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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
序幕
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序 〜夏の一夜〜

明治50年9月。


 夏も終わろうとしているが、今年は猛暑であったためであろうか、9月中頃を過ぎてもまだ十分に暑かった。だが、夜にもなればさすがに僅かばかりの秋を感じる風が暑さを忘れさせた。加えて昼間に降った雨が運んだ冷気は、納涼にはうってつけの心地良さとなった。



 話の舞台は、東京銀座。



 銀座といえば、明治五年以降、西洋化が進み、煉瓦造りの家屋ではあるものの、西洋の煉瓦造りに日本家屋の特徴が混じり合って、独特な美しい街並みを作っている。道には街路樹の柳と夜を照らす瓦斯灯が並び、往来には人々と荷車、自動車が行き来し、目新しい品々を並べる商店の掛け声、日中の喧騒はまるで祭りのようである。そして何より、最新の情報が集まるこの銀座は、東京の華やかさを象徴する最たる場所であった。


 東京に来たなら一度は訪れよと歌われる様々な店が入っている百貨店を始め、カフェーや貴金属店などが通りに立ち並ぶ。

最近では銀座でウィンドゥショッピングなど、ぶらぶら散策する[銀ぶら]なる言葉も流行る。


 そんなモダンで華やかな銀座に似つかわしくない、古びた神社。人通りも多い通りに面しているが、道行くものはその存在すら気にも留めない。それともその存在を知らぬのか…。


 鳥居をくぐると、古く小さいながらしっかりと手入れが行き届く拝殿と、その奥にやはり手入れのされた本殿、拝殿の左手にはささやかながらの社務所がある。境内には塀に沿って木々が植えられており、その全てが青々と茂る。



「雨のお陰で、心地の良い夜になったなぁ。」


 雄座は拝殿の濡れ縁に胡座で座り、盃に入った酒を口に流し入れると、まるで独り言のように言葉が漏れた。頬に当たる湿気を含んだ風が、酒の入った体には心地よい。そしてその目には木々や草花に着いた雫が月明かりに照らされ、まるで宝石でも散りばめたように煌めいている。酒の肴にはこの景色で十分と言わんばかりに満足げに境内に目を向けていた。



 さて、この雄座。名を神宮寺 雄座ゆうざという。年の頃は二十八になる。総髪の長い髪を後ろで無造作に一本に纏めているが、真面目な性格がそっくり姿に出ているかのような端正な顔つきもあって、見目の良い青年である。その見目のお陰か、灰色の飾り気のない安物の襦袢と羽織でも、街行く娘が横目でチラと見るほどには美丈夫である。


 彼は文学小説を書くため上京し、しばらくの間下積みを重ねていた。文学小説では未だ日の目を見ないが、彼が飯の種にと片手間で書いていた怪奇物の小説は、その手の物語好きにはもはや名を知らない者はいないといった程の物書きになっていた。


 その雄座が空いた盃に酒を注ぎながら口を開く。


「月が見えればその光で目の前の景色が広がる。しかし、雲に隠れれば一転、怖ろしいほど漆黒になる。俺は動かぬのに景色が変わるのはまた不思議な事だと思うよ。そう思わないか?月丸。」


 雄座の隣には片膝を立て柱に寄りかかり酒を飲むもう一人の人物がいた。雄座はその者を月丸と呼び、語りかける。雄座の声に月丸と呼ばれた者が応えた。


「光も漆黒も同じ事だよ。雄座。どちらもそのものの本質や姿をその力で消し去るのみ。光が当れば姿は見えるが本質は見えぬものだ。漆黒もまた然り。闇で覆えば姿は見えぬが本質が見えてくる。景色が変わるように見えるのはその姿を見ているだけだよ。そのものを見据えれば光も闇も景色すら変えることは出来ないさ、雄座。」


「月丸の言う事はよくわからん。ただ景色が暗くて見えない。それでよいではないか。」


 雄座は苦い顔をしながら月丸のほうへ顔を向けた。


「しかし、いつも来ていながらこう言うのも何だが、こうも暗いとさすがに社の濡れ縁というのも不気味なものだな。」


 雄座は話しを逸らすために話題を変えた。


「まぁ妖霊なんぞが居る社だ。不気味なのは当然というものだろう。それ位は我慢してもらうしかないな、雄座。」


 月丸は笑いながら視線を雄座へ送った。



 妖霊とは物の怪、化生の類と言うべきか。正確には人間がそう決め付けているものであろう。古くから、何某の物語にて登場する鬼や化け物の類であるのだろうが、人間には到底考えの及ばない者である。例えば考えが及んだとしても、やはり何某の物語の人を喰らう鬼であったり、柳の下の幽霊であったり。人ではない何かを知らぬが故に及ぶところは恐怖の対象程度であろう。



「お前が妖霊だろうが不気味に思うものか。人ってものは夜を怖がるものなんだよ。何よりこうも毎日来ておいて今更月丸が怖い訳がないではないか。」


 雄座は酒を一飲みして軽く答えた。月丸もその雄座を見てふっと微笑みやはり酒を飲み下した。


 月丸は雄座が言った妖霊と呼ばれる人外の者である。人間ではない(何か)である。この社…東京銀座の一角に建つ神社にもう何百年と暮らしているらしい。らしいというのは今だその時間を共に見たものが居ないから実際は判らない。だが、月丸には様々な不思議な力があった。死して枯れた木々を蘇らせてみたり、またあるときは指の先から焔を発ててみたりもする。恐らく妖術という類のものであろう。


 その不思議な力以前にその風貌はこの世のものとは思えぬ美しい姿であった。顔立ちはまるで天女の風と思える美しさであったが、肩にかかる髪の毛は白銀に煌き、その両目は深い赤みを帯びていた。そのため妖艶な美しさを携えていたが、付き合いの長い雄座ですら、月丸が男なのか女なのかはわからなかった。


 妖霊とはいっても、月丸自身はその力、妖術を使う事を滅多にしない。雄座もそれは心得ていた。月丸が人間として暮らそうとしていることも知っていた。だから雄座は妖霊である月丸と出会ってから、ずっと親しい友として接していた。


「お前も変わった奴だな、雄座。俺なんかとこうして毎晩酒を交わす人間は多分お前しかいないだろうよ。」


 ほろ酔いの顔をして月丸が言う。いつも気分が良くなってくると決まってこの台詞が月丸の口から出た。雄座もそれをいつものように笑って流した。その雄座の笑みを見て月丸もまた満足げな笑みで応えた。



 雲が時々月を隠し、闇が訪れ、また月明かりが境内を照らす。そんな風景の変化と、風に揺れる木々の音を酒の肴に、二人はいつものようにゆっくりとした心地よい時間を味わっていた。

お読みいただきありがとうございます。


何分、初投稿でお見苦しい点も多々あるとは思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  改行がありとても読みやすかったです。  更に、私には無い言い回しでした。   [一言]  狐の回が楽しみです。  拙い文章ですがお許しください。  
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