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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第三幕 妖霊(ようりょう)
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妖霊 肆

 結界のためか、あまり社の外の音は聞こえない。りんりんと境内にいる虫の声、風でなびく葉の音。雄座には馴染みの静寂である。いつもの濡れ縁にあぐらに座る雄座。


 いつもと異なるのは、雄座の隣には居心地が悪そうにあやめが正座している。先程まですっかり放心したあやめを何とか正気に戻して濡れ縁に座らせたのだ。


「あやめさん、大丈夫か?まずは、月丸は悪い妖怪などでは無いから、心配しないでくれ。あいつがあやめさんを茶に誘ったのもきっと仲良くしたいからだろうよ。」


 雄座はあやめの誤解を解くのに必死である。当のあやめは真剣な顔を雄座に向け、肩を震わせる。


「月丸という……、あの者は本当に妖霊なの?だとしたら私はとんでもない相手に刃を向けてしまった……。」


 また何か思い込みをしていそうだ、などと考えつつ取り敢えず話を聞いてもらうため、宥めようとする雄座。


「思い違いとは言え、俺を助けてくれようとしていたことは感謝する。それに妖霊ではあるが、月丸も話せば良い奴だ。きっと気にしてはいない。」


 優しく語る雄座に俯いたままであやめが口を開く。


「雄座は知らないのね。妖霊は妖怪の中でも神に届くほどの力を持っているのよ。人だろうが妖怪だろうが、気分次第でその命を奪う残忍な伝説上の存在。」


 大きな溜息をついてあやめがか細い声で続ける。


「私が天狗でも、敵わない。そして手を出した以上、私に生はない。ごめんなさい……。貴方を助けてあげられなかった。」


 そう言うと大粒の涙をこぼすあやめ。泣かれて困るのは雄座である。「まだ勘違いしているのか」、そんなことを考えつつ、大丈夫、心配ないを繰り返す。雄座が困り果てたところで、月丸が盆に茶道具を載せてやってきた。


「こら雄座。婦女子を泣かせるとは感心しないな。」


 笑いながら月丸が言う。雄座も助けを求めるような顔を月丸に向ける。


「月丸、お前からも言ってやれ。あやめさんの命を取ろうとは露も思ってもおらぬだろう?」


 用意の出来た茶と茶受けの甘味をあやめに差し出しながら雄座の問いに笑みで返す。今まで俯いたままのあやめが月丸に向かい床に両手の指を添え頭を深々と下げた。


「御妖霊とは知らず、かような無礼、誠に申し訳ございませんでした。かくならば、天狗である私の命を以ってここの雄座と、この地をお目溢し頂けますよう、何卒お願い申し上げます。」


 あやめの口上を目を丸くして聞いていた。しかしあやめが本気であることを直ぐに気付き、笑みをたたえてあやめに問う。


「あやめ、と言ったか?天狗の世で妖霊が如何な伝としてあるのかは知らぬが、お前さんも雄座も、この地も、俺が何かするようなことはない。顔を上げてくれ。」


 その言葉にあやめはゆっくりと顔を上げた。月丸の言葉の真偽を確かめるかのようにじっと月丸を見る。その目には涙を溜めており、三度月丸は苦笑いすることとなる。


「そうだ。ぜひ教えてくれぬか?俺が、妖霊が天狗にどのように言い伝えられているかを。自分のことだからな。とても興味がある。」


 極力、あやめを刺激しないよう、穏やかに月丸が話しかける。そしてあやめは語り出す。



 天狗の伝承での御妖霊は、冷酷で残忍な存在で、その力は神に届くほどの妖力を持つ。その凄まじき妖力は、たとえ天狗一族が総出となっても敵うことないという。また、その残忍な性格から、人であろうが、妖であろうが区別なく、遊ぶかのように気分次第でその命を刈り取る存在であるという。


 また、天狗族は山神の使いとして、悪しき者より民草を守る役を賜っているのだという。古来より悪しき妖、悪しき人に対し容赦なく断罪を行ってきたが、それでも御妖霊にだけは関わってはならぬと言い伝えられている。それを破り御妖霊と関わってしまえば、その地の安寧も、天狗の存在も冷酷な妖霊(そんざい)に打ち消されてしまうであろうと。


 とつとつと静かに語るあやめの話に月丸と雄座が聞き入る。


 雄座は月丸に顔を向け、素直な疑問を口にする。


月丸おまえ、そんな大層な事をしでかす奴なのか?」


 雄座の目に映る月丸は、先程からあやめの言葉をふむふむと頷きながらお茶を啜っている。その姿はあやめの語る天狗の伝承と一致しない。ここに再三足を向け、夜毎語らう月丸に天狗の伝承のような凶暴性を感じなかった。

 しかし、月丸は雄座の問いには答えず、その代わりにあやめに対して口を開いた。


「まぁ、そうなのかも知れないな。妖霊が妖にも恐れられる存在であることは俺も聞き及んでいる。しかし、随分凶悪な伝承となっているな。」


 月丸は照れるような、困ったような、複雑な笑みを浮かべながら、自分の分として持ってきた茶受けの餡子玉を菓子楊枝で小さく切って口に運んだ。

 

 雄座には月丸のその表情が、何やら悲しげに見えた。出会ってまだそれ程時は過ぎていないが、境内の木々に手を入れたり、虫すらも殺める事なく、心穏やかな日々を過ごす妖怪として月丸を見ている。謂れもない伝承は、まるで月丸を責めているように雄座は感じた。

 口を開いたのは月丸だった。


「俺が妖霊である以上、俺の言葉は届かないかも知れないが、俺の存在は、この妖霊宮御神社でここに座する妖を癒し清める事にある。ここにいる妖霊おれは、天狗の伝承のような者ではない。どうか安心してもらえないか。」


 穏やかに語る月丸に、あやめも徐々に緊張を解いていくのを雄座は感じた。月丸が再度勧めたお茶をあやめが口に含んだのを見て雄座も胸を撫で下ろす。

 少し落ち着いたあやめに、雄座は確認することがあった。


「そういえば……、あやめさん、どうして俺を妖怪だと?」


 するとあやめは当然のように同じ事を言う。


「雄座の体から妖気が漏れているって言ったじゃない。人間には絶対に妖気なんか出せないから。今も漏れ出てるわよ。」


 あやめの言葉に雄座は自分の体を見回す。見たところで雄座には妖気などは見えぬのだが。

 その雄座とあやめのやりとりを聞きながら、月丸が手をポンと叩いた。


「本当だ。気付かなかった。雄座。お前の体が僅かに妖気を纏っておる。」


 月丸の言葉にあやめが頷く。あやめだけでなく月丸にも言われては、己が本当に妖怪なのではと勘ぐってしまうが、続く月丸の言葉に安堵する。


「雄座。お前さん、ここ最近ここに来ることも多かったし、天狐とも直接膝をつき合わせている。俺や天狐の妖気が、体に僅かに纏わり付いて残っていたようだ。たまには衣を洗濯した方が良いぞ。」


 そう言うと月丸はコロコロと笑った。洗濯と言われ、雄座も慌てて自分の服をくんくんと嗅いでいる。そんな二人のやりとりを見ながら、あやめもつい笑ってしまった。


「天狗のあやめよ。これで分かったであろう?お前さんが雄座に感じた妖気は、多分俺のが服や髪に移っていたものだろう。雄座は紛れも無い人だよ。」


 月丸の言葉に、あやめも素直に頷く。


「私も修行が足りませんでした。改めて精進し、世の役に立ちたいと思います。」


 真面目な面持ちで語るあやめに、月丸は微笑みながら頷く。雄座は自分の中で生じた疑問をそのまま口にした。


「あやめさんは何で東京の妖怪を守る事になったんだい?ここは天狐が守っていたんだろう?」


 雄座の疑問にあやめが答える。


「天狗の長である私の祖父から、天狐様の元で修行するようにご指示を頂いたの。でも来てみたら天狐様は消失なされてて、きっと悪い妖怪が暗躍しているに違いないと思ったの。」


 正義感から思い違いをしてしまった手前、話しながらも申し訳なさそうに俯くあやめ。ふむ、と月丸が口を開いた。


「あの小太刀に見覚えがあるとは思っていたが、そうか。お前さん、鞍馬くらまの孫娘か。どおりで見事に術を使い熟す訳だ。」


 月丸の言葉にあやめが驚いたような声を出した。


「おじいさまをご存知なのですか?」


 あやめの問いに月丸が頷く。雄座もあやめと同じく驚いていた。「鞍馬天狗」と言えば、護法魔王尊とも呼ばれ、恐れ敬われており様々な伝記が残る。有名どころでは、源義経の幼少期、鞍馬から剣術を教わったなどとの逸話もあり、能や歌舞伎などの演目でも有名である。

 その伝説上の天狗の孫娘と言うだけでも雄座には十分驚く事柄であった。


「実在するのか?鞍馬天狗とは……。」


 誰に向かって発した声では無いが、驚きのあまりつい雄座の口からこぼれた言葉である。月丸はその言葉に口元を緩めた。


「あぁ、実在するし、その孫娘だって目の前にいるではないか。妖霊や天狐に出会った時よりも鞍馬の名に驚くとは、雄座らしい。」


 そう言うと月丸はくすくすと笑った。月丸の言葉にあやめがはっとしたように尋ねた。


「そう言えば先程、雄座さんは天狐様と膝を付き合わせたと仰っていましたが、お二人は天狐様の消失の理由をご存知なのですか?」


 あやめの問いに雄座は月丸を見る。その視線に気付き、月丸も雄座に頷く。それを確認した雄座が天狐の顛末をあやめに語った。





「そうですか。一人の人の娘を助けるが為に天狐様はその全てのお力を扱いになられたのですね。」


 神妙な面持ちで雄座の話を聞き終えたあやめが一言溢した。

 天狐の消失の原因となった野狐は月丸が消滅させ、天狐の最後の言葉から、和代に天狐の力の一端が渡ったと知った時、あやめの次なる使命が決まった。


「御妖霊。何卒、その和代様を守るお役を私にお与えくださいませんでしょうか。」


 あやめなら話を聞いて、そう答えるであろう。月丸の表情から雄座は直ぐに気付いた。とは言え、まるで月丸が自分の仕える主人のようなあやめの言葉に月丸の表情は直ぐに苦笑へと変わる。


「お願いできるかな。実は困っていたのだよ。なんせ、俺はこの社から出られない。一応式神を放ってはいるが、万が一があってはならないのでね。天狗の姫があの娘の隣に居てくれれば、悪さをしようなどと言う妖は出てこぬであろう。」


 天狐より和代を悪しき者から守ってほしい。そう頼まれていた月丸は虫や鳥を依代として和代を守っていた。神との約束を違えぬように。この事からも、雄座としては天狗の伝承にある妖霊と月丸は別の者としか思えなかった。


 雄座はあやめに目を向ける。妖霊が伝承のような存在でないことへの安堵。そしてその伝承の存在から頼まれた事で、強い意思を持った表情で月丸に向かっていた。


「願っても無い事です。御妖霊のお力となれるよう、尽力致します。」


 一礼するとあやめは雄座に向き直した。


「雄座さん。この度のことは大変申し訳ありませんでした。これからの働きで、どうかご容赦下さいまし。」


 雄座へも頭を下げようとするが、雄座が慌てて制する。


「いやいや、俺の事は気にしないでくれ。こちらも貴重な体験が出来たし、お互い怪我もなかった事だし。」


 慌てる雄座に月丸が横から口を挟む。


「雄座の言う通り。それにお前さんが思い違いしてくれたおかげで俺も天狐との約束を守る手段が出来た。」


 二人からの言葉ですっかり緊張が解けたのか、あやめの表情は雄座が洋菓子店で見た、無邪気な表情になっていた。


「では直ぐにでも準備を致しますので、これにて失礼致します。」


 あやめは二人に手をつき礼をすると立ち上がり、颯爽と去って行った。その後ろ姿を眺めつつ、月丸が笑う。


「本当に……。雄座おまえがここに来るようになってから、俺が考えもしない事が起きる。」


 月丸の言葉に複雑な心境にはなったものの、あやめに振り回された一日であったのは間違いないと思う雄座であった。


 

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