野狐の気配を感じます。」


 月丸は早速本題へ入っていた。


 男爵はそっとお茶で口を湿らせた。

そして、ふぅっと大きなため息を付いて口を開いた。


「私は神田重太郎と申します。あぁ、雄座君から私のことはお聞きですかな?」


 月丸はそっと頷く。雄座は月丸と先程までの酒の席で老人のことを月丸に教えていた。


「もう随分と昔の事です。私が今の家業を継いで少しした頃でしょうかな。」


 神田家は明治維新後に築かれた新興華族である。重工業を営む神田家は、戦争の煽りもあって稼業は順風満帆であった。

 重太郎が家督を継いで屋敷を大きく建てることにしたが、敷地の中に稲荷を奉った祠があった。重太郎はそれを祓い丁寧に敷地の隅へと移した。その後も長く奉っていたが、重太郎が結婚し、子供がまさにもうすぐ産まれるという晩のことであった。

 重太郎の枕元に尻尾が何本もある狐がいた。

 その狐はこう言った。


(お主は我が祠を他所に移しておいて自分は幸福を得ている。主を取り殺す事は容易い。だが、移した後も奉り続けた事に免じてお主は助けるが、お主の子を貰う事でお主の罪を許してやろう。)


 間を置かず子が産まれたとの報が重太郎の元へと伝えられた。男の子である。

 重太郎は走り屋敷の隅の祠へ向かった。そして祠に向かって祈った。


「産まれた子がもし女であれば、稲荷様に御捧げします。ですが、男であればどうぞ、お手を触れぬようお願いします。」


 必死に祈った。その甲斐があったかどうかは分からない。息子は健やかに成長した。そして、その狐が現れた日から二十数年が経ち、重太郎の息子は立派な青年となった。

 そして重太郎の息子も結婚した。その時には重太郎も狐との約束は忘れていた。

 子供が産まれた。女である。その時やっと重太郎は稲荷との約束を思い出した。

 重太郎は恐れに恐れた。稲荷の祠も立派なものに造り替え毎日必死に祈った。


「孫娘を連れて行かないでくれ」


 祈りが通じたかはわからない。和代と名付けられた女の子はまるで何事も無く、ここまで成長した。

 重太郎は安堵した。あの狐が夢であったのだとも思った。祠を移した自分の罪悪感から見た夢だと。

 はたまた、自分の子でなく孫である和代なら或いは約束の外であろうか。

 しかしそれは違っていた。三月程前の事である。和代が急に高熱を出しうなされる様になった。医者に聞いても何の病か分からないままであった。ずっと和代のそばで看病していた重太郎は血の気が引いた。

 美しく育った和代の目が釣りあがり、まるで狐の様であった。口を大きく開き和代の口からそれは発せられた。


「重太郎、約束どおりそろそろ娘をもらってゆくぞ。」


 その声は和代のものではなかった。低く、身の毛のよだつ様な声であった。

 それから和代は意識が戻らず今に至る。


 重太郎は祈祷師や陰陽師、有名な高僧など様々頼んでは見たが、和代が目覚めることない。狐の気配を感じた月丸に最後の望みを託し今ここに至る。


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