0-4 ちゃぶ台返し
奴隷の少女が、公爵の用意した俺へのプレゼントだったと判明してから、早数分。
すでにこの場の勝者は決定したも同然の状態になっていた。
ただでさえギリギリというか、1つとして失敗の出来ない状況だったのに、それを乗り切るために用意した言葉すらも頭から消え去ってしまった。
もはや首の皮一枚繋がっているのかすらも怪しい状況と言っていいだろう。
無論、俺の脳みそはこの状況をなんとかするための方法を考え出すためにずっとフル稼働しているが、そんな都合のいい打開策を思いつくような性能があったならそもそもこんなことになってはいない。
唯一の救いといえば公爵が今のところこちらにプレゼントの感想を求めてこないことだが……この膠着状態も、いつまで続いてくれることやら。
状況は最悪、打つ手はなく、今のところ持ちこたえているのも相手が何もしてこないでいてくれているから……これを詰みと言わずになんと言うべきか。
これがもし戦争だったら、とっくに味方兵士が1人残らず亡命して国がすっからかんになっているようなものだろう。
手の施しようがないとはこのことだ。
しかし、それが分かっていてもなお悪あがきだけでもしてみよう、と思ってしまうのが人間という生物だ。
ひたすらに思考を続け、打開策を探し続ける。
……だが、それと同時に人間という生物は、ヒントや道標もなく考え続けていると、いつの間にか思考が本筋を外れたりしてしまうものでもある。
この状況の打開策を考えていた筈の頭が、だんだんと今後の自分のことを考えるようになっていく。
こんなことを考えている場合じゃないと思っても、どうにも頭が上手く回らない。
……そしていつの間にか、今後のことを考える思考すらも段々と頭の中でこんがらがって、俺は気付かないうちに酷くネガティブな妄想をするようになってしまっていた。
例えばもし、このタイミングで公爵にプレゼントへの感想を求められ、そこで公爵の期待するような答えを出せずにうっかり機嫌を損ねてしまおうものなら? ほぼ間違いなく、俺の人生は終わりだ。
家庭教師から聞いた話によれば、この国の歴史の中には高い地位を持つ貴族との関係が悪化したせいで、王位継承権を剥奪されたり平民に落とされたり、果ては地方に飛ばされたり幽閉されたりした王族というものは何人も存在しているとのことだし、きっと俺はその中のどれかの処分を受けて、この華やかで何不自由ない王族ライフとはさよならすることになるだろう……………………
そこまで妄想を加速させてしまってから、ふと自分が絶望的過ぎる妄想に囚われていたことに気付く。
どうやら、自分でも気づかないうちに相当追い詰められていたらしい。
……バカの考え休むに似たり。そういう言葉が前の世界にはあったが、この場合はむしろバカの考えほとんど自傷。とでも言った方が良いだろう。
低スペック極まる劣悪な脳みそを搭載してしまった俺が追い詰められた状況で下手に考え込んだところで、余計に自分を苦しめるだけで逆効果にしかならないというわけだ。
普段からその性能の悪さを存分に発揮してしまっている脳みそさんに、このある意味では絶体絶命の状況下での冷静な思考なんてものを期待した方が間違いだってわけだ。
まぁ、今の状況で出来る唯一の行動『ひたすら考える』を封じてしまうと、もうこちらは完全に手詰まりになってしまって、あとは公爵が俺にトドメを差しに来るのを待つだけになってしまうわけだが。
まったく、これほど完璧な詰みを作っておきながら焦らしプレイに興じるとか、どこのRPGのラスボスだよ……なんて思いながら、不意にとんでもないことを思いつく。
───この雰囲気をぶち壊してくれる何かが起これば、まだどうにか出来るんじゃないだろうか?
それは、打開策というにはあまりに他力本願なものだった。
しかし、この状況においては俺が唯一すがれる希望と言ってもいいだろう。
例えるなら、食事会で嫌いな料理を食べたくないがために他の参加者がちゃぶ台返しをやってくれるのを待つようなものだろう。
───アホらし。んなご都合主義があったらここまで苦労してないっての。
偶然思いついてしまったその可能性を、ありえないと断じて頭から振り払い、そして自分の考えのあまりのアホらしさに、思わず笑い出してしまいそうになる。
だが、いくらアホらしいとは言っても……他力本願極まっているこの案は、今の状況を打破できる数少ない方法なのかもしれない。
自分ではどうしようもないこの状況も、他の誰かが乱入してさえくれればひっくり返せる。
どんなに真面目な雰囲気であっても、一度それが崩れてしまえばもう元には戻らない。俺はそれをよく知っている。
前世の話だ。会社でそこそこ真面目な話をしている最中、なんだか今日は来ないなーと思っていた後輩社員がズタボロの状態で入ってきて、ギャグマンガか何かの話をしているのかと思うほど酷い目に遭ったという報告をしてきたのだが……そのおかげで場の真面目な雰囲気が崩壊し、結局その話はまとまらずに終わってしまったという経験がある。
つまりはそれが起こればいいのだ。すでに生まれてしまった、『どうしようもない雰囲気』をぶち壊しにしてくれるなにかが。
そうして俺は、ようやく見つけた最後の希望に縋り付いて"なにか"が起こるのを待つことにした。
……結局、やることは変わらないのだが。
この状態が生み出しているプレッシャーだとか緊張感に耐え、公爵がトドメを刺しにこないことを祈り続ける。それだけだ。
しかし、同じことをやってはいても、今とさっきまでとでは随分と違う。
溺れる者は藁をもつかむという言葉が前の世界にはあったが、たとえ溺れていても、つかむ藁があるかどうかで気分は随分と変わってくる。
何も頼るものがないより、頼れるかもしれないものがあるだけで気分がマシになり、気分がマシになったことで少しだけ生存時間が伸びる……かも、しれないだろう。
それに、なんかの自己啓発本にも『幸運は前を向く者の元にだけやってくる』的なことが書いてあった気もするな。
そんな付け足しの理由で今もプレッシャーやら何やらに耐えている自分をはげましながら、俺はなにかが起こってくれることを祈った。
今日はスイーツを食い損ねたり、ご馳走も食い損ねたりと散々だが、今のところ幸運な出来事なんてものは起きていないし、挙句の果てにはこの危機的状況だ。
一度くらい、幸運も来てくれたっていいじゃないのか。
だが、いくら不幸が続いていても、追い込まれてようやく祈るようなやつに手を差し伸べるほどヒマな神様なんているのだろうか? そう思いながらも、そんな神様に向けて願ってみる。
あぁ、神よ。俺の願いを聞いてくれるのであれば、この雰囲気をぶち壊しにしてくれる誰かを派遣してくれたまえ。
どうせ聞いていてくれてはいないのだろうがな。
「うわぁぁぁぁ!?」
……しかし、そんなことを考えていた矢先、突如として先程奴隷の少女が入ってきた時以来半開きになっていたドアの方向から、なんとも痛そうな音と悲鳴が聞こえてくる。
どうやら、神様って存在は人間が思っているよりヒマを持て余している、あるいは物凄く心が広いのかもしれないな。
ついさっきしたばかりの祈りは、俺が考えていたよりもずいぶんと早く、神様の元に届いてくれたようだ。
そんなことを考えながら、俺は痛そうな音の発生源となったのであろう何者かの姿を見ようと、扉の方に視線を向けてみる。
「こ、公爵様!」
なんとそこには、なにやらひどく慌てた様子のメイドさんが居た。
息は切れ切れで、服装について指摘をするならば、普段は頭に乗せていた気がする白い奴(ヘッドなんとか。正確な名前は知らない)も転んだ拍子に外れてしまったのか、手に持っている。
普段から服装を乱したり、慌てたりすることがないようにと、メイド長なる人物から教育を受けている彼女らがこんな状態になるなんて……少なくとも、それなりに大変なことが起きているのは間違いない。
「いったい何があったというのだね?」
どうやら公爵も似たようなことを考えていたらしく、公爵が聞かないようなら俺が聞いてみようかと思っていたことを尋ねてくれた。
……ただ、気のせいかもしれないが、その様子は少しばかり不機嫌そうに見える。
まぁ、人と話している最中にノックもなく入ってきたらちょっとは不機嫌になるものかもしれないが。
こちらとしては僥倖以外のなにものでもないんだがな。見事に空気を破壊してくれたし。
そう考えながら、俺はかなり気楽にメイドさんの言葉を待った。
しかし、ここで予想外のことが起こる。
俺は、いくら大変なことが起きていると言っても、彼女が慌てている原因は公爵の子供と他の貴族の子供がもめて決闘か何かにでも発展しかけている、とかそういう類だと思っていたんだ。
子供とはいっても貴族同士の揉め事だから、身分上はただの召使に過ぎない彼女らには扱いが難しいし、それならこの慌てようも当然か、と1人で勝手に推理して1人で納得していた。
「そ、それが……王が先程からグラヴァース公爵様を呼べと言っておられまして……大層お怒りのようでしたので、大急ぎでお知らせに参りました……」
だが残念なことに、現実は俺にとって一番厄介な答えを突き付けてくれたのだ。
嗚呼、父上よ。よりにもよって何故、このタイミングでそんなことをなされるのか。