月丸 終
「それから呉葉が、月太がどうなったかは俺も分からん。ただ、呉葉の事だから、月太に幸せな生を与えてやってくれたと信じているよ。」
月丸はそう言うと、懐かしそな、残念そうに天井を見上げた。暫しの間を置き、鞍馬が口を開く。
「あの時は儂もこの結界に気付けなんだ。じゃが、お主の声は聴こえていた。百鬼夜行の怨を晴らして見せると。」
鞍馬の言葉に月丸は思い出した様に、手を叩いた。
「そうだったな。鞍馬の声は俺にも聴こえていたんだ。『果たしてみせよ。儂も結界を越える力を持って、助けに行こう。』と。覚えているよ。」
その言葉に苦笑いを浮かべる鞍馬。
「力は付けたが、まさか、結界を越えたのが、魑魅魍魎様のお迎えとはな。」
そう言うと月丸と鞍馬は二人して笑う。すっかり置いてけぼりの雄座はふと、思い出す。
「なぁ、月丸。さっきの、もうすぐ叶うとは…、まさか、百鬼夜行の?」
月丸は雄座に向き直すと、こくりと頷き、応える。
「ああ。百鬼夜行に呑まれた命全てと話し合い、その穢れを祓っていった。あと数柱で、全ての穢れを祓う事ができる。その時、百鬼夜行は穢れない魂となり、解き放たれる。」
「百鬼夜行と話を?よく応じてくれたな。」
雄座の疑問に、月丸は笑いながら応える。
「最初の百年は毎晩の様に戦い続けていたさ。時には取り込まれそうにもなった。恥ずかしい話だが、最後は力でねじ伏せた様なものだ。」
月丸の昔話の様な語り口調に、雄座は唖然とする。
「百鬼夜行とは集団であろう?一体どれ程の…。」
問いかけた雄座の言葉を遮る様に、月丸が言う。
「二万四千二十一柱。これが世で最大の百鬼夜行だ。まぁ、もう脅威ではなくなった。その殆どは清められたのだから。」
多いのか少ないのか、雄座には判断がつきかねるが、その二万を超える妖や餓鬼、化生と毎晩戦ったと言うのであれば、月丸の力の方に驚くと言うもの。何より、百鬼夜行は討たれ甦れば、怨を強くするのだから尚更であった。
雄座と同じ思いであったか、あやめも目を丸くして聞いている。
ふと、気付く。
「月丸。以前、俺が来た時、誰かが来れば封じられた妖が怯え騒ぐと言っていたのは…。」
くいっと酒を飲み干すと、月丸は、ああ、と答える。
「百鬼夜行に囚われた魂は、後悔してるんだよ。他の者を巻き込んだことを。怨を抱いた事を。生きる者を見ると、その後悔で怯え泣く。
だが、…。」
言葉を止め、月丸はくすりと笑う。
「雄座。お前には慣れたらしい。最早お前の出入りで騒ぐ百鬼夜行の魂は居らんよ。」
「むう。」
良い事か、それとも生ある者と思われないのか、複雑な心境ではあったものの、出入りするのに迷惑がかからなければ、まぁ、良いのであろう。そう思い納得した。
買ってきた大量のビールは、その殆どが鞍馬の腹に収まり、空の瓶が並んでいた。気付けば辺りは夕暮を過ぎ、夜の様相を見せる。そんな折、鞍馬が口を開いた。
「ふむ。日も沈んだ事だし、ぼちぼち帰るとしようか。さぁ、魑魅様、魍魎様、そろそろ鞍馬山へと戻りましょうか。」
鞍馬の言葉に、魑魅も魍魎も、はぁい。と聞き分けよく応じた。
「間も無く夜だと言うのに、これから帰られるのか?もう、汽車も終わるだろうに…。」
雄座が案じていると、鞍馬が応えた。
「何、心配無用。儂とて、魑魅様をお迎えするのに、一人で列車の旅を楽しんできたわけではない。帰りは人目がつかぬ夜の方が都合が良いわ。」
そう言うと、かかかっと笑うと、立ち上がり、あやめに顔を向ける。
「あやめや。立派になったその姿。一目見る事ができて、じいじは嬉しかったぞ。この地の護り、見事勤めて見せよ。」
長であり、祖父である鞍馬にそう言われ、あやめも顔を赤くしながら、嬉しそうに顔を崩した。
そんなあやめを見て、さらに嬉しくなったのか、鞍馬はあやめを抱き抱え、あやめに拒否されていた。
そんな光景を眺めながら、月丸は穏やかに笑う。
「さて、妖霊よ。邪魔をしたな。」
鞍馬に月丸が返す。
「いや、これ程の多くの者が周りにいる事なんて久しいからな。楽しかったよ。鳥居までだが、見送ろう。」
月丸はそう言うと立ち上がった。合わせて雄座も立ち上がると、足元に魑魅達がまとわりついた。
「ゆうざは鞍馬山に行かないの?」
「一緒に行こう?」
魑魅と魍魎が雄座の袴を掴んで言う。
「ふむ、行ってみたいが、俺も仕事があるしな。何より…」
月丸と共にいる。流石に言いかけて恥ずかしくなり、言葉を止めた。だが、代わりに希望を口にする。
「いや、いつか月丸と共に遊びに行くよ。ちゃんとお菓子を土産にな。」
雄座が言うと、魑魅と魍魎はきゃっきゃっと喜んだ。
「約束だよ。必ず来てね。鞍馬がくれたおもちゃがあるんだ。見せてあげるから一緒に遊ぼうね。」
そう、嬉しそうに魑魅は雄座に告げると、今度は月丸の元へ行き袴を掴んだ。
「雄座と約束したよ。一緒に遊びに来てね。」
純粋な目で月丸を見上げる。その姿に月丸もふっと微笑みながら応えた。
「ああ。行けると良いな。」
そう濁して魑魅の頭を撫でた。
小屋を出ると、夜の空気が鼻をくすぐる。まだ日も落ちたばかり。社の外は街灯が輝き、まだまだ明るい。
「鞍馬殿、この様な時分から本当に帰られるのですか?」
雄座の問いに、鞍馬が答える。
「ふむ。ホテルに一泊しても良いが、迎えも来ておるからの。大通りに車を用意しておる。まぁ、昔話で随分と遅くはなってしまったから、また愚痴は言われそうだ。」
鞍馬は振り返ると、後ろを歩く月丸に声をかけた。
「あやめから聞いておる。雄座君とならば外に出られるのであろう?儂とお前の仲だ。鳥居と言わず、車まで見送れ。」
鞍馬の言葉に、雄座もくすりと笑い、その手を月丸に差し出す。
「行こう。月丸。」
「ああ。」
雄座に応じると、月丸は自分の毛をとり、側にあった花に結び、口元でほそりと呟くと、それを放った。
花は人の形となり、やがて幼い月丸が姿を現す。
「ほう。懐かしい姿よな。」
鞍馬が小さく呟く。
鞍馬には記憶に残る妖霊の姿であった。そしてその分身が纏う衣は、薄く菜の花の様な密陀僧(薄い黄色)、裾や袖に花の刺繍がされた女物の着物であった。
雄座はすぐに気付く。
「似合っているな。先ほど言っていた、すずさんとお揃いの着物か?」
月丸は少し、照れた様に頷く。
「ああ。昔話の一興にな。」
雄座は月丸の手を取るとその姿を眺める。
この邪気もない愛らしい幼子が、禍の元である百鬼夜行を封じたのだ。そして手足が伸びきるまで一人で百鬼夜行の穢れを祓い続けたと思うと、不思議な気がしてならない。
「お前は、凄いな。」
自然と、そう呟いた。
「どうした?突然…。」
「いや、何でもない。」
一行は鳥居を抜け、銀座の大通りに向かった。大通りに出ると、すぐに異様に気付く。
五台の自動車が並び止められ、その周りに体格の良い黒い背広の男達が並んでいる。
一人の男が鞍馬の姿を見つけると、こちらへ向かってきた。街灯に照らされた男は、鞍馬程ではないが背も高く、背広を着ていても、その体は筋肉で覆われているのがわかる。髪を後ろに撫で付け、目は獲物を狙う獣の様に鋭い。咄嗟に雄座は月丸を自分の後ろに置く。
すたすたと歩いてきた男は、鞍馬の前に立つ。
「随分と暢気なものですなぁ。」
男は鞍馬にそう告げる。言葉の端から、男が苛ついているのを感じ取る雄座。
敵か?
そう思った矢先、後ろからあやめが声を上げる。
「一之丞様。お久しぶりです。」
あやめの明るい声に、先程まで険しかった一之丞と呼ばれた男の顔が、やわりと崩れた。
「これは姫様。何ともお久しい。変わらず愛らしいそのお姿、お目にできて光栄です。」
目の前の鞍馬を無視して、あやめに挨拶する一之丞。月丸と雄座は二人をあやめと一之丞を交互に見る。
「ああ、この方は一之丞さんといって、お父様に仕える天狗です。」
「天狗?この方が?」
鼻も高くなければ、山伏姿でもない。体は大きいが、まさかの天狗に雄座は驚く。そんな雄座を無視して、鞍馬が一之丞を一喝する。
「こら。儂には愚痴をこぼしてあやめには愛想を振るとは何事か!」
鞍馬の声に、一之丞はため息をつきながら応えた。
「すぐに戻ると言われて山神様の迎えに向かわれたのが昼ですよ。今何時だとお思いですか?」
如何やら鞍馬は連れてきた天狗達を放って、社で寛いでいたらしい。その間、この天狗達はずっとここで待っていたのだろう。その鬱憤が溜まっているのか、一之丞は言葉を続ける。
「大体、山神様のお迎えに車を用意させておいて、自分は列車に乗ってみたいだの、着いたら着いたで、一人で行くだの、待てと言われれば、こんな時間まで待たされて。連れ回されるこちらの身にもなって頂きたい。」
雄座はその光景にくすりと笑った。くどくどと説教される鞍馬が小さく見えるのが面白かった。そんな雄座にあやめが言う。
「お爺様、自由すぎて、天狗からよく怒られるんです。我儘だって。天狗の長なのに。本当に困った祖父です。」
伝説の存在であり、月丸とも、妖霊ともやり合える程の天狗が、今は部下に叱られ、孫に困った祖父と言われ。
だが、それを怒らないのも、鞍馬の器なのだろう。我儘と言うが、鞍馬も、今は時代を楽しんでいるのだろうと思うと、雄座としては鞍馬が説教される目の前の光景が心地良い。
そして、気が付けば残りの屈強な男達が鞍馬ではなくあやめに嬉しそうに挨拶していたのが、面白い。普段は気にしていなかったが、あやめはやはり天狗の姫なのだ。その姫に挨拶できるのは、天狗達にとっても嬉しいのであろう。
微笑ましい光景を雄座は暫し楽しんだ。
一通り説教を受けると、魑魅と魍魎、鞍馬は車に乗り込んだ。あやめから話は聞いていたと、天狗達は雄座や月丸にも挨拶してから、それぞれ車に乗り込む。
「では、世話になったな。妖霊。」
「ああ。ナナシ達をよろしくな。」
月丸と鞍馬が短く言葉を交わすと、魑魅と魍魎が鞍馬の膝の上に乗って車の窓から顔を出す。
「またね。つきまる。ゆうざ。ありがとう。」
車が発進し、月丸達はその車が見えなくなるまで手を振って見送った。
「ここから車で京都か。随分と時間がかかるであろうな。しかし、あんな高級な自動車を用意するなんて、鞍馬殿も凄いな。」
その言葉にあやめが応える。
「用意というか、あれ家の車ですよ?人の世でも動きやすい様にと、お爺様は爵位も授かってますし。お父様も人の世でお仕事なさってますし。」
これには月丸も驚いた。
「天狗に爵位か。あやめの父上も働いているというのは驚きだな。」
雄座も同意する様に頷く。
「はい。京都で政治家をやってます。お爺様の修行よりも大変だとぼやいてました。」
へぇ。と感心する月丸。
「世も変わって行くのだな。本当に面白い。」
そう言って笑う月丸を、その移り変わる世に置いてやりたい。そう思う雄座。しかし、その術など知る由もない。今出来ることは、月丸に今の世を楽しんでもらうことだけである。
「さて、月丸も折角おめかししているんだ。あやめさん。三人でレストランでも行って、この世を楽しもうじゃないか。」
少し芝居めいて言う雄座。あやめも賛同する。
「良いですね。でも、雄座さんからレストランなんて、どこか良い店をご存知で?」
「いや。俺は洒落た店は知らん。あやめさんの知ってるレストランに行こう。」
あまりに潔い雄座の言葉に、月丸もあやめも声を上げ笑った。
「雄座さんらしい。じゃあ、仏蘭西のお料理を頂けるお店があるので、行ってみませんか?」
「月丸。仏蘭西料理だそうだ。好きか?」
「俺に聞くな。好きかどうか、見たことないのに判るわけなかろう。」
そんな事を言いながら、三人は街灯溢れる街中へと消えていった。




