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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第拾参幕 イエツキ
151/177

イエツキ 肆

 既に当たりは暗く、銀座ほどの街灯も無い。それでも足で彷徨く雄座にとっては、なんとなく土地が分かる。


「此処です。」


 か細い浅利の声でタクシーは止まった。大野はタクシーのドアを開けると、辺りを見回す。雄座と御岳も続いて車を降りた。


「この辺は…馬喰町かい?」


 雄座が浅利に尋ねる。


「はい。二つ先の通りが問屋通りです。私の家は此処です。」


 浅利が指す方に目を向ける。そこは小さな料理屋であった。恐らく、店と住居が一つになっているのだろう。二階建てで店舗の奥は少し大きな家屋である。


「浅利君の実家は小料理屋でね。僕もご馳走になったことがあるけど、いやいや、なかなかこれが美味くてね。」


 唐突に語り出す大野を尻目に、浅利の家を見据えていた御岳が浅利に問う。


「ご両親はまだご在宅で?」


「はい。」


 浅利の返事を聞くと、ふむ、と頷く御岳。その御岳の様子に、雄座が問いかける。


「やはり、何か憑いているのですか?」


 雄座の問いに、御岳がこくりと頷く。


「何者かは分かりませぬが、随分と強い怨霊ですな。時間をかけるのもよろしく無い。早々に祓ってしまいましょう。」


 そう言うと、御岳は大野に向き直す。


「貴方はタクシーでお戻りください。」


 御岳が言う。大野はその言葉に驚く。


「そりゃあ無いよ御岳さん。僕だって雄座君の怪奇譚の読者だ。そんな物語の様な出来事を実際に見られるなんてそうそう無いんだ。離れて見ているから良いだろう。」


 興味本位である事を口にする大野に、雄座は苦笑いを浮かべる。だが御岳は真面目な顔つきで、言葉を続けた。


「浅利さんと縁のある方が近くに居られると、この家憑を祓ったとしても、その縁を伝い逃げられるかもしれません。そうなれば貴方の家族が同じ目に遭うでしょう。それで良ければ。」


 淡々と語る御岳に、大野も気押されたのか、少し押し黙ると、ため息をこぼし雄座に向かう。


「…雄座君。事の顛末を後で教えてくれよ。浅利君も。如何やら御岳さんに従うしか無い様だしね。」


 そう言い残すと、明らかに残念がる表情のまま、大野はタクシーに乗り込み、元来た道を戻って行った。


「では、始めましょうか。」


 そう言うと御岳は外套のポケットから数枚の符を取り出すと、雄座と浅利に手渡した。その符自体、雄座にも見覚えがある。

 月丸が用いる符と同じ様な紋様が記されている。


「どうぞこの符を懐に入れておいてください。何かあってもこの符があなた達を守ってくれるでしょう。」


 雄座は符を受け取りながら、つい、思っていた事が口に出る。


「人型では無いのですね…。」


 その言葉に御岳が笑う。


「流石、よくご存じで。身代符ですな。身代符は高位の術でして。守るお方と同じ魂を符として無から作り出します。その為随分と時間も労力もかかりますので。今はこの符でご容赦を。」


 よくはわからないが、それ程あの人型は作るのが大変なのは理解した。それをぽんぽんと作る月丸の凄さを改めて感じる。


「月丸さんは、身代符を用いられますか。我が流派始祖の術と聞いておりましたが、流石は妖霊。」


 雄座の心が読んだかの様な御岳の言葉に、雄座は頷く他ない。


「そりゃあ、月丸は貴方達の始祖である吉房の弟子でもありますからね。根は同じなのでしょうよ。」


 雄座の言葉に少し驚きの顔を浮かべる御岳。一瞬ではあったが、その顔色を雄座は見逃さなかった。


(変な事を言ったか?)


 そう思う雄座を他所に、御岳は玄関の前に立つ。


 辺りはまだちらほらと仕事帰りの者など、人の往来もある。こんなところで祓うつもりなのだろうか。

 先程御岳が言った様に、通行人の中で浅利の一家に縁がある者が居たら、そちらに逃げられてしまうのでは?

 こんな考えが雄座に浮かびはしたが、御岳の行動で、それは雄座の信頼へと変わった。


 玄関の前に立つ御岳は、指先を口元に近づけ、何やらもごもごと呟いている。これも雄座がよく見る光景である。

 月丸のそれに似ていた。ただ、月丸の様に流れる様な柔らかい所作ではなく、御岳のそれはまるで軍人の行動の様に一挙手に節度が見られる。


 暫く唱えていた御岳は、家の端に向かう。懐から取り出した小袋を家の角に置くと、反対側に向かい、同じ様に小袋を置いた。

 

 玄関口まで戻ると、御岳は家とは反対に向き直り、正面の道路にやはり浅利の家の角に面する場所に、二本、小刀を差し立てた。


 三度、御岳は玄関前に戻ると、呟くのを止めると、チラリと雄座に目を向ける。


「参ります。」


 御岳の言葉に、雄座はこくりと頷く。事ここまできては、御岳を信じる他はない。


「出て参れ。」


 御岳はそう言うと、右手を手刀にして、袈裟に振った。


 刹那。


 視界が一瞬、真っ暗になったかと思えば、すぐに戻る。だが、目がおかしくなったのか、辺り一面が真っ赤に染まっている。

 雄座は何度か目を擦ってみるがそれは変わらない。ふと横を見ると、浅利も驚きながらも雄座と同じ様に目を擦っていたので、この辺り一帯、恐らく御岳が作り出した結界によるものだろう、そう考えた。


 雄座が家に目を向けると、真っ赤に染まった家の輪郭から、ぶわりぶわりと黒い霞の様なものが溢れ出る。


「なにこれ…。」


 浅利が呟きく。腰が抜けたのか、その場にへたりと腰を落とした。

 雄座は浅利の肩に手を置くと、守る様に浅利の前に立ち、黒い霞を見据えた。


 その湯気はやがて浅利の家全体を包み、ゆらゆらと揺らめいている。


「おおう…。何奴よ…。私を家から剥がそうとするのは…」


 その声に雄座は目を見開いた。

 

 女の様に高い声。その声はまるで怒りにうめいている様な不気味なものであった。

 何より雄座を驚かせたのは、その声は耳に聞こえるものではなく、頭に、体に響くものであった。


 雄座はごくりと生唾を飲み込むと、御岳の背に目を向ける。


 目の前に立ち上がる黒い霞は、浅利の家を呑み込み、巨大な人の影の様にも見える。そんなものを前に、御岳は先程と変わる事なく、堂々と立ち、霞を見据えていた。


「お前かぁ…。結界を張りおったかぁ。おおう…この程度の結界で私を剥がせるものかよ。」


 霞の声に怒気が篭る。


 そこ言葉と共に、黒い霞から一筋、ゆらゆらと御岳に向かって手の様なものが伸びる。


「この家は私の縄張りじゃ…。法師か何かは知らぬが、私に手を出すならば、お前の命も吸い取ってくれるわ…。」


 やがて黒い手の様な霞が、御岳の首に掛ろうとした刹那。

 ぶわりと音もなく御岳に伸びた霞が霧散した。


「忌々しい…。何をした!」


 黒い霞から幾本もの手が御岳に向かう。だがその全てが先程と同様に霧散して消えた。


 その光景に驚く雄座。


「御岳さん…凄いな…。」


 そう呟いた矢先、浅利が震えながら嘔吐した。


「どうした?浅利さん?大丈夫か?」


 雄座が浅利の背を摩りながら、自身も気分が悪くなっていくのを感じる。

 ふと懐の符を取り出すと、既にその符は書かれた文字が見えぬほど黒く変色していた。


(月丸がよく言う『瘴気』と言うやつか。)


 そう考えながら、雄座も膝をつく。


「御岳さん…。」


 雄座が呟いたと同時であった。

 御岳が静かに口を開く。


「家憑よ。お前を家から剥がすつもりはない。ただ、無に還すだけだ。」


 そう言うと、御岳は宙に向かって一枚の符を投げた。

 やがてそれは小さく丸く形を作り、ぶわりと一瞬、輝きを放つ。


「お…おおぅ…」


 黒い霞が呻き声を上げる。


 符が作った小さい玉は放った光と共に、黒い霞を吸い込み始めた。


「おおぅ…おおぅ…」


 凄まじい勢いで吸い込まれてゆく霞。だが、雄座には風の一つも感じない。不思議な光景であった。


「やめよ…やめよ…」


 その一言を残して、黒い霞は小さい玉に全て飲み込まれた。

 そして、役割を終えた玉は、まるで宙に放った鞠のように、ことんと地面に落ちた。


 御岳はその玉を拾い上げると、雄座に向く。


「終わりましたよ。神宮寺さん。」


 御岳の言葉に、はっと我に帰る雄座。


 既に先程感じた強烈な吐き気も無くなっていた。浅利を見ると、やはり雄座と同様に落ち着いたのであろう。口をハンケチで押さえながら、驚きの表情を浮かべている。


「御岳さん…もう、家憑は祓ったんですか?」


 雄座が呟くように訊ねる。


「はい。もう大丈夫です。お二人も大丈夫ですか?」


 御岳は二人を案じて、雄座達の元へ歩み寄ると、雄座に手を差し出した。


「…はは。何とか大丈夫です。家憑に当てられたのか、一瞬、気分が悪くなって…。」


 御岳の手を取り、立ち上がりながら雄座が応える。御岳はこくりと頷くと、浅利も起こした。


「気分は大丈夫ですか?」


「はい…もう。お恥ずかしいところをお見せしてしまって…。」


 嘔吐してしまったことを恥ずかしがりながら浅利が応える。」


 御岳は浅利の無事を確認すると、言葉を続けた。


「浅利さん。もう家も大丈夫です。ご両親の様子を見てきてください。」


 御岳の言葉に頷くと、浅利は家に向かって駆けた。がらがらと音を立てて引き戸を開けると、そのまま家の中に消えていった。


 あまりにも呆気なく事が終わってしまったためか、雄座も、ぼうっと浅利の背を眺めていたが、ふと、我にかえり御岳に訊ねる。


「家憑は消し去ったのですか?」


 雄座の言葉に、御岳はこくりと頷きながら、再び手を差し出す。その手には黒い小さな石が載っていた。


「まあ、消したと言うよりは封じたと言う方が正しいのでしょうが、もう二度とここから出る事は叶わないと思います。」


 御岳がそう言うと、雄座は改めて御岳の手の上の小石に目を向ける。


「この小石が、さっきの符なんですか?」


 雄座の問いに御岳が再び応える。


「ええ。家憑は怨を持つ悪霊。実体が有りません。なので符で包み込み、その符を石にする事で悪霊を封じたのです。」


 へえ。と呟きながら雄座は御岳の手にある石を眺めた。


 どこにでもある石ころにしか見えない。あれだけ大きな家憑が、この小さな石に封じられていると言われても、俄に信じられないが、きっと真実なのだろう。

 月丸やあやめの様に、風や雷、目に見えた妖気を操る訳でもなく、ただ静かに、しかも瞬く間に家憑を祓った御岳に改めて感心するしかなかった。


「いや、御岳さん。貴方は凄いな。人でありながらあれ程大きな家憑を封じてしまうのだから。」


 雄座の言葉に御岳が笑って応える。


「大奥様や月丸さんなら、もっと容易いでしょう。何よりお二人に瘴気さえ当てさせなかったと思います。自分はまだまだですよ。」


 御岳の言葉に雄座は、ふと思い出した様に懐の符を取り出そうとした。だが符は触れた側から灰のように崩れていった。


「…いや、それでも凄いです。流石は呉葉さんのお弟子さんだ。」


 雄座の言葉に、御岳は少し照れたような微笑みを浮かべると、すたすたと先ほど刺した小刀と小袋を拾い上げた。

 それと同時に、辺りの景色が色を取り戻した。


「家憑を逃さぬための結界でしたか。今までは結界など、月丸だからこそ使えるものと思っていましたが、陰陽の術にもあるのですね。」


 感心しながら雄座が言う。だが、御岳は首を横に振る。


「はは。大奥様や月丸さんならそうするかもしれませんが、私には出来ませんよ。私が張った結界は、通りを歩く人を寄せ付けないためのもの。逃さぬ結界を使えるならば、最初で封じ終えていたでしょうね。」


 御岳はそう言ったが、それでも人の身で術を使う者を目の前で見た雄座にとってみれば、十分過ぎるほどである。雄座は御岳を見くびっていた事を恥じ、心の中で反省した。

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