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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第拾幕 導師
112/177

導師 陸

 あの蘆屋萬斎が何者であったのかわからぬが、その日は既に夕刻を過ぎていたため、植物園も浅草十二階も遠目で眺めて帰ったが、月丸としてはそれでも満足したように笑顔を見せていたため、雄座もそれなりに満足した。



 浅草へ行ってから五日が過ぎた。仕事の都合で出版社にも出向いたが、大成屋の芝居が上々だと評判を聞いた。僅かに頭の隅に残っていた蘆屋萬斎も、呪うと言いつつも、特に何の影響もない。月丸の言う通り、導師の名を騙った詐欺師紛いの者であろう。


 そう考えていた雄座であったが、それは起こった。

 夜七時を過ぎた頃、月丸の元へと酒を飲むため内堀を銀座へ向けて歩いていた。辺りは街灯の灯りは有るものの、月も明るく照らしているため、道は明るい。それに加えて、丁度勤め人達がほろ酔い加減での帰り道。昼にも劣らずの賑やかさであるが、雄座の目はある一点に向かっていた。内堀側に生えている柳の木。その下に、涼やかな薄緑の着物にも見える姿で、黒く長い髪を下ろした見覚えのある美しい女性が立っている。


「柳の精霊か。」


 雄座は何用でもあるのかと、ゆっくりと柳に近付いて行くと、柳の精霊は銀座に向かう道を指さした。その顔は以前も見たようにこの行先に危険を知らせるような険しい表情を浮かべている。


「何ぞ、この先に禍があるということかな。」


 雄座は柳の精霊に頭を下げると、道を変えた。少し遠回りになるが、日本橋から回れば良かろう。


「そういえば、魑魅魍魎ななし達以来、特に妖怪など見ることがなかったな。久し過ぎて柳の精霊に驚いてしまったな。」


 くすりと笑ないがらも、柳の精霊が教えてくれた道を避け、てふてふと日本橋へと向かう。暫く歩くと、再び雄座は目を見開いた。

 橋を渡れば新橋はすぐだが、丁度日比谷公園の縁、先程とはまた違う精霊が手招きしている。常であれば、精霊は行先の危険を知らせるために現れるのだという。見えたとしても、人はそれを幽霊と思い、恐れて逃げ出してしまうが。だが、手招きとは珍しい。雄座もそれ程精霊にあったわけではないが、月丸の話を聞く限り、自ら呼ぶような事はしなさそうだが。

 

 だが、そこは雄座。何やら精霊が困っているのかも知れぬと、すたすたと手招きに応じた。


「どうしたのだ?言葉は判らぬが、助けが必要なら手振りで良いので教えてくれないか?」


 雄座が精霊にそう声をかけると、精霊はこくりと頷くと、ゆっくりと顔を上げた。長い髪から覗くその表情は、雄座を強張らせた。

 目は落ち窪み、にやりと笑うその口は頬まで裂け、不気味な程白黄色い歯が奥歯まで見えている。


「けひひひひひひひひひひひひひひひひ」


 精霊は不気味な笑い声を上げながら雄座に抱きついた。逃げる間も無く精霊の腕の中に捉えられた雄座は、その瞬間、意識を消した。



 

 日比谷界隈は、裁判所や議事堂もあり、この時間でも人通りは多い。長い議論を終え、家路に着こうとしているのは神田男爵とその祖父である。自動車の椅子に深く腰掛け、大きくため息をつく。

 参議院に属する男爵は自身の事業もさる事ながら、政への参加も余儀なくされる。だが、日本帝国をより良くするための政である。外国との対応など、様々な問題を抱えている。その問題を解消するためにここ数日、議論が交わされているが、それでも答えが出ぬまま、本日も帰路につくことになった。そのため、結果の見えない議論に神田男爵も、御前も疲労に満ちた顔であった。

 急に車が停止し、運転手がフォーンを鳴らす。


「どうしたのかね?」


 男爵が運転手に尋ねる。


「はい。すみません。往来で人集りが出来ていて…。」


「いい。何事かあったのかな。お父さん。私が見てきます。」


 そう言うと男爵は御前と運転手を置いて、人集りを見に行った。


「おいおい。大丈夫かよ。」


「これ、しっかりしなさい。」


「病院に運んだほうがいいんじゃねぇか?」


 方々から聞こえる声に、男爵は人集りの中心が急病人だと認識した。


「ちょっと、通してくれ。必要なら私が車で病院に運ぼう。」


 神田男爵がそう言うと、周りの目が集まる。タキシード姿の男爵は明らかな身分の高さを周囲の者に一認させた。


「はぁ。私はみていたのですが、この若者が前触れなくばたりと倒れまして。それから息はあるのですが、意識がないようでして。」


 背広姿で倒れた若者を抱き抱えている男。この者もこの界隈で務めている者であろう。男爵は倒れた若者を覗き込む。


「神宮寺君!」


 男爵は一声上げると、周りの者に雄座を自動車まで運ぶように指示した。


「お父さん。倒れていたのは雄座君です。このまま病院に運びます。」


「雄座君だと?それは大変だ。」


 周囲の手を借りて雄座を車の後部座席に寝かせると、雄座を乗せた車は一路、病院へと向かった。


 



「はて…。夜には顔を出すと言っていたが、今日は来れないのかな?」


 月明かり眩しい境内から星を肴に一人酒を呑む月丸。社の中では、雄座に何が起こったかなど、想像することもできなかった。




 雄座の入院に慌て驚き、家着のままやってきたのは、和代とそれに従うあやめであった。御前が家に言伝を頼んだのだが、それを聞いた和代は心配のあまり、そのまま病院まで飛んできたのだ。

 医者の話ではどこも悪いところは見られないようだが、意識が戻らないと言う。ここで看病すると言い張る和代を御前と男爵、あやめで何とか宥め、明日出直す事となった。


 一先ず屋敷に戻ったあやめは、心配で混乱している和代を宥めていたが、あまりに埒があかないため、術によって和代を眠らせると、すぐに月丸の元へ向かった。



「雄座が倒れた?」


 普段冷静な月丸があやめの言葉に動揺したように声を上げた。


「はい。介抱してくれた方の話では、日比谷公園の木に近付いて行ったかと思うと、そのままぱたりと倒れてしまったようで。息はあるのですが、意識がない状態です。月丸さん、何とかお助けいただけませんか?」


 あやめの言葉を聞きながら、月丸は考える。雄座は先日も昼間に社に顔を出していた。特に体調の悪そうな雰囲気もなかった。何かの病であったのであろうか?明日の夜にはまた来ると言っていた。その姿はいつもと変わらぬ様子であったが。


「…何とかしてやりたいが、雄座がいなければ俺は此処から出ることもできない。何も出来ん。」


 月丸が俯き呟いた。

 あやめが尋ねる。


「月丸さんには以前、怪我を治して頂きました。病をも癒すことはできるのでしょうか?」


 月丸は首を傾げる。


「やった事はない。だが、もし雄座が病であるならば、俺の力全てを使ってでも癒して見せる。だが、俺を此処から出してくれるのも雄座なのだ。どうすれば…」


 月丸は頭を抱え考え込む。


 どうすれば雄座を救えるか。


 式神を飛ばす?いや、雄座が居なければ式神を放っても術は介せない。此処から術を放ってみるか?恐らく結界に阻まれてしまうだろう。


 分身さえ、外に出られれば…。


 はっと顔をあげる月丸。


 あやめに分身を連れ出してもらう事はできないか?すぐにあやめに目を向ける。


「あやめ。俺の分身を連れて外に出てみてくれ。」


 そう言うと、濡れ縁から飛び降り、すぐ側の花を一輪摘むと、自分の髪を縛り付け、分身を作り上げた。


「雄座と同じく、この社に阻まれず出入りできるあやめならば、もしかしたら。」


 月丸の真剣な表情に、あやめもこくりと頷く。すぐに分身の手を取り、鳥居を潜る。


 刹那。


 ぱぁん


 何かが破裂するような音とともに、あやめは分身を握る手を引っ張られるような感覚で後ろに吹き飛んだ。すぐに月丸があやめの体を受け止めた。


「大丈夫か?あやめ?」


「あ…はい。びっくりしましたけど…。」


 月丸があやめの手を見て、怪我がないことを確認すると、ふう、とため息をこぼす。


「駄目か。」


 月丸の言葉に、あやめは分身と繋いでいた手を見る。そこには一輪の花が残っているだけであった。


「くそ…。どうすればいい…」


 月丸は腕を組み色々と考えているのだろう。境内をうろうろと歩き回っている。


 あやめも何とか月丸を社の外に出す術がないかを必死に考えていた。


「あ。」


 あやめが何かを思いついたように声を出した。


「とにかく、月丸さんが雄座さんを看られる状況を作ればよろしいんですよね?」


 あやめが問う。


「ああ。だが、やはり外に出る術が思いつかない。」


 頭を掻きながら、月丸が言う。そんな月丸を宥めるようにあやめが言う。


「月丸さん。私にいい案があります。」



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