0-6 獣耳に触れる王子
……あぁ、やってしまった。
少女になんとか話しかけようとして俺が選んだ言葉は、数ある選択肢のどれにも当てはまらず、かと言って現状を好転させるわけでもなく、ただただ最高速で自分への好感度を降下させてしまうという最悪極まるものだった。
───耳を触らせてくれ、は流石にないよな……
俺が激しく後悔してみても、残念ながら一度吐き出してしまった言葉を飲み込み直すことは出来ない。
前世じゃネットが発達していたから、『ネットに一度書き込んだら二度と消すことは出来ない』なんて言われたが、それよりずっと気を付けなければいけないものはもっと近くにあったようだ。
ネットに書き込んだら二度と消えないが、自分の口で言ったことは消えないどころか時々酷い捏造がされるし、反射的に飛び出た挙句自分の精神を痛めつけかねない。
先生よ、何故それを真っ先に重点的に教えてくれなかったんだ……
……と、さりげなく責任を前世の恩師(何も悪くない)に押し付けるというフリ〇ザも真っ青になるような外道な行いをしながら、俺は収拾がついてくれる気がしないこの状況をどうすればいいかを考えてみることにした。
今日はなにかと対処法を考えては悩んで苦しんで挙句の果てに自爆しているような気がしないでもないが、まぁ今の俺に出来ることなんてこれしかないんだから、仕方ないだろう。
今度こそは自爆しないようにしなければ。
そんなことを心の隅に留め置きながら、俺はまず少女がなんと言ってくるかを予想することから始めることにした。
今日は何度も相手の言葉を予測するという行動をしているせいか様々なパターンが一瞬で頭の中に浮かんでくる。
常識的なもの、あるいは奇抜さあふれるもの、あるいは前世のラノベでしかありえないようなもの。その他にも様々な予測が頭の中で生まれていく。
さっきは『○○と■■があるけど、常識的に考えてきっと○○だろう』と思っていたところで完全に予想が外れたから動揺してしまったが、それなら最初から自分の予想が当たると思わなければいいのだ。
ようは受験で確実に受かると思って受けたところに落ちた時と、最初からどうせ受からないと思って落ちた時ではダメージが違うのと一緒だ。
……それに、俺の記憶が間違っていないのであれば、前世でどこかの政治家が「最悪を想定して最善を尽くせ」とかなんとか言っていたような気がする。
だから、予想が完全に外れるという最悪を想定し、起こりうる全ての可能性を一通り頭の中に予想として並べておくという最善を尽くす。
それで少しでもこの最悪の状況をマシな方向に持っていけたら万々歳、無理だったとしてもそれはそれで予想通り。俺としては是非とも前者になってほしいところではあるが、別に後者でも問題はないのだ。
予想が外れるという想定をするというのは、少々矛盾があるように思えるが、ようは予想が外れてもすぐ思考を切り替えられるようにしておくというだけのことなのだ。
そんなことを考えながら、俺はどんどん頭の中に思いつく限りの予想を積み上げていく。
増えるばかりで一向に消化される気のしなかった積みゲーたちのように。
「む……」
そして頭に思い浮かべた予想が多くなり過ぎてきたような気がしてきた頃、少女がようやく反応を示した。
どうやら彼女もさっきの言葉にはそれなりに動揺していたらしい。
同じく動揺させられて苦しんだ身としては悪いことしたな、と思わない訳じゃないが、まぁこれに関しては不慮の事故だったということで許してもらいたい。
俺は心の籠っていない謝罪を心の中で披露するという無駄に器用なことをしながら、少女の言葉に対してすぐに反応出来るように耳を澄ませた。
果たして彼女はどんなことを言うのだろうか。
常識を解いてくるか、それともゴミを見るような目でこちらを見てくるか。あるいは変態と罵られたり本気で怒られるか。
いずれにしてもそこから巻き返すのは非常に難しいだろうが、そもそもこんな状況になってしまったこと自体が自業自得なんだから、自分で何とかするしかないだろう。
「まぁ……いい……」
「…………へ?」
だが、俺のそんな予想に反し、少女は特に何を言う訳でもなく自分の耳を差し出してきた。
言葉とこの行動から察するに、つまるところ触っていい……のだろうか。
俺はあまりに予想の斜め上を行かれてしまったせいで困惑すると同時、思わず変な声を出してしまった。
お小言の1つや2つくらいはあると思ったんだがなぁ……自分の直感の信頼度がそろそろゼロになりそうだ。
……いや、直感への信頼度なんて、最初からないに等しかったような気がしないでもないが。
俺はまたも予想を完全に外してしまったことを少しだけ悔しく思いながら、どうしたものかと差し出された犬耳をじっと見つめた。
これ、本当に触っても良いのだろうか。そんな疑問が頭の中に浮かび上がってくる。
「その、耳は敏感だから……出来るだけ優しく」
しかし、今更になって後戻りはできない。
すでに彼女の獣耳は、ほんのちょっと手を伸ばせば5歳児の短い腕でも届くようなところに差し出されてしまっているのだ。今更「やっぱなしで」なんて言っても通じる訳がない。
───まぁ、据え膳食わぬはなんとやら、だ。
今更引き返せないという合理的な判断と、獣人の獣耳はどんな触り心地はどんなものなのだろうか? という期待、そしてほんの少しの緊張を胸に、俺は少女から差し出された獣耳に指先を触れさせる。
「ん……」
爪を立ててしまわぬように細心の注意を払いながら指を動かし、耳の感触を堪能する。
接触しているのは指の先端という非常に面積の小さいところだけだったが、それでも伝わってくる動物的な体温の高さが心地いい。
何も言われなかったなら、何時間だって触り続けていられるだろう。
しかし、ふと少女の顔の方に視線を移してみるとなんとも言えない微妙な表情をしていることに気付いた。
犬とか猫はあまり耳に触り過ぎると嫌がるから、獣人も似たようなものなのかもしれない。
───出来るだけ手早く済ませるとしよう。
そんなことを考えながら、俺は獣耳の毛並みに沿って何度か指を前後に動かして感触を確かめたのち、今度は手のひら全体で耳に触れる。
前世で読んできた異世界ものの小説いわく、獣人の耳は触り心地がいいという表現が多かったが……その真偽やいかに。
俺は指先で感じた心地よさから、なんとなく手のひら全体で触っても触り心地は良いんだろうと期待しながら、それをしっかりと感じ取ろうと手のひらの感覚に意識を集中させる。
───ん?
しかし、そんな俺を待っていたのは、話に聞いたような素晴らしい触り心地なんてものでは、まったくなかった。
この触り心地はなんとも表現が難しいが……言うなれば、手入れの行き届いていない髪の毛に近いところがある。
ブラシか何かでで梳こうとすると微妙に引っかかった挙句、強引にやろうとして痛い思いをするアレだ。
少なくとも、異世界ものの小説で語られていたような触り心地とは大きくかけ離れたものだったと言えるだろう。
───まぁ、現実の獣耳なんてこんなものか。
俺はなんとも言えない微妙な気持ちになりながら、もう十分だろうと思って獣耳から手を離す。
……しかし、なんでこんなに微妙な触り心地なんだか。
「……満足した?」
「あ、あぁ」
「……そう」
どうにもそのことが気になって仕方がなかったが、よく考えればそもそも耳に触る流れ自体がパニクった結果の物だったことを思い出した。
既にかなりの時間が経過してしまっているし、これ以上の引き延ばしはよくないだろう。
何度も繰り返しているが、こういうのは時間が経てば経つほど話しかけづらくなる。
「なぁ、1つ教えて欲しいことがあるんだが」
「……なに?」
「名前を教えてくれないか?」
そう考えて、俺は自分の役目は済んだとばかりに再び沈黙した少女に話しかけた。
結構な時間がかかったが、これでようやく目的を果たすことに成功したわけだ。
あとはこの流れで自己紹介をしてしまえば、終わりよければ全てよし理論で言う所の大団円になる筈だ。
筈……だった。
「……名前? そんなもの……どこにもない」
……前の世界で一時期流行ったチョコ菓子でもないんだから、そんな最後まで予想外たっぷりにしなくてもいいのに。