0-8 よかれと思って
※今回別視点アリ。
ウィズが部屋を去ったあと、細かい指示をされるでもなくただ『奴隷を部屋に連れていけ』とだけ言われた男は、どうしたものかと頭を悩ませていた。
彼が連れていけと命令された奴隷が、もし普通の……たとえ獣人であったとしても、せいぜい多少見た目が良いだけの奴隷であったなら、ここまで頭を悩ませることもなかっただろう。
だが、奴隷の少女がその『普通』の範囲内に収まらない美少女であったがゆえに、その悩みは発生してしまった。
先程の命令をその言葉通りに実行するのであれば、このままの状態で部屋に送るべきだろう。
この国の貴族には、自分で買った奴隷を自分で洗うことを楽しむという、奇特な趣味の人間も少なからず言うと聞いていたし、何より子供というものは自分の所有物に勝手に触られることを極端に嫌うことがある。
もしここで要らぬことをして奴隷の主人、つまりはウィズの不興を買うことになってしまえば、この国で自分の命はない。
それに、少なくとも命令を言葉通りに実行しておけば、気が利かないとは言われても自分の首が飛ぶ(無論、比喩ではなく本当に、かつ物理的に)ことはないに違いない。
そう考えれば、こちらを選ぶのが正しい選択であるように、男は感じていた。
……しかし、本当にそれだけでいいのか? と疑う思考も、彼の中には存在していた。
いくら奴隷で、かつ主がまだ5歳の子供とは言ってもこれだけの美少女だ。
確かに今のままでも十分に魅力はあると思うが……体を洗って綺麗にして、服をマトモなものに変えるくらいはした方が良いのではないかと思ってしまったのだ。
もしウィズが言外にそれを望んでいたとしたら、それを出来なければ彼の不興を買うことになる。
その場合は先ほどの言い訳でなんとか乗り切ることは出来るだろうが、そうなると今後の自分の立場が一段低くなってしまうのはほぼ間違いない。
……実際のところ、本人はあまり深く考えずにそれを言ったためどちらを選んでも彼の評価が下がることはなかったに違いないのだが。
相手の気持ちを推し量り、その期待に添えるように行動する。そんな忖度を行ったがゆえに、彼は思考の沼に嵌ってしまうのであった。
(一体私はどちらを選べばいいんだ……)
男は、表面上はあくまでも平静を保ちながらも、自分の行動を決めきれずにいた。
奇しくもそれは、先程まで奴隷の少女に話しかけるための言葉に悩み続けていたウィズのそれと重なる所があった。
(……えぇい! いつまでも悩んでいたところでどうにもならん! イチかバチかだ!)
ただ、違うところがあるとすれば、ウィズにはなかった思い切りの良さを、男は持っていたことだろう。
男はこのまま悩んでいてもどうにもならないと自分を奮い立たせ、あえて安全な『ただ連れていく』という選択肢ではなく、『少女を綺麗にしてから連れていく』という選択肢を選ぶことにした。
どうせイチかバチかで選ぶのならば、成功したときに自分への利益が大きいものを選ぼうという訳である。
だが、彼は1つ大きな勘違いをしている。
ウィズが言ったあの一言には、その言葉が表すもの以上の意味など、何一つ込められていない。
あの言葉は単純に、このまま何も言わないでいたら奴隷の少女が不審者だと思われて投獄されてしまうかもしれないなぁ、と思って念のため伝えただけだったからだ。
ゆえに、男が少女を綺麗にしてからウィズの私室に連れて行こうが、そのまま連れて行こうがその結果は変わらない。
そして、ウィズは体はともかく中身が異世界出身であるため、部屋に戻った時に少女の服が変わっていたとしても、『あぁ、王城の中に居るならたとえ奴隷でもマトモな服を着せる必要があるんだな』とそれを常識だと思い込んで1人で納得してしまうため、男が気を利かせたことには気づかないからだ。
つまり、男の苦悩はほとんど意味がなかったのである。
「それでは、こちらへどうぞ」
男は自分が大きな勘違いをしているなどとは露知らず、少女を浴場へと案内していく。
見たところ、少女は奴隷ではあっても一般的な扱いよりはマシな待遇だったのか、パッと見ただけでは汚れなどは見つからないが、それでも髪の毛は見るからに痛んでボサボサになっているし、少女の身長から考えれば伸びすぎている。
流石に髪を切るなどする場合は主であるウィズにお伺いを立てなければいけないが、風呂に入れて汚れを落とすだけでも今は十分だろう。
唯一の心配はウィズが部屋に戻るまでに少女を連れていくことが出来るかどうかだが……幸いにして、彼はほぼ確実に閉会式のあと、爵位の高い貴族たちの見送りのために拘束されるから問題はない。
我ながら隙のない作戦だ、と男は思った。
しかし、男はまだ知らない。少女を綺麗にしてから部屋に連れていくという行動が、ウィズにとって本日最後の刺客を生み出す切っ掛けとなってしまうことを。
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かつて俺が暮らしていた日本と言う国には、戦国時代と称される内乱の時代があった。
力を持つ物が権力者を打ち倒す下克上の風潮、あるいは誇りのため戦う武士たちの生きざま、平和なところに目を向けると茶の湯文化なんてのもある。
そして、その時代に生きた人物の中に、豊臣秀吉という男も存在した。
彼は小姓の生まれで、本来であれば戦国大名なんてものにはなれるはずもなかったのだが、偶然手に入れたチャンスと生まれ持った機転で、最終的には当時の日本で人間がたどり着ける最高の地位『将軍』まで上り詰めた男だ。
いわゆる成り上がりの象徴でもあり、もしかしたら彼の存在が前世のネット上である程度の支持を確立していた『成り上がりもの』を生み出したのかもしれない……と、俺は勝手に思っていたりするが、まぁそれはさておき。
秀吉の逸話の中に、こんなものがある。
ある雪の日の夜、女部屋という場所からの帰りに彼の主、織田信長は自分の草履がやたらと生暖かいことに気付いた。
そこで信長は「お前、俺の草履を踏んでいたな」と秀吉をぶん殴るが、秀吉は「今日は寒いので足が冷えていると思い、懐で温めておきました」と言い、その証拠に自分の体にくっきりと残った鼻緒の跡を見せた。
そのことに感心した信長は彼を昇格させた……と、いう逸話だ。
ところどころ端折ったが、つまるところなんでもない日常の中にも上司に気に入られて自分を重用させるチャンスはあり、秀吉はそれを存分に生かしたということなのだが……
───どうやら、この世界にも豊臣秀吉は存在したらしい。
パーティーの全日程を終了し、ようやく解放されて自室に戻った俺を出迎えた少女が、1人。
上から下まで、一寸の隙間もなく白と銀色だけで構成された肢体。
そして頭の上にぴょこんと生えた、可愛らしい獣耳。
俺が本日公爵から贈り物として受け取ったばかりの、奴隷の少女だ。
無論、これだけなら何も問題はない。
この部屋に彼女が居るのは俺が直接あの男性に頼んだからに他ならないし、それを考えると彼は忠実に職務を全うしたと言っていいだろう。
だが、驚くべきことに彼は、前世の日本人のほとんどが自然と身に着けていた魔法の言葉『忖度』を自在に操る人種だったようだ。
なにも、ここまでやらなくても。
俺は、目の前の光景を作り出した豊臣秀吉にやり過ぎだと心の中でツッコミを入れながら、眠れない夜へと足を踏み入れる。
……美少女と密室に2人きりという、対処不能の眠れない夜に。