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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第一幕 夏桜
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夏桜 弐

 日はゆっくりと昇り始めていた。昨夜は色々な考えが頭の中を往来し中々に寝付く事が出来なかった。昨日の社が気になって仕方がない。


 宮司の月丸は「気が向いたらこい」と言っていた。しかし、自分が芝居小屋や新聞社から頼まれて書く怪談話だと、得てして人が気を許したところで食われてしまう落ちである。実際ありえぬ話であるし、そもそも自分がなぜあのような宮司の話を少しでも信じているのか。桜ももしかしたら日の当り具合でそう見えてしまったやもしれぬ。


 そもそもあれ……宮司は女に決まっている。あの様な線の細い男がいるものか。自分はどうもからかわれたらしい。

 そんな答えに至った夜が明けた。



 もう日はすっかり上がっている。十一時位であろうか。雄座はやっと夜具から起き上がった。身を起こし昨日の考えを頭から追い出すように大きく伸びた。障子を開けると昨日にも負けず暑い日差しがすっかり部屋の中に入ってきた。


 縁に置いてある雪駄を履き、庭に出て、大きく背伸びした。

 直接肌に当る日差しが痛いくらいの快晴である。


「これ程明るければ行っても食われる事はなかろう。」


 ふと昨日の神社へ行ってみる事にした。


 また部屋へ戻り寝巻きを脱ぎ外出の服に着替えた。


 さて、朝飯がまだである。途中で何か買ってあの神社で食えばよかろうなどと色々考えつつ、また雪駄に足を通し家を出た。



 道すがら雄座は自分の文士としての事について考えていた。自分は怪談を飯の種にしている。もし、あの神社が昨日の宮司、月丸が言っていた事、これはもしかして新たな話を作れないだろうか。いや、もし真実ではなく宮司が語った与太話であろうが、自分の頭に新しい話なんぞ出来るだろうという期待が雄座の頭には出てきていた。



 神社への途中で団子を買って雄座は先日の神社の前に立っていた。一晩経ち、もう昨日のような頭の混乱はさほどない。雄座は落ち着き払っていた。物書きの性分であろうか。すっかりと月丸の話を色々仕入れてみたいという考えに切り替わっていた。


「今日はおるのかな?」


 途中で買った左手に団子の入った包みをふらふらさせながら鳥居をくぐった。


やはり昨日と同じ風景が雄座の目の前に広がった。葉の一つも落ちていない境内。竹箒の跡が土の上にきれいに波打っていた。そして昨日はしっかりと見ることのなかった社にも目をやった。社を眺めつつゆっくりと歩み寄って行った。


 雄座は小銭を取り出して賽銭箱に投げ入れた。両手を胸の前で合わせて一礼した。


特に何かの宗教を信じているわけではなかったが、なんとなくそうしたかった。


「さてと。」


 ふと昨日月丸とあった社の縁側に目をやった。誰もいない。昨日と全く同じに人の気配などまるでしない。そして昨日と同じく静寂が広がっていた。まるでこの神社の敷地だけどこかの山奥にあるのではと思いたくなる静けさだった。雄座はまた縁側に腰を落ち着け、ゆっくりと流れる雲を眺めた。




「本当においでなさったか。」


 月丸は後ろに座っていた。昨日と全く同じく、声を掛けられるまで雄座は月丸に気が付かなかった。


「今日は会えないかとおもいましたよ。」


 今日は驚く事もなく雄座は平静なままであった。月丸は雄座の横にお茶を置いた。


「今日も暑いのでね、冷えた麦茶です。よければどうぞ。」


 そういって置いたお茶を指先で雄座のほうへ滑らせた。


「昨日はこちらがご馳走になりはなしであったので今日は一緒にどうかと団子でも買ってみましたが、如何ですか?」


 月丸はふと微笑んで少し頷いた。


「昨日はすぐ帰られてしまったので、貴方のお名前をお伺いしていないですね。」


 月丸は雄座の隣に腰掛けた。足を縁からふらふらさせている。


「そういえば。失礼しました。私は神宮寺雄座と申します。今はまだ売れない物書きです。」


 雄座は月丸の方を見て改めて挨拶した。


「昨日も言っておられました。確か物の怪を小説にしておられると。」


 月丸の言葉に二、三度軽く頷きながら雄座が答えた。


「飯の種にとね。芝居小屋でやる納涼ものなどを今は書いておりますが、まぁなかなかうまくいかないものですな。」


 雄座は苦笑し頭をかいた。雄座の話を月丸は静かに聴いている。


「私は昨日あの桜が一瞬で満開になっているのを見ましたが、あれは何だったのでしょうか?私が幻でも見たのか、はたまた昨日宮司殿が成された所業なのか、お教え願うことは叶いませんか?」


 昨日の桜と月丸を目で行き来しながら雄座が尋ねた。その問いにふぅと呼吸をして月丸が答えた。


「月丸で結構。」


 雄座が何の事かと振り向いた。月丸もそれに気づいて、


「いや、宮司殿等と呼ばなくても結構ということです。そう呼ばれるのはどうもむず痒い。」


雄座が(ああ、)と頭を掻きながら頷いた。その雄座を一目して月丸が続けた。


「要は桜が咲いているように見えたか、或いは本当に咲いていたのか、と言う事ですな。」


 雄座が顔をしかめた。その姿が面白かったのか口元が笑いながら月丸は続けた。


「恐らくどちらであってもあなたにはあの桜の満開に咲いた花が見えるはずでしょう?」


「む」


「つまり神宮寺殿が見たもの…」


 そこで雄座が話を止めた。


「雄座で結構。呼び捨てて構いませんよ。」


 月丸は微笑み黙って頷いた。


「では雄座、あなたが見たものは現にそこにあったと思いますか?」


 その問いの意味が雄座に判らず黙って腕を組んで考え込んでしまった。月丸はふと微笑み続けた。


「現に咲いていれば私が妖術でも使って桜を咲かせて見せた。はたまた咲いているように見せる幻術でも見せた。」


雄座は時々頷きながら月丸の話を聞いていた。


「では自然に咲いたというのは雄座の中にはなかったかな?」


 雄座はその一言には腕を解いて月丸を見やった。


「この暑い季節に桜が咲くわけがない、それもあの瞬間に。宮司…いや月丸さんが何かをしたとしか思えぬではありませんか?」


 月丸が顔の辺りに人差し指を立てて雄座を制した。


「私も呼び捨ててもらっても構わない。」


 ふっと笑う月丸に雄座は軽く頷いた。


「雄座が見たものは真実だ。例えばそれが幻であったとしてもその場で雄座はそれを見ている。」


「やはり幻術だったか。」


 雄座が月丸の言葉に反応した。


「それがやはり咲いたものだとしてもそれもまた真実。」


 雄座は首を傾げた。その姿を月丸は楽しそうに眺めている。


「目に見えぬ真実などない。あるとしたらそれは自分が物の本質を見ようとしていないから、ということかな。」


 雄座はやはり首を傾げている。月丸もやはり楽しそうにそれを眺めお茶を含んだ。


「やはり判らん。俺は昨日確かに見た。それが幻術か事実なのかは判らない。」


「では簡単に説明しよう。」


 すっと月丸は草履を履き立ち上がった。雄座の前に立ち目の前に人差し指を立てた。


「よく見ていなさい。指先に焔が立つ。」


 そう言うと月丸の指先から青白い小さな焔が発った。燃えている。


「何と…これは真に妖術か。」


 雄座は驚き見入っていた。

 月丸はそのまま立ち上がると、そっと横の梅の木から小さな枝を一本折り、その枝を指先の焔に当てた。


「私が今雄座に見せているのは妖術…というよりも雄座の頭が見せているものだ。実際には焔などない。」


 焔に当てられた梅の小枝は燃えるどころかただその姿を変えることなく指先にあった。

ただの少しも火が燃え移っていない。


「私は貴方に暗示を掛けただけだ。焔が立つのでしっかり見るように…と。」


 雄座はむぅと小さく唸った。


「ではこの焔の本質をしかと見なさい。」


 雄座はまた月丸の指先をじっくりと見た。

 そこには何故だろうか。先ほどまで小さく燃えていた焔は面影もない。確かに先ほどは見たはずだが何もない。あるのは月丸の指先に当てられた梅の小枝。


「これは…どういうことだ。」


 完全に驚いている様子の雄座に月丸が口を開いた。


「これが貴方たち人間が言う法術や妖術の本質、真実と言うものだ。」


「さっぱり意味が判らん。」


「私は雄座には暗示という術を掛けた。焔が立つ…という暗示をね。そしてそれは効いていた。だが私は小枝には暗示を掛けなかったのだ。だからこの小枝は焔の中にいたわけではなく、ただ空気の中に、いつも通りにあっただけなのだよ。ならば燃える事はない。」


 雄座はただ黙って聞いている。


「そしてその逆も然り。」


 そう言うと月丸は先ほど折った枝を元の木と合わせた。


「おお」


 雄座が声を漏らした。先ほど月丸が折った筈の枝は当然のままと言わぬばかりに樹に付いていた。折られた跡など微塵もない。

「私は枝とこの樹に元の姿に還る様に暗示を掛けた。双方が同じ暗示に掛かったのだ。この双方にしてみればそれが誰かの手によるものであろうとそれが真実であり本質なのだ。

我らあやかしの術など簡単に言えばそんなものだよ。」


 言いながらまた雄座の隣に腰を下ろした。

 雄座はそれを目で追いながら聞いていた。


「つまり両方が同じ事を考えればそれが現実になるということか?」


 雄座の問い掛けに月丸は首を横にゆっくり振った。


「そういう訳ではない。物事の本質が対峙する同じ時間の中の真実と合ったときにのみそれが現実となる。ただそれだけだよ。」


 雄座にはもうさっぱりわからなかった。



「つまり…月丸は、物の怪はとりあえずそういう理屈を抜きにして妖術は使える、と言う事かな?」


 わからない頭で問答するにはもう質問が思いつかなかった。結局原点の質問である。

 その問いに月丸は笑いながら答えた。


「妖術と言うのは人が勝手に決めた言葉だ。確かに使えると言えば使える。だが人間にも使える人間はいるのであろう? 陰陽師や高野の高僧、言い換えれば妖術も真言や詔とさしてかわらぬということだよ。」


 やはり雄座には今一つ理解することはできなかった。だが何となくは判っていたようではあった。月丸は確かに人間ではなかった。

 そして人を食らうような悪しき者でもないということだけは判った。


「いや、やはり来てみて良かった。」


 自分なりに納得した雄座はふと一言漏らして湯飲みに口を付けた。


「次に来たとき本当に物の怪であれば喰われるやもとも考えた。」


 茶を一口飲み込み続けた。それを聞いた月丸が始めて声を出してクスクスと笑った。


「確かに物の怪は人を喰らうとあるが。実際に人を喰らう物の怪など果たして居るものやら。私みたいな妖霊何ぞは人と何ら喰うものは変わらんよ。あぁ……。」


 何かを言い掛けて月丸は雄座を見直した。


「ただ牛鍋だけはどうしても喰えんがね。どうも肉というのは気味が悪い。」


 雄座もこれには驚いた。そしてぷっと吹き出した。


「人は喰らわぬとはいえ、好き嫌いまであったとは。これはまた面白い。何にせよ牛も食えぬのでは人などは興味が出る筈なし。」


 月丸もあぁ、と雄座に釣られまた笑った。



 それからしばらく月丸は雄座の書き物について興味を持った。しばらく雄座に問いては雄座の説明を受け、

「人間とはまた何と想像力のあることか。」

と、感心していた。そしてすっかり西日が沈みかけた夕刻頃になっていた。


「さて、随分長い時間お邪魔したようだ。そろそろお暇するとしよう。」


 そう言って雄座は腰を上げた。


「おぉ、もう夕刻か。うん、こんなに楽しかったのはあまりに久しかったので、つい時間を忘れてしまった。引止めしてすまなかったな。雄座。」


 楽しかったと言う言葉は雄座には意外であった。妖霊である月丸が自分の想像の妖怪の話を楽しんだ。何とも不思議な気がした。しかし月丸はふと気になった事を口にした。


「楽しい事が久しかったと言ったが、そんなに普段楽しくはないのか?」


 雄座の質問にゆるりと立ち上がりながら月丸は微笑み答えた。


「ここには本来誰も来ない。私は常に一人で社を守ってきた。他人の話を聞く機会がそうそうないものでね。つい楽しくなってしまった。」


「月丸、貴方は一体どの位ここに…この社におるのだ?」


 雄座は気になった。一人で居るのは好きな雄座ではあるが、長い年月となると自分で想像しただけでも憂鬱になる。


「はて…正しくは覚えては居ないが、徳川がこの地に来る前にはもうこの社に居たと思うよ。」




 雄座の問いに答えると月丸は門の方へと歩き出した。その後を雄座はゆっくりとついて行った。

 門の手前で雄座が声を掛けた。


「一つまたあの夏桜を見せてもらえぬかな。

この暑い中あれだけ見事に咲いていた桜が目に焼きついてしまって。」


 雄座は昨日月丸が咲かせた桜を指差しながら言った。月丸も口に微笑が浮かんだ。


「喜ぶ人も珍しい。では、このようなのは如何かな?」


 そう言いながらまるで美しい舞を見るかのごとく月丸の体が一回転、くるりと回った。その瞬間、雄座の見ている前でそれまで青々としていた社の境内中の桜や梅、牡丹や皐がまるで季節など関係ないかのように色とりどりの美しい姿を現した。


「おぉ…」


 雄座からため息がこぼれる。それほど見事な風景であった。まるで桃源郷を思わせる見事な光景である。雄座がそれに見とれている姿を嬉しそうに月丸が眺めていた。


「また来てもいいかな?」


 雄座は景色を眺めながら月丸に尋ねた。

月丸は笑ってそれに答えた。


「では次は茶受けも用意しておこう。」


一時して雄座は鳥居を潜った。後ろを振り向くとやはり塀の上から見えるのは青い木々であった。




「何とも楽しい時間だったな。」


 来たときと全く違う気持ちで、来たときと同じ道を帰った。道に立つ瓦斯灯が揺らめき始め、まるで夕刻がいつまでも続くような橙色の道を雄座は口に笑みを含みながら帰路に着いた。


 雄座が家に帰り着いたのはもう煌々とした満月と星々が夜空を明るく染めていた。部屋の蝋燭に火を灯し縁側に出た。障子を開けると一瞬で月明かりが部屋を染めた。


 雄座は縁に胡坐に座った。そして部屋から持ってきた酒を湯飲みに注いで月丸を思い出しつつゆっくりと飲み始めた。虫の声が響き渡る静かな空間。雄座は人当たりのよい月丸の様な物の怪の物語を頭の中で考えつつ、酒と満月に酔った。


 その同じ月を月丸は社の、昼間と同じ縁に立膝に腰を下ろしその膝に肘を置き眺めていた。


「この社の結界を何とも意に介さぬとはなぁ…。何者かは判らぬが、何とも楽しい人間だ。また来てくれればうれしいのだが。」


 嬉しいような寂しいような気分であった。

 社の花々はまだ咲いていた。いや、月丸が咲かせていたのかもしれない。あまりに永く楽しみを知らなかった月丸は気兼ねをせぬ雄座が気に入った。


(また来ないか)


 そんな事を考える自分に気付き、ふと笑って手をすと上げた。すると境内の花々は本来あるべき季節の姿へと戻った。


「夏桜か。彼はうまいこと言う。」


 笑みを含ませて月丸は拝殿の中にすうっと消えていった。

 静寂に戻った社の中に数枚の桜の花びらが舞った。

 彼らの永い付き合いとなる初めての出会いの物語であった。


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