導師 玖
雄座はほそりほそりと夢の話を月丸に語った。
道満や晴明、晴明の妻である梨花が楽しげに過ごしていること。
あの浅草であった導師は道満の子孫でもないこと。
月丸が呪を祓ってくれたこと。
夢にしてははっきり覚えていることを雄座は月丸に伝えた。
月丸は笑みを浮かべたまま、うんうんと聞いている。
「あれは…本当に夢だったのかなぁ。いや、夢ではなく、あの様な世界で道満殿が安らぎを得たなら、あれは現実であってほしいな。」
雄座が呟く。
「そうだな。」
月丸が答える。
暫くは静かな時間が流れる。雄座はぼやけた頭を戻すため、月丸は雄座が目覚めた安堵によって。窓の外からは朝の鳥の囀りが聞こえてくる。
「あの男…。道満殿の子孫を語った男はどうなったのであろうな?」
雄座が訊ねる。夢の中で現世の妖霊が呪を祓ったと言っていた。つまり、呪を返したということであろうか?以前の話であれば、呪を返されたものは自らの呪で命を奪われると聞いたが。
「ああ。術者の居所を知るために呪は返した。だが、命をとる様なことはしないさ。呪自体は消滅させたよ。死にはしないが、少し懲らしめようと思ってな。今頃、頭痛や腹痛など、身体中が痛くて参っているだろうよ。」
月丸は雄座の言わぬ意図も知ったように答えた。もし、雄座が死のうものなら、恐らくその程度では済まなかっただろう。だが、雄座の夢の話を聞き、どうやら一度は呪いによって命を絶たれた様であったが、道満と晴明の夢の世によって救われたのだ。穏やかな表情を浮かべてはいるものの、月丸は道満と晴明に心から感謝していた。
やがて日が昇り、看護師が診察に来ると、月丸は再び結界により姿を隠した。
「あら、雄座さん。お目を覚まされたんですね。すぐに先生を呼んできます。」
そう言うと、すぐに看護師は姿を消した。すると今度はぱたぱたと小走りにやってくる足音が聞こえてくる。
病院ですよ。お走りにならないように…。
そんな声が近づいてくる。聞いたことのある声だった。
先生の代わりに息を早めながら病室に入ってきたのは、和代であった。
「やぁ。和代さん。おはようございます。どうしたんですか?こんな朝早くに…。」
雄座は昨日の和代の取り乱しを知らない。心配で夜も眠れず、あやめの術によってやっと眠ったほどであったが、目が覚めて、居ても立っても居られずに朝一番に見舞いに来たのだった。
それ程心配し来てみれば、まるで何事もなかった様な雄座が、ベッドから上身を起こしている。その雄座の微笑みを見た途端、和代は部屋の入り口にへたりと座り込み、両手で顔を覆って泣き出した。
「良かった…。本当に良かった…。」
座り込み泣く和代の背を撫で、落ち着かせようするのはあやめであった。あやめは雄座に目を向けると、にこりと笑った。雄座もそれにこくりと返す。
あやめの笑みで雄座はふと気付いた。月丸は何故ここに居るのだ?まるで当たり前のように雄座の手を取っていたため、気にもしていなかったが、如何やら月丸とあやめがなんとかしてくれたのであろう。そう気付いた。
だが、まずは取り乱している和代を安心させようと雄座はベッドから立ち上がると、和代の元まで行き、肩を支え立たせると、ベッドの横にある椅子に座らせた。
「心配をかけてしまいましたね。すみませんでした。」
「そんな…。雄座さんが謝ることなど…。倒れたと聞いて、昨日の意識のないお姿を見て、如何したらと…、何か手伝えないかと…。でも、良かったです。本当に…。」
ハンカチで涙を拭いながら、俯いたまま消え去りそうな声で和代が言う。その姿と声に、本当に心配を掛けてしまったのだと、反省した。
そうこうしていると、白衣を着た医者が入ってきた。和代は泣き顔を医者に見せたくないのか、俯いたまま医者に頭を下げると、そそくさと部屋を出て行った。あやめも和代に続く。
「お綺麗な奥様ですな。目を覚まされてご安心されたのでしょう。」
中年の人の良さそうな医者であった。和代を雄座の妻と勘違いしたらしい。
このご時世、ただの若い異性の知り合いなどが、こんな朝から見舞いに来ることなどない。大体が、家族の者である。なので、医者の勘違いも当然である。
「いや、そんな…ははは…。」
色々と説明するのも面倒なので雄座は笑って誤魔化した。
熱や脈を測られたり、心音を聞かれたり。色々調べられたが、特に雄座の体に異常は見られない。呪のせいであったということは分かっているため、雄座としては早々に退院したかったが、日中にまた検査を行うため、安静にしておくようにと言われ、再びベッドの上で横になった。
「では、また昼食後に来ますので、それまでは安静にしていてください。」
医者はそう言うと部屋を出て行った。部屋を出る際に、
「あ、奥様、お待たせしました。また昼以降で検査をしますので、それまで御安静に。」
雄座に伝えたことを言うと、会釈し、そのまま廊下へ消えていった。そして再び入ってきた和代は顔を真っ赤にして口元を手で隠しながら入ってきた。その後ろをにやにやとしたあやめが付き添う。
「ああ、和代さん。すみません。どうぞ、お座りください。」
先程まで和代が座っていた椅子を案内すると、和代は素直に椅子に着いた。しかし見てわかるほど、耳まで赤くし、俯いたままである。あやめも特に言葉を発しない。雄座も気不味くなり、声を掛ける。
「いや、しかし和代さんが見舞いに来てくれるとは思っても見なかったので驚きました。本当にありがとうございます。」
「いいえ。そんな。倒れたと伺って居ても立っても居られず…。でもご無事なお姿、安心しました。」
消え入りそうな声で和代が言う。その後また静寂が訪れる。まるでもう、我慢が出ないと言わんばかりににやにやとしたあやめが和代に声を掛ける。
「良かったですわね。お、く、さ、ま。」
あやめの言葉に和代の顔はより一層真っ赤になり、手にしていたハンカチでぱたぱたとあやめを叩く。
「あやめさん!何を…。雄座さんにご迷惑が掛かるでしょう!」
ああ、先程の医師の勘違いをあやめさんが冗談で言って場を和ませようとしているのだろう、雄座はそう思った。
「いやいや、迷惑なんて。寧ろこんな綺麗な奥さんが居ると勘違いされて、私の方が役得ですよ。」
そう言ってははは、と笑う雄座。その言葉を聞いて目を丸くしたかと思えば、再び顔を赤くし、俯いてしまう和代。あやめは笑いを堪えるのに必死の様相。
雄座は静まった場に、言葉を間違えたかと判断に困り首を傾げた。
「あ、あの、私、一度家に戻りまして、昼食を用意してまいります。すぐに戻りますので。あ、あと、お着替えもお持ちしますね。」
「え、あ?和代さん?」
和代は立ち上がり早口に雄座に伝えると、雄座の返事も待たずにぱたぱたと出て行った。一人になった雄座。
「役得だな。雄座。」
姿は見えないが、月丸の声がした。雄座にはどう場を和ませれば良かったのか、正解がわからず、うむむ、と唸った。
検査は十四時となった。そして、言ったとおり、和代は洋服に着替えて弁当を持ってきた。病院でも昼飯は出るのであろうが、如何やら医師に食事は用意すると和代が伝えたらしい。そんな事を知らない雄座は和代からの弁当をありがたく頂いた。
一口、口に入れる。
「如何ですか?お口に合いますか?」
口に運ぶ度に和代に聞かれるが、こうしたやりとりをしながらの食事もまた楽しいものである。ただ、和代の問いに、雄座は美味い、美味しいです。そう答えるのみ。
何故なら、美味いから。和代も尋ねて雄座が美味いと答える度に、まるで天にでも昇ような幸福そうな笑みを浮かべる。だが、あやめとしては、もう少し、どこがどう美味いなどと細かく言ってほしいようで、やきもきしていた。
今は姿を隠し、その三人のやりとりを眺めていた月丸であったが、和代が余程雄座に惚れ込んでいるのは見てわかるほどである。それで気付かぬ雄座もまた大物だと感心しながら眺めていた。
食後は、和代が持ってきた浴衣に着替えさせられた。雄座としては病院着のままで良かったのだが、せっかく持ってきてくれたので着替えることにした。
和代は雄座が倒れた時に来ていた服を洗ってから持ってくると言って、きちんと畳むと風呂敷に丁寧に包んだ。
医師が検査のために入ってくると、和代は医師に会釈すると部屋の外に出た。その所作から、すっかり医者は和代が雄座の妻だと信じている。
検査といっても、朝にやったように血圧を測ったり、心拍を確認したりである。そもそも、医師でも倒れた原因が特定できないのだから当然であった。
結局、体調に問題はないと診断されたが、念のためもう一泊入院することとなった。雄座としては入院するにも金が掛かるので、すぐにでも退院したかったが、やむを得なかった。
その後も、和代は雄座にお茶を用意したり、日が雄座にあたればカーテンを閉めたりと、よく動いた。体は何ともないため、雄座自身がやろうとすると、それを制して和代が全て行った。余程、雄座の妻と言われたのが嬉しかったのだろう。夕刻にあやめがそろそろ帰らねばと諭すまで、和代は幸せそうに動いていた。
やがて、和代達が帰ると、月丸が姿を隠したまま語り掛けた。
「良い娘だな。お前に惚れておるのだろう?」
そう言う月丸に、雄座は笑って答える。
「馬鹿を言うな。和代さんは優しい子だからな。幼馴染の俺を案じてくれたのだろう。」
そう言う雄座を眺めながら、月丸はふう、と息をこぼす。
「何とも不憫な娘だな。ちょっかいを出すあやめの気持ちも分かるな。」
月丸の言葉に首を傾げる雄座。だが、月丸の姿が見えないため、どのような意図で言っているのかも分からず、黙してしまった。
夜には神田男爵と御前も見舞いに来た。昼に和代が来てくれた事を伝えると、御前はほうほう、と頬を緩ませ、神田男爵は少し困った表情を浮かべていた。だが、どちらも雄座がもう大丈夫と分かると安心して帰っていった。
夕食は、和代から重箱が届けられた。余程張り切ったのか、随分と豪勢であったが、残念ながら一人で食べ切れる量ではない。そこで月丸と一緒に食べることになったが、月丸は姿を隠したままで食べているので、箸が浮き、芋やしいたけが宙に運ばれ、消えてゆくのが雄座にしてみれば面白い。
「口に入ったら消えてしまうのだな。」
「まぁ、体の中に入っても見えていたら、結界の意味がないであろうに。」
そんな賑やかな雄座の入院の一日であった。




