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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第拾参幕 イエツキ
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イエツキ 終

 顔を上げた御岳の表情は、以前、羅刹童子の折に初めて会った時のような、凛とした顔付きであった。

 雄座の護衛をすれば、いずれ月丸と出会う。その時に月丸が何かを教えてくれるであろう。呉葉はそう考えて御岳を送り出したのであろう。

 その思惑は当たり、御岳の道を指し示すことができた。御岳の迷いのなくなった表情から、雄座はそう思った。


「ありがとうございます。我がなすべき事、気付かされました。始祖の真の教え、未熟ながら体現すべく精進いたします。」


 仰々しく語る御岳に、月丸も笑みを浮かべながら答えた。


「ああ。御岳殿の思い次第だよ。頑張ってくれ。」


 月丸の言葉に御岳は力強く頷いた。

 

 その光景に雄座も安堵した。

 雄座の家にやってきてからの御岳は、何もない時は鍛錬を繰り返し、ただ雄座に従順な寡黙で無気力とも思える青年であったが、今、迷いの消えた御岳は、暫し時を共にした者と同一と思えない程、気力が満ちている。雄座を安堵させるには十分な姿であった。


「さて、では飲み直そうか。」


 雄座の言葉に月丸も頷く。だが、御岳は姿勢を崩さぬまま口を開く。


「月丸様。願わくば、この未熟な私に稽古をつけては頂けないでしょうか。」


 驚いた月丸と雄座は御岳に目を向ける。暫し沈黙ののち、御岳が言葉を続ける。


「私は今日、差し違えてでも強大な妖怪であるあなたを討つ事も考えておりました。そして大恩ある大奥様の言葉すら信じられず…。我が目を覚ますための神宮寺さんの護衛すら及び腰であった。私はあまりに未熟。あまりに不甲斐なし。どうかそのお力の一端にて喝をいただけないでしょうか。」


 御岳が言い終えると再び沈黙が続く。

 月丸を討つ気もあった。その言葉に、何故か雄座も納得する。『月丸の元へ』。そう頼んだ時の御岳の表情は何かを決意したものであった。恐らくその時には雄座の中にそうなるかも知れぬ、そういう思いがあったのだろう。御岳の言葉にどう返すか、月丸に目を向けると、月丸は雄座に微笑み、すぐに御岳に目を戻した。


「御岳殿が頼んでいるのは、妖霊としての俺かい?それとも陰陽の術者としてはの俺かい?」


「陰陽導師月丸様にお頼み申しております。」


 月丸の問いに御岳は間伐入れずに応えた。

 再び沈黙が包む。


「おい…、月丸?」


 間に耐えられず雄座が口を開くと、月丸はくすりと笑った。


「俺の術は呉葉と違って吉房から学んだまま、進歩できていない。そんな古い術でよければ。ただ…。」


 月丸は御岳の元に戻り、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。


「己を未熟などと言うな。それはあなたを認めている呉葉を愚弄するに等しい。」


 そう言うと御岳を立ち上がらせて、笑みを浮かべて言葉を続ける。


「呉葉が育てた陰陽術の前では、俺の術が参考になるかは分からぬが、さあ、やろうか。」


 月丸の言葉に御岳は深々と頭を下げて礼をした。月丸は雄座に目を向ける。


「そう言うことになった。雄座は退屈であろうから、小屋に戻って呑んでいてくれ。」


 月丸の言葉に雄座が応える。


「除け者にするなよ。俺も見るくらいはいいだろう?陰陽師の稽古なんぞ、そうそう見られるものではないのだから。」


 雄座はそう言うと、踵を返して小屋に走った。

 からりと戸を開け中に消えたかと思うと、すぐに出てきた。その手には盆。盆の上には酒と肴が載っている。

 雄座は迷わず拝殿の濡縁に座ると、『さあ、準備よし』と言わんばかりの自慢げな表情を浮かべ、月丸を笑わせた。



 半刻後、雄座は酒を呑みながらぼうっと目の前の光景を眺めていた。


 地面から蛇が現れたと思うや、どこからともなく現れた巨大な鷹がその蛇を握りつぶした。

 すぐに月丸の周りに幾本の光の柱が立つが、月丸は一枚の札を手にくるりと舞い、その光の柱を断つ。同時に身の丈二尺はあろう蛙が月丸に飛びつくと、宙で止まる。足元には無数の小人が鎖で蛙を捕縛していた。


 雄座にしてみればなんとも不思議な光景であった。百鬼夜行が怯えるからと、月丸は御岳と自身の周囲に結界を張った。雄座はその外にいる。

 巻き添えなどごめん被るのでそれは良いが、いかんせん、月丸達の声も届かない。雄座一人、静寂の夜の中、酒を舐めることとなり、なんとも味気なかったが、その分、陰陽術をこうも目の前で満喫できるのだ。酒の肴には十分だと納得している。

 だが、不思議なのは御岳も月丸も、その場をほとんど動いていない。しかし、月丸の言う式神であろう。その式神達が互いを守り、攻め、目まぐるしく動いている。


 雄座が見る限り、御岳は本当に素晴らしい術者であった。呉葉が認めるのも理解できる。

 月丸の術を相殺しながら幾重もの術を放つ。無論、御岳の術も月丸に相殺されながらも、右から左から、上から下から、そして多種多様な式神を使いこなしている。

 雄座からみれば、御岳は自分と同じ人である。しかし、稽古とはいえその闘いは月丸やあやめのそれを見ているような人外のものであった。


「人でも極めればこうも戦えるのだなあ。」


 雄座は酒を口に運ぶと、そう呟き、再び二人に目を向けた。



 やがて白々と空が明るくなってきた時、月丸の口が動く。御岳に何かを語ったのであろう。御岳は頷くと、背広の内ポケットから一枚の札を取り出し、何かを唱えるような素振りを見せた。

 その札を目の前に投げると、そこから黄金に光る巨大な龍が現れ、口を広げ月丸に向かってゆく。

 同時に月丸も足元に札を置くと、銀色の龍が現れ御岳の龍に向かっていった。


 二匹の龍は宙に舞い上がり、お互いに喰らい付く。尾で叩き、その爪を食い込ませる。

 やがて大きな叫びと共に地に倒れたのは銀色の龍、月丸の式神であった。

 銀の龍は地に落ちると、まるで湯気のように消えて、その場には一枚の札が残された。


「ほう…龍は御岳さんの勝ちか。」


 雄座も目の前の光景に驚き声を漏らす。

 術で月丸が負けるなど思ってもみなかったからだ。

 声は聞こえぬが、月丸が手を叩きながら御岳に何かを言っていた。

 御岳も深々と頭を下げている。

 術合戦はともかく、二人が語り合っている時は、さすがの雄座ももどかしい。


「待たせたな。雄座。」

 

 月丸の声にハッとする雄座。周囲の結界を解き、月丸と御岳が拝殿に向かって歩いてきた。


「御岳さん。最後は凄いじゃないですか。まさか月丸の術に打ち勝つとは。」


 雄座は向かってくる御岳を拍手で称えた。御岳も照れ臭そうに返す。


「いや、月丸様が加減をしてくれなければ、こうは戦えません。」


 御岳の言葉に応える月丸。


「そうではない。呉葉は吉房の術を長年磨き続けた。その結果が式神の差となったのだ。陰陽術であれば、呉葉の弟子である御岳殿の方が力量はもはや上であろうよ。あとは目に見えるものだけを信じずに真実のみを見る事に努めれば、いつかは神や妖もあなたに力を貸すであろうさ。」


 月丸の言葉に御岳は改めて頭を下げた。


「ご教授、ありがとうございました。」


 雄座は思い出した。

 道満の一件。蘆屋道満と安倍晴明が作り出してきた様々な術は、時を経て吉房が継いでいた。その吉房の術は吉房自身の手で新たな高みへと押し上げられた。

 同じように、呉葉は吉房の術を更なる高みへと発展させていたのだろう。

 道満の…始祖の術は月丸に敗れ、吉房の術は呉葉の弟子、御岳に敗れた。

 数百年の時を積み重ねた人の力に、雄座はただ、感心して黙した。


「さて、日も昇ってしまった。朝食でも行ってきたらどうだ?」


 月丸の言葉に御岳が応える。


「いえ。私はこれから昨日のお宅に行き、この家神をお返しして参ります。その足で群馬に戻ろうかと。」


 月丸は笑みを浮かべたまま、そうか。と一言応えた。


「御岳さん。俺の護衛の任務があるのでは…。」


 雄座が訊ねる。


「大奥様が神宮寺さんの護衛を命じたのは、恐らく私に足りぬものを自覚させるため。それを知ることができたからこそ、大奥様にその旨報告したいのです。何より…私が護衛する必要もないほど、強大な守護があるではありませんか。」


 月丸に目を向けながら笑う御岳の表情は迷いなく爽やかなものであった。その表情を見て、雄座も最早留める気はない。


 御岳は二人に丁寧に礼を述べると、社を去った。恐らく、馬喰町へ寄った後、群馬への帰路に着くのだろう。御岳にしてみれば、任務達成したということであろうか。


「ずいぶんすっきりとされていたな。」


 雄座の呟きに月丸が応える。


「見失っていた己が道を見つけたのだ。憑き物も落ちるというものだ。」


 雄座はハッとしたように月丸に向かう。


「そういえば、お前、御岳さんの術に敗れたのは手を抜いたりしたか?俺はお前が負けるとは…。」


 雄座の言葉を遮るように月丸が笑った。


「はは。そんなことするかよ。俺の術は数百年前のものだぞ。そこらの術者なら兎も角、呉葉が同じ時を掛けて進化させた術に敵うものか。」


 そう言いながらころころと笑う月丸。

 術の良し悪しなど雄座には分からないが、古き友である呉葉の弟子の成長は、月丸にとっても嬉しいのであろう事は分かった。


「よし、じゃあ何処かで飯を食いに行くか。そこで詳しく先程の稽古の解説をしてくれよ。」


「まぁ、良いが…。言ってわかるものか?」


「それは聞いてから決める。」


 そんなやりとりをしながら、月丸の分身を連れた雄座は朝食をとるために銀座へと繰り出していった。






 数日後。


「な…どういう事ですか…?」


 自宅の縁側で、驚く雄座。

 その目の前には、最初に出会ったときのような黒い背広に身を包んだ御岳。

 しかしその表情は穏やかなもので、申し訳なさそうに頭を掻いていた。


「いや。大奥様に己が使命を改めて見つけた旨を報告したところ、大層喜んでいただけましたが…。神宮寺さんの任務はまた別の話という事で、改めて任務継続のため参った次第です。」


 器量も良く体付きも武人のような御岳が小さくなって頭を掻いている微笑ましい姿に、雄座は護衛を改めて承知するほかなかった。


 幸い、以前の様に四六時中一緒というわけではなく、何かあれば駆け付けるという話になった。


「呉葉さんも、ずいぶん厳しいのだな。」


 雄座はくすりと笑いながら、月丸への土産話ができた事を喜んだ。


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