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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第陸幕 しき
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しき 玖

 鳥居の前にやってくると、既に手を伸ばせば金鬼に届く位置に立つ。しかし、雄座は金鬼の巨大さに改めて驚き、ただ暴れている金鬼を見上げるしかなかった。



 雄座は自分も月丸の力になりたい。様々な事を思慮して出た答えが、鬼を釣る。我ながらよくぞこの様な馬鹿げた提案をしたものだ。目の前の金鬼はまるで銀座の名所である時計塔程も大きいのではとも思える。普通に考えて、引き摺り込めるはずなどないではないか。


 様々な思考が雄座の頭を過ぎる。そんな雄座の気を汲んだのか、月丸は穏やかに微笑みを向ける。


「案ずるな雄座。俺の全てを賭しても、お前を守るさ。」


 その言葉に雄座も月丸を見る。月丸は静かに頷くと、にっと笑った。


「では雄座。世に語られぬ妖霊ようりょうの力の一端。お前に見せてやろう。」


 そう言うと月丸は無造作に手を伸ばす。刹那、大岩の様な金鬼の拳が二人の目の前に振り下ろされると、月丸の手は結界を越え、金鬼の拳の皮膚を掴み、片手でぶんと引っ張った。






 飽くことなく結界を殴り続ける金鬼を余所に、この目の前の結界を如何にするかを思案する道満。

 ただの結界であれば、その地に入れぬ様にすれば良い。それならばその存在すら気づかせぬ様に辺りの風景に馴染ませるのは分かる。しかし、結界を見据える者の記憶によってその姿を変え、かと思えば、何もしなければ皆同一の壁を見せる。結界自体ではなく、外の要因によってその姿を変化させる結界など、見た事も聞いた事もない。

 何よりこの結界には、一切の霊気を感じない。本来、この地の全てのものには霊気が生じる。壁の様な命のないものでも、壁を作る木々を切った者、かんなをかけた者、組み上げた者、様々な思いを受け、霊気を持つようになる。煉瓦造りのこの銀座まちは、町を発展させたい作り手の思いや、この街に執着する者の思いが入り混じり、全ての建物にも僅かな混沌とした霊気を感じる。

 その霊気がないからこそ、道満の目に留まったのだ。だが、霊気を生まずに結界を張る術など、道満の知識にもない。


 考えあぐねる道満の目の前で、突然金鬼の体が浮き、結界に引き摺り込まれようとしていた。


「隠業鬼!」


 道満の叫びと共に、隠業鬼は金鬼が引き摺り込まれるのを阻止しようと、咄嗟にその足を掴んだ。しかし、次の瞬間、金鬼と隠業鬼の姿も気配も、その場から消えた。

 驚く道満が、壁を見据えると、やはり何も無い。しかし、先程とは異なり、僅かではあるが、何者かの気を感じた。





 唖然とする雄座が、我に帰ったのは、境内からどすんという巨大な地響きによってであった。


 慌てて振り返ると、先程まで鳥居の外で暴れていた巨大な金鬼が、境内に倒れ込んでいた。


「雄座よ。危ないので、ここを動いてはならぬぞ。」


 月丸は雄座の顔を下から覗き込み、真剣な表情で伝える。その言葉に、言葉の出ない雄座はうんと頷くしか無かった。


 月丸は手を離すと、金鬼に向かって行く。その後ろ姿は、気負う事なく、いつもの月丸の背中であった。


 金鬼はゆっくりと起き上がり、何が起こったかを確かめるべく、辺りを見回している。


「おお、これは神社か?どうだ!遂に結界を破ってやったわ!」


 両の腕を高々と挙げ、結界を破ったのだと錯覚した金鬼は、雄叫びを上げた。まるで耳元で大砲がなったかの様な雄叫びに、雄座は堪らず耳を塞いだ。


「お前が破ったのでは無いぞ。金鬼。俺達が招いてやったのだ。」


 気付けば月丸は既に金鬼の足元に腕を組んで立っていた。金鬼を見上げながら、言葉を放つ月丸。その声に金鬼は不思議そうに足元に目をやった。


「何だ小娘。この結界の主か?」


 金鬼の言葉に月丸は答える。


「金鬼よ。お前はただ道満に使役するために呼ばれた鬼。傷付ける気は無い。戻してやるから、大人しくしておれ。」


 月丸の言葉に一瞬、呆れたような表情を浮かべ、やがて大笑いする金鬼。


「ぐははは。お前のような小娘が俺を鬼の世に戻すというか。やれるものならやってみよ。その前に喰らってくれるわ。」


 金鬼は月丸を掴もうと、無造作に腕を伸ばした。まるで大岩のような金鬼の指が月丸を囲み、今にも掴まれんとする時。月丸も無造作にその巨大な掌を叩いた。


 その刹那、金鬼の体は後方に吹き飛ばされた。見えぬ壁があるのか、金鬼の体は吹き飛ばされた後、何かにぶつかったかのように止まり、地面に尻餅をついた。やがて、掌から発する激痛に手を抑え、うおおおと唸りを上げた。


 雄座は直ぐに月丸が金鬼の周りに結界を張っている事に気付いた。恐らく、境内が荒らされるのを嫌ったのだろう。しかし、軽く月丸が叩いただけであの巨体が崩れ落ちるその光景を目にした雄座には、只々驚くより他ない。

 

 月丸はまるで童に近付くが如く、無防備に蹲る金鬼の膝下へすたすたと歩いて行った。


「金鬼。お前は早々に鬼の世に戻れ。勤めご苦労だったな。」


 月丸が言いながら金鬼の体に手を置くと、金鬼の巨体は淡く光ると、瞬く間に消え失せた。月丸はゆっくりと雄座に振り返ると、雄座を指差す様に人差し指を向けた。その刹那、雄座の後ろから呻く声が聞こえた。


「使役された者とは言え、その者に手を出せば、容赦はできぬぞ。」


 雄座が恐る恐る振り返ると、目に入ったのは両腕、両足を光の綱で締められ、大の字で宙に浮く黒い衣を纏った隠業鬼であった。雄座を盾としようとしたのか、右の手にはまるで太刀の様な爪を伸ばしている。


「ぐうう。我は隠業鬼。姿も、匂いも、気配も、存在も消せるのだぞ。何故気付いた?」


 綱から逃れようと体を左右に振りながら、隠業鬼が吠える。月丸が向けていた人差し指を軽く折ると、隠業鬼の体はすいっと月丸の元へと吸い付けられる様に飛んだ。


「ふむ。流石は鬼神の術。見事に隠れてはいたが、俺にはずっと見えていたぞ。そして、あの者にその爪を立てなかったのは褒めてやろう。良い判断だ。もし、あの者に爪を向けていれば、只では済まさぬところだ。」


 

 金鬼を掴んでいたため、一緒に結界の内に入った隠業鬼は、その隠密の技で存在を隠匿して、状況を探っていた。そして十尺もある金鬼を、まるで蝿を払う様に遇らう美しい娘の様な姿の者。しかし、その者の正体は、隠業鬼の戦意を削ぐに十分であった。


「貴殿は…妖霊か?」


 月丸はこくりと頷くと、縛られたままの隠業鬼を宙に浮かべたまま自分の元に滑らせると、その縄を解いた。どさりと地面に落ちた隠業鬼は、片膝を地に付け、月丸の姿に震えている。その姿を雄座は鳥居の元で見ていた。


 鬼が恐れを為している。それだけでも雄座にとっては不思議な光景である。しかし、妖霊の力の一端を見せると言った月丸は、その力すら見せる事なく鬼を捕えた。これが分身の月丸であったなら、結界や術を駆使していたであろうが、生身の月丸はあの巨大な、そして神の類である鬼神すらも手玉にとっている。目の前の光景は、雄座ですら、あやめの言う分身と月丸なまみの違いを理解させた。


 隠業鬼は低く響く声で月丸に問う。


「金鬼の如く、我も滅するか?」


 その隠業鬼の言葉に月丸は首を横に振る。


「金鬼も滅してなどいない。鬼の世に帰ってもらっただけだ。今は鬼神と争う理由はない。お前も金鬼同様、お引き取りを願おう。」


 月丸の言葉に、隠業鬼は安堵し、そのまま手を地に着き礼を取った。


「心遣い感謝する。この結界内に入った折、召喚者の術も解けております故、この隠業鬼、御妖霊の手を煩わせるまでもなく、己で戻ります。」


 隠業鬼はそう言うと、すうっと消えていった。その姿を見届けて、月丸が雄座に声を掛けた。


「鬼は片付いた。後は芦屋道満だな。」


 あまりにも呆気ない幕引きに只々驚いていた雄座だが、月丸の言葉に雄座も鳥居を振り返る。見ると、鳥居から距離を置き、様子を見ている道満の姿。ゆっくりと雄座の隣まで歩いてきた月丸も道満を見ながら呟く。


「さて、あれだけ離れられると手が届かぬな。」


 雄座はふと、月丸に尋ねた。


「もし、道満が話を聞くようならば、話を聞こうと思うか?」


 雄座の質問に月丸は首を傾げる。


「まぁ、話して済むようなら此方も有り難いが…。話を聞くような者でもなかろう。」


 月丸の答えに雄座はふむ、と頷くとさっと鳥居をくぐり外に出た。

 驚いたのは月丸であった。鳥居の外には道満がいる。何より先程は雄座の姿で戦ったのだ。道満からしてみれば目の前に獲物が現れた形となってしまう。何より、道満の陰陽の術に雄座はなす術がない。


「雄座!」


 月丸は慌てて追いかけるが、結界にはじき返され後ろに倒れ込んだ。直ぐに起き上がり、叫ぶ。


「雄座!やめろ!戻ってくれ!」


 その声は社の外に届く事はないが、雄座は一度振り返ると、任せろとばかりに軽く頷いた。




 道満もやはり驚いていた。道満から見れば、壁から突然現れたのだ。無理もない。雄座は道満に向き直すと、緊張した面持ちで語りかけた。


「芦屋道満殿だな。俺は神宮寺雄座。文士をしている。俺は争う気は無いのだが、少し、話を聞いてもらえないか?」


 道満は警戒しているようだが、即座に手を出しては来ない。彼方も様子を見ているなら都合が良い。用件を伝えて、応じるならば社に引き入れ、応じぬ様であれば、一歩下がれば社に逃げ込める。これが雄座の策と呼ぶに遠い策である。


「すまんが俺は唯の人なのでな。あんた達の様な術だ何だは使えんのだ。話だけしに来た。」


 道満は暫し沈黙した後、口を開いた。


「確かに。先程の様な大きな力はない様だな。答えろ、雄座とやら。何故結界から現れた。お前は何者だ?」


 警戒はされているが、話を聞く気はあるようだと雄座は僅かに緊張を解いた。


「俺はさっきも言った通り、唯の人だよ。強いて言うなら、妖霊の友人だ。」


 雄座は、いざとなれば直ぐに社に戻れるよう、腹に力を入れて言葉を続けた。


「その結界とやらは俺には見えぬ。だが、何故かここを通る事ができる。この奥には神社がある。如何やら俺が手を取り連れた者ならば、その神社に辿り着けるようだ。」


 ふっと顔を社に向けると、月丸が憔悴した顔色で此方に何かを叫んでいる。雄座は安心させようと笑って見せると、道満に向き直した。


「道満殿。この奥には妖霊が居る。貴方をこの社、妖霊宮御神社にお招きする。争うのではなく、話をしたいのだ。」


 道満はにやりと笑うと足を開き構える。


「結界に取り込み討とうというか?鬼共は如何やら討たれたようだな。そもそも、儂が話に乗ると思うたか?」


 道満の構えに僅かに臆する雄座。手を前に出して道満を宥める。


「待て待て。鬼は月丸…この中の妖霊が鬼の世とやらに帰した。道満殿を討とうとは思っておらんよ。」


 動かぬ道満に雄座は話を続ける。


「妖霊、名を月丸と言うが、とても良い奴なのだ。無闇矢鱈に命を奪う事はしないし、優しい奴だ。だから心配しないでくれ。」


 道満は暫く雄座を睨みつける。雄座も、自身の言う事が嘘と思われたくないため、道満の義心の目を逸らす事なく見つめた。


 やがて道満が口を開いた。


「お前は本当に只の人だな。儂はお前を今にでも殺す事ができるのだぞ。恐怖はないのか?」


 雄座は素直に答える。


「怖い。先程から逃げる用意はしている。ただ、月丸は俺の友だ。いつも助けてもらっている。だからこそ、今あいつのために出来ることをやろうと思った。」


 道満は雄座が言い終わると、ゆっくりと構えを解いた。


「面白いことを言う。人と妖霊が友となるわけがない。それに儂が妖霊を討つとは思わんのか?」


 道満は改めて雄座に問うた。その問いに雄座は目を逸らす事なく答える。


「月丸が討たれるとは思わん。あいつなら最も良い終わらせ方をしてくれると信じているよ。」


 雄座の答えに道満は呆れたようなため息を溢し、やがてずかずかと近付くと、雄座の目の前に立った。


「案内せよ。何れにしろ、儂は妖霊に用がある。」


 近付いて来た道満に少したじろいだが、その言葉に雄座はこくりと頷いた。

 

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