5,コーヒーをどうぞ
「ミル?」
「あれ。コーヒー豆を細かくする道具」
聞かれて、陣太は調理場の後ろの棚を指す。
シノは慌てて、引き出しのついた木の箱の上に、金属の器とハンドルがついたそれを陣太に持ってきた。次いで、古びたアルコールランプとマッチも。
「これに水入れてくれるかな」
宙に浮く砂時計のような形のサイフォン。その下にあるガラス製の丸フラスコを渡す。頷いた少年が蛇口から水をいれる間に、陣太は白助のコーヒー豆を検分した。
真ん中に線の入った小さな豆は、綺麗な焦げ茶色に焙煎されている。それを、カウンターに広げた紙の上に零した。
「いいものと悪いものがあるから、まず豆の時点でより分ける」
ひょいひょいと陣太の指が豆を摘む様子を、フラスコを持った少年はじっと見つめていた。
痛んでいるもの、小さいもの、見つけて端に避け、選別した豆をミルにいれた。がりがりかりかり、陣太の手がゆっくりと金属のハンドルを回す。
すぐにコーヒーの良い匂いが鼻をくすぐった。
「力を一定にして挽く。ほら」
フラスコを預かって、ミルを手渡す。おっかなびっくりで、シノはハンドルを回した。すぐに器に入った豆は細かく粉になっていく。
フラスコを目の高さまで持ち上げると、澄んだ水がたぷんと揺れた。サイフォンの下部に元通りセットして、上と下を繋ぐ細いガラスをさし込んだ。
「粉にできました!」
「ありがとう」
サイフォンの砂時計の上の部分。そこに挽いたばかりの豆を入れ、下の部分に火が当たるように置いたアルコールランプにマッチで火をつける。
ここまでくればあと一息だ。
しばらくするとくつくつと水が沸騰し始めた。ゆっくりと下の水が沸騰し、細い管を通って上に昇ってくる。
コーヒー豆が浸されるのを確認してアルコールランプを消し、ゆっくりスプーンで交ぜると、やがて風船の空気が抜けるように、下のフラスコに濃い琥珀色の液体が溜まった。
陣太は新しいカップに注いで、シノに差し出した。
「ほら、こうやって淹れるんだ」
しかし、彼は受け取ろうとしなかった。
コーヒーの湯気の向こうで、シノの顔が歪む。
泣きそうな顔も美少年は様になるんだなぁと、そんな事を考えたところで。
ふと、白助含めた店の全員が自分を見ていることに気づいた。
(しまった!)
皆、身を乗り出し、目をぎらつかせて様子を伺っている。動物の影の中には舌なめずりしている奴もいた。
「マスター!!」
「あっつ!」
突然シノが飛びかかってきて、持っているコーヒーが零れる。手にかかって陣太は悲鳴をあげた。
「ちょ、っい、一回離し……せめてカップ置かせて!」
凄い力で締め付けられた上、腹に頭を押しつけられた陣太は慌てる。熱湯を、年端もいかない子に浴びせるわけにはいかない。
焦った陣太は、カップを持つ手を空に伸ばした。そして、しがみつくシノに視線をやった。
つむじが見える。ふわりと、触り心地のよさそうな黒髪が窓から入る夜風に揺れた。
「……なんかよくわからないけど」
空いた手で、陣太はその小さな頭に手を伸ばした。
「落ち着けよ」
撫でると、俯いたままシノが喉を震わせた。
「……だって、逃げようとしてたじゃないですか」
「ぐ」
「俺の事絶対に覚えてないし」
「ぅ」
「いつまでも帰ってこないから、俺、代わりにお店も頑張ったのに」
影の尻尾が拗ねたようにぴたんぴたんと床を打つ。
「…………折角、同じ色で戻ってきたのに」
「シノ、それくらいにしておきな」
静かな声がした。それでようやくシノが顔を上げる。
いつの間にか白助がそばにいて、陣太の手からカップを取り上げる。彼はコーヒーをすすって満足そうに微笑んだ。
「みんな見てるよ?」
忘れてた。
陣太が顔を上げると、客達は食い入るようにこちらを見ては囁き声をあげていた。
「人間」
「……ニンゲンだよな」
「でもシノさんがあれだけ懐いてるし」
「あ」
一際、甲高い声が店に響く。
「あの子、ニンゲンの仲間にイジメられてた子じゃない? ほら、山の外で」
「そうそう、大変だったわね」
ぴよぴよぴよぴよ。ソファに座っていた客が声を上げる。床の影は、3羽の鳥。
仲間じゃないと不貞腐れつつ、羽ばたく動作を見ていた陣太は、ふと名案を思いついた。
「その人間達、どこの誰か分かりませんか!?」
「さぁ」
「ねぇ」
「いつも同じ場所にいるけれど」
「大事な荷物をとられたんです。お礼はします!探してもらえませんか」
「いやよ」
「……っ」
「ニンゲンには関わりたくないし」
「そうそう」
「それにしても痛めつけられてたわね」
「怪我してたわね」
「あなた、もっと強くならないと子孫を残せないわよ」
「うるせぇ」
余計なお世話だ。思わず真顔で返す。
「怪我?」
「っ!」
そこで耳ざとく聞きつけたシノが、止める間もなく陣太のTシャツを持ち上げる。同時に、少年の尻尾の影が膨らんだ。
「こ、れ」
めくり上げられたまま目を見開く少年に怯む。そんなに酷いだろうか。確認をしていないが、痛みはほとんどないのだけど。
「あ、あの、シャツおろしてもらってもイイデスカ……?」
こちらのお願いを無視して、シノが鳥の客を振り返る。
「誰がやったか探し出してください」
「えぇ?」
「だからニンゲンは」
文句を言い続ける鳥に向けて、少年は一言。
「喰うぞ」
「「「任せて」」」
鳥たちはダッシュで店を出て行った。
それを見送ったシノは、丁寧に服を戻してにっこり笑った。
「マスターをこんな目に合わせた人間を見つけてくるまで、店で待っててもらってもいいですか。寝る場所も用意しますので」
「いや、そんな世話になるわけには」
「気にしないでください。ああ、お金もないってさっき言ってたじゃないですか。無一文ですよね」
「くっ」
「まさか野宿するつもりとか」
「まぁ、……うん」
「危ないですよ。それに大事なものを盗られたんでしょ? 取り戻さなくていいんですか?」
「……」
もしかして、完全に弱みを握られたのか。
自分から探して欲しいと頼んだ手前、任せっきりにするのはどうかと思う。けれどここで、目の前の少年に全面的に頼るのは避けろと本能が言っていた。
「じゃあ……店、手伝うよ! うん、それで世話になるのは見つかるまでってことで」
「はい。 すみません、今日はもう閉店にします」
条件を出せば、あっさり頷いてシノが客に宣言する。
食べ終わっていた客は渋々、食べ終わっていないものはお土産を持って、カウンターの前にいる陣太をじろじろ見ながら、帰って行った。
ぱたん。
扉が閉まって、店には白助と店員の虎、陣太とシノだけが残された。
「……結局、この店は何なんだ?」
「まぁその話もしようじゃないか。酒盛りしながら」
白助が嬉しそうに、古い瓶を持ち出して陣太の肩を抱く。
窓の外に、いくつもの動物たちの背中を見ながら、彼はもうどうにでもなれと空を仰いだ。
そして白助に勧められるまま、昨夜は豪快に呑んだのだっけ。ようやく全容を思い出して、陣太は頭を抱えた。
「何してるんすかマスター」
店に一歩入った途端、目の前で茶トラ猫が茶髪のチャラ男になる。
それを見て、彼はもう一度呻き声を上げた。