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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第拾幕 導師
107/177

導師 壱

 さて、魑魅魍魎の一件以降、これといって妖怪が絡む事柄は起きていなかった。

 雄座は雄座で、仕事も順調であった。雄座の望む文学小説は丸山書店の好意で本にしてもらう事となっていたが、編集の者達ですら、

「神宮寺さんはやはり妖怪物が面白いな。」

 そう言われる始末。まだまだ多くの人の目に留まるのは難しいのであろう。


 だが、その風評のとおり、神宮寺雄座と言えば、怪奇譚と言われるほど、ここ一、二年で一部の者から有名になってきていた。新聞や女性誌での連載、何より夏に芝居屋で行われる演目も雄座の書いた話が多い。そういうこともあり、庶民にはその名が広がっているのであろう。だが、本格的な文学小説などを好む者達からはそれほどの人気は得られていないのもまた事実である。


 当の本人は、それでも月丸と呑むための酒代と日々食べてゆくだけの金は入ってくる様になったので、慌てずに良い作品を書ければいい。そう思っていた。


 浅草は浅草寺。路面電車も地下鉄も通り、実に交通の便が良い。そして、その側には花屋敷という花園もある東京屈指の観光名所である。雄座はその浅草寺への参道、仲見世通りをてふりてふりと歩いていた。流石に歩きでは遠かったため、銀座から路面電車に乗りここまでやってきた。地元の者も多いのであろうが、何にせよ観光客が多い。いつもならば人の多さに辟易しようものだが、道を挟むように様々な店が立ち並ぶ。


 吹き上がった饅頭の良い匂い、少し歩けば煎餅に塗られた醤油の香ばしい匂い。かと思えば、達磨や守りが売られている。無論、酒を売っている店もある。そんな食指をくすぐる匂いを感じながらだと、人混みも気にならないというもの。


 そういえば、仲見世を横に逸れれば、有名なすき焼き屋や天丼屋などがある。何より銀座に負けず劣らずのビアサロンもある。今度月丸も連れて来てやろう。あの幼い姿ではビアサロンはむりであろうが、天麩羅ならばきっと食えるだろう。そんな事を考えつつ、浅草寺を参る事なく、そのまま脇道に逸れていった。


 参道を逸れると、そこは飲み屋もあれば洋品店もあり、呉服店もあり、芝居小屋もあり。何とも雑多な、それでいて人の溢れ活気に包まれる通りに出る。雄座はその並びで一際繁盛している芝居小屋へと入っていった。


「おおい。神宮寺さんじゃねぇかい。よく来てくれたね。ささ、どうぞ。座長がお待ちですよ。」


 芝居小屋の前で勢いよく呼び込みをしていたまだ少年とも言える見た目の男が、雄座を見つけると声を掛けた。この男、姓をくら、名を小吉しょうきちという。歳はまだ十三だったか。将来舞台に立つことを夢見て、この一座で修行している少年である。


「おう。小吉くん。約束の時間より早く着いたんだ。まだ座長も待っちゃいないだろう?」


 雄座も小吉とは顔見知りで、口も軽い。


「うちの演目を書いてくれる先生様なんだ。座長もきっと今頃正座で待ってるはずでさ。」


「そいつは大変だな。それじゃ早く行くとしよう。お邪魔するよ。」


「へぇ。座長は楽屋に居ますんで。」


 そんな会話をしつつ、雄座は暖簾を潜った。演目が終わったころを狙って伺ってみたものの、それでも随分と客が残っている。その客も婦人ばかり。どうやら、看板役者の二枚目である大成屋龍蔵を一眼見ようと待っている様であった。


 雄座はそんな騒ぎを他所に、つつ、と裏手に回ると、階段を登り楽屋へと向かった。


「龍蔵さん。居ますか?神宮寺です。」


 しまった襖にむかって雄座は声をかけた。


「おう。雄座君かい。そのまま入っておくれよ。」


 雄座の声に襖の内側から返事が返ってくる。雄座は襖をからりと開けると、楽屋に入る。


「悪いね。雄座君。忙しいのに呼び立てちゃって。」


「いや。忙しいどころか、やる事といえば神社で酒を呑むことくらいなんで、大した事はないですよ。」


 中にいたのは、幕が降りたばかりで、まだ化粧も落としていない二枚目役者、龍蔵であった。歌舞伎演目であり、隈取が凛々しく描かれた顔を笑顔で崩しながら雄座を迎えた。


 この一座は流れの芝居一座であるが、龍蔵の婦女子からの人気はそれは大したもので、写真は飛ぶように売れ、芝居も大盛況である。雄座は上京してすぐ、丸山書房の丸山からこの一座を紹介され、それ以降、夏になると納涼怪奇譚を頼まれるようになっていた。今年やる納涼演目について、話をするために呼ばれていた。


「去年は雄座君の書いた河童のお題をやったっけな。あれも随分と評判が良くてね。暫くは夜に川辺を歩く者が居なくなっちまったってんだから、大したもんだよ。」


 化粧を落としながら、龍蔵は雄座を誉めた。若い弟子が運んできたお茶を受け取りながら、雄座も答える。


「いや、河童を退治する龍蔵さんの鬼気迫る芝居があればこそですよ。あんな芝居されたら、どんな話を書いても逸品になってしまいますよ。」


 そう言うと、受け取ったお茶を啜る雄座。


「すぐに準備するからよ。ちょっと待ってておくんな。飯でも食いながら、次の演目について話そうや。」


 そういうことになり、雄座は龍蔵の支度が終えるまで、世間話に興じた。




「おう。ここだよここ。食ったことあるかい?」


 二人が訪れたのは、芝居小屋から程近い大国屋という天麩羅屋である。雄座自身は来たことがなかったため、正直に答えた。


「いや。俺の財布では中々入りづらくて。ただ江戸から続く大国屋です。評判は知っていますよ。大層美味いって。」


 雄座の言葉に龍蔵が笑いながら応じる。


「ああ。あたしが一番うめぇと思う店だよ。今日はあたしがご馳走するから、たんと食っとくれよ。」


 店に入ると、流石は龍蔵。顔の売れた役者である。店の客の視線が一斉に龍蔵に集まる。婦人などはきゃあ、と悲鳴を上げる始末。それですら雄座は驚かない。この店までの道すがら、散々見せられた光景である。やたらと男前なのも大変なのだなと感じつつ、横で眺めていた。


 店の者も慣れたもので、すぐに個室に案内された。


「いやいや、人気者とは分かっていましたが、やはり凄いですね。」


 通された座敷の下座に腰掛けながら、雄座はすっかり感心していた。元々、この龍蔵も遊佐の恩人の一人である。丸山に紹介され、雄座を気に入った、その一言で雄座に演目を書かせてくれた。


 人情物がいい。


 仇討ち物がいい。


 龍蔵から出るのはそういった要望のみ。それを話にするのが雄座の仕事であった。食うや食わずの時も、雄座に仕事を与え、しっかりと礼金を与えてくれた。だからこそ、雄座も連載を持ち、余裕が出ても、龍蔵からの仕事は断る気はなかった。


 龍蔵は店で一番高価な天麩羅の盛り合わせと酒を頼んだ。


「本当は天丼って、飯の上に天麩羅を重ねたのがうめぇんだが、まぁまずは酒のつまみにね。」


 そう言って、先に出てきた酒を雄座に注いだ。雄座も銚子を取ると龍蔵の杯に注ぎ、二人して飲み干した。そこからは手酌で進める。


「いやぁ、最近はどうも肩が凝っていけねぇや。芝居に差し支えるから、鍛錬の真似事で殺陣の稽古なんざも力を入れているんだがねぇ。もう歳かね。」


 龍蔵は右肩をぐりぐりと回しながら、ぼやいた。


「そんな。龍蔵さんはまだ二十七でしょうに。疲れが溜まってるんじゃないですか?これだけ人気者だと、ふらふら街を歩いても大変でしょうに。」


「はは。役者なんざ、三十手前じゃ十分に歳だよ。」


 雄座の言うとおり、龍蔵は一座の顔である。一枚看板を務める事もあれば、二枚目も演じる。主役も晴れれば色男も演じることのできる才のある男である。その見た目も、背はすらりと高く、頭は短髪にしているが、掘り深く、すっと切長の目に高い鼻、女と見間違う程の艶のある唇と才も見目も備えている。


「それでな。雄座君。お前さん新聞で連載しているだろう?天狐が悪い妖怪を成敗するってぇ随分と気持ちのいい話よ。あれは良いよ。読み物としても面白えし、天狐がその霊力で江戸東京を守ってるってんだからありがてぇ話だよ。」


 そう言うと、龍蔵はぐいっと酒を喉に流し込み、言葉を続けた。


「知ってるかい?雄座君。お前さんの連載のおかげで、そこいらの稲荷明神の賽銭が増えったってんだから、ほんとにいい仕事してるねぇ。」


「いや。それは知らなかったですよ。本当ですか?」


 そんな話をしていると、店の者が皿に盛られた天麩羅を運んできた。如何やら話を聞いていたらしい。


「龍蔵さん、さっきの話、もしかしてこの方、神宮寺雄座さんかい?」


 店の者の尋ねに龍蔵が自慢げに答える。


「おうよ。今じゃ人気の物書き様だよ。」


「こりゃ嬉しいよ。私もね、毎週楽しみにしているんですよ。続きが気になってねぇ。うちのカミさんなんか、神宮寺さんが書いてるからって、何とかって雑誌も買うようになって…」


 雄座は愛想笑いを浮かべながら、如何答えて良いやら思いあぐねていると、龍蔵が制した。


「おいおい、俺たちゃ飯を食いにきてるんだ。あんまり絡んでやるなよ。」


「こりゃすみません。ごゆっくりと。」


 そう言うと店の者は一つ会釈して襖を閉じた。


 一息ついてやっと本題に入る。今年の演目として、昨年の暮れには話は貰っており、今年の夏に龍蔵が注文したのは、安倍晴明物であった。安倍晴明を題材とした演目は多々あるが、龍蔵の注文は「これまでにない安倍晴明を」と言うものであった。


 そしてその注文に雄座が書いたのは「事実」であった。少しでも真実を知ってほしいと言う気持ちもあったからかもしれない。

 妖怪の安倍晴明とその親友となる蘆屋道満が愛する殿を思うあまり、鬼と化した姫を討つという物語を書いた。これまで、敵役と言えば蘆屋道満である。それを友として、ましてや主役、一枚目に置くというのは、これまでにない演目である。


 その物語を龍蔵に渡した時、あまり良い顔をしていなかったことを思い出す雄座。


「あの安倍晴明物語は如何でしたかね?」


 雄座が訊ねる。もし駄目であれば、他の演目の稽古をしているだろうし、雄座の収入が減る程度だ。だが、龍蔵をがっかりさせる様であれば話は別である。期待して任せてくれた龍蔵を裏切ったことになってしまう。


「いや。あれは新しい。あのまんまでやらせてもらうよ。道満が主役で、しかもあんなに良い奴と描かれている話はこれまで見たこともねぇ。きっと面白くなるぜ。」


 生き生きと答える龍蔵を見て、ほっとする雄座。


「良かった。世にある道満とは全く異なるので、実はちょっと心配はしていたんですよ。でもね、蘆屋道満は今まで書かれたような悪人なんかじゃないんですよ。」


 それから、いかに道満が良い人間であったかを話す雄座。そして、それを楽しそうに聴く龍蔵。

 彼もまた、雄座を理解する者の一人である。

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