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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第拾幕 導師
114/176

導師 捌

 雄座は知らぬ屋敷の濡れ淵に腰を下ろし、その右手には朱に塗られた美しい盃がある。盃に注がれていた液体を飲み干す。酒であった。


 はてさて、自分は今どこにいるのやら。


 月丸の神社かと思えばそうではない。庭は緑豊かに草花が咲き生え、塀沿いに並ぶ木々も、枝が綺麗に整えられ、その美しく立つ姿が目を惹く。


 飲み干された雄座の盃は、とくとく、と、子気味良い音を立てながら再び満たされてゆく。


「ああ、すみません。」


 酒を注がれながら雄座は礼を言った。


「いいえ。お気になさらず。ごゆるりと。」


 雄座に返したのは、美しい黒髪を下に下ろし、伏目がちな目はまつ毛で隠れている。それでもすっと大きな瞳に整った鼻、紅のさされた艶のある唇は、明らかな美人であった。纏う服も十二単衣の様な艶やかな装いである。


 だが、いくら考えても雄座にはこの女が誰かわからない。


「俺は何でここにいるんでしたっけ?」


 雄座が尋ねた。その問いに袖で口元を隠し、女はくすりと笑い、答える。


「あら。ご存知なかったのですか?ご自身の夢なのに。」


 くすくすと笑う女の所作はとても優雅で、上品であった。雄座もつい、見惚れてしまうほどであったが、遠くに聞こえるどたどたとした足音に我に返り足音の方へ顔を向ける。


「な!俺の言うた通りであろうが。」


「ふふ。その様だな。今回はお前の勝ちだな。あんな低俗な術、気付きもせなんだわ。」


「お前は高位の術ばかりだけでなく些事な術も気にしておかぬと、何かあってからでは遅いのだぞ。」


「その時はお前が助けてくれればいい。…おや?気付いたようだよ。」


 濡れ縁の向こうから話しながら歩いて来たのは二人の男であった。一人はすらりと細く、烏帽子を被り、狩衣を美しく着こなしている。まるで女のように美しい顔立ちである。

 もう一人はぼさぼさの髪を後ろに束ねた巨漢であった。こちらは美丈夫と呼ぶにふさわしい雄々しい顔立ちであった。


 二人は戸惑う雄座の前に、当たり前のように腰を下ろすと、女から盃を渡されて酒が注がれた。


「あの妖霊が呪を断ち切ったようだな。めでたい。」


 烏帽子の者はそう言うと、にこりと笑い酒を口に運ぶ。


「全く…そもそも妖霊が居ながらあの様な術に嵌められる事自体がおかしいのだ。」


 美丈夫は呆れた様に言いながらも、やはり酒を口に運んだ。


 庭ではりーん、りーんと虫の音と、さらさらと風が草を撫でる音が響く。


「…道満殿?」


 雄座は美丈夫に向かって尋ねた。死姫の呪いにかかっていた時とはまるで別人の様に影がなく、穏やかな表情であったため、最初は気付かなかった。


「おうよ。久しいな。神宮寺雄座よ。息災であったか?」


「おい、道満。呪いを掛けられたのだぞ。息災ではないだろう。」


 違いない。道満と烏帽子の男は二人で大声で笑った。


「月丸…?いや、晴明殿か?」


 烏帽子の者は長く美しい銀色の髪を束ね、後ろに下ろしている。髪型は違えど、赤い瞳とその穏やかな表情は月丸に瓜二つであった。


「左様。私が晴明だ。こちらは私の妻の梨花だ。」


 晴明からの紹介に、梨花は手を付いて改めて挨拶した。


「梨花と申します。神宮寺様おかれましては、道満様をお救いいただき、感謝しきれませぬ。」


 丁寧に頭を下げる梨花に雄座が慌てる。


「いやいや、お顔を上げてください。私は何も…。」


 慌てる雄座の姿に、道満も晴明も再び笑った。ひとしきり笑うと、道満が口を開く。


「さて、ここはお前の夢だ。だが、黄泉の入り口でもある。何があった?」


 雄座は道満に言われて、何故ここにいるのかを思い出す。


 月丸の元へ向かおうとしていた。柳の精霊が道の先に危険があるからと現れたので道を変えた。

 再び木の下に精霊が現れたので近付いた。そこからの記憶はない。


 思い出しながら語る雄座に、晴明が穏やかな声で語る。


「雄座よ。君は呪を受けたのだ。本来は命を奪う術であった。だが、君の気配を感じた道満が、ここに引っ張り込んだんだよ。まぁ、死ぬよりは良いだろう?」


 そう言ってころころと笑う晴明。


「呪い…ですか?俺は死んだのですか?」


 雄座が不安そうに尋ねると、今度は道満が答える。


「死ぬ間際、と言うところであったな。お前の魂を感じてな。黄泉に流れてゆくところを無理やり引っ張った。まぁ、俺と晴明が呪を調べている間に酒を飲んでいるくらいだから、もう大丈夫だろう。」


 道満はそう言うと、雄座の肩をばんばんと叩き、酒を煽った。

 酒を飲み干すと、道満は真面目な顔つきで雄座を見据える。


「俺はお前に助けられた。月丸という現世の妖霊にもな。その恩人が呪を受けて黄泉に落ちようとしているのだ。この俺が死なせるかよ。」


 あまり状況を理解できていない雄座に、晴明が改めて説明した。


 ここは雄座のゆめの世。いや、晴明の、道満の、梨花の。若しくは月丸の夢の世。

 黄泉に落ちれば魂は消えてなくなるが、道満を雄座達の前から連れ去る時、晴明は三人で楽しく過ごした時代を夢に再現し、そこで過ごしていた。

 ここは夢の世であり、現世でも、黄泉でもない。死せる魂が落ちる黄泉に向かう雄座の魂を、無理やり道満がここに引き込んだのであった。

 その結果、


「君はまだ生きているよ。此処に魂をとどめている間に、現世の妖霊が呪を払った様だ。」


 晴明の言葉に、雄座は安堵する。


「そうか。月丸が、あなた達が助けてくれたのだな。ありがとう。」


 雄座は素直に礼を伝えた。


「しかし、お前に掛けられた呪いは随分と簡易な陰陽術であったが、何があったのだ?」


 道満が言うには、雄座が見た精霊は精霊ではなく、呪の対象を呪を仕掛けた場所に導くための餌でしかなかったのだと言う。


 人によっては、それが好みの女に見えたり、男に見えたり、金に見えたりと様々らしいが、雄座はたまたま先に柳の精霊を見ていたため、それに近いものに見えたのだろう。そして、呪いの掛かった場所に立った刹那、雄座は呪を受けたのだ。


「実は、若き日の道満殿達の物語を描き、それを芝居にしております。」


 晴明の顔が明るくなる。


「ほう。俺たちが芝居に。道満から聞いている。これまでの芝居だと道満はすっかり悪役だと。」


 そう言って晴明が道満に悪戯っぽく笑いかける。


「ああ。死姫と旅をしながらも、何度も耳にしたわ。俺は悪役で、晴明を裏切ろうなどと。気分の悪い物語ばかりであったわ。」


 バツの悪そうに頭を掻く道満。


「ですので、道満殿が月丸に話してくれた、本当のお三人を世に知らせたくて、物語を書いたのです。親友である二人の物語を…。」


 親友と言われ顔が綻ぶ晴明。だが、言いかけて雄座は思い出す。


「…それで、道満殿の子孫を名乗る男が、断りもなく芝居を作ったのだから、金を払えと。払わぬと言ったら呪うと言われました。」


 雄座の話を聞き、眉間に皺を寄せる道満と、笑う晴明。


「笑う奴があるか!晴明!」


「いや、生前、金も取らず妖ですら命も奪わなかったお前とは随分と大違いだと思ってな。」


「ふん。陰陽の術は民に幸福を与えるためのものでなければならぬ。まぁ、死姫の元でその矜持も一度は捨ててしまったがな。」


 雄座は道満に尋ねる。


「あの者は本当に道満殿の子孫なのでしょうか?話を聞く限り、術も使っていた様ですし…。」


 その言葉に、再び晴明が笑う。


「道満はこう見えて真面目でな。初めて見染めた姫に義理立てして、一生女と関わっておらぬ。子がなければ、子孫は続かぬよ。」


「こら!晴明!余計なことまで言わぬで良い!お前は一言余計だ。」


 二人が戯れる姿に、雄座はなぜか嬉しくなる。これほど仲の良い二人を目の前で見ている。きっと、当時も晴明が操られるまでは、こうして笑って過ごしていたに違いない。

 その思いは、雄座の目から涙となって溢れた。

 自分の袖で、流れる雄座の涙を拭う梨花。


「お優しいのですね。雄座様。晴明様と道満様に心を移して涙を流して頂いて。」


 拭われて初めて泣いていることに気づく雄座。慌てて誤魔化す様に掛けを飲み干した。その姿に、晴明も道満も戯れるのをやめ、雄座同様、酒を飲み干した。


 道満が言う。


「俺に子孫など居らぬ。その様に謀り、ましてや雄座の命を奪おうなどと言う戯け者には、しっかりと灸を据えてやれ。」


 続けて晴明が言う。


「道満がもし謀られ殺められたら、俺はそいつらを殺してしまうかもしれん。灸を吸えるだけとは、優しいな。」


 再び道満。


「聞いたな?雄座よ。晴明も俺や梨花に何かあれば、神も敵に回すだろう。月丸も恐らく、お前のためなら術者の命を奪うやも知れぬ。それを止めるのも、お前や俺の仕事だぞ。友として、友の手を血に染めてはならぬ。」


 雄座はこくりと頷く。


「さて、あまりここに留めても帰れなくなっては困る。神宮寺雄座、改めて、現世の妖霊を宜しくお願いするよ。」


 晴明の言葉に、改めて頷く雄座。

 やがて目の前が暗くなり、微睡んでゆく。



 再び雄座が目を開けたとき、知らぬ天井があった。顔を横に向けると、どうやらどこかの病院であることがわかった。

 誰もいない部屋であったが、右手に感じる温もり。


 ああ、寝ている間も側で守ってくれていたんだな。


 そう思う雄座。


「心配かけたな。月丸」


 誰もいない部屋で呟く。


「おはよう。雄座。安心した。」


 誰もいない部屋から聞こえるその言葉と手の温もりに、雄座は安堵した。

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