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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第四幕 河童化け
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河童化け 弐

 社に戻ると、本物の月丸が出迎えた。たたたと月丸の元に掛けていった分身の頭を撫でると、淡い光を放ち元の花に戻った。月丸はその花を咲いていた場所に残っていた僅かな茎に重ねると、青く小さな花は何事もなかったかのように摘まれる前の姿になっていた。


 天狐の時の分身は神田男爵の家で力尽きたため元に戻せなかった。月丸があの時呟いた「花に悪いことをした。」その意味が雄座にも理解出来た。

 月丸は例え草花であっても命を奪うことを良しとしないのであろう。しかし先ずは河童である。


「直接捕まえると言っていたが、何か手立てはあるのか?」


 花を戻し立ち上がる月丸に雄座が問う。


「夜の一人、二人で歩く娘があの橋を渡ると河童のような者が現れるなら、明日の夜でも俺が歩いてみようかと思ってな。以前雄座も言っていただろう。俺も人の娘には見えるのだろう?」


 些か人離れした美しさではあるがな。そうは思いつつ、口には出さない。ただ、分身となった月丸の見た目は幼い。年頃の娘を襲う妖怪とするなら幼い月丸が歩いたところで現れるかも怪しい。雄座はそう考え、一つの提案を出す。


「月丸自身が行けば、まあ、現れるやもしれんな。だが、分身は子供のようだし、それこそ子供と思われて現れなければ意味がない。そこで頼りになる若い娘がいる。その娘に頼んでみよう。」


 月丸もなんとなく察したらしく、あぁ、と手を叩く。一先ずは明日にしようと雄座も社に泊まることにした。月丸は芸妓の娘を看病すると言うので、雄座は離れの座敷に布団を敷き眠ることにした。


 雄座は布団に入り、河童のことを考える。昔から言われる河童の姿は全身緑色であったり赤色であったり。背には亀のような甲羅で覆われており、頭には皿がある。頭の皿が乾いてしまうと、その力のほとんどが出せなくなると言うので、古来から河童に相撲を挑まれたら、試合う前に頭を下げて礼をすると言う逸話もある。頭を下げて礼をすると、河童もつられて礼をするため頭を下げる。すると頭の皿の水が溢れてしまい、力が出せないのだと言う。そんな間の抜けた逸話も有りながらも、やはり人を川に引き摺り込み、溺れさせると言った恐ろしい逸話もある。

 今回の河童がどのような者であるか、明日には分かるであろう。芸妓の娘が姐と呼ぶ者も生きていることを祈りつつ、雄座は眠りに入った。





 翌朝、日の出とともに起き出した雄座は拝殿へと向かう。


「早いな雄座。まだ寝ていて良かったのだぞ。」


 娘はまだ起きていないようだ。絞った手ぬぐいを娘の額に置きながら月丸が雄座に顔を向ける。


「まだ目が覚めないか。」


 娘を見ながら雄座が呟くと、月丸が頷く。


「余程怖かったのだろうな。だが、助けを求めるまで気を張っていたのだ。余程頑張ったのだろうよ。」


 ふむと頷くと、雄座は拝殿を出る。月丸も立ち上がり雄座を追う。


「あの娘を連れてくるのであろう?居所は判るのか?」


 そう尋ねる月丸に雄座が笑いながら答える。


「想像もつかん。だがあのハイカラな娘さんの事だ。銀座を探せば居るだろうよ。月丸、お前なら妖気を感じられるのだろう?一緒に行かないか?」


 雄座の何気ない言葉に目を大きく見開く月丸。昼間の、賑わいのある銀座を見られるかも知れないという好奇の目を雄座に向ける。


「成る程。妖気で探すか。確かに見つけ易いかもしらんが、俺が一緒で良いのか?」


 月丸の問いにうん、と頷く雄座の前を通り過ぎ、月丸はいつもの動作で足元の花を摘んで分身を作り出した。花は淡い光を放ち、いつもの幼い月丸の様な姿形に変わる。その月丸の分身を見て雄座が驚く。


「月丸、もしかして黄色い花を分身にしたのか?」


 雄座の驚く理由がわからず、首を傾げながら答える月丸。


「ああ。俺の分身になってもらう草花は元気のあるものでないと、枯れてしまうのだよ。今最も元気に咲いていたのがこの花だったのでな。何か問題があるのか?」


 月丸は見た目など気にもしていないが、雄座から見ると、美しく輝く金色の髪に少し赤みがかった金の瞳。分身となり幼くなってはいるものの、整った顔立ち。これで翼でも生えていれば、もはや西洋の宗教画にでも出てきそうないで立ちである。加えて淡く黄金の装束は、当然町に出れば注目を集めそうなものである。注目されるのは苦手な雄座であるが、人の目を気にしている場合でもないだろうと諦め、月丸の言葉に「問題ない。」そう答えるしかなかった。


 そんな雄座を他所に、月丸が笑みを溢す。


「実は人が賑わう街を歩くのも随分と久しくてな。不謹慎ではあるが、ちょっと楽しみだ。さぁ、天狗の娘を探しに行こう。」


 天狗の娘。あやめの事である。妖怪の中でも一際強く、しかも一族の長である鞍馬天狗の孫娘で正義感が強い。昨晩雄座が頼りになる、と言ったのは月丸も十分に理解していたようである。

 「探しに行こう。」と言いながら月丸自身は拝殿の前で雄座を見送る。雄座と月丸の分身は、手を繋ぎ、鳥居をくぐった。


 社に面する通りは広くなく、人の往来もまばらであるが、それでも月丸は目を輝かせた。これまで月丸の分身を連れて出たのは全て夜である。明るい街の景色だけでも喜ぶ月丸を見て、雄座も悪い気はしなかった。どうせ夜にならねば河童は出てこない。折角なので銀座の街を案内してやろうか、そんな事を考える。

 懐から懐中時計を取り出し、時刻を見ると、まだ十時を回ったところである。これなら銀ぶら(銀座の店を見ながらぶらぶら歩く事)でもしながらあやめを探せば良いだろう。雄座はそう考えた。


「月丸。あやめさんを探しながら、銀座をちょっと見て回らないか?色々歩いた方が、見つけやすいかもしれないしな。」


 交差路を通り過ぎる馬車を眺めていた月丸は、雄座の言葉に喜色の表情を見せる。その月丸の表情で、雄座は了承の意と捉え、銀座通りに向かう。

 社があるのは銀座で時計店やデパート、洋品店などが立ち並ぶ最も華やかな通りから二区画程度、新橋寄りの小道沿い。銀座通りに出るのに、僅かな時間もかからない。だが、月丸は余程昼間の銀座が嬉しいらしく、口元を緩ませ辺りを見回している。小道に面する洋服店のウィンドゥから見える洋装を見ているかと思えば、反対にある煉瓦作りの壁を撫でてみる。突然駆けたかと思えば、洋品店の雑貨を窓の外から見ている。嬉しそうに見て回る月丸に雄座は手を引かれながら着いて行く。いつもであれば、五分もかからない銀座通りまでの道を、月丸の好奇心に任せてゆっくりと歩いた。


 そうこうしながらそんなに長くもない通りを抜け、やっと辿り着いた銀座通りに出ると、月丸は思わず声を上げる。


「なんと華やかな……。」


 明治初期に起こった大火事以降、銀座は火事対策のために道幅は十五間(約27メートル)と広小路となっている。広い道の中程は、馬車や自動車が行き来し、その外側を人力車がゆっくりと駆けて行く。さらに外側、道端は石畳が敷かれ、洋装、和装、入り混じった多くの人々が往来している。

 ぶんと自動車のエンジンの音、馬車の蹄の音、そして車輪が地を踏む音が、通りの賑わいを奏でる。それは社で流れる木々の揺れる音、鳥や虫の鳴き声とは違い、人が作りし音である。月丸は目を一段と輝かせてその景色と音に見入り聴き入る。


「月丸、あれが銀座で有名な時計屋の時計塔だ。」


 そう言いながら雄座は一つの建物を指差す。それは銀座を象徴する時計店の時計塔。欧風の建築でこの界隈でも一際大きく美しい建物であった。中心に高く天にそびえる塔が立っており、塔の屋根の下には四方に大きな時計が嵌め込まれ、まるで銀座の何処からでも時計塔の時計で時刻を知ることができそうな程高く、美しい建物である。


「社に籠る以前、見た景色を憶えている。まだ海が近く、あまり周囲に人も居なかった。それがこのように賑わう美しい町になるとは。」


 誰に言う風でもなく、月丸の感嘆が自然と口から溢れた。


「人は……すごいな。」


 三百年以上、社から出ることのなかった月丸の呟きに、雄座は考える。その頃の銀座は江戸前島と呼ばれ、海に面した地であった。江戸時代に海を埋め立てながら広く、大きくなり、幕府が銀座役所(銀貨を作り取り扱う座組)が置かれ、賑わうようになったと言う。それ以前のこの地をその目で見ていよう月丸の長き孤独を考えると、雄座は月丸が強くもあり、哀れにも思えた。


「月丸。歩き回るついでだ。お前が気になる処、見てみたいところから回ってみようか。」


 せめて、月丸の良き思い出として、この時を残して欲しい。そう思いながら雄座は提案した。


「雄座。あの時計塔。近くで見ても良いか?」


 本物の子供の様にはしゃぐ月丸の笑顔に、雄座は頷く。そして駆け出す月丸をゆっくりと追いかけた。時計塔のある大きな交差路まで来ると、月丸は下から見上げる。


「美しい建物だな。」


 月丸の言葉に雄座が頷く。


「建築のことは俺も良く判らんが、西洋と日本の建築技術が程よく混じっていて、中々味わいがあるな。」


 ガラス窓から店内に目を移すと、時計屋らしく懐中時計や壁掛け時計などが見える。交差路で嬉々とした表情で塔を眺めたり、煉瓦の壁に触れたり、窓から店内を眺めてみたりと動く月丸を雄座は暖かく見守る。

 恐らく、月丸は自分が死んでもまた数百年、生きることになるだろう。数百年の後、また自分の様にあの神社にふと入れる者が出てくるだろう。その時に「その昔、雄座という友がいて、銀座を歩いた。」その程度でも思い出話になれば良い。そう考えた。


「月丸、銀座はここだけではない。次は百貨店を案内してやろう。」


 月丸はうん、と頷くと、次に案内される場所を楽しみに雄座に手を引かれ歩き始めた。

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