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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第拾伍幕 ひんな
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ひんな 弐

「ふう。」


 雄座は桜田門傍、日陰となる欄干に腰を掛け、しょりしょりと鳴く蝉の音に耳を澄ませながら汗を拭った。

 七月も終わりに近づくと、その日差しは容赦なく肌を温める。相変わらず乗り物も使わずに徒歩で銀座に向かうには途中の日影がありがたい季節となってきた。

 この辺りも昼間ともなれば、官庁の務め人や、東京駅まで延伸された鉄道により観光客が昨年以上に増えたとこにより、どこも人に溢れている。特に銀座などは訪れやすくなったこともあり、これまで以上に賑わっていた。

 

 それでも雄座にとっては変わることなく、仕事のために出版社へ向かったり、月丸の元へと遊びに行ったりと日常を過ごしている。今日も今日とて、月丸の元へ遊びに行こうとしていたところであった。


「冬は冬で早く暖かくなれば良いと思っていたが、これほど暑いと困るものだな。」


 そんなことを呟きながら、持っていた扇子を広げ、はたはたと仰ぎながら内堀の水気を含む空気を肌に浴びる。相も変わらずの日常であった。


「さてと。」


 雄座は意を決したように一声上げると、扇子を懐に戻し立ち上がる。車の流れを縫いながら再びすたすたと銀座へ向けて足を進めた。

 これまでは人込みはあったものの、それでもすたすたと歩けたものだが、汽車とはすごいものである。昨年までは新橋からの道に人込みがあったものだが、いまでは東京駅から降りてくる者たちの混雑と、銀座で遊ぶ者、務め人で東京駅から銀座の人込みですっかりと足を止めることが増えた。

 もともと人込みはあまり好きではない雄座であるが、たまに月丸を誘い出すと、「祭りのようだ」とその人込みを嬉しそうに眺めるため、最近ではこの人込みも悪くないように思える。

 なにより、この人込みのすべてが人ではなく、妖怪も交じっているのだろうと考えると、興味は尽きない。まくらの一件より、興味はあっても静かに暮らしている妖怪へは無暗に近づかないようにしているため、雄座の想像は膨らむばかりであった。

 そんなことを考えながら、いつもの百貨店の洋菓子店へと月丸への土産を買いに行った。

 すっかり顔なじみの店員が、雄座の顔を見るなり申し訳なさそうな顔をして言う。


「いらっしゃいませ。すみません。今大量の注文を受けてまして、おつくりするのに時間がかかりますがよろしいですか?」


 そう言われてもそもそも時間ならいくらでもある雄座。快く快諾すると、店の中で紅茶を飲みながら待つことにした。

 しかし、大量の注文を受けたという割にはテーブルには客の数もまばらである。気になった雄座は紅茶を持ってきた給仕に尋ねた。


「いつもより客の姿もないようだが、そんなに大量のお菓子を買う人がいるのかい?」


 そう尋ねると給仕は申し訳なさそうな苦笑いを浮かべ応える。


「はい。どこぞのお大尽なのでしょうが、この時間から芸者さんを大勢連れていらっしゃって。いまお座敷席にいらっしゃるのですが、作り置いていた分を全て注文されてしまいまして。慌てて作ってはいるのですが、皆さん時間が掛かると申しますと、残念そうにお帰りになられてしまって。」


「ああ、それでいつもより空いているのか。」


 雄座は納得した。こんな昼間から芸者を大勢連れて洋菓子屋で遊んでいるとは、余程の金のある遊び人なのだろう。まぁ、それは雄座の気にするところではない。雄座としては月丸への土産を買えればそれで良い。なにより待つ間も、こうして店の中で涼めるのだから、困ることではなかった。

 給仕はごゆっくりと会釈すると、慌ただしそうに戻っていった。


 紅茶を口に運びながら、ふうと一息つく。隣のテーブルの客の会話や、店の者の話し声も自然耳に入るが、雄座の記憶に残ることなく通り過ぎる。しかし、その中で気になる音が雄座の中に留まった。


 ぎゃはは、という下品な笑い方とそれに合わせてうふふという婦人の笑い声。何となくその声が気になり、顔を向ける。入ったことはないが、先ほど給仕が言っていた「お大尽」が居る座敷であろう。随分と賑やかに遊んでいるようだ。

 この洋菓子店はそれなりに評判で華族もやってくる。時には有名な爵位の者がテーブルで洋菓子を嗜み周りの客を驚かせていることもある。しかし、大体そういった上流階級の者は品性を持って洋菓子を楽しんでいる。今、奥の座敷で騒いでいるような下町の酒場のような騒ぎ方はしない。そのため、どんなお大尽なのだろうか、若干気になる雄座ではあったが、それを知る術はない。


「まぁ、そういう人も居るのだろう。」


 そう考え、のんびりと菓子が仕上がるのを待つことにした。


 時間にして一時間程度であろうか、雄座が二杯目の紅茶を飲み終えたころ、奥の襖がからりと開き、品のないぎゃははという笑い声とともにシルクハットに燕尾の背広、高価そうな杖をぶら下げた絵にかいたような紳士が現れ、店の者に声をかけた。


「おうい。これからビアサロンに行くんだ。タクシーを十台ほど呼んでくれねぇか。」


 紳士の服装からはとても遠い下町言葉であった。


「あの、申し訳ありませんが、うちの店ではタクシーをお呼びできません。」


 店の者が応えると、紳士は札束をばさりと投げた。


「金は払うんだ。誰か使いにやってくれ。さっさとしてくれよ。口がすっかり菓子で甘くなっちまったからな。早く酒を飲みてぇんだ。迎えがきたら呼んでくれや。」


 そう言うと紳士は再び座敷に戻っていった。

 そんな光景をあっけにとられながら眺めていた雄座であったが、自分と同じか、少し年上程度の紳士の横柄な注文に少し嫌悪した。


 そんなことがあってすぐに、給仕が雄座のテーブルに包みを抱えてやってきた。


「お待たせしてすみませんでした。お待たせしたお詫びと言っては何ですが、ワッフル多めにしておきました。」


 受け取ると包みはまだ温かい。


「いや、出来立てを買わせてもらえるだけありがたいのに、申し訳ない。」


 雄座は礼を言いながら受け取ると、言葉を続ける。


「しかし、すごいね。タクシー十台とは。店の菓子を全て買った座敷の人は随分な金持ちだね。」


 雄座の言葉に給仕が応える。


「あまり存じない方なので、ご商売をされてる方でしょうかね。岸川様と伺ってますが、先生はご存じですか?」


 給仕の問い返しに雄座も首を横に振る。


「知らない名ですね。やはりご商売で成功された方なのでしょうね。しかしうらやましい限りだ。」


 雄座はそう言って笑った。

 そもそも、華族や爵位を持つものは名を公開されている。国の要職に就いていたりするので、自然にその名は広まっている。商売人は成功すれば大金を得ることもある。恐らくそういった類の客なのであろう。雄座はそう納得した。


 会計を済ませて店を出ると、百貨店の外に数台のタクシーが集まっていた。あの岸川という客が頼んだ十台はまだ揃っていないようだったが、なんにせよ金のある所にはあるものだと感心しながら雄座は月丸の元へと向かった。



 

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