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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第拾弐幕 記憶
131/177

記憶 参

 陽もすっかりと落ち、辺りは暗くなっている。だが、昼間からの曇天は、夜になり気温が下がった事で、ちらちらと舞う雪を降らし始めた。


 酒でも飲んで温まろうということになったが、生憎社の酒が切れていた。今日、この社に来る前に買ってくるつもりで居た雄座であったが、道案内の末、慌てて社に飛び込んだ為、酒のないのを忘れていた。

 幸い暗くなったとはいえ、まだ十八時を少し過ぎた頃合いである。まだ、酒屋は暖簾を下ろしていないだろう。


「酒を買ってくる。」


 雄座は月丸に言うと、綿入を体にきつく巻きつけ小屋を出る。鳥居の方へ目をやると暗くはなっているが、本通りの街灯は社の前の通りにも届き、うすらとその風景の輪郭を雄座の目に映す。


 いつものようにまばらに歩く人。


 いつもの正面の煉瓦の壁。


 あの老婦人の姿は流石にないようだった。


 雄座はほっとしながらも少々残念な心持ちであった。月丸の話では大火の折、鳥居の前で亡くなった方は居なかった。恐らく織林婦人も人伝に此処で亡くなったと聞いたのではないだろうか。真実を教えてあげたいとも思えるし、彼女の気持ちを考え、このまま何も知らない方が良いのか。雄座にしてみれば、どちらが正しいのかは判らない。


 強いて言うなら、人のために命を賭けたその人の生き様を詳しく聞いてみたい。そういう考えもあった。


 そんな思考が、婦人の姿がなかったとき、雄座の中に僅かな残念を生んだ。

 雄座本人もわかっていた。知らぬ者に根掘り葉掘り聞かれるのも不快であろう。ましてや物書きがそのような事を訊ねれば、興味本位と取られるだろう。


 まあ、やむを得まい。


 そう思い、雄座はすたすたと歩き出した。


 いつものように鳥居の内側から左右を見回す。


 人の目がなくなったのを見計らって、鳥居を抜け、酒屋へと足を向けた。


 まだ積もる程でもない淡い雪は、街灯の灯りを反射してきらきらと景色を彩る。


「暖かい部屋の中から眺めれば、良い雪見酒になりそうだな。」


 呟く雄座。その言葉とは裏腹に、薄い綿入しか持たない雄座にとっては、この寒さはたまったものではない。

 ぶるりとひと震えした後、雄座は足を速めた。


 そんなに遠くない酒屋。月丸の元に行く時は大抵、寄って行く店である。日本酒はもちろん、瓶のビールやウイスキー、ワインといった洋酒も取り揃えている。店の片隅には小さいテーブルが置かれ、そこで軽く呑むこともできた。

 銀座という土地柄、この店の客は雄座のような個人の客より、酒を提供する食事処やカフェといった相手となる。その為、やたらと頻繁に来る雄座は、酒屋の者にとっても顔馴染みであった。


 雄座が酒屋に辿り着くと、丁度暖簾を下ろそうとしている時であった。雄座が慌てて暖簾を片そうとする店主に声を掛けた。


「遅くにごめんください!酒を買いたいんだが、ちょっとだけいいかい?」


 その声に怪訝な顔をしながら振り向く店主。だが、雄座の姿を見るや、その顔に笑顔が戻った。


「おう。神宮寺先生じゃないか。こんな時間とは珍しいね。店は仕舞うけど、先生ならお得意様だ。入っておくんな。」


 和かにそう言うと、中年の店主は雄座を店に招き入れた。


「いや、寒いからさ。もう客は来ねえだろうと思ってね。酒が飲みたきゃこの辺じゃサロンやらカフェやら、居酒屋やらに行きゃいいからねぇ。先生くらいだよ。こんな時間でもうちの店に来てくれるのはさ。」


 温めるために手を揉みながら店主が言う。雄座も店主に導かれるまま、ストーブの前に来ると、手を当て暖をとった。


「外で呑むよりも家でゆっくりと呑む方が好きでして。そんな俺にはこの店は有難いですよ。」


 そんな世間話をしながら、雄座は酒を一升、月丸が美味いと言っていたワインを二本頼む。その間に店の店主が気を利かせてコップに酒を注いで持ってきた。


「先生には贔屓にしてもらってるからね。帰る前に暖まって行きなよ。その間にワインを取ってくるから。お連れさんと一緒に。」


 そう言うと雄座にコップを渡して奥のテーブルに促し、店の奥に消えていった。


「連れ?」


 テーブルに目をやると、一人の頭の禿げ上がった老人が座って、雄座と同じように渡されたコップを両手で持ち、酒を口に運んでいた。


 自分は1人で来たが、如何やら一緒に入ってきて連れと間違われたのだろう。ついでに酒も貰うとは役得である。


「前、座っても良いですか?」


 雄座のその問いに、老人はこくりと頷いた。その応えに雄座は腰を下ろし、貰った酒を口に運んだ。


「肴はないのかのう。」


 ぼそりと老人が言う。今はこの老人と二人きり。つい、雄座も応えてしまう。


「まぁ、酒屋ですからねぇ。この酒も店主の好意でしょうし。」


 そう言うと雄座は再び酒を口に運んだ。

 随分と図々しい老人だ。そう思った。だが、今でこそ減ったが、以前は士族であった老人は態度が大きかったり、図々しい者も少なくない。だからこそ、雄座もそれ以上、この老人に関わることは考えなかった。

 身なりは着物にそれなりな羽織を着ている。どうせ近くの飯屋や居酒屋のご隠居辺りだろう。

 思ったのはその程度であった。


「お待たせ。先生。このワインだろう?先生も酒好きだねぇ。値も張るから先生くらいだよ。こうしてしょっちゅう買いに来てくれるのは。」


 そう言いながら店の奥から店主が出てきた。雄座が礼を言い、金を払う際に、ふとテーブルを見るとあの老人はいなかった。


「何だ…。唯のたかりの老人だったか。」


 その程度に考え、雄座は店を出た。


「今日は老人に縁のある日だったな。」


 ぼんやりそんな事を考えていると、雄座の背から声を掛けられる。


「良い酒だなぁ。じゃが良い酒には良い肴も必要であろう?良い店を知っておる。付き合え。」


 振り向くと先程の老人。杖をつき、随分と偉そうに立っている。

 辺りを見回しても、老人の連れの様なものも見当たらない。雄座が返事に困っていると、老人がつかつかと雄座の元にやってきた。


「ほれ、寒くてかなわん。さっさと行くぞ。」


 腕を引っ張られ、我に帰る雄座。


「いやいや、誰かとお間違えでは?私はあなたと面識はないが…。」


 そう言いながらも老人の手を払う。その雄座の態度に、老人の眉間に皺がよる。


「面識はない。じゃが、お前の知りたい事を教えてやろうと言うのじゃ。ならば馳走くらいせい。」


 その言葉に雄座がぴくりとする。


 月読のとき、あの時は野菜売りの少年であった。この老人、また何かしらの使いなのではなかろうか。雄座の中でその様な思惑が浮かぶ。


「…あの野菜売りの少年と関係があるのか?」


 雄座が問う。


「左様。」


 老人のその応えに、寒さとは別に、雄座の全身に鳥肌が立つ。


「…まさか、あなたも神か?」


「左様。」


「俺をどうする気だ。」


「知りたいのであろう?教えてやろうと言っておる。」


 老人はじっと雄座の目を見て応え続ける。

 知りたい事を教える。雄座には魅力的な言葉であった。


 何故月読が月丸を襲ったのか。

 あの少年は何者なのか。

 妖霊とは。


 色々なものが頭をよぎった。黙する雄座の袖を老人は再び掴んだ。


「それを教えてやると言うのだ。さあ、行くぞ。」


 雄座は引かれるままに老人の後ろを歩き始めた。

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