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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第陸幕 しき
43/176

しき 拾弐

 平安の都、栄華の盛りの頃。


 道満は播磨の国で民のために力を使う非官人の法師であった。まだ二十歳を僅かに過ぎた歳であったが、幼い頃から陰陽術の才能豊かで、困った者があれば、占術により吉方を示し、病の者あらば、薬を調合してやった。法師であれば当たり前の事と、礼を受け取ることもなかった為、服も変えず、ぼろぼろで、綻びの目立つ狩衣を纏い、髪も茫々で薄汚い姿ながら、市井の者からは、道摩法師と崇められ、慕われていた。


 ある時、宮中に安倍晴明と言う優秀な陰陽師が居るとの噂を聞く。陰陽師とは朝廷に仕える占術などを執り行う者達の官職である。道満は貴族のためにしか動く事のない陰陽師を好ましく思っていなかった。


 道満は宮中で最も優秀と謳われる陰陽師、安倍晴明宅まで赴き、術比べを申し出た。宮中陰陽師を術比べて負かし、民のためにその力を使う様、説き伏せる為であった。

 初めて見る晴明は、銀色に美しく輝く髪を後ろで結び、常に穏やかな笑みを浮かべる。透き通る様な白い肌と相まって、この世の者とは思えぬ美しさであった。晴明は勝負を持ちかけてきた道満に対して、


「それは楽しそうだ。是非やらせてくれ。」


 と、無邪気に笑った。そして晴明は道満に対して、提案する。


「では、負けた者は勝った者の弟子になるというのは如何だろう。」


 道満はこの時、晴明に勝ち、野の法師として連れてゆけば、救われる者も増えるだろうと考え、二つ返事で了承した。しかし、その術比べの話は帝の知るところとなり、大々的に執り行われることとなった。


 勝負は、帝が用意した箱の中に何が入っているかを占術により当てた者の勝ちと言うことになった。帝は、この箱の中には大きな蜜柑を十五個、入れていた。


 道満は答える。


「箱の中には、蜜柑が十五、入っておる。」


 晴明はくすりと笑うと、答える。


「では、私はねずみが十五、居るとしましょう。」


 帝の指示で箱を開けると、十五のねずみが飛び出し、方々へ散っていった。勝負は晴明が勝ち、道満は弟子となり、晴明の屋敷で共に暮らし始めた。


「あのねずみは式神だよ。」


 後になって晴明から明かされた。騙された事で苛立ちを見せる道満に、語り合える者に側にいて欲しかったという晴明に、怒りを収めるほかなかった。


 しかし、道満はずっとここに居るわけにはいかなかった。市井では自分の力を必要とする者達が居る。それを晴明に伝えると、いとも簡単に、


「手伝おう。」


 そう言ってきた。

 二人は度々、市中に忍んで出掛けては、困る者たちを助けて回った。そして、時には晴明が術を教え、またある時は、道満が術を教え、まるで血の繋がる兄弟の様にお互いを信頼する仲となっていた。


 そんな日々の中、晴明と二人で術比べをしていた。幾度となく行った術比べは、常に晴明が勝った。その日、負けた道満に晴明が言う。


「俺は人ではないからな。道満が勝てないのも仕方がない。俺は妖霊という妖だからね。」


 晴明は笑って言った。


「そんな事は知らぬ。晴明。お前が神だろうが妖だろうが、知らぬ。ただ、晴明おまえに勝って友として並びたいだけだ。」


 道満も笑って言った。しかし、道満の言葉を受け、晴明は物寂しげな表情で言った。


「道満よ。もし、俺が壊れた時は、お前の手で、友として俺を殺してくれないか?」


 晴明の言葉に冗談などではない事を感じた道満は、応じた。


「分かった。だが、俺が壊れてしまった時は、お前の手で殺してくれ。」


「約束しよう。」


 道満は晴明が妖霊と云う妖である事を告白されても、彼を友と言った。何となく、人間ではない。そう感じていたからこそ、すんなり受け入れた。自分よりも随分と年上のはずであるが、その見目は出会ってからずっと変わらず、若く、怪しい美しさを見せる。そして、陰陽の術に長けながら、怪しい術も使いこなす。道満は納得する他はない。しかし、友である事にも変わりない。

 友として、正体を明かしてくれた事が、道満は嬉しかった。


「道満。これを。」


 晴明がすっと手渡したのは、金烏玉兎集きんうぎょくとしゅうという、晴明が記した陰陽の秘伝が記された術書であった。


「これが如何したというのだ?」


 渡された金烏玉兎集を手に取り、晴明に問う。晴明は穏やかな笑みを浮かべ、応えた。


「これには俺が研究した陰陽の秘伝の他に、妖霊おれの討ち方が記されている。もしもの為にこれをお前に託すよ。」


 道満は渡された金烏玉兎集を複雑な気持ちで眺めた。


 屋敷の縁側で話す二人に、酒が運ばれてきた。運んできたのは淡い薄紅の唐衣に身を包む女性である。名を梨花と言う。表向きは晴明の妻であった。その実は妖狐と言う妖であった。晴明が保護し、共に暮らしていた。隠すのも面倒なので、妻ということにして、人の格好をさせ、平和な日常を与えていた。晴明も梨花を妻として、人として好いていた。

 無論、道満も梨花が妖狐である事を知っている。しかし、梨花も人の如く晴明を好いている姿を、微笑ましく見るだけで、妖だと奇異な目で見ることはなかった。


 

 晴明は若き頃からその名を響かせ、見目も麗しく、帝の覚えも明るい。だからこそ、同じ宮中において、晴明を妬み、恨む者も多い。ある者は、闇夜に紛れて晴明に斬りかかり、道満に返り討ちにされた。ある者は、野の法師を雇い、時の大臣や帝に呪を掛け、晴明の信頼を失墜させようとした。これも晴明や道満により、事なきを得ている。



 道満が晴明と出会って幾年、晴明は唐へ留学する事となり、道満は留守を頼まれる。


「まぁ、面倒だがこれでも官人なのでね。命じられれば行くしかないさ。」


 軽い愚痴をこぼしながら、晴明は笑った。


「唐の術でも仕入れて、土産にするよ。勿論道満、お前にも教えるから楽しみにしていてくれ。」


 そう言って晴明は唐へ旅立った。道満は晴明が留守の間、市井の者を助けたり、今までどおりに過ごし、晴明の帰りを待った。無論、梨花の世話をする為、市井に出かける時などは、屋敷に式神を放ち、使用人として使った。

 道満は友の帰りを健気に待ち続けた。



 数年程経ち、道満と梨花に晴明帰国の報が届いた。道満は喜び迎えに行くと、懐かしい晴明の顔。

声を掛けようと近付く道満は、晴明の気配の違いを察する。

 暖かく、優しく、無邪気な晴明はそこにはなく、道満に目もくれずに牛車に乗り込んだ。


 長旅で疲れているのだろう。そう思った道満であったが、屋敷に帰ってきた晴明は梨花を手に掛けようとした。慌てて道満が止めに入る。


「何をする晴明!梨花はお前の妻であろうが!」


 晴明は顔色一つ変えずに、虚な目で道満を睨む。


「何を言っておる。其奴は化け狐ではないか。妖怪を庇うとは、さてはお前も妖怪か?」


 そう言うと、晴明は呪言を唱え始めた。道満は慌てて、屋敷中の式神を晴明に放ち、梨花を連れて逃げ出した。


「晴明様に何やら禍々しい呪いが掛けられております。」


 逃げた先で、しとしとと泣きながら梨花が呟いた。


「ならば晴明の呪を解くまで。」


 道満は晴明の呪を解くべく、何者による呪であるかを調べ、やがて、如何やら唐にて師事していた伯道上人により晴明が操られている事に気付いた。


 宮中では、晴明が留守の間に道満が内儀に手を出して、連れ出したと不義の罪を着せられていた。その為、晴明の変化もそれによる心傷とされ、道満は悪人として追われる事となる。

 道満は晴明に託された金烏玉兎集を読み解き、妖霊がなんたるかを知る。また、独自に調べた伯道上人の企みが、晴明を傀儡として、この国を制する事が目的であったと知る。その術を解く事が叶わない事も知ってしまった。


 友との約束を果たす為、道満は晴明を討つ事を決心し、晴明に勝負を仕掛けた。


 久々に面前にした晴明は、道満の事など覚えていないような素振りで、まるで謀反人を見る目をしていた。やがて晴明と道満の戦いが始まる。

 道満は守りに徹し、晴明の術を受けながら、晴明が正気を取り戻すのを期待した。しかし、伯道上人の呪いは強く、それは望むものでない事を知らされた。


 勝負は呆気なかった。金烏玉兎集に記された術を道満が放ち、晴明は倒れた。死の目前、晴明は呪から解き放たれた。


「ありがとう。道満。すまなかったね。」


 一言、晴明は詫びると、その目を閉じた。晴明の体は淡い光に包まれると、その光と共に消失した。道満は三日三晩、その場で泣き明かした。


 晴明を亡き者にし、内儀と不義を働いたという罪で、道満と梨花は追われる身となる。逃げながらも、道満は伯道上人への復讐の手立てを考える。


 そんな折、晴明の死の報を受け、伯道上人が唐よりやってきたとの知らせを受けた。晴明の仇を討つ。ただその想いだけで道満は呪術を磨く。


「芦屋道満。ここにあるか?」


 呼ばれ、隠れ家から顔を出すと、道満の面前に現れたのは伯道上人その人であった。


 道満は機を得たりと、懐から符を取り出す。しかし伯道上人は気にも止めずに語りかけた。


「芦屋道満。お主、わしの企みに気が付いたようじゃな。お主のお陰で、わしの術は完全なものとなった。礼を言う。」


 伯道上人の言葉に道満は聞き返した。


「如何言うことよ?」


 伯道上人は人とは思えぬ程の霊力を持つ晴明を操り、この国を手中に収めようとした。しかし、妖霊である晴明を完全に操る事は出来なかった。その為、晴明の意識の表層のみを操ることしか叶わなかった。だが、道満が妖霊である晴明を討ったことで、妖霊の力が消え、完全な傀儡が仕上がった、と、道満に伝えた。

 そして伯道上人が言い終わるや、伯道の後ろから姿を見せたのは、安倍晴明であった。

 姿は晴明であったが、その美しく輝いていた目は曇り、生気もない。無邪気な笑みを浮かべたその口元は、表情もなく、虚に開いている。


 道満はその姿を目にして怒声を上げる。


「貴様!我が友の体をこれ程辱めるか!」


 伯道上人は己が秘術により、晴明を完全な傀儡として蘇らせた。その体に生はなく、ただ、伯道上人の命で動く者として。


「晴明よ。口惜しかったであろう。己の仇を己で取るが良い。」


 怪しく笑う伯道上人に道満の怒りが頂点に達した。伯道上人に向かって持てる全ての術を放ち、友、晴明の仇を討とうとするが、傀儡の晴明に尽く破られた。そして、道満をまるで嬲るように、一つ一つ、術を放ち、道満の肉を削ぎ、皮膚を焼き、徐々に痛めつけた。

 もう駄目だ。道満がそう思った時。


「晴明様。おやめ下さいまし。」


 隠れ家から飛び出した梨花は、道満の前に手を広げ立ち塞がった。

 

 最も長き時を晴明と過ごし、妖狐でありながら、妻として大切にされた梨花は、晴明の今の姿が耐えられなかった。説得しようと飛び出した梨花を、晴明は呪符で焼き払った。

 声なく消えた梨花を唖然と見つめる道満。ゆっくりと目を晴明に移すと、晴明の目から一筋、涙が頬に流れた。


 晴明の涙は、道満の僅かな冷静さを失わせた。死してなお、愛する者を手に掛けた痛みを晴明は受け、それを傀儡でいる間、ずっと続くのだ。我が友に何とも酷い事をするのか。


 道満は怒りに任せ、かつて晴明と共に研究し、まだ完全ではない神降しの術を放ち、神の力を借りて伯道上人を消し去った。しかし、不完全な術は、代償として道満の魂を燃やしきる事となった。


 主人を失い、立ち尽くす傀儡の晴明に、最後の力を振り絞り道満は呪を掛けた。


 その呪は、伯道上人の命によらず、昔のように感情豊かで、優しく、暖かく、あの頃の晴明に戻らせる慈愛に満ちた呪であった。

 そしてもう一つ。道満と梨花の記憶を消す呪。


 妻や友を手に掛けたとあらば、優しい晴明はきっと、悔やんでも悔やみきれぬほど後悔するであろう。道満が友として出来る最後の気遣いであった。






 こうして、道満は一生を終えた。







 道満は昔語りを終えると、ふう、と一息漏らした。月丸は只、静かに耳を傾けていた。


「儂は死んでしまったのでな。その後の晴明は伝聞でしか知らぬが、妖霊としての力は無くなっておったから、寿命で死すまで、立派な陰陽師であったのだろうよ。」


 語るうち、道満の目は昔を懐かしんでか、穏やかな優しさを浮かばせる。


「何故、そんなお前が死姫と共に百鬼夜行なんぞを求めたのだ?」


 静かに耳を傾けていた月丸が訊ねる。と、道満はふっと、笑って答えた。


「死姫は黄泉の神。儂が黄泉比良坂に落ちた時、伯道上人も黄泉の神である事を知ったのよ。そして、晴明を操る為に、多くの黄泉神が加担していた事を知ってな。そいつらを消し去る為に死姫の誘いに乗ったのよ。」


 一息置いて、道満は続ける。


「晴明をあの様にした奴らが許せなかった。それだけよ。目的を達すれば、後は如何でもよかった。」


 月丸が問う。


「そうか。晴明の仇は取れたのか?」


 道満が答える。


「おうよ。全て八つ裂きにしてやったわ。だが、それからは儂も虚しいただの傀儡よ。百鬼夜行を追えば、いずれ妖霊に出会すと知った時は、心が躍ったわ。願わくば、晴明と同じ、妖霊に、俺を消し去って欲しいとな。まぁ、結果この有様だがな。」


 道満は改めて、境内を見回す。


「心落ち着けて見れば、妖霊、お主は晴明に似ておる。この社と合わせて見れば、晴明と過ごしたあの屋敷の濡れ縁を思い出す。」


 道満は、ふっと薄く笑うと、月丸を見据えた。


「あの男、雄座と言ったな。友を大事にしてやってくれ。」


 月丸はこくりと頷いた。それを見て、道満も頷く。


「さあ、情けと思って、一思いにやってくれ。成仏など要らぬ。儂の魂を消し去ってくれ。」


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