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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第拾肆幕 まくら
162/176

まくら 陸

「うーん…。」


 雄座はゆっくりと目を開けた。

 いつも見慣れた自室の天井が視界を包む。その光景をぼう、と眺めながら少し微睡むが、いつもと違う光景。部屋の中が明るい。既に雨戸も開いており、日の光が障子越しに部屋を照らしている。

 辺りを見ると、原稿が積み上げられた机。本が積まれた壁際。それこそいつもと変わらぬ光景を眺めていると、頭がゆっくりと働き始める。


「ああ、昨日は吞み過ぎたかな…。」


 そんなことを考えつつ体を起こすと、きれいに片付いたちゃぶ台が視界に入る。ふいに土間に目を向けると空いた酒瓶が数本。きちんと並べられて置かれている。


 のそのそと四つん這いのまま縁側の障子をからりと開ける。


「やぁ神宮寺さん。おはようございます。」


「おう雄座。やっと起きたか。」


 金子子爵邸の敷地内である雄座の家。子爵の雇う庭師は雄座の住む離れの家屋の前の庭木も整えてくれている。雄座には御岳と月丸の声が聞こえたが、視界に広がる庭は春先の小さな葉がまばらに咲く庭木のみ。一人で眺めるいつもの庭であった。


「御岳さん、月丸。どこだ?」


 雄座がきょろきょろと庭を見回していると、まるで突然姿を現すように御岳と月丸が突如現れた。


「おお。」


 寝起きの目を見開いて驚く雄座。その表情を見ながら月丸が応える。


「ああ。すまないな。御岳殿から稽古をつけてほしいと頼まれてな。彼方の屋敷の者に見えぬようにするために結界を張っておったのだよ。」


 月丸の答えに雄座はすぐに納得した。そういえば御岳がここで暮らしていた時も朝から木刀を振っていた。月丸が居るのであれば陰陽術師としての稽古をつけてほしいと思うのは生真面目な御岳なら当然なのだろう。そう考えた。

 しかし、雄座が感心したのは結界であった。普段は月丸に結界を張ってもらい守られる立場であった雄座。己が結界の内に守られる経験はあったが、社の結界すら見えない雄座からしたら、外から結界を見るというのはそうはない。


「結界というのは、これほど見事に姿を消せるものなのだな…。」


 感心して、つい言葉に出た。その言葉に月丸は笑い、御岳は怪訝な顔で尋ねる。


「雄座さんは月丸さんの結界を何度もご覧になっておいででは?」


 御岳の言葉に月丸が口を挟んだ。


「雄座は結界の内は見ているが、外から見るのは稀だからな。そう思ったのだろう?」


 そういいながら雄座へ笑みを向ける月丸。


「そのとおりだ。お前は人の考えも読めるようだな。」


雄座(おまえ)はわかりやすいからな。」


 その後、御岳は隣の自宅から使用人を呼び、朝食を用意させた。悪いからと遠慮する雄座を他所に、御岳宅の使用人は既に用意していたようでそそくさと雄座の部屋へと運び入れ、結局はごちそうになる流れとなった。

 白飯に澄し汁、焼き魚に香の物など、それぞれ膳に載せられ、すっかりと準備された朝食を口に運びながら、御岳が言う。


「昨日話されていた妖怪の住まう屋敷に行かれるのですよね。良ければ私も同行させていただけないでしょうか?後学のためですが、少しはお役に立てるとは思いますが。」


 雄座から見れば、陰陽術も使いこなす御岳が、少しは役に立てる、などと謙遜以外の何物でもないが、月丸を前にしてみれば、確かにそうなのだろうと思う。


「では一緒に行きましょう。全く役に立てない俺が言うのも何ですが。いいだろう?月丸。」


「ああ。構わんよ。どんな(やつ)かもまだわからないし。いざとなれば助けてもらおう。」


 雄座の提案に月丸も快く頷いた。


「あの老婆を操って何かをしているのかな?」


 雄座が尋ねる。


「いや、何とも言えん。花見の時はそれほど厄介には見えなかったが、あの結界を張れるのであれば、もしかすると力を抑える術を持っているのかもしれんしな。老婆を惑わし悪用しているのであれば助ける必要があるかな?」


 月丸は雄座に尋ね返すように応えた。その問いに雄座はすぐに察し、こくりと頷く。その雄座に頷き返す月丸。


「なるほど。流石はお二人です。」


 そんな二人を見ながら感心したように御岳がこぼした。


「流石とは?」


 雄座が尋ねる。


「いや。月丸さんも雄座さんもお互いを信頼されているのですね。現世の良し悪しを月丸さんは雄座さんに敢えて任せられているのでしょう?余程信頼されていなければ、そんなことはできないと思います。無論雄座さんも月丸さんを信頼されているからこそ、任せているのでしょう?」


 真面目な顔で感心する御岳に、雄座と月丸は顔を見合わせた後、そろって笑い出した。


「いやいや、そこまで深く考えているわけではないよ。御岳殿。」


 と月丸。


「ああ。月丸の言うとおりだ。俺は何もできないんだから、月丸に任せるしかないからね。」

 

 と雄座。


 だが、御岳からしてみれば、お互いの強い信頼関係を見て取れた。




 さて、時計は午前十一時を少し過ぎた辺り。

 心持ち冷たい風も昼の陽の暖かさに和らぐ。昼食を取ろうとする勤め人達が今日は何を食おうか等と語る声を聞きながら、雄座達は麹町をぶらりと歩いていた。

 皺の入ったワイシャツに綿入れ姿の雄座。背広に外套を羽織り、帽子を載せた紳士の様な御岳。同様に綺麗なシャツにズボンを履き、目深に帽子を被った少年とも少女とも見える愛らしい童。

 側から見たら何とも不思議な三人組であっただろう。だが、当人達はそんな傍目など気にすることなく、歩を進めていた。


 先頭を歩く月丸の背を見ながら、雄座の頭に色々な想像が湧く。どのような妖怪なのか。老婆を誑かす悪きものなのか。目的は何だろう?

 月丸の話では大層な屋敷であったと言う。ならば金や地位を狙っているのであろうか。それとも老婆の魂でも狙っているのか。しかし何故?


 相変わらず解らぬ事を考え悩む雄座の表情をチラリと眺めて、月丸は笑った。

 いつも散々に考えて考えた挙句、雄座の出す答えは、『解らぬ事を考えても仕方がない。』である。悩んでいる時と吹っ切れた時の雄座の表情の変化は眺めていて面白い。何より面白いのは、それだけ悩んでいた事を、次の書き物に生かしている事である。その辺りは月丸も想像していない様なことがあったりで、感心するほかない。


「まぁ、考えても仕方がないか。」


 ぼそりとつぶやいた雄座の声に、月丸はくすりと笑った。

 雄座が吹っ切れたところで、件の屋敷が見えた。


「あそこだよ。」


 月丸が指を差す。

 雄座と御岳は月丸の指差す屋敷へと目を向けた。


 成程豪邸である。

 屋敷を取り囲む煉瓦塀。鉄製の門の前には警備のものであろう男が二人。

 門越しに見える屋敷は総煉瓦造りの二階建ての洋館で、各窓の枠には見事な装飾が施されている。


「金子子爵の屋敷よりも大きいな。どこぞの爵家かな…。こりゃあ、正面から訪ねるわけにもいかぬな。」


 雄座が言う。


 当然である。幸い、雄座の住まいを与えてくれている金子子爵も、和代の実家である神田男爵も顔馴染みの親しさがあるが、本来、一般の者がおいそれと訊ねられる様な家ではない。


 雄座の呟きに、月丸が応える。


「爵家かどうかは知らんが、妖が絡んでいるのは間違いない。」


 そう言うと、月丸は門の前の男達に雄座の目線を促した。


「警備の者がどうかしたのか?」


 雄座が問う。


「あれは人ではありませんな。式神でしょうか。だが式神にしては…。」


 雄座の問いに御岳が応える。その御岳の言葉を遮り、月丸が口を開く。


「入れ物は式神の様だが、中身は人だな。封じられている様に感じるな。」


 月丸の言葉に雄座が再び問う。


「人が封じられているのか?その様なことをするのであれば、やはり悪き妖怪か。ではあの老婆も利用されていると言うことか。」


 雄座の言葉に御岳も頷く。


「ならば、私も微力ながらお手伝いしましょう。」


 月丸は二人の言葉を聞きながら、門の前の二人に違和感を感じ、その姿に目を向けていた。

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