妖霊 参
甲高い音は、この静寂を破ると共に、僅かな月明かりに照らされた闇を打ち消す強い閃光を発した。音と閃光に、雄座はとっさに腕で頭を守る姿勢になる。
「何だ?今のは……。」
薄目で月丸を見ると、月丸は鳥居に目を向けていた。
「何と聞かれて何と言えば良いか……。殺気のある妖術が放たれた様だ。妖気の刃が俺に向かって放たれたといえば分かるかな?」
どうも先程の閃光が妖術で、あの甲高い音は月丸の結界と妖術がぶつかった音というのは理解ができた。雄座は驚き慌てたものの、あまりに冷静でいつもと変わらぬ月丸につられて冷静さを取り戻し、月丸と同じく鳥居に目を向ける。
「あ…。」
雄座の目に映ったのは、鳥居の下、月灯りに照らされ険しい顔で月丸を睨みつけるあやめの姿。あやめはそのままゆっくりと二人のいる拝殿へと歩を進めた。その表情は先程見たものとは異なり、きつく月丸を睨みつける。
「雄座!こっちへ来なさい。貴方の隣にいる神職の格好をしているのは危険な妖怪よ!」
月丸と雄座が顔を見合わせる。
「雄座よ。俺は妖怪だそうだ。」
月丸の言葉に雄座も「知っている。」と頷くが、今のこの状況が分からない。雄座はあやめに問いかけた。
「あやめさん…だよな?何故ここに……?」
雄座の質問には答えず、あやめは月丸に右手を開いて向け、静かに呟いた。
「風刃」
その刹那、月丸に向かって幾重もの光る風の刃が襲いかかる。そして月丸の結界にあたりキンキンと大きな音を立てる。月丸は雄座を含めて結界を張っていた。風の刃が結界にあたり白煙を発し、雄座の視界を奪う。それと同時に腕を強く引っ張られ、体が浮く感覚はあった。
雄座が驚き目を開けると、隣にはあやめが立って居る。どうも拝殿の濡れ縁からここまであやめに引っ張られたらしい。驚いていた雄座に、先程会った時の様な笑顔であやめが言う。
「別れた後、雄座がやっぱり心配で、貴方の妖気を辿ったの。そうしたらあんな強大な妖怪に捕まっているんですもの。」
顔を月丸に向け直し、厳しく睨みつけながら、雄座の前に立つ。
「私が助けてあげるから、雄座は早くここから逃げて!」
雄座が月丸を見ると、月丸も苦笑いを浮かべている。仕方なく雄座はあやめの勘違いを解く事とした。
「あやめさん、あんた、何か思い違いをしていないか?月丸は俺の友人だぞ。」
雄座の言葉を背中で聴きながら、月丸から目を離さないあやめ。そのまま雄座の問いに答える。
「分かっているわ。あの美しい姿でそう思わせておいて、きっと雄座を喰らうつもりよ。貴方みたいなか弱い妖怪が狙われやすいのよ。」
そう言いながら、何処からともなく二本の小太刀があやめの両手に収まる。その小太刀を見て、月丸がほう、と声を漏らした。
「私は天狗のあやめ。天狐が消滅したこの地の和を受け継ぐため、悪しき妖怪は退治する。随分強い妖気を持っているようだけど、雄座のため、そしてこの地の平和のため、観念しなさい!」
月丸に向かって声を高めると、あやめは小太刀を構えた。それを見て月丸もゆっくりと立ち上がる。それと同時に月丸が「動くな」と雄座に目配せし、雄座もその場に留まる。
「俺は月丸。妖霊だ。だが、人に仇をなすようなことはしていない。お前さんに悪意は感じないが、もう少し、人の話はもっと聞いた方が良いな。」
「戯言を言うな!」
怒気を含んだ声とともに、洋装で長いスカートを纏っているが、それも構わず、人間離れした動きで瞬く間に月丸に斬りかかる。その見た目からは想像も付かない動きに雄座は驚く。しかし月丸はゆらゆらと舞っているかのようにあやめの小太刀を躱していく。
「さて…どうしたものか。」
躱してはいるが、月丸も困っていた。まずは話を聞いてもらわなければならないが、あやめにはそんな気は無いようである。しかし、月丸が攻撃に転じるわけにもいかない。
「ふらふらと小賢しい妖怪め!ならば避けられぬようにしてやる!」
あやめが小太刀両刀を下から振り上げると、大きな竜巻が現れ、雄座を驚かせた。天狐を騙したあの野狐と月丸が対峙した時は、月丸がいとも簡単に野狐を消し去ってしまったため、妖術の類は見ていないが、あの小さな若い娘が大きな竜巻を起こす様は、正に人ならざる者の所業である事を雄座に認識させた。
対する月丸は人差し指と中指の二本を立て口元に付けると、即座に巨大な竜巻に向かってその指を向けた。すると、瞬く間に竜巻は消え、僅かな風が雄座の頬に当たった。そして雄座は改めて天狐の言葉を思い出す。
ー妖が類の頂点となる妖霊ー
野狐を容易く消滅せしめ、今はあの竜巻を即座に消してしまった月丸。普段の穏やかな月丸しか見ていないが、妖霊とはそれ程の存在であるのかと改めて感じた。
「おのれ……。ここまで強い妖怪がいたとは……。我が天狗の術を打ち消したことは褒めてやろう。」
構えを解かないあやめに呆れたように月丸が問いかける。
「俺は妖霊と名乗った筈だが、お前さん、妖霊をご存知か?」
「悪妖の種など知らぬ!」
あやめの答えに月丸は苦笑いしつつ、あやめに言う。
「自分が弱者と捉えた者を救おうというお前さんの義は大したものだが、まずは少し話を聞いてくれないか?出来ればこの境内を荒らされたくはないのだが……。」
雄座もこの事態をどう収めて良いやら分からぬまま、鳥居の側で立ち尽くす。しかしこのあやめ、天狗を名乗り風を刃に変え、人成らざる剣技を見せる。
天狗と言えば、古来より語り継がれる鼻高く赤い顔、山伏の格好が一般的か。いや、半鳥半人の鳥天狗なんぞも居る。そして天狗と言えば山神として祀られる逸話が日本各所にもある。牛若丸の逸話で知られる鞍馬天狗が良い例であろう。反面、傲慢で自らの力を誇示し、人に大きく仇なす魔王としての逸話も持つ。はてさて、あやめはどちらの存在なのか。
「覚悟しなさい悪妖!天狗の力の全てを見せてくれる!」
そう言うとあやめは両手を広げると、僅かな月明かりで、輪郭を残していた境内をはっきりと見せる程の光を放つ。その光は徐々にあやめに収束する。
眩しさに目を細めていた雄座は、その光の中心に大きな白く美しい翼を背にしたあやめの姿。鳥顔でも鼻高の赤ら顔でもなく、年頃の愛らしい見目とその白い翼、白い洋装でいるあやめの姿は、天狗と言うより西洋画で見る天使の方が近いであろうか。
あやめはその翼を広げ、宙に舞う。
「凄いな。小天狗かと思えば、随分と力を隠してあったのか。」
月丸が感心したかのように呟く声に雄座は月丸を心配し、目を向ける。そこには何故か嬉しそうな笑顔を見せる月丸がいた。
「冥土の土産だ。ただの妖怪では辿り着けぬ天狗の力の一端を見せてやろう。誇りとして散るが良い!」
そう言うとあやめの術であろう。先程とは比べ物にならない大きな竜巻が起こり、天から注ぐ稲妻がその竜巻に纏わり付く。その竜巻はまるで生きているかのように月丸に向かって行く。
ふむ。そう一声零すと月丸は濡れ縁からとん、と降り立つ。その姿を見てあやめが声を上げる。
「愚かな!今更逃げられると思うな。我が術「雷嵐」はどこまでもお前を追って行くぞ!」
月丸はあやめの声を聞きながら拝殿から数歩離れる。
「確かに凄い術だな。己の妖気だけでなく、大気も操る天狗の技。見事だ。だが、先程も言った通り、この境内を荒らされるわけにはいかんのだ。」
そう言いつつ、今にもその体を飲み込まんとする竜巻に向かって右手を広げ差し向けた。その刹那、竜巻自体が月丸の差し出した掌に吸い込まれるように消えていった。
「私の術が効かないとは……。」
唖然とするあやめに月丸が語りかける。
「戦ったとしても俺にはお前さんの術は効かないよ。そこで提案なのだが、俺は雄座にも手を出す気は無いし、お前さんにも同様だ。少しだけ、雄座の話を聞いてもらって良いか?」
自らの知る最高の術を掻き消され、唖然としていたあやめには月丸の言葉がすんなりと入ってきた。
「まだ言うか!雄座を誑かそうとしたくせに!」
月丸の言葉があやめに届いたと認識した雄座は慌てて助け舟を出す。
「頼むあやめさん。少しの間で良い。刀を収めて俺の話を聞いてくれないか?」
雄座に目をやるあやめ。
雄座は嘘をついているようには見えない。そして目の前の月丸も自ら攻撃を仕掛けようとはしないようだ。
あやめは小太刀を下ろし、あくまで雄座を護ろうと、雄座の目の前に降り立った。
「いいわ。雄座のお話を伺いましょう。」
その言葉に、月丸は安心したように笑顔を向けた。
「感謝する、天狗よ。ではこちらへ。茶を用意しよう。」
そして言葉の通り茶の用意のためか、嬉しそうに奥へ下がっていった。月丸の背に視線を向けながら、背中越しにあやめが雄座に問いかける。
「かなり強い妖怪ね……。アイツ何者なの?」
あやめの問いかけに雄座も答える。
「妖霊だ。月丸という。ただ、あやめさんが言うような悪い者では無いぞ。むしろ俺の酒飲み友達だ。」
少し警戒を解いたのだろう。雄座の言葉に肩をビクっと震わせるあやめ。
「よ…うりょう?雄座……今の言葉、本当?」
先程とは打って変わって焦りの声を出すあやめに疑問を持ちつつも、素直に答える雄座。
「ああ、本当だ。天狐も月丸の事を妖霊と言っていたので間違い無いと思うぞ。」
雄座の言葉に、あやめは驚きの表情を雄座に向けたかと思うと、まるで力が抜けたかのようにその場にへたり込んでしまった。