7,またどうぞ
そのまま数日が過ぎる。その間、陣太はカフェの手伝いに明け暮れた。店員も客もいい奴ばかりで、山奥の気ままな生活は楽しい。
ただ。
「っ……」
日を重ねるごとに体に違和感が強くなった。
店にいる間は何ともないが、外に出ると腕や肋骨に痛みが走る。確認すると、殴られた箇所にできた青痣が紫に変色していた。骨折しているのかと思ったが、建物の中で触ってもあまり痛くない。
これも、不思議な大笊のおかげだろうか。
しかし動物達に荷物を探してもらっている手前、帰ると切り出せず。陣太はなるべく普段通り振る舞ったが、じりじりと日々を過ごしているうちに、ついに痛みで外に出られなくなった。
……もしかして、前のマスターもそうだったのだろうか。
彼が庭で倒れたという事実に思い至って、放置する限界を知った。このままでは、いつ二の舞になってもおかしくない。
カフェの営業は動物の活動時間に合わせて、朝と夕方から。ばれないうちに病院に行って帰ってこようと、ソファで昼間している虎を起こさないように、陣太はそっと店を抜け出した。
途端に激痛に襲われる。階段を下りるのも辛く、途中で岩に腰掛けて気を散らした。
「どこか行くんですか?」
めざとくそれを見つけ、黒猫姿のシノが足下にやってくる。陣太は脂汗を浮かべながら彼を見やった。
「町に、ちょっと」
ここで倒れるわけにはいかないと、なけなしの気合いを入れた。
――――すぐに、ヒトを呼んできますから!
去って行く後ろ姿。それは確かに、この黒い猫のものだった。
マスターのことだけでも気に病んでいる彼に、悟られないように。
「荷物任せっきりだろ、交番にでも」
「まだです!」
尻尾を膨らませてシノが叫ぶ。
「そ、そっか」
何か隠しているのがバレバレだ。しかしそれよりも大声が響いて顔を歪めると、シノが瞳を揺らした。すぐに姿が少年のものになる。
「……陣太さん、具合悪いんですか?」
「いや全然平気」
「【前】の時も、そう言ってました」
「大丈夫。外に出るとちょっと痛」
話の途中でシャツをめくり上げられる。自分でも何度か確認しているからそこに何があるかは知っていた。視線を逸らすのと、愕然とした表情のシノが立ち上がるのが同時だった。
「なんでもっと早く言わないんですか!」
「すみませんでした!」
「と、とにかく病院に」
有無を言わさず肩に抱え上げられる。姿は小学生だが力が強い。圧迫されて肋骨が痛んだが、抵抗する気力もなく、陣太はぐったりとシノに身を預けた。
「医者を連れて来るのが一番ですが……ここに、マスター以外の人間が来たことはないので」
それで初めからやたらと断定的だったのか。
「ごめ、……頼む」
「はい!」
けれど橋を渡り藪を抜けると―――何故か、カフェのある広場に戻った。
「え」
予想外だったのか、シノが呆然と呟く。Uターンしてもう一度入ったが同じだ。行き着く先には赤い屋根が現れる。
それを何度も繰り返したシノは、悔しそうに陣太をおろした。
「ちょっと待っていてください」
彼は急いで店に戻って、虎を連れてきた。
普通の猫である彼も状況を聞いたのだろう。にゃあと鳴いて陣太の周りを歩き、藪へ駆けた。向こうから呼び声がする。今度は、シノが同じ場所を抜け。
そのまま戻ってきた。
「出られないのは俺のせいみたいですね」
状況を把握して。少年は唇を噛んだ。
「陣太さんだけなら、出られるかもしれません」
がさりと藪が揺れて、虎が姿を見せた。
「虎に案内を頼みました。……今度は、ちゃんと助けますから」
陣太の手をとって、シノが呟く。その真剣な顔に陣太は苦笑した。
「心配しなくても、すぐ帰ってくるよ」
しかしシノは首を振る。
「……バイクと荷物はふもとの交番に置いてもらってます」
「え、っちょ」
最後まで言わせずに、シノは陣太を押し出した。
舗装されていない地面は落ち葉が覆い尽くし、そのうえ根があちこちからつきだしていてひどく歩きづらい。それでも、迷いのない猫の尻尾を追って傾斜をおりた。
藪と木が生い茂った森は行きと同様、ほとんど視界が利かない上、ふらつく足下に落ちる影は一層暗い。
進むべきなのか、戻るべきか迷いながらだとさらに足は鈍る。
「あと、どれ、くらい?」
聞くと虎が鳴くが、何を言っているのかは分からない。いや、動物が話せないのは当たり前だが。
そして陣太はいつか見た祠の前にたどり着いた。
全身を苛む鈍痛に体力が根こそぎ奪われて、いつぞやと同じく座り込む。その時。
「またあの子を置いていくのかい」
後ろから声がした。
振り向かないまま、陣太は答える。
「置いてく気はないよ」
「でも実際置いてきぼりだ」
抉ぐる言葉に振り返ると、祠から白蛇が姿のぞかせていた。白助だ。
「じゃあ、なんでシノは出られないんだ!」
日光に輝く蛇が、ちろりと舌を出す。
「さて。あの大笊の考えていることはわからないね」
「俺はまた戻ってこられるよな?」
「さぁ」
シノを置いてきたのが間違いなのはわかっている。けれど大笊の力に頼って、店にずっといるのが正解とも思えない。
痛みで意識がぼやける中、虎が体をすり寄せる。その姿が、飛び出して行った黒猫と重なった。
「……俺が、倒れた後、シノはどうなった?」
「助けを呼ぼうとして、車に轢かれて死んだ」
全て見て来た蛇は言う。
そして生まれ変わって、猫は陣太が帰ってくるのをずっと待っていた。見よう見まねで、覚えていることをして。
夢を見る度に訪れる焦燥感。どうして自分はここにきたのか。
「……馬鹿猫」
ふらりと陣太は立ち上がった。
選択肢が少ないと、むしろ腹が据わるようだ。彼は茶トラを肩に乗せた。
「虎、ごめん。用事を思い出した」
這々の体で戻ると、出た時と同じ橋のところにシノがしゃがみ込んでいた。
「陣太さん!?どうして」
答える気力もないので息だけを吐いて、カフェに入る。
カウンターの笊をとる。何の変哲もない、大笊だ。ぽんぽんと軽く撫で、陣太はそれを持って外に出た。そして、大きく腕を振り抜いて遠くへ投げた。
急に風が吹いて。ゆらり揺れて、笊は山向こうに消えていく。
途端に、赤い屋根の建物は朽ちていった。ぼろぼろに白壁がはがれ、蔦が巻かれ、数十年人が住んでいないように。
「なんで」
「ほら、行くぞ」
少年の首根っこを捕まえる。本格的に限界なのか、視界が眩んだ。
「店主都合でカフェは閉店だ。 俺は忘れ物を取りにきただけだから」
「忘れ物?」
「馬鹿正直な忠猫がここで鳴いてるから、どうしても気になって探しに来たんだよ!」
茶トラを頭にのせて、陣太はシノを引きずってずんずん進む。
「ここはもういいんだ。前の事も気にしなくていい。俺は楽しく過ごして、きちんと土に帰ったんだから」
今度こそ1人と2匹で藪を抜けたところで、意識が途切れた。
病院で目が覚めた。
包帯が全身にぐるぐる巻かれていて、動かすのも億劫だが、数日ぶりの人間世界はやけに懐かしかった。
視線を動かすと、椅子に座ったシノがベッドに突っ伏して寝ていて。ぼんやりと風に揺れる黒髪を見ていると看護師がやってきた。
骨折、打ち身、捻挫。何故この状態で放っておいたのかとお叱りを受ける。その後警察もやってきて、怪我をさせたメンバーが全員泣きながら交番に駆け込んできたと聞かされた。
はたして何の動物に襲われたのか、考えるのも恐ろしい。
「退院前に、シノを運ぶ鞄をどこかで手に入れないとな」
「どんなのでもいいですよ、体の大きさ変えられますし」
「そうなの?」
「あたしの分も頼むよ」
「にゃあ」
連れ帰る算段をしていると、病院の窓から虎とともに白助が顔を覗かせた。
「祠はいいんですか神様」
「お参りする人がなくて暇だったんで、お前さんに付いてくことにしたよ。大笊が後は請けおってくれるって言ってるし」
「虎、お前も」
「にゃあ」
「……そうだよな、命の恩人だし」
「陣太さん押し弱い!」
当然の権利だと鳴く虎を威嚇するように、シノが陣太に抱きつく。そのまま喧嘩を始めるのを眺めてると、山の上から心地よい風が病室に吹き抜けた。
今日もとても良い天気だ。