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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第拾弐幕 記憶
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記憶 拾弐

 日もすっかりと傾く。時間にしてみれば十八時位であろうが、この季節、夜中と言っても不思議がないほど暗い。


 酒のせいか、呉葉と会えたのが余程嬉しかったのか、月丸はいつになく饒舌であった。


 呉葉と出会った時のこと。


 自分同様、師を尊敬していたこと。


 普段和かな呉葉が一度怒れば神ほども強いこと。


 魔王と言いつつも、心優しいこと。


 語る月丸の表情はいつになく柔らかく、聞く雄座も自然と口角が上がる。



 一度、月丸と共にすずの家で呉葉は月太のおしめを替えたり、あやしたりしたことがあると言う。

 百鬼夜行を逸らすために準備をする一時であったが、あまりにもか弱く、愛らしい赤子に、呉葉はすっかりと魅了され、月太が笑えば呉葉も笑い、月太が泣けば呉葉は困った様に、しかし嬉しそうにあやしていた。

 その姿は、第六天魔王の運命を背負い、百鬼夜行に立ち向かう術者などではなく、一人の幸せそうな女であった。


 師は一度だけ、呉葉に尋ねたことがある。


 誰かの妻となり、子を授かって人として生きる道も作ってやれると。だが、呉葉はそれを断った。改心したとはいえ、多くの命を奪った者が当たり前の幸せを望むべきはないと。

 何より、子を授かったとしても、呪われた力が子に受け継がれてはあまりにもその子が不幸であると。だからこそ、戦い、世のため、人のために散ることを望んでいた。


「ならば、月太を託したことは呉葉さんを縛りつけたのではなく、呉葉さんの望む女としての、人としての幸せを与えられたのではないか?」


 月丸の話を聞きながら、雄座が言う。その言葉を飲み干す様に、月丸は酒を喉に流し込んだ。


「そうであるといいな。呉葉の笑みを見ていると、雄座おまえの言うことも正しい気がしてくるよ。」


 月丸はそう言って笑った。


「さて、俺はそろそろ帰るよ。」


 雄座は懐から取り出した時計を見ながら月丸に言う。


「どうした?いつものように泊まっていけばいい。酒もまだある。」


 月丸の言葉に、雄座は苦笑しながら服を指差した。


「そうしたいのは山々だが、こんな他所行きの服ではな、落ち着かんよ。」


 雄座は上着は脱いでいるものの、正装のままである。いつもの皺だらけのシャツや袴とは訳が違った。


「ああ。そういえばそうだな。その格好で寝るわけにもいかぬな。」


 月丸も笑って応えた。



 明日に改めて来ると約束して、雄座は帰路に着いた。月丸の話を聞きながらいつものように酒を煽ったためか、足元をふらふらさせながら銀座を歩く。


「いかん。呑み過ぎたな。いつもの調子で呑んでしまったな。」


 流石にこの格好では道端に座り込むわけにはいかない。だが、歩いたせいで酔いがまわったのか、視界もゆらゆらと揺れている。


「駄目だ。休憩するか?いや…月丸の所に戻るか…。」


 ぶつぶつと呟いていると、不意に体が軽くなった。如何やら誰かが肩を貸してくれているらしい。


「大丈夫か?帰るのだろう?金は持っているか?直ぐそこにタクシー会社がある。そこまで頑張れ。」


 雄座の耳にそんな言葉が入ってくる。肩を貸してくれている者、その声から男であることがわかる。


 ああ…、新聞社の誰かか…。


 タクシー?


 ああ、確か去年出来た金を払えば車で送ってくれるとか言う会社が数寄屋橋辺りにできたんだったな。


 そんな事をぼうっと考えつつ、雄座は男に応えた。


「すまんね。金は何とかなる。タクシーのところまで連れて行ってくれ。」



 昨年開業したタクシー会社。市電や乗り合い自動車は停留場や駅を辿るが、タクシーは料金を払えば自動車で目的地まで運んでくれると言う。ただ、利用するには数寄屋橋側の車庫まで足を運ぶ必要があった。自動車に乗れるということで話題にもなり、雄座の記憶にも残っていた。元々、市電すら金がかかると乗るのを躊躇っていた雄座。高額な料金であるタクシーは無縁のものと思っていたが、こうも酔っていては背に腹はかえられぬ。何より、肩を貸してくれている男にも迷惑になる。素直に男の提案を受け入れた。


 直ぐにタクシー社の車庫に着いた。雄座は待合所の椅子に座らされて、男が車の手配をしてくれた。程なく雄座の前に自動車が一台止まると、雄座を乗せて出発した。


「おい。着いたら起こしてやろう。それまで休んでおれ。」


 男の声を聞きながら、雄座の意識はそこで途切れた。







「…さてさて。こうも簡単に捕まえられるとは思わなんだわ。」


「お前の術なんぞではなく、ただ酒で酔い潰れただけではないのか?」


「阿呆。酒が入っていたから余計に術が効き過ぎたのじゃろう。ちょいと感覚を鈍らせるつもりが、足腰も立たんようじゃしな。」


 雄座の耳にそんな会話が入ってくる。


 体を起こそうにも動かない。


 声は術が効き過ぎたと言っていた。こいつらは妖怪か?


 捕まったのか?


 なぜ自分が?


 今如何なっているんだ?


 確かにタクシーの自動車に乗せられたところまでは覚えている。一緒に来てくれた男は如何した?


 開かぬ目のまま、鈍い体の感覚を確かめる。


 土の匂い。如何やら地面に寝かされているようだ。

 そっと指を動かしてみる。動かない。


 酔いだけではない。先に聞こえた術とやらで体の自由を奪われているのかもしれない。

 動かぬままでいる雄座。その耳に再び声が聞こえる。


「本当にこんな奴で、釣れるのか?その、やたらと妖気のでかいのが。」


「ああ。間違いないわい。昨日は年寄りの、今日は小娘のなりでこいつの側に居った。妖気はでかいがお前さんほどじゃない。あれを片付けてくれたらたんと礼はしよう。あんなのが居たんじゃ、おちおち仕事もできねぇしな。」


「ばばあでも小娘でも構わねぇ。強い妖気を持つ妖怪なら、そいつを喰らって俺の糧にしてやる。上手くいきゃあ、あの忌々しい天狗に仕返しできるってもんだ。勿論金も貰うがな。」


 がはは、と、低い笑い声が響く。笑い声の反響から、屋外である事が分かった。


 雄座は考える。


 『昨日は年寄り』、そう言った。自分と関わった老人は織林婦人とぬらりひょん。

 『今日は小娘』。これは月丸の事であろう。恐らく同一の妖怪と見ているようだ。

 そして先程から聞こえる声。昨晩と口調は異なるが、覚えている。ぬらりひょんだ。昨晩、織林婦人が警告した事を根に持っているのだろうか。ぬらりひょんが何者かと結託して織林婦人なり、月丸なりを喰おうというのである。

 もう片方の声は聞き覚えがない。だが、低く腹に響く声。まるで地獄の鬼でも話しているような、恐ろしげな声である。



 俺を捕まえて誘き寄せようというのだな。月丸は俺が居なければ社からは出られぬ。捕まっていることも知らぬ織林婦人が助けに来ることはないだろう。ならばこいつらは無駄な事をしている。


 そこまで考えて雄座は気付く。


(何であれ、誰も助けに来ないということだ。)


 恐怖はあるが体も動かせず、声も出ない。一先ず、月丸か織林婦人を誘き出すと言うならば、それまでは殺されることはないだろう、そう考えた。


 そもそも此処は何処であろうか。

 歩く距離ならば銀座からはそう離れないであろうが、自動車で運ばれたのだ。かなり遠くまで来ていても不思議ではない。


「で?如何するのだ?どうやってその婆なり小娘なり、妖を誘い出す?」


 低い声に応えるぬらりひょんの声。


「ふむ。昼間にな、住処と思える場所を見つけた。一つは帝国ホテル。もう一つは途中で見失ったが銀座の市中じゃ。その辺りにお前さんの餓鬼を放ってくれんかの?」


 ぬらりひょんの声に怪訝そうな声が返る。


「まだ俺を使うか。あまり調子に乗るとてめぇも喰らうぞ。」


「ひゃひゃ。だからお前さんは阿呆なんじゃ。儂が策を立てねば、お前さんでは捉える事など出来ぬわい。」


「ふん。まあいい。俺も力を付けなければ、あの守護者づらした天狗には届かねえからな。今はてめえに力を貸す。」


 その会話を聞きながらも、どう逃げるかを考える雄座。だが、先程の低い声の言葉が頭に残った。


(守護者…天狗…。あやめさんか?)


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