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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第拾参幕 イエツキ
148/176

イエツキ 壱

 呉葉との再会からひと月程。


 雄座は自宅の濡れ縁に片膝を立て、ぼうっと庭を眺めていた。


 ぶん


 ぶん


 一定の間隔で風を切る音が聞こえる。


 雄座の視線は力無くその音の元へ注がれた。


「さてこの状況…如何したものやら…。」


 雄座は呟き深いため息をついた。




 遡ること、ひと月前。


 羅刹童子を退治した翌日、雄座は月丸と共に呉葉の元を再び訪ねていた。記憶を取り戻した呉葉は、月丸に改めて過去の事を語ってくれた。


 そして、婦人の体もそれほど長くない事も聞かされた。如何やらここ最近不調が続いており、現織林当主やその嫁、孫達から深く心配され、良い医者に診てもらうようにと、半ば強引に東京に連れてこられたそうだ。

 呉葉自身は、自らの力で自分の寿命は知っていたが、周りが心から心配してくれるので、申し訳なくなり承諾したのだそうだ。

 ならばその際に恩師吉房の元を最後に訪ねたい。そう思い来てみれば、あまりの銀座の風景に困り、雄座に助けられたのだと言う。


 雄座からみれば、その命も長くないと言う呉葉の話は深刻であったが、当の本人も、月丸も、それを受け入れているかのように静かに語り、聞いていた。

 少なくとも、先のない呉葉の表情はやりきった、満足そうな笑顔であるように見えた。


 月丸との約束を守り、すずの子である月太を育て上げただけでなく、その血を現代まで継承し続けた。それも名士として。

 師である吉房の法術もまた、弟子に教え、継がせ、今の世に伝えて正義のために行使している。義のために動く吉房の心もまた、呉葉によって今在るのだ。


 これほどの事を一人で成してきた呉葉もまた、雄座が尊敬を向けるに十分すぎるほどであった。



 雄座達が帰る間際、呉葉は雄座の手を取り言った。


「神宮寺さん。貴方には本当にお世話になったわ。道案内どころか、私の迷った記憶すらも、正しく導いてくれた。本当にありがとう。私の全てを込めてお礼するわ。」


 呉葉の言葉に雄座は慌てる。大金でも積まれたら溜まったものではない。


「いやいや。礼なら十分。お二人の楽しそうに話す姿を見られただけで俺は満足ですよ。」


 そんなやり取りがありつつ、呉葉と別れた。先の短いと言う呉葉との別れが心残りではあったが、月丸の心なしか安堵の表情を見て、雄座も静かに受け入れた。


 そして一連の騒ぎは終わったかと思えた。




 時を戻す。



ぶん


ぶん


「ふう。」


 呼吸の音と共に風切り音が止む。だが、雄座の視線は動く事なく眺めている。


「神宮寺さん。私の鍛錬なんぞ、見ていても面白くはないでしょう。」


 雄座の視線の先には、道着を纏って丸太のような木刀で素振りをしている御岳の姿であった。

 御岳は側の植垣に引っ掛けていた手拭いを取り、汗を拭いながら雄座の元へ歩いてくると、地面にどかりと胡座で座った。


「如何です?神宮寺さんも一緒に。お見かけしたところ、筆を取ってばかりで筋肉が弱まっていそうですよ。」


 そう言うと御岳は座ったまま、再び木刀をぶんと振った。


「はは…。そんな重そうな木刀を振ったら、筋肉を痛めて仕事に支障が出そうですな。」


 顔を引き攣らせながら答える雄座。



 呉葉と別れて一週間後。織林財閥の使いの者が金子子爵に面談し、多額の献金の申し出があったと言う話を子爵から聞いた。

 如何やら子爵の元に下宿する若者に色々助けられたからという理由であるそうだ。


 その時は子爵の話を聞きながら、


(呉葉さんの言っていた礼とはこのことか。律儀な人だ。)


 などと思っていた。

 だが、そこからの子爵の話に雄座は目を丸くすることになる。



「いいかい雄座くん。織林といえば、財界でも地位が高く、爵位はなくともその発言は政治にも影響するほどの権力者だ。しかも歴代当主は義を重んじて、曲がった事が大嫌いだって評判だ。その織林に俺ぁ信用してもらえて、力を貸してもらえたってことだ。嬉しいじゃねぇか。」


 そう語りながら笑う子爵。

 少なくとも、雄座に権力のことはわからないが、呉葉の家が余程大きな力を持っているのは理解している。金子子爵は政治家としても織林という強い後ろ盾を得たことになることは理解していた。


「それで雄座くん。ものは相談だ。いや、俺からの頼みを聞いてくれねぇかな?」


 金子子爵は笑を止め、雄座に向き直った。

 金子子爵がこれほど改るのも珍しい。だが恩人であり、第二の父とも言える子爵の頼みとあらば、応えぬわけにはいかない。


「ええ。俺にできる事であれば何でも。」


 雄座は笑顔で応えた。


 その結果。



「雄座さん。如何しました?ぼうっとして。お疲れですか?」


 木刀を置き、汗を拭きながら御岳が訊ねる。雄座も慌てて応える。


「ああ…、ちょっと仕事のことで考え事をしてました。」


 雄座の苦笑いを間に受け、御岳も笑う。


「はは。流石は名の売れた方は違いますな。この様なひと時ですら仕事のことをお考えとは。いやはや、見習いたいものです。」


 御岳の言葉を聞きながら、雄座も乾いた笑いで応えた。


 金子子爵の頼みとは、この御岳であった。


 織林が金子子爵に協力するにあたって、ただ一つの条件を提示した。


 『織林の一人、御岳を金子子爵邸に下宿する神宮寺雄座さんのお弟子として置かせて欲しい。』


 そういうものであった。


 最初は弟子などと、と断ってはみたが、金子子爵の頼みに折れた形となった。

 呉葉が陰陽術を叩き込み、術師としては当の呉葉からのお墨付きを受けるほどの御岳が、何のために自分の弟子になろうというのか、甚だ解らぬことだらけではあったが、気が付けば御岳は金子子爵邸の一室を借り受け、今に至る。


 御岳に理由を聞いても、


「神宮寺さんの書く小説に感銘を受けました。ですので、神宮寺さんの手伝いをしたいと思いました。」


 そんな事を言う。元々生真面目な男なのであろう。その言葉が概ね嘘であろう事は雄座でも分かる。何かは分からぬが、目的は何かある。

 月丸であろうか。

 呉葉の使いである御岳。恐らく雄座じぶんの弟子とは名目で、月丸を守りたいのではないだろうか。

 少なくとも呉葉から遣わされたのだ。自分や月丸に害成す存在ではない。そう思ったからこそ、雄座も御岳を無碍にする事はない。

 だが逆に、無碍にもできないから毎日こうして一緒に居られては気疲れしてしまう。


 飯の支度も、洗濯すらも進んでやってくれる。それこそ、今いる縁側から見える庭も、丁寧に草刈りされ、落ち葉すら無い。


「どれ、そろそろ夕食ゆうげの支度でもしますかな。神宮寺さんはどうぞ、お仕事に専念されてください。」


 御岳が立ち上がる。


「あ、いや、夕食は結構ですよ。仕事でこれから出ますので、飯は出先で食べてきます。御岳さんもどうかご自身の時間を過ごしてください。」


 雄座は慌てて御岳を制した。


「…そうですか。ではご一緒に…。」


「いやいや、それには及びません。御岳さんはお休みください。」


「わかりました。では外出中、書斎の掃除だけはさせていただきます。その後に休ませていただきます。」


 そんな気の休まらない日が数週間続く。



 御岳は初めて会った時は、片足を失っても気丈に戦い続けようとするほど勇ましく、仲間たちを指揮する武人の様にも見えたが、今居る目の前の御岳は、体つきこそ鍛え上げてはいるが穏やかな好青年である。雄座よりも年上の二十七だというが、年下の雄座に弟子入りという名目で来たためか、敬い礼のある態度を崩さない。


 だが扱いに困る。まだ距離の計りかねる御岳。だが自分が御岳の様な立派な青年から敬われるほどの人でもない事がわかっているからこそ、接し辛い。


 いっそ友の様に何も飾らず接してくれればまだ有難いが、御岳の性格なのだろう。雄座を主の如く接する姿勢を崩さない。


「まぁ、月丸に相談するかな。」


 出版社に顔を出す帰りに、月丸の元へ行く事にした。

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