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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第拾肆幕 まくら
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まくら 拾

「その方がお前さんの奥方か。」


 階段の手すりにもたれ掛けながら月丸が尋ねる。その月丸の言葉に、童は目を薫子と呼ばれる老婆に向けたままこくりと頷いた。


 師である吉房や友であるすずや雄座。人との関わりが深い月丸だからこそ、童の苦悩も、守りたいという思いも、自然と察することができた。


 恐らく、この薫子という人も、まくらの童も、好きあって結ばれたのであろう。童の態度からもその想いが溢れている。

 人と妖では生きる時が異なる。老いた伴侶を守るためだけに、この童はこの屋敷で他の妖からその身と妻を守っていたのだろう。


 改めて二人を見る。老婆の手をさすりながら心配そうな、それでいながら愛しむように老婆の顔を覗き込む童。その童に笑みを返す老婆。何とも仲睦まじい姿であった。


 だが、月丸は老婆をまじまじと見る事で、先に感じていた違和感の元に気付く。


「妖と人とは生きる時が違う。奥方はお前さんが生き永らえさせているのか?」


 月丸の言葉に童は俯くと、静かに応える。


「僕には薫子さえ居てくれたらそれでいい。薫子が笑ってくれていれば。」


 月丸はその言葉に返す。


「自然のままに散る命。歪ながらも続く命。俺にはどちらが正しいかなどは解らぬが、一体どれ程の時を永らえさせているんだ?」


 その月丸の言葉に、童は老婆の背をさすりながら応える。


「…妻の命が尽きそうになってから、五十年程度だ。」


「…そうか。」


 月丸は童の言葉に一言だけ、返した。


 愛する妻の命が尽きんとした時、まくらは己の力を使って、その死を先に伸ばしていた。それはまくらが妻と離れたくないという想いからそうさせたのであろう。

 無論、月丸もそれに対して何かを言うつもりもない。もし、吉房が、すずが死した時、自分がまくらの力を持っていたら同じことをするかもしれない。そう思えたからである。

 なにより、月丸は女郎蜘蛛である多恵子をその目で見ている。妖ながら一人の人を愛した。月丸自身、女郎蜘蛛を人に変える呪をかけた。


 だからこそ、まくらが成している愛する者の命を延ばす事に、何かを言うつもりもまるでない。


 だが、一つの懸念。月丸は妖術により生き永らえた者を知っている。呉葉である。甚大な神の力、第六天魔王の力を宿す人。呉葉は自らの体を若返らせ、常にすずの子孫達を守り続けた。

 神の力を宿すとはいえ、体は人。やがて記憶も朧となり、その力も衰えてしまう。


 第六天魔王の力を持ってしても、やはり人の終末には敵わない。まくら程度の力であれば、それこそ永くは続かない時であろう。


「奥方、もう目も見えないのか?」


 月丸の問いに童は頷いた。

 その応えを見て月丸が続けた。


おれたちが思うよりも、人の心も体も脆く儚い。神の力で長きを生きた人を知っているが、やはり限界はあるようだった。」


 月丸の言葉にまくらはぴくりと眉を動かす。そしてゆっくりと語る。


「わかっている。僕などの力では、妻をこうして一日一日生き永らえさせることしか出来ない。目も見えなくなってしまった。徐々に言葉も失いつつある。

 それでも、僕は妻と共にいたい。それは悪いことか?」


 ゆるりと静かに、しかしその思いを月丸に語るまくら。

 月丸は僅かに首を振ると、言う。


「お前の思うままにすればいい。だが、人はやがて朽ちる。目も、言葉も、記憶も失った時、奥方が幸せであると信じるならば、俺は特に言うことはない。」


 まくらは暫く黙したのち、ゆっくりと月丸に向き直した。


「先の男、親友だと言っていたな。もし、あの男が死ぬとなった時、貴方はそれを受け入れるかい?それとも抗うかい?」


 まくらの問いに、月丸は笑って応える。


「その時にならぬと解らぬな。だが雄座あいつが幸福と思えた人生を終えるなら、しっかりと見送ってやるさ。」


「そうか…。」


 月丸の言葉にまくらは一言こぼすと、老婆を連れて部屋に戻ろうとする。


「なぁ、頼みがあるのだが。」


 部屋に戻ろうとするまくらに月丸が声を掛ける。


「まだ外に俺の友が待っているようだ。俺の体は桜の枝だ。枝と服をあいつに渡してやってくれないか?」


 月丸がそう言うと、まくらは一目、玄関の方に目を向けた。


「帰らせたのではないのか?」


 月丸は更に応える。


「俺がまくらと話したい。そう言ったからだろうな。恐らくまだ待ってるよ。俺はあいつが離れると何の力もなくなるのだから。」


 月丸はそう言って笑い、言葉を続けた。


「お前さんが悪さをするような妖でないことは分かったし、その理由も知れた。もう俺からお前さんに関わることはないだろう。だが、もし困ったことがあれば、あの男、神宮寺雄座を訪ねるといい。あいつが力になるのならば、俺も力を貸そう。」


 そう言うと月丸はまくらをまるで信じきったように、ふう、と力を抜くと、その体が淡く輝きその姿を一切れの枝に変えた。同時にぱさりと月丸の着ていた服がその場に落ちた。


 その光景を見据えていた童はやがて目をうつすと、老婆を連れて部屋に入った。




 少し時を戻し、雄座。


 月丸に帰れと言われ、御岳に促されて屋敷を出た雄座であったが、屋敷を出てすぐに玄関の前に腰を下ろした。


「雄座さん。月丸さんが言っていたのならば何か策があるのでしょう。一先ず言われたとおり、帰りましょう。」


 そう言う御岳に、雄座は首を振って応える。


「ええ。社に戻れば月丸から事情は聞けるのでしょうけど、月丸あいつはあの子と話がしたいと言った。ならば満足に話ができるよう、俺はここにいますよ。」


 月丸が傷付き、慌てふためいた雄座であったが、今は冷静になったのだろう。いつものように落ち着いて言葉を続けた。


「よくは解らないが、分身の月丸が社の外にいるには俺が近くにいないと駄目なんですよ。どのくらいか分かりませんが、俺が月丸から離れてしまうと月丸の分身が解けてしまう。だから、俺は帰れません。」


「分かりました。では私もお付き合いしましょう。」


 そう言うと御岳は側にあった柱に背を預けた。


 さて、と雄座は思案する。月丸があれ程の深手を負う事がそうそうあるであろうか。恐らく今まで雄座が見てきた中で最も月丸を苦しめたのは紛れもなく月詠命であろう。大神と謳われる月詠であれば、月丸が敵わぬのも道理である。あの黄泉の神であった死姫しきですら、分身の姿で打ち破った。

 月丸がまくらと読んだあの童。

 月丸の腕を切り落とし、月丸の胴を裂いた。


 月詠とは関係はない素振りであったが、同等の脅威ではないか。

 しかし、月丸が一度、力無い腕で叩いただけで負けを認めるように闘いをやめた。

 大きな脅威でありながら、敗北を認めるようなその行動について、雄座は思案を重ねる。


 無論、最後には月丸に訊かねば答えなど分かるはずもなく、月丸が十分にあの童と話せるまでは、此処でこの無駄な思案を続ける事になることも理解していた。


 時間にして三十分程経った時。


 がちゃり。


 玄関の扉が開いた。


 雄座と同時に御岳も扉に目を向ける。そこにいたのは月丸ではなく、あの童であった。


「月丸は…。」


 雄座が立ち上がりながら童に尋ねる。そしてふと、童の手の中に綺麗に畳まれた月丸の服と、その上に一本の小枝があった。


(月丸に何かあったのではないか?)


 雄座に不安がよぎる。しかしそんな雄座を他所に童は言う。


「あの妖から頼まれました。外にいる貴方に服と枝を渡して欲しいと。」


 そう言うと雄座に服と枝を差し出した。


「月丸は無事なのか?」


 雄座の問いに童が応える。


「恐らく。自ら枝となったので、僕には分かりませんが、大丈夫なのでしょう?」


 問い返された雄座が、ふむ、と頷く。


「ありがとう。では失礼するよ。」


 雄座は礼を言いながら月丸の服と枝を受け取ると、童に一礼して門へと足を向ける。


「人と妖は違います。力も生きる時も。それでも貴方はあの妖の友で居られるのですか?」


 童の突然の問いに雄座は足を止めて童に振り返る。


「人であろうと妖であろうと、気心が知れた奴は友となるのはおかしい話ではないだろう?そりゃ月丸あいつは俺なんかよりも長生きするだろうが、きっとずっと俺を覚えててもらえるだろうしな。そうなれば時も関係ないだろう。」


 そう言って笑うと、


「と、俺は思ってる。」


 そう付け加えると、雄座と御岳はその場を後にした。


 門まで来るときた時の門番がその門を開いてくれた。


「何だい。もうお帰りかい?」


「ええ。少し挨拶に来ただけなので。」


 雄座はそう答えながら笑って邸を後にした。


 社への道すがら、御岳が尋ねる。


「あの妖、放っておいて良いのでしょうか。」


 御岳の問いに雄座は苦笑いを浮かべながら応える。


「まあ、月丸が上手いことやってくれたんだと思いますよ。きっと、放っておいた方が良い理由があるんでしょう。悪い妖怪にも見えなかったし。」


 そして二人は社へと足を進めた。


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