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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第拾弐幕 記憶
129/176

記憶 壱

お久しぶりです。

色々ありましたが、再開させていただきたいと思います。

どうぞ改めてよろしくお願いいたします。

 空を見ればどんよりとした雲が一面に広がり、今にも一雨来そうな天気の午後であった。

 雄座はいつもの綿入に身を包み、銀座へと向かうため、てふてふと千鳥ヶ淵辺りを歩いていた。


 ふう、と吐く息は白く濃い。


「こりゃあ、雪でも降りそうだな。」


 雄座は一人呟くと、空を眺めた。


 千鳥ヶ淵は銀座や有楽町より高台にあるため、銀座一帯を見下ろせる。そこから眺める景色は雄座のお気に入りであった。

 何処そこで新たな建物が建築されており、日々姿を変え、まるで成長しているような街の景色は眺めていても飽きない。


 丁度、先日、東京駅が開業した。新橋、銀座よりも物見の客で大いに賑わっている。海外の建築家の設計らしく、煉瓦造りでその姿はまるでヨーロッパの宮殿でもあるかのようだという。また、皇居の面前である中央口は、その立地に見合う装飾が施され、その物珍しさは多くの者を集めた。


 年の瀬も迫ったこの時期に開業したこともあり、勤め人、観光、故郷へ帰る為に駅に向かう者、様々入り混じる人の多さに、雄座は見物を控えていた。だが、こうして内堀を進めば、半蔵門を越えた辺りで、僅かだが東京駅の頭が目に入り、新橋の駅よりも随分と立派な作りであることが窺える。今はその程度の物見で十分であった。


 いつか月丸も連れて見物に行くかな。


 そんな事を考えながら、寒さに手を揉みながら再び歩を進めた。



 そういえば、あの月読の騒動以降、あやめの姿を見ていない。最近であれば空いても二週に一度は社へ顔を出していたものだが、あれから一月程にもなろうが全く音沙汰ない。


 雄座は心配して、先週などは神田邸を訪ねたが、小汚い文士の姿では、案の定門番に追い返されてしまった。

 まあ、この姿で和代やあやめの知人であるなど信じてもらえるはずも無い。雄座ですらそう思った。


 月丸も理由は言わないが、あやめを気に掛けていた。それが雄座の不安を高めるが、困った事に会う術がない。あやめや和代が贔屓にしているというカフェなどにも時々顔を出してみるものの、そうそう出会う事もなかった。


 さて、只々あやめが忙しく過ごしており顔を見せる暇もないのだろう。そう思うしかない。


 そんな事を考えながらふらふらと有楽町辺りを歩いていると、


「あのう、ごめんくださいませ。」


 その声に雄座が振り返る。


 声を掛けたのは和装の年配の女性であった。

 ぱっと見て六十、七十歳くらいだろうか。すっかりと白けた髪は、しっかりと結わえられており、鼈甲の櫛が白い髪に映える。穏やかで気品のある顔立ちは、何処かしらの良家の大奥様であろうと思わせる。


「はい。何でしょうか。何かお困りで?」


 雄座は振り向きざまに答える。

 この時節、雄座じふんに声を掛けてくるのは、決まって東京見物に来た者が道を尋ねてくるのがほとんどであった。

 このご婦人も、道を尋ねたいのだろう。雄座はそう考えていた。


 そんな雄座に婦人は懐から紙を取り出して、それを広げながら雄座に見せた。


 その紙は銀座界隈の地図であったが、雄座の知る街並みとは随分かけ離れた地図であった。

 婦人は申し訳なさそうに地図の一処を指差しながら、雄座に尋ねた。


「こちらに行きたいのですが、私、地図を読むのが苦手なもので…。どちらに行けば良いか、お若いからお分かりになるかと思ってお声掛け致しましたの。」


「はぁ…。ではちょっと拝見します。」


 雄座は婦人が指で示していた場所を記憶すると、婦人から地図を拝借し、改めて見る。

 外壕や三十間堀川など、雄座も見覚えのある河川は記されている。確かに銀座であろうが、雄座の知る屋号の店がほとんど無い。


 うむ?と悩みながら、雄座はなんの気なく地図の裏を見る。

 

 文久三年 編


 と、書かれていた。


 雄座は驚き、つい婦人を見る。その視線に婦人は困った様に首を傾げた。


 さて、これは何かの悪戯であろうか。文久三年と言えば、まだこの地が江戸と呼ばれていた頃である。尊皇だ、攘夷だと騒ぎ立てていた時代である。五十年以上前の地図を渡されて、ここに行きたいとは、この婦人の意図が雄座にはわからなかった。


「えっと…。この地図は随分と古い様ですが、行先の住所か、屋号はお分かりになりますか?」


 驚きながらも、流石にこの古地図を見続けるのも時間の無駄と思い、雄座は婦人に尋ねた。


「あら、この地図は古いんですの?自宅にあった地図がこれしかなかったもので、地図があれば、あとは誰かに尋ねれば良いと考えていたのですよ。でも、古い地図でもそんなに変わらないでしょう?」


 婦人はころころと笑った。それにつられ、雄座も苦笑いを浮かべる。


 場所が場所ならば、五十年、同じ景色の町があってもおかしくない。同じ姓の者が住み、同じ屋号の店が続く街並みも珍しくはないが、ここは銀座である。

 明治の大火事以来、煉瓦造りの街並みに変わり、今度は煉瓦造りでは湿気が篭もるため、木造で増築したり。はたまた、百貨店などの大きな建物もぐんぐんと増えている。

 最早、婦人の持っていた地図は、この地では意味を成さない。それでも、親切にも雄座はこの古い地図の地形と、先ほど婦人が指差した辺りで、現在のどの辺りかを思案する。


 これが堀で…これが汐留川かな?

 この橋は?

 もう無いか。

 ん?

 と言うことは、これが三十間堀川だな。

 そうだ。間違いない。それで、この辺りを指差していたから…。


 あ。


 雄座は思案し、最後に声を出した。


「んん…。あの辺り、何かあったかなぁ…。」


 その声に婦人も柔和な笑みを浮かべる。


「あら、お分かりになりまして?やっぱり、古くても地図があればなんとかなるものね。」


 そう言うと再びころころと笑った。そんな婦人に雄座も困った様に頭をかきながら答える。


「いや、この地図ではよくわかりませんが、先程行きたいと言われた辺りならわかります。暇なんでお連れしますよ。」


 雄座がそう言うと、婦人はぱんぱんと手を叩き喜んだ。


「あら、案内してくださるの?助かりますわ。」


 喜ぶ婦人を連れて、雄座は再び歩き出した。


 距離にしてはそう遠くない。だが、婦人が指差した場所は、今では裏路地で小さな装飾店や時計店が並ぶが、物見で訪れる様な有名な店はない。

 雄座は婦人に尋ねた。


「奥様は何処かのお店を訪ねる予定ですか?それなら先程教えて頂いた場所ではなく、もうひと先の道を曲がれば大きな店の面前に出ますが…。」


 そう言う雄座に婦人が答える。


「そうねぇ。別にお店に用があるわけでもないのよ。私の思い出の場所に行きたくてね。」


 そう言うと、婦人は辺りを見回し、言葉を続けた。


「私のね。大切な人が亡くなった場所なのよ。もう随分と前だけどね。久々に時間ができたので、お供えでもしようかと思って足を伸ばしてみたの。」


 婦人の言葉に、雄座はへえ、と相槌を打つ。


「大切な人とは、ご主人ですか?」


「そうねぇ。主人も大切だけど、恩師の方なのよ。お酒が好きだったらね。持ってきたの。」


 そう言って、手に持った風呂敷を少し持ち上げると、婦人はにこりと笑った。


「でも、久々に来てみれば、いろんな大きな建物が立ってて、すっかり迷っちゃって。貴方に声を掛けさせていただいて正解だったわ。」


 そう言うと、婦人は、はっとした様に肩をすくめた。


「私、織林おりばやしと申します。お名前を伺っても?」


「はあ…。神宮寺と言います。」


 雄座が答えると、婦人は丁寧に頭を下げた。


「神宮寺さん。ご親切に感謝します。」


 雄座が慌てる。


「いや、これくらいのこと…。それに大まかな場所はわかりますが、ご希望に沿えるかもわかりませんので…。」


 婦人は頭を上げると、くすりと笑った。


「では、参りましょう。」


 織林と言う老婦人の足に合わせ、雄座はゆっくりと歩いた。いつもならさっさと通り過ぎる街並みも、こうしてゆっくりと歩くとまた違った景色の様にも見える。

 婦人から、あの建物は何かしら?あのお店は何かしら?そう聞かれるたびに、雄座は知っている知識で紹介しながら進んだ。


 そう言えば、月丸と最初に街を歩いた時もこうしていろいろ聞かれたものだな。


 そう思うと、自然と雄座の口元に笑みが溢れた。


 大通りから小さな小道に入る。


 小道の右手には一本手前の通りに面した店々の裏手になり、勝手口はあるものの、店には入れない。

 左手には、店は小さいながらも軒先まで商品をぶら下げている金物屋。その隣にはやはりこちらも小さいが、人の良い主人のいる時計屋。

 雄座の見慣れた景色である。


「ああ。ここよ。ここ。ああ、良かった。ありがとうね。神宮寺さん。」


「ええ?」


 婦人が立ち止まる。雄座は驚き素っ頓狂な声を上げる。


 煉瓦造りの壁が続くその一軒の壁に向き、婦人は懐かしそうな顔を浮かべている。


 壁のはずである。雄座はそう聞いていた。


 婦人の見ている壁は雄座には見えない。何故なら、婦人の目の先、雄座の目には妖霊神社の境内が見えているから。

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