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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第四幕 河童化け
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河童化け 肆

 ゆっくりと目が開く。体の感覚は柔らかく布団に包まれている。いつもの朝だったか、あぁ、随分と日が昇っているよう。寝坊するとまた姐さんに怒られるな。早く起きないと……。踊りの練習をすると言っていた。あれ?昨日はどうやって帰ったのだろう?






違う。





 ガバッと布団から跳ね起きる。一気に汗が噴き出す。


 夜の事を鮮明に思い出した。


 佳乃姐さんとお座敷から帰る橋の上。自分の足首を掴んだ濡れた大きな手。そして橋の下からゆっくりと現れる大きな黒い化け物。


 自分を逃がそうと化け物に挑んで行った姐さん。



 自分は逃げてしまった。





「どうしようどうしよう……姐さんが……姐さんが……」


 震える手で頭を抱える。動悸が激しく息が苦しい。助けに行きたいが、恐ろしい。どうして良いか判らなくなった刹那。


 ふわりと不意に抱擁を受けた。


「落ち着きなさい。もう大丈夫だから。」


 背中を優しく叩かれながら聞こえてくる声に、堰が切れたように大声で泣き崩れた。泣いている間、ずっと優しくとんとん、と背中を叩かれる。どれくらい泣いていたのか。張り詰めた気が切れたのか、泣き疲れたのかは判らない。再び眠りにつく。








 月丸は眠る娘の額に光る汗を拭う。余程気に掛かっていたのだろう。眠っていても冷や汗が止まらない。時々うなされるこの娘の汗を拭い、うなされればとんとん、と胸に手を置いた。


 雄座と分身を送り出してから、月丸はずっと娘の看病をしていた。しかし、分身の見たもの、聴いたもの、感じたものは全て月丸も感じる事であり、時々クスクスと笑っていた。娘も一度は目を覚まして取り乱したものの、眠りの中、やっと落ち着いてきたようで、呼吸もゆっくりとなっていた。一時が流れ、再度、娘がゆっくりと目を開けた。


「目を覚ましたようだな。」


 月丸が声を掛けると、ゆっくりと娘の顔が月丸に向く。


「ここは?」


 娘の言葉に月丸が優しく語る。


「銀座の小さな神社だ。私は宮司の月丸という。もう大丈夫だから、安心しなさい。」


 「大丈夫だから。」その言葉に、先程自分が取り乱した時に優しく包まれていた事を思い出す。月丸の姿にぼぅっと見惚れる娘に月丸は言葉を続ける。


「覚えているかは判らないが、お前さんは私らに助けを求めてきた。お前さんの姐さんも、可能であれば今夜助けてあげられるかもしれぬ。」


 月丸の話を聞きながらゆっくりと体を起こす娘。それに合わせて月丸は娘に湯呑みを差し出した。


「嫌だろうが昨日の夜の話。聞かせてはもらえんだろうか。詳しく聞けば、お前の姐さんを攫った者も分かるかもしれん。」


 月丸に湯呑みを手渡されると、一口お茶を飲み喉を潤した。そして娘は大きなため息をこぼし、語り始めた。




 娘は佐野千代子さのちよこと名乗った。新橋で芸妓をしているという。攫われたのは北村佳乃きたむらよしのという姉弟子であった。


 昨日は座敷から帰る途中であった。河童なんぞの噂もあるので、佳乃から大通りに出ようと提案された。ただどうしても三十間堀川は渡らなければならず、一番近かった木挽橋を渡ろうとした。

 その時にあの恐ろしい化け物に襲われたのだという。


 橋端から千代の足を掴んだのは大人の男程もある大きな手。そして這い上がってきた河童はやはり千代や佳乃よりも頭二つほどの身の丈であったという。

 夜も遅く、雲もかかっていたため、はっきりはその姿を見ていないが、身体中から毛のようなものが生え、泥のような、腐った水場のような嫌な臭いが立ち込めた。


 千代は恐怖で体が動かなかったが、佳乃は千代を守るため、千代の足を握る河童の腕に向けて三味線を思い切り振り下ろした。千代の足から手が離れると、佳乃は自ら化け物の前に立ち、千代を逃した。千代は人を呼ぼうと走ったが、恐怖で目の前が真っ暗になり、そこからの記憶がないという。


 ふむ、と話を聞いていた月丸は千代に優しく語る。


「お前さんが気を失う前に、私らに姐さんを助けてほしいと言ってきたのだ。そこで気を失ったのだが。すぐに木挽橋に行ってみたが、お前さんの姐さんも、化け物も居なかった。」


 千代の目に瞬く間に涙が溜まる。


「本当なのです。信じてください。本当に河童が……」


 千代の言葉を制し、月丸が笑みを浮かべて頷く。


「大丈夫。信じている。今晩、その河童もどきを捕まえてやる。今俺の友が準備をしているところだ。夜になるまではどうにもできない。それまで待っていてくれ。」


 そういうと月丸はゆっくりと立ち上がった。


「取り敢えず食べられる物を拵えてこよう。お前さん、眠りぱなしで何も食ってはおらんだろう。」


 月丸は食事の準備のため、拝殿から出て行った。千代は一人、佳乃の無事を祈るしかなかった。








 


 同じ時刻、伊勢谷百貨店。


 伊勢谷の建物に入ると、通路の両脇に様々な店が並ぶ。本来、店は家屋であり、そこに専門の何某を客に売る。銀座通りの店々もやはりその通りであった。なので賑やかに通路の両脇に時計屋や洋酒や洋服、薬などの店が並ぶ姿は月丸にとって新鮮であった。


「まるで祭りのような雰囲気だな。」


 月丸は伊勢谷の賑わいに目を丸くする。キョロキョロと辺りを見回す月丸の横で、雄座は店の前に立っていた貴金属店の女主人に捕まっていた。


「西洋人形みたいに綺麗な娘だねえ。どこの国の子だい?これだけ綺麗だと着物も似合うねぇ。」


 などと月丸の事を言われる。月丸が動きを止めると、何故か雄座に道行く者から声が掛かる。分かってはいたが、月丸はこの人混みの中、大いに目立っていた。恐らく、その見た目から外国人と思われているのか、直接話しかける者は居ない。その分、興味を埋めるために同行する雄座に声が掛かってしまう。雄座はそんな見知らぬ者の興味にのらりくらりと適当な返事で対応している。


「雄座。娘が目を覚ましたぞ。」


 スタスタと雄座の元へ駆けてきた月丸に言われ、言葉の意味を解しない雄座。返答に困っている雄座の姿に、月丸も、あぁ、と声を漏らし語を続ける。


「拝殿に寝かせていた娘だよ。千代と呼ばれているらしい。これからちょっと昨日の話でも聞いてみるよ。」


 

 そう言う月丸を改めてまじまじと見つめる雄座。そういえばこの月丸は分身であった。本当の月丸は社で娘を看病している。あまりに分身の自然な動きや言葉に、てっきり月丸の意識は分身にあるのだと思っていた。それが、感覚や認識を共有したまま、別々に動いているのだとすると、妖霊とは何と凄いのか。つい口から溢れる。


「銀座を歩きながら看病するとは、器用なものだ。」


 月丸も笑って答える。


「妖霊だからな。」


 明快な回答に雄座も笑うしかない。


「じゃあ、飯でも食いながら聞こうか。」


 歩きながらだと周りの好奇の目も有るので、飯屋にでも入って娘の話したことを月丸から聞くことにした。どうせ飯を食うなら、月丸に洋食でも食べさせようと、雄座は百貨店に入る洋食屋に足を向けた。



「あら。雄座さん?」


 前から歩いてくる娘に通りすがりに声をかけられる。雄座と月丸が声の方を見ると、白い細やかな刺繍の入ったワンピースに身を包み、風呂敷包みを大事そうに抱えるあやめであった。


「お久しぶりですね。雄座さん。こんなところでお会いするなんて。」


 すたすたと笑顔で歩み寄ってきたあやめは以前銀座であった時のような気軽さであった。久しぶりに見るあやめは本当に天狗の娘なのだろうかと思えるほど、人にしか見えない。ただ、相変わらず、人よりも器量が良いため、こうして通路の端で話していても、通行人の目を集めていた。更に月丸も雄座の隣でにこにこと立っているため、徐々に足を止めて二人を眺める通行人まで出てくる始末。


 雄座としてはそもそもあやめを探しに来ていたので、こうもあっさりと見つかったのは運が良い。早々に二人を連れて洋食屋に逃げ込む事にした。


「やあ、あやめさん。元気そうで何より。実は君を探して月丸とこの辺りをウロついていたんだよ。今から食事に行くんだが、良かったらご一緒してもらえないか?」


 雄座の言葉に、「私を探して?」と疑問の言葉をこぼしつつも、辺りを見回すあやめ。


「何か御用が?それは構いませんが、御妖霊はどこに?」


 月丸の分身をあやめは知らない。幼な子の姿の月丸を、あの社で見た妖艶な美しさを持つ妖霊と同一に見ることができなかったのであろう。しかし雄座の側に立っているので存在には気付く。


「あら。なんて可愛らしいお嬢さん。雄座さんのお連れの子、外国の子かしら? フランス人形みたいだわ。」


 そう言いながら目線を合わせるために月丸の前にしゃがむあやめ。


「日本語はわかるかなぁ?お名前を聞かせてくれる?」


 優しく語るあやめに、月丸も苦笑いを浮かべる。


「この姿は初めてだったな。天狗の娘。俺が月丸だよ。社から出られないので、分身となって雄座と一緒にお前さんを探してたんだよ。」


 月丸の言葉を聞き、目を丸くするあやめ。助けを乞うような視線を雄座に投げかける。その視線に答える雄座。


「こんなだが、月丸だよ。外国人じゃないから心配しなくていい。」


 見当違いな回答をする雄座に構わず、うんうんと頷く月丸をただ驚いた表情で眺めるあやめであった。





 少しの後、三人は洋食屋の連歌亭れんがていのテーブルに座っていた。三人の座る席は、衝立で他の客から見えないようになっていた。店に入るなり、美しい娘とブロンドの髪の愛らしい少女に店内の客から一斉に注目が集まる。特に金髪の西洋人形のような少女は外国人であろう。店主としては自分の洋食を外国の者に美味しく食べてもらいたい。それには静かな空間が必要と、勝手に気を回され、店の端のテーブルに案内されると、周りを屏風で囲われた。

 勝手を知らない月丸は特に気にしていない。あやめも周囲の好奇の目に晒されなくなり座るなりふぅ、と一息ついた。店主は雄座に、


「これでごゆっくり頂けるかと。」


 と声を掛けると、雄座も好意に感謝した。入るだけであれだけ注目されたのだ。そんな環境では何を食べても旨くない。目立つ二人を連れる雄座には店主の気遣いが有難い。

 安堵する雄座にあやめは、あっ、と思い出したように話しかけた。


「雄座さん。有名な文士さんだったんですね。ほら、さっき上の本屋さんで買ったんですよ。店主も言ってましたよ。有名になってきてるって。」


 そう話しながら風呂敷から先ほど購入した朧御伽草紙を取り出して見せた。そんなあやめに雄座は苦笑いを浮かべる。


「有名でもないよ。朧御伽草紙それも殆ど売れなかったんで、僅かに初版が出ただけで。寧ろよく未だに店に置いてあったのが驚きだ。」


 そういうと雄座は頭を掻いた。この本は芝居小屋でる納涼物の話を作って欲しいと言われ書いた短編をまとめたものである。当初、芝居のために書いたため、雄座としては本にするには満足いくものではなかった。そのため、あやめに褒められ、ありがたいのか不満なのか、複雑な心持ちとなった。

 そんな雄座を察したのか、月丸が早々に話を切り替えた。


「あやめ。実はお前さんに頼みたいことがあるのだ。」


 月丸の言葉にあやめは本を横に置き、月丸に向き直る。


「そう言えば先程も仰ってましたね。何用でしょうか。」


 うん、と頷くと月丸は昨日の件を一通りあやめに話して聞かせた。そして先程目の覚めた千代から聞いたことを二人に聞かせる。正義感の強いあやめは終始、真面目な表情で月丸の言葉を聞いていた。




「成る程……。河童ですか。」


 あやめの呟きに月丸はうん、と頷く。


「そこで、天狗の姫として実力もあり、正義感もあり、きっとその娘の力になってくれそうなお前さんの力を借りたくてな。」


 月丸の言葉に雄座も続けた。


「あやめさん。あなたはこの地に住まう人も妖怪も守ってくれると言っていた。河童を放っておくと、また被害に遭う娘が出る。どうか力を貸してくれないか?」


 雄座の言葉にあやめは少し考える素振りを見せた後、月丸に問うた。


「御妖霊。それって、本当に河童ですか?」


 あやめの問いに月丸も肩をすくめる。


「千代という娘を見つけてすぐに俺と雄座で木挽橋に行ったが、一切妖気がなかった。柳も[黒く大きな人形]と語っていたが、まぁ、分からんな。」


 月丸の言葉に、うーん、と考え込むあやめ。どうやら会話について行けていないのは自分だけらしい。そう考えた雄座は疑問を口にする。


「河童ではないということか?」


 

 その言葉にあやめが頷く。


「河童って、凄く弱い妖怪なの。たとえ河童が襲ってきても大人の女の人でも勝てるわ。それに元々穏やかな種族だからね。

 それに、どんな弱い妖怪でも、行動した後には特有の妖気が残るの。妖気それを完全に消すなんて、上位の妖にしかできないわ。今の御妖霊のように。」


 そう言いながらあやめの視線は月丸に向いた。釣られて雄座も月丸を見る。二人に見つめられて月丸は苦笑いを浮かべた。


「今の俺は花を依代としているから、妖気が出ていないのだろう。気にするな。」


 困ったように答える月丸にあやめもふっと笑顔を見せる。


「分かりました。いずれにしても人に仇なす妖を放っては置けません。微力ながらお手伝い致します。ただ、一度戻って主人に話しませんと……。」


 雄座があやめの言葉に反応する。


「あやめさん。誰かに仕えているのかい?」


 雄座の言葉にあやめはコクリと頷いた。


「今は神田財閥の一人娘、和代様の従女をしております。この本も和代様から頼まれたのですよ。」


 へぇ、と驚きの声をあげる雄座。そう言えばあやめと初めて会ったあの夜に、天狐の力を宿す和代を守る役を月丸に願い出ていたのを思い出した。成る程守るなら常にそばにいた方が良いのであろうが、まさか、天狗が従女として人に使えるとは、雄座も思ってもみなかったことであった。

 あやめは言葉を続けた。


「今日も、和代様に必要だから銀座にいるように言われたの。恐らく、御妖霊や雄座さんが探しているのを予見していたのでしょう。」


 そうこうしていると、料理が運ばれてきた。肉を食べられない月丸にはジャガイモのコロッケを注文していた。初めて見る料理と、箸ではなくナイフとフォークを渡されて困っている月丸。そして月丸にナイフとフォークの使い方を教えているあやめの姿は、あまりにも人のそれであり、妖霊だとか、天狗だとか、人だとか。そんなものはどうでも良いのかもしれない。雄座はふとそんな事を考えた。





 

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