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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第拾伍幕 ひんな
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ひんな 伍

 その後暫く、雄座と月丸はビアサロンで一時を過ごした。月丸の昔話に雄座がふむふむと聞き入り、月丸は雄座の思い描く新しい物語の一部を聞いて心躍らせた。楽しく時間を過ごしていたが、同時に岸川が店を出るのを待っていたのもある。

 あいにく、岸川は店じまいまで居座ることとなり、雄座達も当然、店員に閉店を告げられるまでサロンにいることとなった。


「さて、暫くは待つしかないな。」


 月丸は歩きながら伸びをしながら言う。


 岸川は店を出た後、迎えの車数台で芸者とともに日本橋の方へと走り去っていった。相手が車では追うこともできず、放った式神を頼りに二人はのんびりと日本橋方面へと歩いていた。


「うむ、そうだな。ならば少し先に行くと東京駅が見える。そこで少し休憩しないか?」


 吞み過ぎたのか、雄座の疲弊した顔を見ながら月丸は笑って頷いた。

 すぐに右手に東京駅。左手には内堀を挟み宮城が見える。広く見渡しの良い通りは普段であれば人が溢れるが、土岐は既に零時近い。二人の他には宮城の警備を行う警備員が遠くに歩いている程度である。さらさらと街路樹の枝が風に流れる音、時々内堀で魚が跳ねるのだろうか、びちゃんと水のはじける音。そして遠くを走る車の音。まるで月丸の社にいるような静けさであった。雄座はふう、と街路樹の柳を背に座ると一息ついた。


「少し飲みすぎたな。岸川さんがまさか閉店まで居るとは思わなかったな。」


 そういう雄座に月丸が応える。


「無理に飲まんでもよかっただろうに。」


 月丸の言葉に雄座が申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる。


「いや、岸川さんを待つのはいいが、やはり月丸(おまえ)と吞んでいると楽しくてな。つい過ぎてしまったようだ。」


 そう言われては月丸も苦笑いを浮かべるしかない。さて、空を見上げると月がはっきりと見える。その月は昨年出来上がったばかりの東京駅の西洋風レンガ造りの見事な姿を映し出している。


「東京駅。きれいなものだな。あのような建物を作るのだから人は大したものだ。」


 月丸が呟く。その呟きに誘われ雄座も東京駅に目を向ける。


「なぁ月丸。外国にはあのような建物がそこかしこに建っているのだ。日本が徳川の世であった際には外国では既にこの銀座のように自動車が走って、ビールを飲んで、列車が走っていたんだ。そう考えると確かに世界の人はすごいよな。」


 雄座は言葉を続ける。


「いつか、外国の景色をこの目で見てみたいものだ。その時はお前も一緒に...。」


 最後まで言い切らぬまま、雄座はかくりと首を落とし、寝息を立て始めた。その姿に月丸は微笑むと、雄座の肩を担ぎ、とんと大きく跳ね上がり、建物の屋根を伝って社へと戻った。



「う...ん?」

 次に雄座が目を覚ましたのは、社の小屋の布団の中であった。

 ゆっくりと体を持ち上げると窓を見る。まだ外は暗いようであった。そのままごそごそと懐を探ると、懐中時計を取り出す。時間は間もなく四時になろうとしていた。


「そうか、うっかり寝ちまったか。」


 頭を掻きながら布団から這い出ると、拝殿の濡縁に膝を立てて座り月を見上げる月丸がいた。

 雄座に気付き、にこりと笑みを浮かべた。


「おう。起きたか雄座。ゆっくりと寝ていてもよかったのだぞ。」


 そう言う月丸に雄座は頭を掻きながら歩み寄る。


「すまん。ちょっと酒が過ぎたようだ。岸川さんの呪を解かねばならんのに、うっかり寝てしまった。ゆっくりと寝ている場合ではないのにな。」


 苦笑いを浮かべる雄座。

 微笑み返し月丸がいう。


「明日でも良いのだぞ?眠いのではないか?」


 雄座はその言葉に首を振る。


「岸川さんは俺と何も関わらない人だが、呪により知らぬまま命を削られているのであれば、早々に助けてやりたいではないか。行こう。これから。」


 雄座の言葉に月丸は頷いた。


「本当にお節介な奴だなぁ。まあ、雄座らしい。」


 月丸はそう言うと懐から短い木の枝を出し、ふわりと投げ、そこにもう一人の月丸を現した。


「さて、行こうか。」

「ああ。行こう。」


 そうして二人は再び社を出た。


 既に月丸の放った式神により呪の元は判明している。

 月丸は雄座を背負うと、ひょいひょいと建物の屋根を蹴り、跳ねて行った。


 すぐに銀座、日本橋と超えて浅草橋へと着く。この辺りは高い建物も少なくなったためか、月丸はすたりと地に足をつけ雄座を下ろした。


「ここをもう少し川沿いに行ったところだ。」


 月丸の指差す方に雄座が目を向ける。

 民家に隠れているが、隅田川沿いであることは分かる。


「浅草橋か。」


 周りを見ながら雄座がいう。

 浅草橋は向島と浅草を繋ぐ橋の名を由来として、その一帯を浅草橋という。

 問屋街や宿場、酒場が並び、隅田川から伸びる小川に漁の船や運搬用の船がどこそこに浮いている。昼間であれば銀座ほどではないにしろ賑やかに栄えた街である。

 無論、今は夜明け前の静かさが辺りを包む。


「ここら辺だと漁師も多いと聞く。漁師は朝が早いからな。見られぬよう早めにすませたほうが良いかも知れぬぞ。」


 雄座の言葉に月丸は頷くと、先ほど指差した方へと歩き出した。


 五月とは言え、夜明け前そして隅田川からのひやりとした風に、雄座もすっかりと目が覚める。ぶるりとひと震えすると、月丸に尋ねる。


「なあ、呪とは一体何なのだろうな。」


 雄座は気になったことを口にした。


 以前聞いた月丸の昔話でも陰陽寮の術者たちが呪を用いていた。つい以前に出会ったまくらも呪を用いて人の侵入を避けているようであった。

 「のろい」と言えば、呪い殺すなどと言われるように何かしら害するための技術なのだろうが、雄座にはその仕組みがわからない。妖怪も使うが人もまた呪を使う者もいる。妖怪だけの力ではないのは分かる。

 月丸は「しゅ」と言う。呪いとはまた異なるものなのであろうか。

 月丸の背を追いながらそのようなことを考えていた。


 雄座の問いに月丸が歩を進めながら応える。


「はは。気になったか。呪はその者の念を形にする為のものだよ。」


 月丸が言うには、呪とはどんな目的であれ、使う者の念を具現化させる術だと言う。それは良きことも悪きことも、その術さえ知っていれば誰でも使える。だが、呪を成就させるには余程の強い念を持たねばならない。

 例えば、古来よりの呪法であれば、他人の命を奪うような術は昔話でも聞かれる。

 それはその者への恨みや辛み、憎しみという強い念から生み出されるものである。その念はやがて力を増し、何かをきっかけに具現化し、念を成就させる。そのきっかけとしてよく言われるのは、地面に生き物の亡骸を封じ、その生き物の恨みすらも糧とし、きっかけとして念を破裂させ、その地面を踏んだ者の命を奪うといったものだ。

 また逆に、誰かを助けたい、などといった強い念もまた、呪となる。

 例えば、崖から落ちた者を救いたいと手を差し伸べたとする。助けたいという念が強ければ強いほど、その念は具現化し、手を差し伸べた者の力を必要以上に高めることもできる。そちらは火事場の馬鹿力などとも呼ばれて、到底呪とは全く別物として捉えられている。

 そうなれば悪き事が呪であるといつしか拡がっていったのだ。

 要は想いの強さである、月丸はそう言った。


「雄座、お前も知らぬ間に呪を使ってあったのかも知れんぞ。」


 月丸の言葉に雄座が首を傾げる。自分にはそんな強い念を持つ事がないと思ったからだが、


「文士になりたいと言う幼き頃からの思いが、やがて念となり、文士となる為の環境を知らずに呪を使って作っていたかもしれんぞ。」


 月丸はまるで冗談のように笑ったが、雄座は過去を振り返り押し黙る。

 文士になる為、父は送り出してくれた。金子子爵の世話にもなる事ができ、東京で過ごせた。出版社や新聞にも偶然にも繋がりを持つ事ができた。月丸と出会い妖怪を知れた。物語にもできた。

 何一つ欠けては今の雄座は居ない。物書きになりたいと強く願っていたが、まさか知らぬ間に呪として偶然を集めていたのではないだろうか。

 そうなれば、今まで書いてきて評価されてきたものは実力ではないのではないか?


「冗談だよ。そんな事で呪が放たれれば、誰でも使っているだろう。人ならば余程修行したものでなければ使えはせんさ。今のお前はお前自身の努力の賜物だよ。」


 そんな月丸の言葉も不安そうに黙りいろんな事が頭をよぎっている雄座の耳には入らなかった。

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