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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第伍幕 付喪神
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付喪神 終幕

 翌朝。


 雄座は夜中に家に着いてから、月丸の感想や思い付いた事を書き綴った紙を見ながら創作に取り組んでいた。どうやら昨晩、酒を飲んでいたため、大事な万年筆を月丸の神社に忘れてきた様である。まぁ、それは今度行った時にでも回収すれば良い。月丸なら、大事にとっておいてくれるだろう。それは心配していない。一先ず帰ってきてからは別の筆で作業を進めている。


 もう既に日も昇り、外の喧騒が聞こえる。数時間、紙を見つめながらも筆が進まない。月丸の元で話を聞いている間、まるで溢れ出す様に物語が思い浮かんだ。しかし、帰ってからというもの、纏まっていた話も、なにやらぼんやりとしたものになっている。


「…こうか……。いや…これでは…。」


 ぶつぶつと独り言を言いながら、書いては原稿をくしゃくしゃと丸め、床に投げる。幾度となく繰り返し、遂には雄座自身が後ろに倒れ込み頭の後ろで手を組み、天井を眺めた。


「うむ…。昨日ははっきりと出来上がっていたのに…。上手く文字に出来ん。」


 昨夜まで頭の中に出来上がっていた物語は、形にしようとするとまるで文字にすると消え失せてしまう。恐らく今書いたものでも、決して出来の悪いものではないのだが、雄座にしてみれば、自分の頭の中の物語をそのまま文字に出来ない時点で、納得する出来にはならない。


 雄座は大きくため息をつくと、ばっと起き上がった。


「やはりいつもの万年筆でないと、調子が出ん。」


 そう言うと、雄座はさっと顔を洗うと、綿入れを羽織って月丸の元へと足を向けた。


 雄座の万年筆は、亡き母がずっと愛用していたものだ。亡くなった際に、形見として大事に持っていたが、雄座が小説を書く時は必ずこの万年筆を使った。手入れも欠かさず、金がなく、食う物も乏しくとも、インクだけは欠かすことはなかった。


 雄座は、この不調が万年筆を忘れた事が原因と考えた。昨夜から寝てはいないが、頭は冴えている。取り敢えず万年筆を貰って帰れば、上手くゆくだろう。雄座は案外楽天的な面も持っている。書けぬと悩むよりは、あの万年筆が有れば書ける。そう思っていた。






 神社の境内では、月丸が竹箒で落ち葉を集めていた。しゃっ、しゃっ、と、小気味良い音が響く。

 昨夜の出来事に、月丸はまだ夢だったのではないだろうかとも思える。しかし、実際に師やすずに会えたのだ、とも思える。何れにせよ、月丸は朝から本殿や拝殿以上に、この小屋を綺麗に掃除した。

 普段も日課として清掃は隅々まで行っているが、師の想いがこの小屋に有ると思うと、いつも以上に丁寧になった。


 やがて境内の掃き掃除が終わると、月丸は小屋へと視線を向ける。師の想いの存在を感じつつ、月丸は頬を緩めた。そして改めて考える。雄座の万年筆に宿る付喪神。月丸がこれまで見てきた付喪神とは何かが違う。他の付喪を具現化させるほどの強い霊力を宿す付喪神など、見たことがない。しかし、月丸から見ても、万年筆から現れた女神は紛れもなく付喪神の気配であり、誑かそうとしている様でもない。ならば、師やすずはここに居る、そう思える様になった。


「あの付喪神……。雄座の事をよろしくと言っていたな。」


 独り言を呟きながら、気配を感じ鳥居へ視線を移す。月丸の思考が終わるのを待っていたかの様に、雄座がふらふらと鳥居をくぐってきた。


「昼からすまないな。昨日忘れ物をしてしまってな。万年筆を置き忘れていなかったか?」


 右手に持っていた団子の包みを月丸に渡しながら、雄座はばつの悪そうに頭を掻きながら小屋に目を遣る。


「ああ、預かっておいた。折角だ。お茶でも飲んで行け。話したいこともある。」


 雄座から包みを受け取りながら、昨日の小屋へと入って行った。

 小屋に入ると、昨日使って、火の落とされた火鉢がとんと置かれている。月丸が清掃したのだろう。昨日、うっかりと、呑みっぱなしにしていた器は片付けられている。


「すまなかったな。月丸。昨日は何もせずに帰ってしまって。」


 月丸は笑いながら答えた。


「そんな事は気にしなくて良い。待っていろ。火を入れる。」


 月丸が火鉢に指を向けると、火鉢の中の炭が赤く灯ったかと思うと、直ぐに火が入った。月丸は、さも当たり前の様にそのまま、茶の湯の準備を始めていた。


「何とも便利なものだな。妖術とは。」


 こうも簡単に火が入るので有れば、自分も使いたいものだ。雄座はそんな事を思いながら、腰を下ろし火鉢を眺める。雄座の呟きに、土間から月丸が応えた。


「お前達人も、文明という凄い術を使うじゃないか。何とも便利なものだと思うぞ。」


 月丸の言葉に、雄座は暫く考えた後、呟いた。


「成る程な。そういう考え方もあるのだな。」


 程なく月丸が沸かした湯で緑茶が用意され、茶受けには雄座が持ってきた団子が出された。


「ほら。大事なものなのだろう。忘れんようにしろよ。」


 月丸は棚の上から万年筆を取ると、雄座に手渡した。


「すまないな。助かったよ。これが無いと、どうにも仕事が進まなくてな。」


 受け取った万年筆を大事そうに撫でる雄座。目線を落としたまま、雄座が語り出した。


「この万年筆は母の形見でな。これで書くと、母に何やら教えてもらえる気がして、思ったままが書けるんだよ。」


 月丸も、以前、雄座が母の命日に、祝詞を賜りたいと、母の位牌を持ってきた折、雄座の母の話を聞いていた。


「そうか。母君のものであったか。母君もお前も、余程大切にしていたのだな。」


 月丸は応えるとお茶を口に含んだ。月丸の言葉に雄座が頷く。


「まぁ、不思議な人だったよ。貧しいのに、文学が好きで、農家の長屋に住んでいたのに、仕事は外国語の翻訳であったりと、今思えば、本当に不思議な人だった。」


 優しい笑みを浮かべたまま、そうか、と月丸が答える。色々思い出すのだろう。雄座は続けて語る。


「何より、みんなから好かれていたよ。金もないのに、誰かが困っているとすっ飛んで行くし、自分の仕事を放って、他人の畑仕事も手伝っていたりしていたからなぁ。」


 雄座は一口、お茶を啜ると、呟くように言う。


「そのおかげで、病に伏せった時は、村中の人達が助けてくれたよ。本当にありがたかった。」


 うんうんと頷く月丸は、また、付喪神の言葉を思い出す。


(雄座を、よろしくお願いします。)


 月丸はふと声を漏らす。


「子を想う母の願い…という事か。」


 雄座は月丸の言葉に、こくりと頷く。


「ああ、今にして思えば、女手一つで俺を育てるのに、俺が困らぬ様、奔走してくれていたのだろうな。」


 雄座は改めて、手に持つ万年筆に目を落とした。


「母が言った、俺の作った物語をみんなに見せる。この万年筆で描いていると、何故だか夢とも思えず、自信がつくんだ。」


 雄座は無邪気に笑った。月丸もつられて頬が緩む。


「雄座よ。お前の母君は、ちゃんとお前の側で見てくれている。その万年筆にお前の母の想いが宿っているのだ。」


 月丸の言葉に、雄座は頷く。


「うむ。そんな気がする。子供の頃はこの万年筆を懐に入れて御守り代わりにしていたのだが、変な話だが、亡き母の声が聞こえてな。話もできた。だから、寂しくもなかったものだが、大人になったせいかな?流石にもう会話する事はできないが、母の想いは感じているつもりだ。」


 月丸はそうか、と頷いた。月丸は理解した。雄座の母の想いが付喪神となり、その万年筆に宿っている。その力は自身の妖気を浴び、そして雄座の想像力を糧として強大な力を得るに至ったことを。


 月丸は雄座に教えておこうと思ったが、それをやめた。これまでも万年筆の秘密を知ることなく、母を感じているので有れば、昨晩付喪神が言ったとおり、よろしくお願いされよう。時が来て、必要なら語れば良いであろう。そう思った。


 月丸は雄座に一言向けた。


「雄座よ。どんな事があっても、その万年筆を手放してはならないぞ。昨日の様に、置き忘れるのもならぬ。」


 月丸の言葉に雄座も頷く。


「ああ、これまでも幾多持ち歩いているが、置き忘れるなど昨日が初めてだ。気を付けるよ。しかし、何故昨日はあれだけ持っていたものを置き忘れたのか……。」


 雄座の言い訳を聞きながら月丸はふと気付く。あの付喪神、恩返しとも言っていた。もしかすると、自分に師とすずを会わせるために、意図して雄座の手を離れたのではないだろうか。この神社でなら、一時離れたとしても、必ず雄座の手に戻る。

 付喪神が宿る物は、決して持ち主から離れる事はない。それがああも簡単に雄座の手を離れたのだ。付喪神が意図したものであるなら合点がゆく。


 昨晩は自身も混乱したため気付く事はなかったが、どうやら雄座も月丸も、付喪神に振り回されたようだ。そう思い至ると、月丸はおかしくなり、ころころと笑い出した。


「どうした?月丸。突然笑い出して。」


 不思議そうに月丸の顔を覗き込む雄座。月丸は笑いながら答えた。


「いや、何でもない。きっとそこまで大切にされていれば、その万年筆にも付喪神が宿ろうぞ。そう思っただけだ。」


 月丸の言葉に雄座も笑った。


「物に宿る神か。確かに、母の想いが込もっておるのだ。母が付喪神にでもなりそうだな。」


 笑いながら語る雄座の言葉に、月丸が目を丸くする。


(理をも知らずに真実を掴むか…。相変わらず、変な男だ。)


 驚き雄座を見つめる月丸に、雄座は団子を頬張りながら訊ねる。


「そう言えば、お前も何か話す事があるのだろう?何かあったのか?」


 雄座の言葉に我に帰る月丸。付喪神の正体を語ろうと思ったが、それもやめた。ならば月丸の言う事は一つであった。


「次に来る時は、ワッフルを所望したい。」


 月丸の言葉に雄座は声を上げて笑った。


「すまんすまん。そう言えば、ここのところ買ってこなかったな。次に来る時は買ってくるよ。」


「楽しみにしてるよ。雄座。」


 二人して声を上げて笑った。




 こうして雄座の知らぬところで起こった奇異な夜は、雄座の素知らぬ処となった。しかし、月丸は思う。雄座の想像の力は、いつか自分自身で再び母と会えるのではないかと。自分の持ち得ない力を持つ雄座を少し羨ましく思うのであった。

明けましておめでとうございます。

まだまだ下手な文章ではありますが、頑張りますのでどうぞ本年もよろしくお願いいたします。


インフルエンザになってしまい、更新が遅れてしまいました。すみません。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 何の証拠もなく無邪気に真実を言い当てる雄座に、月丸が付喪神の事を伝える代わりに、 「次に来る時は、ワッフルを所望したい。」 と言ったシーンは思わず笑ってしまいました。この二人らしい会話…
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