旅路
勇者たちとの旅はそれなりに快適だった。
明の刻にはサングラスのような少し色のついたドームのようなものが私達の周りに付随して浮いていたし、冷の刻には同じような透明のドームが私達を覆って冷気から守ってくれた。
戦士と勇者が動物を狩ってきてくれ、修道女は料理人ほどの腕があり、魔法使いはそれを加工して日持ちするようにしてくれた。
私はといえばただ彼らの親切心を消費していただけだ。
「私、まだ皆の名前を知らないんだけど」
村を出てから幾日かした日の冷の刻、焚き火に当たりながら夕食を準備している修道女にそう言うと、彼女は不思議そうな顔をしながらも何か合点がいったというような動作をしてみせた。
「ああ、あなたは物知らずでしたね」
「物知らずというのは、少し、表現が直接的過ぎる気がするけど……」
彼女は肩を竦めると、視線を鍋の方に移して料理を続行する。
旅の最中、夕飯はもっぱら鍋ものだ。障壁を張っているとはいえ、やはりこの時間は冷え込む。鍋の温かさが体にしみる感覚も悪くはないと思うが、少しマンネリしてしまうのも事実だ。修道女はいろいろと工夫をして味付けを変えてくれている。
辺りには私達の二人しかいない。勇者と戦士は何かデザートになりそうな果物を探しに行ったし、魔法使いも何か薬になりそうな草や木の実がないかと彼らに着いて行った。
「私達に名前なんてないですよ」
「え?」
「勇者と戦士と修道女と魔法使いというのが私達の名前です」
思いもよらぬ応えに一瞬思考が固まりすぐには何とも返せなかった。
修道女は何を当たり前のことを、とでも言いたげな瞳で私を上目で睨む。
「それはつまり、どういうこと? 親御さんがそうつけたの?」
私が加えてそう聞くと、彼女はじれったそうに鍋をかき回していた木の匙を私の方へ放る。少しはねた鍋の汁を避けながら、何とかそれを掴むと、今度は私がそれをかき混ぜる。
「親とかそういう概念じゃないのですよ。私達は。生まれたときから“勇者一行”ですから」
修道女は腕を組むと、丸太に寄りかかる。彼女の腰の下に敷かれた木の葉が軋むように皺を寄せた。彼女はそれをまたかき集めて具合を整えると、私を再び見据える。
「生まれたときから。生まれた瞬間に“勇者だ”という神託が下る……と言っても、髪の色や目の色、そして特徴的な痣が身体にあるということでそう周囲に知られるのです。……普通の人間は神託なんて得られないですからね」
「髪の色や瞳の色が言い伝えられてるってこと?」
「そうですね、教会がどこの村にもあるわけではないですから。実際あなたがいたサマス村にも教会はなかったでしょう」
あの村がサマス村ということも初めて知ったが、それ以上にもしや勇者という存在がそこまで稀有でもないのかもしれないということに、私の眉間に皺が寄る。
「“ああこの子は勇者だ”“ああこの子は僧侶だ”と周囲に分かった瞬間、親なんて小さなくくりは存在しなくなる。その村や町全てが私達を養うのですから」
「それって、少し、何というか」
「分かりますよ。確かに、誰を信じていいのか分からなかった。誰かを信じれば誰かの僻みを買い、それを解消しようとすればまた違う誰かの誹りを買う。全員に平等に接しなければならない、接することを強いられている、それが私達です」
どうあがいても自由などないと、彼女は言った。
彼女は地面に敷かれた木の葉を一枚細かく千切ると、何とはなしに火に焚べた。会ってからこれまで大人びていた彼女の横顔が、16かそこらに見えた。初めて気づいた。彼女の姿をよくよく見てみると、ただ幼い少女だった。
「あなたも見たでしょう。サマスで。私達があなたに肩入れした時、まるで依怙贔屓だとでもいいそうな顔で彼らは私達を見た。自分たちを蔑ろにするのかとでもいう表情だった。だから私達は世論に逆らうことはできない。あなたを連れ出すことも、言ってしまえばあの村基準では多くに逆らうことでしたが、世界基準で見ればただあなたに軍配が上がっただけです」
川の向こうの出来事では多くの人間が弱い方に同情するのと同じように、修道女の言う通り私はきっと遠くの町では同情されるだろう。人々は薄情なのだ。どこの国でも、世界でも。
修道女が腕を伸ばし、私に匙をよこせと無言で催促する。私は黙って彼女に木の匙を渡した。彼女は満足そうに片口角をあげると、そのまま鍋を打ち鳴らした。
色のついたドームの向こう、草むらが揺れる。眩いばかりのそこから帽子を深くかぶった魔法使いが現れると、勇者と戦士も次々と姿を表した。
「今日は時間がかかったわね」
「彼女が私達の名前を知りたいと言うものですから」
魔法使いが肩を竦めて笑う。
「好きに呼んでよ。どうせ死ぬんだし」
「……魔法使い」
勇者が魔法使いを窘める。彼女は眉を上げて草花や木の実の入ったかごを放った。
「何よ、そうでしょ。私達が旅の途中で死んでも、また新しいのが生まれるんだわ」
「どういうこと?」
戦士が眉を下げて座り込む。修道女は呆れたように黙り込む。
私は話の続きを促そうと魔法使いの方へ身を寄せた。
「私達は魔王を倒すために存在してるわけだけど、魔王を倒す前に死んじゃったとするでしょ」
「うん」
「そうすると新しく生まれるの。私達じゃない“勇者”や“戦士”や“魔法使い”が」
「あと“僧侶”も、ですよ」
「宗教女は黙ってて。……それでその人達が私達に代わってまた魔王を倒すために旅をするの。まあ育つまでに時間はかかるけど、どうせ魔族との戦いは延々に拮抗した状態にあるわけだし、大きな戦況の変化でもなければ、まあ、猶予はあるわね」
魔法使いが木の実を器に分けると、それを皆に配分する。修道女とは盛られた鍋の器を交換し、皆各自今日の夕食を手にした。
「確か修道女がサマスでも言ってたでしょ。『次はすぐ来るから今回はだめだ』って。そういうことよ。私達がすぐ死ぬのを祈っててってこと」
「そこまで物騒なことはあなたじゃないのだから言いませんよ」
スープを啜りながら、修道女は不機嫌にそう付け加えた。
「新しく生まれる……」
そう呟く私の声を拾い上げるように、私の顔を勇者が覗き込む。沈み始めた大燐の光がその顔を濃く青く染めていっそ紫に反射して見えそうだ。
彼は微笑みながら、かといってすんなりでもなく、一度開いた口を何度か開閉した後に言った。
「そう、だから俺たちは安心して死ねる」
その言葉が耳の奥でざらざらと音を立てて脳を引っ掻くようで、思わず眉をしかめる。
それを知ってか知らずか、勇者はスープを呷って細く息を吐く。
戦士が何か困ったように笑って、「ごめんね」と言った。何に対してなのか分からず、逆に私が困ってしまった。
「死ねる……死ぬ、とは考えてなかった、かも……」
「私たち?」
「ううん、私」
魔法使いが口に木の匙を挿し込んだまま固まってしまう。
彼女たちはマリアから私がしたことを大まかに聞きつつも、その詳細は知らない。聞かないのは優しさか真面目さか、その気遣いが心地よい。
彼女がゆっくりとそれを抜き出し、器に添えると、うつむいたまま言った。
「宿命でもないのに、死ぬなんてもったいないわ、したいことをすればいいのよ……」
これが前の世界の友人であれば、何も知らないくせにと憤ったかもしれない。
でも彼女たちは、いや、彼女は一人で、死に向かって歩いているのだ。それぞれがゆっくりと死にに行っている。それが宿命付けられている。彼女たちが結果として死ぬことを全人類が期待して、そしてそれから逃れようとすることを決して許さないのだ。
何も知らないのは私の方だ。
「魔法使い。それじゃ俺たちが魔王を倒しに行きたくないみたいじゃないか。いつも言ってるけど、俺たちはそのために生まれてきた。少しでも魔王の勢力を減らす、それが俺たちの幸せなんだよ」
「あ、……うん、そう、そうだったわね」
「魔法使い、辛かったら、無理、しないで。僕がその分、頑張る、から」
「戦士、辛い訳ない。俺たちが全員力を合わせなきゃ。魔法使いが戦わないで、後で民衆に顔向け出来なくて辛い思いをするのは魔法使いなんだよ」
「そう、だけど」
ばちりと一瞬大きく火が爆ぜる。冷と夜の境を過ぎて、辺りはやや紫がかった濃紺へと染まっていく。会話が途切れて、咀嚼する音だけが響いている。
「どうして、皆は魔王を倒しに行くの?」
私の声が水の中に絵の具を落としたように静寂に落ちる。
勇者が何を当たり前のことを、とでも言った顔で笑んで、幼い子供に知識を教えてやるような優しい声で囁いた。
「それが、俺たちが、正義だからだよ」
ただその声が生気を含まないような気がして、私は震える身体を抱きしめた。
次回更新予定 2019/01/26(土)
01/26追記 02/02まで延期
02/02追記 追加更新分が短いため新規のページを追加せず、このページに加筆しました。
次回更新予定 2019/02/16
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