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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第三幕 妖霊(ようりょう)
13/176

妖霊 伍

 あやめも帰り、やっと静けさを取り戻す境内。

 雄座は盃に入った酒を一息に飲み干し、やっと落ち着きを取り戻す。


「随分と賑やかな夜になったものだな。」


 雄座の一言に月丸も笑う。


「全くだ。天狗などという高位の妖はなかなかお目にかかれないしな。何より、あの娘の素直な正義感は対峙して気持ちのいいものだった。」


 あれだけ刃を向けられた者の言葉とは思えない雄座であるが、それでも楽しかったという月丸の笑顔を見て、その言葉は真実だと知る。だからこそ、自分でも意図せずに言葉が出た。


「あやめさんの言っていた妖霊の伝承など、気にすることはない。お前ではない妖霊の話だろうし、伝承など尾ひれがついて大袈裟に伝えられるものだ。」


 雄座はそう言うと酒を注ぎ口に運ぶ。突然そのようなことを言う雄座に月丸は眼を丸くする。雄座の言葉に喜びを感じたのであろう。その口元に安らかな微笑みを浮かべ、何かを決断するかのように頷き微笑む。


「あの伝承に、きっと偽りはない。それに、この世に妖霊と呼ばれる者は俺しかいない。」


 盃を口につけたまま目線だけを月丸に向け、驚く雄座。しかし月丸はその言葉を続ける。


「師に会うまで、俺は天狗の伝承に言われるような存在だった。先程はあやめを安心させるべく、あのような物言いをしてしまったがな。」


 そう言うと月丸も盃を取り、雄座に差し出した。雄座はその盃に酒を注ぐ。月丸は満足そうな笑顔を向け、その酒を飲み干した。


「雄座、一つ昔話をしても良いかな。」


 雄座は月丸の言葉に素直に頷く。








 時は遡り、世は鎌倉に置かれた幕府が滅び、後醍醐天皇が足利との争いに敗れ、吉野において新たな朝廷を起こし、南北朝が並び立った時代。


 関東の何もない平野に立ち尽す者。幼い少女のような愛らしい風貌ながら、眼を見張るような美しく長い白銀の髪をなびかせ、血のように赤い眼で睨みつけている。誰からか奪ったであろうその着物は、小柄な娘の体に合わなかったのであろう。裾を乱雑に千切り、そして泥と返り血で黒々としている。


「人風情が。この俺に勝てると思っていたか。」


 涼しげな表情に邪な笑みを浮かべる娘。それは朝廷より討伐を命じられている妖霊と呼ばれる妖であった。朝廷は妖霊を討伐せんが為、武家を頼り一軍を持って妖霊の元へと向かわせた。しかし、妖霊の力は人の及ぶところではなく、打ち取るべしと妖霊に向かった一軍は、妖霊によってその命を刈り取られ、その足元に死屍累々の屍を晒すこととなる。

 妖霊の足元に累々と並ぶ骸は、討伐の命を受けた者達であった。


「でもまぁ、これで新しい着物が手に入ったから良しとしようか。」


 骸から衣服を剥ぎ取り、何事もなかったようにそれに着替える。数百の人の命を奪った事への罪悪感などない。自分を殺そうとやってきたのなら返り討ちにあっても文句は言われる筋合いはない。

 着替え終わった妖霊には既に骸の山には興味がない。立ち去ろうとする妖霊に声が掛かる。


「ほぅ。殺すも殺したり……。何百人おる事やら。愛らしい顔をして恐ろしいことをやるわ。」


 その言葉に妖霊が振り返ると汚れた狩衣かりぎぬに編笠を被っているため、年の頃は分からないが、その声から人の男であることを妖霊は理解した。


「まだ生き残っていたか。目障りだ。さっさと死ね。」


 その男に興味がないように一言語ると、妖霊は踵を返し、顔も向けずに指だけを指す。その刹那、男は青い炎に包まれた。燃える音を聞きながら、歩を進めようとした時、


「かっかっ。ぞんざいにすごい術を使うのう。ただ、しっかり相手を見ないと、勝てる相手かそうでない相手かわからぬであろうが。」


 妖霊の足が止まり、振り返る。そこには先程の男が大笑いしながら立っていた。先程妖霊が放った術は、鬼であろうが燃やし尽くす妖炎ようえんであるのに、ただの人である目の前の男は術を打ち消してみせた。術を打ち消されたことよりも、男を殺めるための手間が増えたことに妖霊は苛ついた表情を浮かべた。


「さて、自己紹介しようかの。儂ははぐれの陰陽師、名を吉房よしふさと言う。この地に巣食う鬼を退治に来た。人の血肉や魂を食らって仕舞うどころか、この地に厄災をもたらすそうなのじゃ。お前さん、鬼の住処を知らぬか?」


 そう言いながら笠を取ると、短髪で白髪の壮年の男であった。顎には白々とした短い髭を蓄える。しかしその表情は無邪気な笑みを向け、まるで妖霊である自分を意に介していないかのようであった。その素振りが妖霊の気を逆撫でする。


「お前の事など知らん。消えろと言ったはずだ。」


 吉房に向かって手をかざす。辺りにどんと大きな音と閃光を発し、男に向かっていかずちが落ちる。辺りの骸も巻き添えとなり、刹那に消炭と化した。舞い上がった土埃を眺めつつ、妖霊が手を下ろす。


「ほほう。とんでもない力を持っておるわ。小娘のなりをしてはおるが、よもやお前が鬼か?」


 吉房は火傷一つなく、先程と変わらぬ表情で砂埃から現れた。妖霊は二度も術を打ち消され、苛立ちの表情から、徐々に怒りの色を見せ始めている。ちっと舌打ちすると、妖霊は無数の雷を吉房に向かって落とした。

 地面は溶け、吉房の周りにあった骸も消失している。それでも吉房は笑いながら立っていた。


「かかかっ。見事なり。お前の妖術はとんでもないのう。

鬼とはこんなにも強い者であったか?」


 驚きに眼を見開く妖霊。


じじい、お前何者だ?」


 妖からの問いに吉房も笑いを止める。


「それは儂が聞きたいことじゃ。娘、どうやら鬼以上の存在じゃな。ちくと、遊んでやろうかの。」


 そう言うと、吉房はあまりにも無防備に妖霊に向かって歩き出した。


 妖霊は風の刃を使い、辺りを消し飛ばす焔を散らし、雷光を迸らせた。その全ては、吉房という陰陽師に全てかき消される。ただの人である吉房のゆっくりとした歩を妖霊は止めることができなかった。


「これはこれは……。恐ろしいものじゃな。地も空も、お前の味方かよ。」


 言葉では驚いていても、妖霊の術は吉房には効いていない。苛立ちと怒りが頂点に達した妖霊は側に寝そべる骸から太刀を奪い、妖気を込めて斬りかかった。その刃は紫色に揺らめく炎となって太刀に纏わりつく。

 恐らく、この太刀に妖霊は全力を込めている。例え鬼といえど容易く切り裂いてしまうであろうその刃は、いとも簡単に吉房に握られる。


「お前……。人ではないのか?なぜ俺の術が効かぬ?」


 妖霊の驚き、唖然とする声に、吉房は気軽に答える。


「術が効かねば何だという。儂は人じゃ。先程も言うたろうに。陰陽師で、名を吉房じゃ。覚えておけよ。」


 そう言うと吉房は声高々に笑ってみせる。まるで敵意のない吉房を理解出来ない妖霊は太刀を持ったまま唖然とする。


「さて小娘や。この倒れし兵どもは何とした?」


 その言葉に我に返った妖霊は太刀を引き、構え直す。


「此奴らは人の分際で、俺を退治に来たらしいので返り討ちにした。俺も死にたくはないからな。」


 そう言う妖霊に、吉房の口元が緩む。そして妖霊に問う。


「ほう。妖が死にたくないとな。なぜ死にたくないのだ?」


 吉房の問いに答えるように太刀を振り下ろす。その刃は先程と同じように吉房に掴まれる。


「お前とて死にたくはあるまい。だから俺の刀を防いでいるのだろうが。」


 太刀を吉房の手から引き抜くと、何度も何度も袈裟に斬りつける。その太刀筋は全て吉房の仗にて防がれる。


「然り。儂もまだ死ねぬでな。」


 妖霊の激しい剣戟を容易く流しつつ吉房は笑い、言を続ける。


「時に妖よ。儂らは何故に生きたいのであろうな?」


 剣戟が続く中、涼やかに吉房は言う。


「爺、お前は馬鹿なのか?死んでしまえば何も出来ぬであろうが!」


 太刀を振り下ろしながら妖霊が叫ぶ。


「ふむ。良いことを言う。ならば妖よ。お前は何を成さんとしておる?」


 吉房の言葉に妖霊の手が止まる。


「何を成すか……。」


 気が付いた時にはこの地に存在し、己の存在が何故にあるのか。何か成すべきことがあるのだろうか。ふと、そのような思考が頭をよぎる。


 自分の力は数多の妖よりも遥かに強いのは朧げに理解出来た。かと言って人も妖も支配しようなどとは思わない。では、この強大な力を持つ自分は何がしたいのか。妖霊には考えつかなかった。

 その思いを感じ取ったのか、吉房は大きな笑い声を上げた。


「かーっかっかっ!お主はどうやら、ただの妖ではないようじゃな。人も妖も、木も草も、空も大地も、生きとし生けるもの全て何かを成すべき存在。暴れるのも良いが、お主のやるべき事を見つけるのも面白いやもしれんぞ。」


 そう言うと吉房は杖を地面に刺し置き、肩を回しながら揉みだした。


「儂は八百万やおろずの神々の力を借り受け、我が術としておる。鬼にも負ける気はせぬが、お主の力は防ぐのがやっとじゃ。何者じゃ?」


 吉房のその姿に妖霊も持っていた太刀を地面に刺しあたまをかいた。


「俺は妖霊だ。お前も不思議な爺だな。俺はどんな妖よりも強いと言うのに、容易に防ぎやがって。」


 その言葉に笑っていた吉房の表情が真面目なものとなる。


「何と。妖霊か。ならばその力も頷けるわ。伝説の妖と出会うとはな。儂の縁も中々のものだ。」


 かかかと笑う吉房に妖霊は呆れた表情を向ける。


「鬼退治と言ったな。この辺の鬼は全て俺が屠った。おれの血肉を喰らえば、不老不死になるなどと言っておったわ。一族郎党引き連れて挑んできたので、纏めて屠ってやった。」


 吉房は、ほう、と声を漏らした。この地の鬼は討伐の命が出ているものの、朝廷の討伐隊やお抱えの陰陽師たちですら震える程の凶暴な鬼であった。一匹の鬼ですら、襲われれば誰一人生き残らない。そのような凶暴な鬼が、一匹ではなく一族で挑み、この小娘のような妖霊に返り討ちにあったのだ。


「こいつらもそうだ。俺を討伐して、血を肉を誰ぞに献上する気であったそうだ。一々口上を垂れやがった。」


 妖霊は周りの屍を一瞥し、吉房に向き直った。


「爺、どうやらお前はこいつらの仲間でもないようだし、

気も削がれた。見逃してやるからさっさと立ち去れ。」


 そこの言葉を聞き、吉房が三度笑い声をあげた。


「見逃してもらえるならありがたい。お礼と言っては何だが、どうだ。俺と一緒に旅をせんか?お前、成すべき事を見つけては居らんのだろう?儂が手を貸してやる。」


 無邪気に皺の深い笑い顔を向けられ困惑する妖霊。それには構いもせずに吉房が続ける。


「世を廻り、色々なものを目にして、聞いて、経験して行けば、きっと己のやるべき事も知り得よう。何より、知らぬ地で人々や妖と接する事もきっと楽しかろうよ。」


 吉房の言葉は僅かに妖霊の心をくすぐった。何をするわけでもない。ただ毎日、襲ってくる者たちを討つだけだった。他の地へ行くなどと考えもしなかった事だ。


「楽しくなければどうする?それに、俺の成すべき事が人も妖も全て滅ぼす事だとしたら?」


 吉房は妖霊の言葉に目を丸くし、続いて大笑いする。


「お前が人も妖も全て滅ぼす気があったら、とっくにそうなっておろうよ。お前にその気がないのであれば、それはない。まぁ、暇つぶしと思って、一緒に来い。つまらんかったら、その時は儂を屠ってもらっても構わん。」


 吉房は腰に下げていた竹筒の栓を抜いて妖霊に渡す。


「旅連れの記念の酒じゃ。呑むが良い。そういえば、妖霊。お前名を何と申す?」


 酒であった。妖霊は初めて口にしたらしく、「不味い」と吐き出し、口を拭きながら答える。


「名などない。俺は妖霊だ。それで分かるであろう。」


「良い酒を勿体ない。そうか、名無しか。」


 そう呟きながら吉房は竹筒に口を付けた。呑みながらふと、空にある満月が見えた。



「丸い月……。そうじゃ。お前の名は月丸じゃ。良い名であろう?」


 妖霊は怪訝な顔をしながら同じく空を見上げる。安直な、そうは思いつつも、自分についた名に悪い気はしない。


「勝手に呼べばいい。」


 月丸の言い放った一言に、吉房はまた笑い声を上げた。

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