1,開店準備
初投稿時より少し修正しています。
昔から陣太には、よく見る夢があった。
赤いとんがり屋根のカフェで客をもてなしている、そんな夢だ。
1階建ての、こじんまりとした室内の席は15ほど。店はいつも客で賑わっている。そして傍には必ず、黒い猫。
とても幸せな夢なのに、起きると何故かいつも胸が苦しくなる。泣いて目が覚めることもあった。
そんなことが頻繁にあるものだから、彼は理由が知りたくなった。
大学に入ってアルバイトをしてお金を稼いでは、バイクで日本の色々なところを探し回った。1年目、近郊の県。2年目、違う地域。そして3年目。
けれどどこを尋ねてもそんな店は見当たらない。
やはりこれは、実在しない単なる夢の店なのか。
「……」
埃っぽい毛布にくるまって目が覚めた陣太は、ぼんやりと高い天井を見上げた。視線を横に向ければ、カーテンの隙間からは青い空がうかがえる。
とても良い天気の、早朝だ。
「うぁ」
未だはっきりとしない脳をなんとか起動させ、昨日のことを思い出そうとした。けれど二日酔いのためか頭がガンガンと痛み、残念ながら記憶が。
今いる場所はとりあえず自分の部屋でないことだけはわかる。酒を飲み過ぎて、誰かの家に泊まらせてもらったのだろうか……と首をひねりつつ、陣太は起き上がって、緩慢な動作で毛布を畳んだ。
その上に乗せようと、そばに置いてあった黒いクッションも掴む。
もふ。
やけにあたたかクッションだなと、思ったところで。
「おはようございます」
クッションがしゃべった。
「うわ!?」
思わず手を離すと、そのまま勢いよくソファから転げ落ち、彼はしたたかに頭を打った。
「―――っ」
「大丈夫ですかっ!?」
痛みに丸くなっていると、悲愴な声がかけられる。
慌てた様子で、ペシペシペシと頬に肉球が叩きつけられた。薄眼で確認すると、そこには1匹の黒猫がいた。
「し、しっかりしてくださいっ!死んじゃだめです!」
「いや、あの、死なない、死なないから!おちつ……ちょ、一回落ち着こうか!」
心地よい肉球の連打に、少しずつ、記憶が戻ってきた。
そうだ、昨日この場所に迷い込んで、口の上手い動物に乗せられて酒盛りをしたのだっけ。
黒猫の前足を捕まえて、陣太は蹲っていた床から起き上がった。丁寧に手を離す。
「…………泊まらせてくれて、ありがとう」
「いえ全然。それより本当に大丈夫ですか?」
「うん」
「……よかった……」
にゃおと鳴くはずの口から出るのは人の言葉。
金目と銀目で見上げる猫の頭をなでて、陣太はカーテンをあけた。
一気に陽光が降り注ぎ、辺りに溢れて落ちる。
眩しい日差しに目をしばたたせながら振り返ると、いつの間にか猫の姿が、青いエプロンを着けた小学生くらいの少年のものに変わっていた。
「マスター」
さわり心地のよさそうな艶やかな黒髪。長い前髪の間から、左右で違う色の瞳をのぞかせた彼は、とても嬉しそうに両拳を握りしめた。
「開店準備、しましょうか」
その背には、猫の尻尾が二本。
(まじか……)
いっそこのまま、もう一度眠ってしまいたい衝動に駆られる。
自分が何度も夢に見ていた山奥のカフェ。それがまさか、こんなところだったとは。