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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第拾弐幕 記憶
133/177

記憶 伍

 頭の整理はつかないものの、雄座はふと、昼間のことを思い出す。月丸はあの場所で亡くなった人を見ていない。自分が古地図を見誤ったかも知れない。


「そうだ…。あの、織林さん。もしかしたら昼間に案内した場所ですが、私が間違えたかも知れません。」


 そう言うと、婦人は首を傾げる。


「あら?どうして?あそこで間違いありませんでしたよ。」


 そう言う婦人に、どう説明すればいいか。

 あそこには人に見えない社があって、そこから見ている月丸ものがいる。その者が大火の折、ここでは誰も死んでいないと言っていた。


 もし、自分が言われたら、信じないであろう。だが、あの場所ではないことを説明しなければ。


「いや、実は銀座大火の折、あの近辺の状況を知っている者がいて、あの辺りで亡くなった人が居ないと聞きまして。」


 まあ、嘘は言っていない。

 織林婦人は、雄座の言葉に優しく微笑み答えた。


「ありがとう。あの後も調べてくれていたのね。でも、あそこで間違いないの。気配でわかるわ。それに、私の恩師が亡くなったのは、銀座の大火よりも随分と昔なの。本当にありがとう。神宮寺さん。」


 間違いないと言われては雄座も黙るしかない。だが、婦人が若い頃と言っても三、四十年前位であろうが、大火以外はそれほど多くの人を救わねばならぬほどの事件はない。では、一体、婦人の恩師が亡くなったのは?


「随分前と言うと?」


 好奇心から雄座が訊ねる。

 婦人は少し考え、ばつの悪そうな笑みを浮かべ応えた。


「ごめんなさいね。すっかりおばあちゃんになっちゃって、昔過ぎて思い出せなくなってるのよ。恩師の名前ですら、さっきまで思い出せないくらいだったのだから。でも、それもあなたのお陰で名前も思い出せたわ。」


 今度は雄座が首を傾げる。


「恩師のお名前を?」


 婦人はこくりと頷いた。


「そう。吉房様って。」


 婦人の言葉に雄座は全身に鳥肌が立つのを感じた。

 同名の者であろうか。だが、この織林婦人は、あの神社の地で恩師が亡くなったと言っていた。何より、その恩師が吉房である。これが偶然であるはずがない。となると、この婦人も月丸を知る者ではないか?


「まさか…まさか、貴女も妖怪…」


「大奥様。そろそろ。」


 後ろで控えていた黒背広の男達の声が雄座の言葉を掻き消した。


「ええ。わかったわ。」


 婦人は男に返事をすると、直ぐに雄座に向き直した。


「今日は本当にありがとうね。神宮寺さん。あなたのお陰で無事にお参りも出来たし、とても良い一日だったわ。」


 そう言うと婦人は深々と頭を下げた。

 顔を上げ、にこりと笑うと、婦人は男に連れられ止めてある自動車へと歩き出した。雄座は只々その背を見送る。自動車のドアまで来ると、婦人は立ち止まり、穏やかな笑みを浮かべ振り向いた。


「そうそう。私、織林呉葉と申します。暫くは帝国ホテルに泊まっているから、お暇ならお越し下さいな。せめてものお礼をしたいわ。」


 婦人はほほ、と笑うと、雄座に軽く会釈してそのまま自動車へ乗り込む。続いて男達も早々に乗り込むと、自動車は音を立てて走り去っていった。


「…呉葉…?まさか…。」


 雄座は呟くと、弾けた様に走り出した。



 場所は変わり、社の中。

 ちらちらと雪が舞う寒い中、酒を買いに行った雄座のために、戻って来たら直ぐに暖を取れる様に月丸は小屋の中で火鉢を暖めていた。

 炭を火鉢で動かしながら、ふと、呟く。


「…遅いな。また何かに巻き込まれてなければ良いが。」


 月読の一件以降、月丸ですら気配に気付く事が出来ない者が居る事を知り、月丸自身、時折り雄座の事が心配になる。それもいつもは杞憂に終わるのも分かっている。だが、いつもなら酒を買いに行くのに二十分程で戻るが、既に一時間を過ぎている。

 社の外に出られるわけではないが、何となく立ち上がり、様子を見ようと外に出るために立ち上がる月丸。戸を開けようと手を伸ばした瞬間。


ばん。


 大きな音を立てて戸が開く。

 入って来たのは雄座であった。走って帰って来たのか、はあはあと息も荒い。


「おう雄座。随分と時間がかかったな。寒かろう。一先ず暖をとれ。」


 月丸の目の前で肩で息をする雄座を促す。だが、雄座は頭や肩に淡く積もる雪すらも掃わずに、月丸の肩を掴んだ。


「あ…あの婦人だ。いや、違う。吉房殿の…。その前にあれだ。ぬらりひょんとかいう妖怪が…。」


 はぁはぁと息を切らしながら語るため、月丸には雄座が何を言っているか分からず、苦笑いを浮かべる。


「わかったわかった。とりあえず雪を掃って入れ。酒を呑みながら聞こう。」


 月丸に促され、ようやく雄座は小屋の中に入った。そのまま雄座が手に持っている酒を受け取ると、雄座の背中を押して火鉢の傍に連れて行った。


「座って待っていろ。」


 月丸はそう言うと、土間に降りてかちゃかちゃと湯飲みとグラスを用意し始めた。それを眺めながら、雄座は火鉢で手を温める。

 ふう、と大きく呼吸すると、やっと興奮も収まってきた。月丸は雄座の面前に腰を下ろすと、持ってきた湯飲みに酒を注ぎ、雄座に手渡す。もう一つ、茶瓶に酒を注ぐと、火鉢の上に置いた。


「こっちが温まるまで、まずはそれを呑んで落ち着け。で?妖怪がどうしたって?」


 自分の湯飲みに酒を注ぎながら月丸が尋ねる。


「ああ。妖怪な。ぬらりひょんというらしい。それに会ってな。」


 雄座はそう言うと、渡された湯飲みを口に運んだ。


「ほう。ぬらりひょん。俺も昔に出会ったことがある。何だ。ぬらりひょんから慌てて逃げてきたというのか。」


 月丸は笑いながら返すと、一口、酒を口に含み言葉を続ける。


「心配するな。ぬらりひょんは別に人を襲うような妖ではない。まぁ、金やら飯をせびられるから、その辺は迷惑をこうむるかもしれんな。」


 そう言うと月丸はころころと笑った。雄座が問う。


「ん?会ったことがある?ぬらりひょんにか?」


 月丸は笑いながらこくりと頷く。


「ああ。すずの家は村の中でも裕福だったからな。ある日、お師様とすずとで山菜を取って帰ってきたら、ぬらりひょんが家に居て、すずの両親にもてなされていたよ。ぬらりひょんの口車に騙されて連れてきたんだろうな。」


 その時の光景を思い出しているのか、月丸はくすくすと笑いながら話を続ける。


「最初は随分と両親に敬われていたから、何者だろうとすずと見に行こうとしたら、お師様に止められてな。」


 普段よりも饒舌な月丸の話に雄座もふむふむと相槌をうつ。


「なんですずさんの両親にそんなにもてなされたんだ?」


 雄座の問いに月丸が応える。


「ああ。何でも、朝廷に仕える何某と言っていたな。身なりだけはちゃんとしているからなぁ。恐らく、佐ノ丈、すずの父が『公家のお方ですか?』とでも尋ねたのだろう。」


 雄座にも心当たりがあった。確かにこちらから尋ねたことを上手く肯定して、さもこちらの思う者になる受け答えであった。


「で、吉房様は何故止めたのだ?」


 月丸はくすりと笑うと、酒を一口含み応える。


「ああ。俺が行くと妖気で逃げてしまうと言ってな。お師様が話を合わせてぬらりひょんを褒めている姿が面白くてな。」


 月丸が言うには、吉房はぬらりひょんに、神のような力を感じる。さぞ名のある陰陽師では。そう訊ねた。するとぬらりひょんは左様、よくぞ見抜いた。田舎坊主とはいえ、見どころがあると答える。すると、吉房は、まさか、かの有名な陰陽師、吉房様では?と訊ねる。するとぬらりひょん、よくぞ我が名を知っておる。そう答えた。

 両親はその時に騙されたと気づいたらしいが、吉房が両親を制して、ぜひ術を見せてほしいとぬらりひょんに頼む。だが、ぬらりひょん。妖であっても妖術などは使えない。みだりに使うものではないなど、のらりくらりと吉房の頼みを断る。

 そんなぬらりひょんに、自分も少し、術が使えると吉房。ぬらりひょんが、ほう、見せてみろと促すと、吉房はぬらりひょんの身体を封じ、嘘をつくな、悪さをするなと一晩かけて説教したというのだ。


「得意の口先でもお師様に勝てずに、泣きそうな顔で説教を受けるぬらりひょんが、じじいのくせに子供みたいでな。面白かったのは覚えている。」


 月丸はそう言うと、湯飲みの酒を呑みほした。雄座は空いた月丸の湯飲みに酒を注ぎながら、訊ねる。


「ぬらりひょんは、説教で済んだのか?」


 月丸は首を横に振る。


「馳走を受けた分、しばらくは畑仕事をさせられていたな。それも嫌になったようで、ある日逃げ出したよ。お師様は食った分は働いたから放っておけ、なんて言っていた。だから、今お前からその名を聞くまですっかりと忘れていたよ。」


 ころころと笑う月丸を眺めながら、以前に会っていたということは、ぬらりひょんが語ったこともあながち嘘ではなかったのではないかと考える雄座であった。


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