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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第拾弐幕 記憶
132/177

記憶 肆

 つい同行してしまったが、この老人。果たして味方なのであろうか。神が類であろう。あの野菜売りの少年を知っていた。味方ならば良いが、もしかして月読の手の者であったらどうする?

 今この場に月丸も居ない。

 この老人が本当に神の類であり、月読の手先であれば、雄座では手も足も出ないだろう。


 さて、どうすればいいか。


 ちらちらと降る雪すらも既に気にならない程、雄座の頭は色々な状況を考える。


「一体、どこへ行こうというのです?」


 雄座は考えをまとめるために時間を稼ぐことにした。老人の手を払い退け、足を止めると老人に尋ねる。


「そうじゃのう。その酒に合うならば、天麩羅であろうと思ってな。この先に少し値は張るが、美味い店がある。そこへ行く。」


 老人は、行くぞ、と言わんばかりに顎をくいと上げた。

 まさか店の場所を言われるとは思わず、唖然とする雄座。しかも手に持っている酒も呑む気でいる。厚かましいものである。


「な…ならば、これだけは教えてくれ。」


 雄座は我に帰ると再び問う。


「俺に近付いたのは、月丸を狙っているのか?」


 その問いに面倒臭そうなため息をこぼしながら、老人が応える。


「お前の方こそ、月丸の何だ?」


 老人の応えに、今度は雄座が焦る。この老人、月丸を知っているかのようだ。


「俺は月丸を唯一の友と思っている。だからこそ、あんたが月丸の敵か、味方か、俺はそれを知らねばついては行けぬ!」


 焦りから慌てて言い放つ雄座。老人を真っ直ぐに見つめ、答えを待つ。


 ふう。ため息を零すと、老人はにやりと口を緩める。


「月丸…。懐かしい名だ。昔は儂も月丸とは共に酒を呑む友じゃ。あいつは儂を恩人と思っておるだろうな。じゃから心配せぬで良い。」


 そう言うと再び雄座の手を掴む。

 

 月丸と酒を交わす仲だと言う。だが雄座はその様な話を月丸から聞いたことがない。初めて月丸と出会った時、社には本来誰も来ないと言っていた。ならば、この老人の言うことは出鱈目ではないか?


 しかし、雄座の中である思いも湧き出る。つい、それが口に出た。


「…あなたはまさか…、吉房殿か?」


 大昔に死んだ者の名である。だが、自らを神が類と言い、月丸とも酒を酌み交わし、月丸が恩義を感じる老人。

 雄座の頭に浮かんだのはただ一人である。


 月丸の師、吉房。


 人の為に我が身を削り、妖霊に人の生き方を教え、百鬼夜行を封じる為に奔走した数百年前の陰陽師。

 それだけの徳があれば、神にもなろうというもの。その思いが、雄座の口を動かしたのだ。


 老人は、雄座の問いに、一言返す。


「左様。」


 驚きに目を見開き、動きを止める雄座の袖を掴むと、老人は雄座を引っ張る様に歩き出した。


「さあさあ、話は美味い酒と肴をつつきながらじゃ。参ろう。」


 雄座も、話を聞かねば。そう思った。恐らく、月丸が最も会いたい人が目の前にいる。それも神となって。何故、この世に居るのか、月丸に会いに行かないのか、あの野菜売りの少年との関係…。

 聞きたいことはたくさんある。だが、それよりもこの老人、吉房を月丸の元へ連れて行かねば。


 雄座の頭の中に様々な思惑が行き交う。だが、あまりの驚きに、考えがまとまらない。引かれるがままに、老人について行く。


「あらあら。神宮寺さんではありませんか。」


 その声に雄座ははっと振り返る。


 そこには何名かの背広姿の男達に囲まれた織林婦人の姿。


「あ。」


 その婦人の声に足を止めた雄座。自然、雄座を引く老人の足も止まる。

 織林婦人は周りの男に一言二言声を掛けると、小走りで雄座の元までやって来た。


「良かったわ。突然いなくなったから、心配したんですよ。昼間のお礼もしてなかったから。」


 口元を隠し微笑みながら婦人が言う。


「ああ、すみませんでした。急用を思い出したもので。」


 慌てて言い訳する雄座。だが、その言葉も婦人に流される。


「先程ね、うちの男衆に…、あ、あそこに居る人達だけど、昼間のお話をしたら、怒られちゃったわ。そんな大金渡したら、怖がられて逃げたくもなりますよー、ですって。ごめんなさいね。気が回らなくて…。親切にしてもらったのに、不快な思いをさせてごめんなさいね。」


 そう言って織林婦人は深々と頭を下げた。雄座も堪らず頭を下げた。


「いやいや、不快なんて。本当に、その、用事があったもので…。」


 月丸の所に行く。用事は嘘ではない。まあ、急ぐものではなかったが。


 婦人は雄座の言葉で頭を上げた。


「でも良かったわ。ここで会えて。丁度ホテルに帰る所だったの。今なら神宮寺さんに御恩を返せそうね。」


 まだ言うのか。雄座がそう思った時、婦人は雄座の袖を握る老人に目を向ける。


「あら。こちらの方は?」


 訊ねる婦人に雄座は返答に困る。


 素直に数百年前に亡くなった陰陽師とも言えぬ。何とも言いあぐねていると、婦人が老人に尋ねた。


「この神宮寺さんね。私の恩人なのよ。だからね。ここは神宮寺さんから離れていただけません?」


 突然の婦人の言葉に、雄座が慌てる。


「いや、その、この方とこれから、その、呑みに行く事になっていまして。」


 慌てる雄座を他所に、婦人は老人に続ける。


「普段なら私、口を挟まないけど、神宮寺さんを連れて行こうというなら、お仕置きしなきゃいけなくなるわ。」


 そう言うと、婦人の顔から微笑みが消え、厳しい目付きで老人を見つめる。

 その途端、雪の散る中、老人は禿げた頭に大粒の汗を滲ませ、みるみると顔色を青くする。


「お前…。いや、あなたは…、まさか。」


 ぼそぼそと呟いたかと思うと、掴んでいた雄座の袖を放し、逃げる様に走り出した。


「よ…吉房殿!」


 突然の状況を飲み込めず、雄座は走り去る老人の背をただただ見送ることとなった。


「吉房殿?」


 婦人が雄座を見上げながら訊ねる様に言う。雄座は目で老人を見送りながら応える。


「ああ。あの方の名です。何で突然…。」


 雄座の言葉に、婦人は笑みを戻して再び訊ねる。


「神宮寺さん。あの方とお知り合いではないの?」


「知り合いというわけでは…。ただ、友人の恩師の方で、会わせてやろうと思っていたのですが。何で突然…。」


 頭を掻きながら応える雄座。

 何故慌てて逃げる様に走り去ったのか。こんな人の良さそうな織林婦人が怖い訳でもなかろうに。

 困り果てる雄座に、婦人が語りかける。


「ごめんなさいね。あのお爺さん、妖怪なのよ。神宮寺さんが騙されちゃいけないと思って、つい。」


 はあ?と声を漏らし婦人に目を向ける雄座。


「いや、あの方は吉房と言う陰陽師で…。」


 婦人の言うことも突拍子もないが、自分が口にしたことも、普通ならば突拍子もない。

 混乱する雄座を落ち着かせる様な口ぶりで婦人は続ける。


「あのお爺さん、ぬらりひょんっていう妖怪よ。人を言葉巧みに騙して、住処や食事をたかるのよ。」


 言うと、ころころと口元を隠して笑う婦人。

 それに雄座が応える。


「それはないかと…。俺の友人のことも知っていた。それに吉房と言う名は今の世の者では知り得ない…。」


 そこまで言うと、雄座は考え込む。


 あの老人から言った事はあったか?


 全て雄座自身が言ったことにあの老人は合わせていただけの口ぶりであった。吉房の名も、雄座が尋ねたことで肯定しただけである。あまりに堂々と応えるので、雄座自身もつい、信じてしまった。


「ああ。成る程…。」


 老人の走り去った先を呆然と眺めながら、雄座は呟く。


「そんなにもせせこましい妖怪も居るんですねぇ…。」


 そんな雄座の呟きに、婦人は笑いながら応える。


「ふふ。怪奇譚に出てくる様な妖怪ばかりじゃないのよ。あんなのも居るの。でも狙われると散々お金を使わされることになるから、つい、ちょっと脅しちゃったの。」


 そう言う婦人を見ると、昼間と同様、品のある人の良さそうな良家の老婦人である。こんな婦人が脅したくらいで、力を持たないとはいえ、妖怪が逃げるだろうか。ぬらりひょんもそうだが、この婦人こそ、何者であろうか。


 婦人はにこりと笑うと雄座の手をとった。


「ありがとうね。こんなお婆さんの話を信じてくれて。嘘は言っていないけど、普通妖怪なんて言っても信じてもらえないけどね。お昼もそうだけど、神宮寺さんは優しいわね。神宮寺さんを守る事ができて良かったわ。」


 婦人の言う通り、普通ならば妖怪など、江戸の世でもあるまいし信じるわけがない。だが、妖怪の話を書き、妖霊を友とする雄座には、それこそ妖怪が存在する事が普通である。

 河童化けや死姫、最近では月読尊すらも目にした雄座にとっては、寧ろぬらりひょんの様な何の力も持たない妖怪の方が驚きであった。

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