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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第玖幕 月丸
103/176

乱 漆

 すやすやと寝息を立てる月太を抱き、吉房は漸く江戸前島の社に座していた。ざぁ、と辺りに響く波の音。その音を彩る様に、月明かりが波飛沫を輝かせている。

 ふう、と息を漏らすと、北西の空を見る。


 昨日まで一晩毎に強大になる百鬼夜行の瘴気と、これまで一緒にいながらも感じることのなかった妖霊の狂気が今宵は無かった。


「正気に戻ったか…。良かった。」


 依然として百鬼夜行の瘴気はこれほど離れていても感じる。だが、月丸はきっと呉葉が何とかしてくれたのであろう。そう思い安堵する。

 叶うならば、月丸を我が手で導いてやりたかった。だが、百鬼夜行を抑え、山道を駆け、体には矢を受け、斬られ。正気を失った月丸を取り戻すには、既に吉房にはその力は無かった。


 ならば、残す命を賭して、百鬼夜行だけは封じてやろうと決めた。月丸は優しく、聡い。きっと戻ってきてくれる。そう信じた。だからこそ、自らの力となる呉葉も、月丸の元へと置いた。正気に戻った時、月太の所在を知らせてやらねば成らぬ。月丸に生きる糧を与えてやらねばならぬ。その役を呉葉に託した。


 月丸が正気に戻るとしたら、すずの願い、月太を守る為に戻る。ならば、その月太を何としても護らねばならない。

 だが、吉房は己の力が急速に失われてゆくのを感じていた。


 江戸前島の海辺に吉房の寝ぐらとする神社がある。そこより北、少し登った小高い山の上に、神にも近い稲荷の使いがある。天狐と呼ばれる高位の狐である。


 吉房は昼の間にその天狐に会い、事の経緯を伝えた。


 百鬼夜行がここに来る。


 江戸前島の先に百鬼夜行を集め、纏めて地と共に封じる。


 天狐は最初、怒りの色を見せた。己の守護する地に百鬼夜行を誘ったのが吉房本人と聞いたからである。だが、放っておけば、江戸前島だけでなく、国中の人間が、妖が、神までも取り込まれてしまう。

 

 無論、天狐は北西から溢れる巨大な百鬼夜行の瘴気に気付いている。天狐とはいえ、これほど巨大な百鬼夜行を封じるのは困難であろう。

 しかし、この吉房と言う者。八百万の神の加護を得た封の苗木を持ち、自らが封を施すと言う。それならばと、天狐も力を貸すこととなった。


 この地に住まう者はそれほど多く無い。その者達を天狐のいる高台に集め、百鬼夜行の瘴気よりその者達を護る事となる。


 そして月丸が間に合わなければ、月太も天狐が預かる事で約束をつけた。


 明日、日が昇れば月太は天狐に預ける事となっている。そして今宵、最後の夜を月太を抱き過ごしていた。体には幾太刀を浴び、随分と血を失った。だが、吉房が気を保っていられるのは、この胸にいるすずの忘れ形見である月太の温もりであった。


「お前に何かあれば、月丸に叱られてしまうわい。」


 眠る月太にそう、声を掛けながら、吉房は笑った。

 

「お前の母は、妖霊に人の心を与えてくれた優しく素晴らしい娘であった。その妖霊はお前の母に与えられた優しい心で、今も人の為に尽力してくれておる。そんな月丸には、これ以上悲しい思いはさせたく無いのう。」


 吉房はくすりと笑い、言葉を続けた。


月太おまえと共に、家族と共に過ごし、安らかな時を与えてやりたいのう。月太おまえの義親になる奴じゃ。よろしく頼むぞ。」





 月丸は全力で江戸前島を目指した。

 百鬼夜行は妖霊から逃げるかの様に、呉葉の用意した道をまっすぐに進んでいた。

 月丸の禊を行うためとはいえ、日数を過ごしている。そして、呉葉から吉房も傷を負っていると聞いていた月丸は、不安からそれこそ全力で向かっていた。その疾さに呉葉と鞍馬が辛うじて付いて行くことが出来たが、他の天狗達は最早後ろに姿すら見えなくなっていた。

 そして日が暮れ、百鬼夜行の瘴気がぶわりと辺りに広がる頃、月丸は江戸に辿り着いた。江戸前島に向かって、異様の行列が続く。恐らく、先頭は既に江戸前島に辿り着いているのだろう。あとはこの百鬼夜行全てが江戸前島に辿り着く必要がある。


「呉葉さん!お師様は?」


 月丸の言葉に呉葉が応える。


「江戸前島に居られると思いますが、この様子では百鬼夜行も既に辿り着いているかと…そうなると、何処に居られるか…。」


「わかった。呉葉さんはここに居て!」


 月丸は百鬼夜行の行先に向かって再び走り出した。その体には見てわかるほどの結界が張られている。追い掛けようとする呉葉を鞍馬が制止した。


「見よ。最早、あれ程の結界でなければ、この百鬼夜行には近づく事すら難しい。お主では取り込まれてしまうやも知れんぞ。」


 それは鞍馬でも同じであった。どれ程の妖力を持てば、あれ程の結界を幾十にも張れるのか。妖霊の力の底の無さに呆れつつも、百鬼夜行をただ眺めることしか出来ずに居た。


 月丸は日比谷入江の対岸に着くと、江戸前島に目を向ける。

 成る程島の先に異形の者達が蠢いている。それは道が終わり、引き返そうとする夜行の先頭と後からくる者達で溢れ、既に道から逸れてわらわらと彷徨っている様でもあった。


 月丸は意識を集中し、吉房の気を探る。江戸前島に居るならば、結界の気配があるはず。それを見つける為に集中した。だが、百鬼夜行の瘴気により上手く探せない。月丸は気を探りながら、再び駆けた。


 丁度江戸前島に向かう道が一本、百鬼夜行で埋められている。月丸は姿を隠しながら百鬼夜行と並走する形となった。


「お師様!」


 血の染みた狩衣に身を包み、月丸同様、幾重にも結界をその身に広げる吉房の姿を見つけ、月丸はつい、叫んだ。

 驚くは、呉葉でも鞍馬でも叶わぬ月丸と同程度の結界をただの人である吉房が広げている事であるが、月丸を驚かせたのは吉房の別の結界であった。


 江戸前島に向かって進む事は出来るが、その結界に一歩踏み入れれば、戻る事が叶わなくなる結界である。成る程、そうすれば月丸が百鬼夜行を抑えた時の結界の様に、ずっと力と力をぶつけ合う必要がない。


 月丸は吉房の横に立つと、吉房と同じ結界を即座に張った。


「ごめんよお師様。心配かけて。替わるよ。」


 そう言うと、月丸は吉房へも自分と同じ結界を張り、百鬼夜行を封じるための封を己のものとした。


「心配などしておらん。お前はきっと戻ってきてくれると信じておったわ。じゃが…安心した。よくぞ、怨に呑まれず戻ってきてくれたな。」


 吉房は余程疲弊していたのか、肩で息をしつつ、月丸の結界が自らに張られると、自身の術を解いてその場に腰を落とした。


「大丈夫か?お師様?」


「なぁに。これしきの事。じゃが少々気張りすぎたかも知れぬな。暫く頼めるか?」


 そう応えながら笑う吉房に、月丸は安堵する。月丸の中で、吉房は完全であり、術も霊力も高みにある。その吉房がここまで疲労すると言うことは、百鬼夜行の全てを江戸前島に取り込むには、相当な力がいる筈。月丸は更に妖気を込めた。吉房が回復するまで、若しくは日の出まで。自分だけでこの結界を維持して見せる。そう覚悟した。


 だが、月丸の見立ては、異なっていた。月丸とやり合った百鬼夜行の力は吉房の術では既に封じる事すら叶わなかった。その為、吉房は昨晩からその身に神を降ろしていた。

 己が陰陽道の祖である芦屋道満が生み出した術で、神々の力を自らの体に宿す術である。それによって、神の力を持ってして、ようやく百鬼夜行を抑えることに成功していた。

 だが、その力に吉房の老いた体は耐えることが出来なかった。現に、月丸があと少し遅ければ、己の術で力尽きていたかも知れない。


 吉房は改めて月丸を見た。


 出会った頃と変わらぬ幼児である。自らが討った武士の着物を奪い、その肉を食べ、自分の成す事すら見つけられなかったこの妖霊は、気付けば、この地に生ある者達にとって、これ程頼れる存在となっている事が嬉しかった。悲しい事があって我を失っても、大事な者のために我を取り戻した。

 色々な思いが込み上げ、吉房の目頭を熱くした。


 ふと、気付く。


「ああ。それはすずと揃いで佐ノ丈が買ってきた着物じゃな。思い出すのう…お前たち二人はずっとその着物を着ておったな。本当に、姉妹の様であったわ。」


 吉房の呟きに、月丸が答える。


「すずは俺の一番の友達だった。俺を家族と言ってくれた。そんなすずを忘れたくないから、この着物にした。」


 一息置くと、月丸が言葉を続ける。


「俺、すずを守るって約束したのに、守れなかった。でも、すずは言ったんだ。『月太を頼む』って。だから、月太が安心して大きくなれる様、百鬼夜行こいつらだけは、絶対にここで封じるんだ。」


 吉房は静かに聞いていた。そして、一つ、頷くと、口を開いた。


「お主の成すべき事。見つけられたの。」


 吉房の一言に、月丸は吉房との出会いを思い出した。そして、こくりと頷き応える。


「…この世の全てを、すず達と過ごしたあの村の様な穏やかな世にしてやる。笑って、怒って、泣いて、喜んで。そんな自然な世にしてやる。それが俺の成したい事だ。」


「ならば、お前の成したい事を成すが良い。たとえお前が、人を滅ぼすと言うても、儂はお前の味方でいよう。儂にとっても、月丸や、お前は我が子同然。成す事が叶う様、願っておるぞ…。」


 吉房はそう言うと、ばたりと地に倒れた。


「お師様!」


 慌て声をかける月丸に、吉房は一言、返す。


「儂は疲れた。暫く休むが、任せたぞ。」


 声が帰ってきた事で月丸は安心する。



 そして半刻程で日が昇ろうという頃。百鬼夜行の最後尾が江戸前島に入った。瘴気が結界の中に収まると、呉葉や鞍馬達が月丸の元へ降り立った。

 後は日が昇るまで、封じ続けるだけであったが、海に逃げられては困ると、呉葉と鞍馬は江戸前島の東西に位置、残りの天狗達で月丸の後ろに控えて、三方の結界を作り上げた。

 結界に気付いた百鬼夜行の一部が暴れ出し、一部は江戸前島から引き返そうと月丸の結界を破ろうとする。

 

 三方の結界に牙や爪が立てられる度、霊力を奪われた天狗達は、早々に数柱が霊力が尽き倒れ込んでいた。


 月丸は三方の結界を受け、自らの結界を推し進め、徐々にその範囲を狭めた。それによって、結界の中は気付けば百鬼夜行達はぎゅうぎゅうに押し込まれた形となった。



 やがて東の空が明るみ、日が昇ると、結界の中の百鬼夜行は姿を消していった。それと同時に、三方の結界が消え失せる。


 僅かな時間であったが、呉葉も鞍馬も、疲労の色が強かったが、それでも月丸の元に降り立った。一方を担った二十柱以上の天狗達は、百鬼夜行が消えると同時に、全員が力尽き倒れ込んでいた。だが、これで百鬼夜行の禍が終わると思えば、霊力を使い果たした天狗達の顔色は明るかった。


 月丸は踵を返し駆け出すと、吉房の元へ急いだ。それに続き、呉葉も後を追う。


 吉房は地に横になり、眠っていた。呉葉の案内で、吉房がこの地で過ごしていた社へ一先ず運ぶこととなった。

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