河童化け 捌
時は少し遡る。
あやめと二人で歩く橋の下。妖気どころか、命を感じない何かが蠢くのを月丸は感じていた。
(なんだ。割と直ぐに会えるものだ。)
そんな事を思いつつ、あやめにはゆっくり渡ろうと提案した。できればここで相手の正体を知っておきたい。
その矢先に足を掴まれた。月丸は千代から襲われた状況を思い出した為、敢えて橋の端を歩いていた。きちんと餌に食い付いてくれたのだ。しかしあやめの反応も早く、すでに小太刀でその手を切り払おうとしている。月丸は慌ててあやめにしがみつく。
「た、助けてー。」
小芝居をしながらあやめの手を抑えて小太刀を止めた。直ぐに小声であやめに伝える。
「どうやら川に引き摺り込む気だ。このまま捕まって、こいつらの隠れ家に連れていってもらう。拐われた娘もそこにいるだろう。」
そう言って手を離すと、足を掴む腕はするりと月丸を川に引き摺り込む。その刹那、自分を呼ぶ雄座の悲痛な声を聞く。
(ああ、雄座にも伝えていれば良かったが、暇がなかったし…。心配してくれているのか。悪い事をした。)
そう思いつつも、黒い影、河童もどきに掴まれたまま、水中を引っ張られている。夜の川。水中ではこいつがどんな格好なのかも分からない。月丸は目を閉じると、気でその者を感じ取る。
妖気はない。しかし、傀儡とするためであろう。術者とこの河童もどきを繋ぐ蜘蛛の糸ほども細い妖気を感じる。
この河童もどきは命をもたない。しかし、魂を拘束されている。どうやらこの者達も術者に命を取られ、死して魂を繋がれ、操られている。
月丸は心を河童もどきの魂に重ねる。
どうやらこの河童もどき。元は江戸前の漁師だったらしい。家族もあり、真面目に生計を立てていた様だ。この者達も海に引き摺り込まれ溺死している。引き摺り込んだ者から呪いを掛けられ、傀儡として操られている事が判った。
何より月丸が哀れと思ったのは操られたのは死ぬ間際、その時に傀儡となったため、その溺死の苦しみを魂はずっと味わっている。終わることのない苦しみと、それとは関係なく動かされる体。
(此奴らの主人は余程の悪趣味だな。)
助けてやろうと思った矢先、あやめの妖気が高まるのを感じた。あやめ達を襲った河童もどきを無に還すためであろう。しかし、あやめの技では体は消せても魂を呪縛から切り離せない。月丸は慌てて雄座の手に結んだ自分の髪の毛に妖気を込め、あやめの刃を止める。そして離れた場所へ髪の毛を媒体として術を放つ。河童もどきの術を打ち消し、その魂を解き放ち、安らぎを与えた。
(雄座の結界を解いてしまったな。まぁ、雄座が来るまでに片付けておけば危険はなかろう。)
僅かに水の温度が変わるのを感じた。恐らく、深く広い川に入ったのだろう。そしてすぐに河童もどきは川面に体を出し、石垣に開く穴に月丸を連れて入って行く。どうやらこの穴、人にその存在を知られぬ様、入り口を結界で見えない様にしている。穴に引き摺り込まれるついでに、月丸はこの結界を解く。
そして穴の中を引き摺られながらも辺りを観察する月丸。この穴は意外と深く続いている。それでも河童もどきに捕まった時から、妖気を溢している。あやめなら自分の妖気を辿り、ここを見つけてくれるだろう。そう思った。
ばちゃ
月丸の体は乱雑に地面に投げられた。着物に染み込んだ水のせいで、大きな音となり穴に響く。直ぐにびたびたと足音を立てて何かが近付いてくる。月丸の髪を掴み上げ、顔を覗き込まれる。月丸も顔でも拝んでやろう。そう思い、薄く目を開ける。
「何だぁ?こりゃあ、随分と上玉を捕まえてきたなあ。やるじゃねぇか!」
一頻り月丸を舐め回す様に見ると、月丸の後ろに立つ河童もどきに言い放ち、改めて月丸に目を向ける。
「ちょっと歳は若そうだが、これだけ器量がよけりゃ、暫くは楽しめそうだな。ぐふふ…。」
僅かな明かりにぼんやりとそれが見える。身体は六尺(約180cm)程もある。身体中に藻が体毛の様に生えていて生臭い。口元がくちばしの様に尖っている。
河童の特徴を持つ。しかし、河童は小さく、人と遊ぶことには積極的だが、元来怖がりな妖。こいつの様に自分の卑下た欲求を晴らすために女を拐うなど有り得ない。
(河童化けか。こいつ、河童を喰らいやがったな。)
月丸はこの亡骸を操り、河童もどきにして女を拐わせていた黒幕。目の前で自分を舐め回す様に見ているこの妖を「河童化け」と認識した。
昔から時々生まれ出た河童化け。河童に似つつも、その本質は似て非なる妖。滅多に生まれ出ないため、長きを生きる月丸も、一度も見たことがない。ただ一度、師である吉房から外道なる妖として聞かされたのを思い出した。吉房は妖の命を取らず、封印し邪気を祓っていた。そんな吉房に「殺してやるのが情けなり。」そう言わしめしたのが河童化けである。
「おいお前ら。そこの昨日の女はお前達にくれてやる。犯すなり喰らうなり好きにしろ。今日から暫くは俺はこの女で楽しめそうだ。」
思考を続ける月丸の耳に河童化けの声が入る。
その言葉で月丸の目は見開き、髪の毛を掴まれたまま、中腰の姿勢で河童化けに向けて手をかざすと、どん、と妖気を放ち河童化けを吹き飛ばした。そして後ろに立つ河童もどきにも手をかざし、ぼそぼそと呟く。すると河童もどきの体は緩やかに発光を始める。優しい光に包まれた河童もどきは光が消えるとともにその魂は解放され、消滅していった。
月丸は立ち上がり、暗い穴の中を見回す。今居る少し広く掘られたこの場所が、河童化けの住処に違いない。だからこそ、拐った娘も居るはず。月丸は上に向けた掌から光を放つ珠を創り出す。それを天井に投げ付け固定した。
明るくなった洞窟内の光景は、月丸の表情を不機嫌にした。
壁際には拐われた女達であろう。既に白骨化した亡骸、つい最近亡くなったであろうまだ娘の姿を残した亡骸、数十もの亡骸が無造作に打ち捨てられていた。どれも着物を纏っておらず、死ぬまでこんなところで慰み者にされたのだろう。
死屍累々たるその中で、僅かに生の気配に気付き、駆け出す月丸。その女はやはり乱暴を受けたのだろう。服は剥がされ、全身は傷だらけ。月丸が抱き上げても虚な表情のまま体も脱力している。
「姐さん…しっかりして。」
月丸が呟く。
「……千代…逃げ…て」
佳乃で間違いない。生きていた。
月丸は術により千代の姿声を模した。佳乃には見えていなかった様だが、声に反応した。
月丸はすぐさま側に捨てられていた着物で佳乃を包む。静かに横に寝かせると、二度と河童化けに触れさせぬ様、佳乃の周りに結界を張った。
月丸に吹き飛ばされた河童化けはまだ動かない。先程月丸が放った妖気は、分身のみではあるが、苛立ちから手加減はしていない。そう簡単には動ける様になるはずはないが、月丸は倒れる河童化けに、その存在を消し去るため再度妖気を放った。すると、先程までピクリとも動かなかった河童化けが、月丸の妖気が当たる刹那にひょいと起き上がりそれを避け、月丸の妖気は洞穴の壁に大きな穴を開けた。
「ほほう。小娘と思っていたら、何と妖の類かよ。こりゃ楽しんでも良いし、喰ろうても良い。本当の上玉だ。」
卑下た笑いを浮かべながら河童化けが言う。最初の月丸の妖気を受けても、まるで何ともない様子。月丸自身も違和感を感じる。
佳乃に与えた結界により、月丸の妖気が著しく低下している。二度目に放った妖気も、思った程の力が出ない。この洞穴に何かしら河童化けを守る術が張られていたのかとも考えたが、しかし、その気配を月丸は感じなかった。
何故かは判らないが力の低下を河童化けに悟らせないため月丸は口を開く。
「お前、河童化けであろう。随分と女に執着している様だな。元は人だろう?それなのに随分と酷いことをする。」
自らを河童化けと当てられ、ぐふふと嫌らしい笑い声を上げる。
「おうよ。元は人だ。あの頃は女を抱きたくても金もなければ器量もねぇ。女共は俺の事を笑いやがった。それがどうだ?今じゃ許して助けてと叫びながら、俺に死ぬまで犯されるんだ。楽しいぜぇ。河童を喰らって良かったぜ。」
河童化けの言葉を聞きながら、自分の中で不快な感情が膨れ上がる。昔、吉房に聞いたとおりの外道だ。そう思う月丸。
不快な気分になるくらいなら、さっさと消滅させてしまおう。そう考え、月丸は口元に指を当てると、静かに術を唱える。そんな月丸を無視して、河童化けが言葉を続ける。
「今まで忌々しい天狐のせいで暫く動けなかったからなぁ。今までこそこそしていた分、楽しんでやる。」
言い終わると同時に黙したまま月丸が口元の指を河童化けに向ける。
その術は妖霊が使いこなす雷の力で何者をも焼き尽くす強大な術である。
そのはずであったが、河童化けの体の周りをぱちぱちと小さな音を立てて術は消え去った。表情を変える事なく、自らの妖気の低下に驚く月丸。
「お前みたいな小娘の妖の術が効くかよ。だが、生きが良い小娘も嫌いじゃねえ。死ぬまで可愛がってやろう。死んだら喰ってやるから心配すんな。」
そう言いながら薄笑いを浮かべ、月丸にゆっくりと近付いてくる。月丸は妖術が何らかの影響で封じられたと認識する。ならば力を戻すための方法が判明する間を持たせる必要がある。
「その様ね。私もそれなりに高位の妖だけど、あなたには敵わないようだわ。どうやってそこまで力を付けたの?河童を喰らっただけではそこまで強くはなり得ない。」
女に執着する河童化けの気を引くため、女言葉で語りかける。月丸の思惑通り、河童化けが応じる。
「河童を捕まえたついでにな。最初に捕まえた河童を人質に助けに来た河童三匹、合計四匹を喰ったのよ。その後はお前みたいな弱い女の妖を嬲って喰ってを続けて、力を増していったのよ。」
そう言うと、不快な笑い声を上げる。静かに聴きながら眉間に皺を寄せる月丸。しかし自分の力が戻った感覚もない。何とか話を引き伸ばしながら力が戻るのを待つしかない。
「同じ妖として、可哀想とは思わないの?」
月丸の問いに更に高笑いする河童化け。
「俺ぁ元々人だぜ。妖に情けなんざ持たねえよ。今は妖だから人にも情けなんかねぇがな。」
既に河童化けは月丸に手が届く位置にある。尚も月丸は言葉を続ける。
「先程の屍。あれもあなたが殺して傀儡にしたのね。河童化けにそんな術があるとは知らなかったわ。」
「おうよ。一々女を拐いに行くのが面倒でな。その辺の漁師を引き摺り込んで操ってやった。河童には出来ねぇ芸当だ。もし天狐みてぇな奴が現れても、俺が見つかることもないしな。」
自らの快楽のためだけに生きるこの者を生かしておくわけにはいかない。話をしている間、溜めていた妖気を一気に解き放つ月丸。それはほんの一瞬、強い妖気を発して、河童化けを驚かせる。だが直ぐにその妖気はまるで月丸の中から消え果てたように弱くなって行く。
(これはどうしたと言うのだ?結界の類は張られていないのに力が戻らぬ。)
河童化けに腕を掴まれ、不快な表情を浮かべる月丸。
「何だ…驚かせやがって。ほら、もう良いだろう。いい加減俺も我慢ができねぇ。そろそろ大人しくしろや。」
そう言うと河童化けは月丸の帯を引きちぎった。着物がはだけ、自分への結界すら張れなくなっている事を理解する。分身ではこの河童化けに力では勝てない。佳乃に与えた結界は強く残っている。これならば自分が消えても佳乃は守れる。
女に見せるために桜の若枝を依代とした。若枝にはすまないが、分身を解けば、不快な思いをしなくて済むが、雄座とあやめが来た時、ここの不可解な妖力を抑え込まれる原因がわからなければ、二人も危ない。ならばその原因を探る時間を作るしかない。通常のあやめなら、河童化け如き塵を払うよりも容易に消してしまうだろう。
「急に大人しくなったな。やっと観念したか。」
口を横に広げ、一段と卑しい笑いを浮かべる河童化けを月丸は睨みつけ言い放った。
「何の罪もない者を弄ぶ外道に観念する道理はない。お前は俺が滅してやる。覚悟しておけ。」
月丸の言葉に苛立つ河童化け。月丸を掴んでいる左手を強く握り、腕を振りかざし、月丸の頬目掛けて拳を振るった。