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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第拾肆幕 まくら
158/177

まくら 弐

「ずいぶんとまあ…、うまく着こなすものだな。」


 雄座は月丸ぶんしんを眺めながら感心していた。あのドレスシャツはあやめが買ってきた女物である。襟元は女物らしく花の刺繍などが施されているが、蝶ネクタイで目立たなくしている。雄座が選んだ地味な黒ズボンも、月丸の着こなしのせいか高級品にも見えてくる。

 いくら黒髪とはいえ、それを目深に被るキャスケットで隠して仕舞えば、目立たぬとはいえ、良家の御坊である。


「ああ。散歩に出た時に街を歩く者たちを見ていたからな。こういう格好をしたわっぱが多かったのでな。目立たぬ服装を真似てみた。髪も帽子これならば隠せる。ああ、それならわざわざ黒髪を選ぶ必要はなかったかな。」


 そう言いながらにこりと笑い、雄座の呟きに応える月丸。


「ああ。そうだな。」


 色々思うところはある雄座だが、月丸の気配りにに、そう応えるしかなかった。

 単純に髪の色が黒くなったところで、見目の良さは変わらないのだ。目立つ事には変わらないのだが、月丸の案を無碍にもできず、何より帽子で顔が隠れれば問題はなかろう。


「では行ってくるよ。」


 雄座は月丸に手を振ると、月丸ぶんしんの手を取り鳥居を抜けて行った。

 月丸もひらひらと小さく手を振りながら雄座と自分ぶんしんの背を見送る。

 

 月丸にとっては最近では日常の光景である。まるで兄と弟の様に手を繋いで出て行く様は、月丸にとっては微笑ましいが、雄座が連れる幼子が、自分である事にも可笑しさを感じる。

 何度も同じ光景を目にしているが、やはり可笑しく、月丸は一人、くすりと笑った。



 昼時の銀座の大通り。辺りは多くの人が行き交い、道路の真ん中を都電が走る。その路線の横を自動車が走り、街の喧騒を奏でる。

 雄座は月丸の手を取り、人と自動車の間を縫いながら、百貨店の前までたどり着いた。


「さて、日曜日だけに人が多いな。今日は何を食おうか。何か食いたいものはあるか?」


 雄座の問いに月丸が応える。


「そうだな。雄座に任せるよ。俺はお前に連れて行ってもらった店しか知らないしな。知った店に行ったのでは目立たぬ様にこの格好をした意味もないしな。」


 月丸の言葉に雄座は成程と納得した。


「じゃあ、花を眺めながら色々と屋台で摘もうか。ああいう屋台の食い物も案外美味い。」


「そうか。じゃあやはり雄座に任せるよ。」


 そんな話をしながら、ゆるりと千鳥ヶ淵へ向かって内堀沿いに歩いて行った。

 道中も、歩いて通った事がある景色ではあるが、月丸は楽しそうに辺りを眺めていた。出し物によって色々と看板や貼り紙を変える有楽町の有楽歌劇座を眺めてみたり、皇宮に咲く桜の木々を誉めてみたりと、雄座の頬も緩む程度には月丸が楽しんでいることを理解できた。


 普段は銀座界隈で食事をするために社から連れ出すことが多くなっていた。それ以外では妖怪に対するため。月丸が社の外に出るのはその程度であったかも知れない。浅草に連れ出して以降、雄座も忙しく中々のんびりと物見をする時間もとれなかった。

 久々に何事もなく、ただ、花見に向かうこの時間も月丸にとって、そして雄座にとっても穏やかに楽しめる時間であった。


 三宅坂を登って行くと、内堀の涼しい風に乗って薄紅色の花びらがひらひらと舞う。


「おお。これは見事だな。」


 月丸の目が大きく開く。坂の上に半蔵門があり、その先には幾本もの桜が正に満開となり、その景色までも薄紅に染め上げていた。その光景に道の真ん中であるが、月丸は歩を止め、その美しい景色に魅入っていた。雄座も月丸に合わせてその景色を眺める。

 雄座としては先ほども通ってきた道であり、先ほども眺めた風景である。普段なら桜が咲いている程度の景色かもしれないが、その当たり前の風景は月丸にとっては本来得られぬもの。だからこそ月丸はこれほど魅入るのであろうし、そう思えば、雄座にしてもこの普段の景色があまりにも美しく思えた。

 

 美しく咲き並ぶ桜にそれをやはり嬉しそうに眺める人々。唄い騒ぐ者。酒を飲み過ぎたのか、道の端で寝ている者。そのいずれも幸せそうな表情を浮かべる。

 世の中、政治の問題や戦争の話も聞こえてくるご時世であるが、少なくともこの場は人も、妖霊ですら魅了する景色。この時期の僅かな期間のこの景色ではあるが、人々の心を明るくさせる桜。ずっと咲いていればいいと雄座に思わせるものであった。


 優しい春の風はちらりちらりと桜の花びらを運びながら、僅かに鼻を擽る匂い。その匂いで雄座は我にかえる。その匂いは屋台で焼かれる醤油の香り。


「月丸。目も楽しめるが、飯でも食いながらゆっくり花見をしよう。」


「ああ。楽しみだ。」


 月丸も雄座に応え、やっと歩き出した。

 屋台はどこかしこにあり、饅頭であったり、寿司であったり、団子であったり。酒売りもあれば子供向けであろう。果物を絞ったジュースを売る屋台もある。

 何を買おうかと屋台の前を通るたびに、


「お坊ちゃん。良かったら食べてってくださいな。」


 と、行く先々で月丸に声がかかる。帽子で顔を隠しているとはいえ、その格好は良家の子息である。結局はどんな格好をしたところで目立つには目立つのであろうと思い、雄座はくすりと笑った。


 結局、団子と餡餅、りんごを絞ったジュースに細工飴を買って、淵側の空いている場所に新聞紙を敷くと、二人はそこに腰を下ろした。


「此処ならのんびり眺めることもできるし、屋台も近い。」


 雄座は自慢げに月丸に言う。

 他の者は、桜の木の下に場所を取っているが、雄座が選んだ場所は背に淵の柵があるだけで桜はない。しかし、正面を見ても左右を見ても、咲き誇る桜を眺めることができる場所であった。


「ああ。良い場所だ。」


 月丸の言葉に雄座も満足し、買ってきた団子や餅を広げ、二人してゆっくりと眺めた。


 少し離れた場所に陣取る花見客の陽気な歌を聴きながら、雄座は団子の串を口に運ぶ。よくある屋台の団子でも、こんな状況では美味く感じる。月丸も瓶に入ったジュースを口に入れながら満足そうに桜を眺めていた。


 いやはや、改めて連れて来て良かった。そんな事を考える雄座はふと、月丸に声をかける。


「どうした?月丸。」


 雄座の問いかけに月丸は少し驚いたように応える。


「別に。如何もしていないが、何でだ?」


 今度は雄座が応える。


「いや…、気のせいだったかな。月丸おまえの表情が一瞬だが、花見の表情でなかった様に見えたのでな。」


 雄座の言葉に月丸が笑う。


「よく見ている。気にしないでくれ。俺以外でも花見をしている妖を見つけたものでな。まぁ、害を為す訳ではないだろうから放っておこう。」


 月丸の言葉に雄座がきょろきょろと辺りを見回し始めた。


「何?何処にいる?悪い者ではないのだな?やはり人に化けているのか?それとも…」


 視線を左右に振りながら、すっかり興味を得た様に矢継ぎ早に尋ねる雄座。月丸は苦笑いを浮かべ応える。


「今日は花見に来たのだろう?ならばゆっくり花を愛でよう。あちらも花見をしている様だから、邪魔をするのも野暮だよ。」


 月丸の言葉に雄座はうむ、と納得した。

 妖怪には興味があるが、妖怪も桜を楽しんでいるのであれば、邪魔をするのは無粋である。


「月丸の言うとおりだな。俺の興味で邪魔をしては申し訳ないな。妖怪も花見をすると聞いて少し興奮してしまった。」


「お前の隣にも花見をしている妖がいるんだがな。」


 月丸の言葉に雄座は、確かにそうだ、とこぼすと二人して笑った。



 買ってきた団子や餅をつまみながら、月丸から数百年前の桜の話や、やはり村の者が山の木々や草花を酒の肴に集まることもあったなどと話を聞いた。雄座も幼き日に母に連れられて村の人達の花見の席に参加した事など、他愛もない会話が続き、気が付けば、陽もすっかりと傾いていた。

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