0-3 公爵からの贈り物
この城の中に訪れる客の中でも、特に丁重にもてなすべき客人のために存在する、一室。
グラスディア王国の総力を尽くして作られたのであろう。お世辞にもそういうものを見抜くセンスがあるとは言えない俺にも分かるほど、質のいい品で埋め尽くされた部屋だ。
そこでは今、俺と公爵という明らかに実力差がある組み合わせで、場合によっては国すら傾く大一番が始まろうとしていた。
お願いだからそんなことを5歳児にさせないでくれ、と嘆きたくなってしまうが、残念ながら本日は自分の誕生日な上に、社交界デビューの日だ。
人生初めてのこういった場を他人に任せていては、いつまでも成長できないと考えたのかもしれない。
お気遣いありがとう、そんな気遣いをしようと考えたどこかの誰かには直接会ってお礼をしたいね。出来れば数年後、俺の権力が確立されてから、みっちりと。
───あぁもう、前世含めて経験のないレベルで色々と豪華な誕生日なのになんでこんな面倒ごとが舞い込むんですかねぇ……
俺は心の中でそう毒づきながら、しかし逃げることは出来ないということを理解し、冷静に目の前の老人を観察する。
「殿下、お久しゅうございます。前にお会いしたのは生まれて間もない頃のことですので覚えておりませんでしょうが、こうしてまたお会いできたこと、この老骨には身に余る光栄です」
まず注目するべきは、その姿勢というか態度だろう。
はっきり言って、この公爵は少し変だと思ってしまうほどに腰が低い。
無論こちらは王族だから多少なれどこう言った態度になるのは当然と言っちゃ当然なのだが、それでも俺が違和感を覚えてしまうほどに腰が低いのだ。
少なくともこれまで関わってきた人物……それこそ剣を教えてくれている騎士のおっさんだとか、家庭教師とかも目上の相手に対する態度で接していたが、公爵は彼ら以上にこちらを上に見ているような……いや、むしろヨイショしようとているように見える。
もちろん誰にでも理解できるような分かりやすい根拠はない。だが、俺には分かるのだ。
前世で何度もヨイショされて調子に乗り、散々痛い目を見てきた俺だからこそ、分かるのだ。
5歳の王子と公爵という、公的な地位においてはほとんど横並び、それどころか公爵の方が国への貢献度的に考えてこちらよりも少し立場が上であるという状況にも関わらず、明らかにこちらの立場が上であるかのような振る舞い。
それこそが、公爵が俺をヨイショしようとしている動かぬ証拠と言っていいだろう。
そこまで考えてから、俺は自分の思考があらぬ方向に逸れていたことにようやく気付き、慌てて思考をリセットする。
そして、こちらからの返答を待っているようなそぶりを見せている公爵に合わせ、適当に言葉を返す。
「あぁ、なるほど。道理でどこか初対面じゃないような気がするわけですね」
「おや! 覚えていてくださいましたか!」
無論、誰がどう見ても明らかな嘘に答えてしまうのはNGだが、幸いなことに俺は生まれてから今日に至るまでの5年以内の記憶なら、かなり鮮明に覚えている。
その中で会ったことのある相手にはこの公爵のような顔をした人の記憶もあるし、この質問は大丈夫だろう。
……それに、こんなことを言ったらフラグ的なものになってしまう気もするが、こっちをヨイショしてくるような奴は返答の内容に関係なく持ち上げてくるのだから関係あるまい。
あまり油断し過ぎてうっかり虎の尾を踏むような真似をするわけにはいかないが。
「まさか赤ん坊だった頃に会った時のことまで覚えていてくださるとは、感激です……」
俺が思考の海に沈み過ぎて心ここにあらずと言ってもいいような状態でいる間にも、公爵は会話を止めないようにするためか、矢継ぎ早に次の話題を出してきた。
両親について、最近まで何をしていたか、どんなものが好きか。
ふと気付いた時には、それはすでに4つ目の話題だった。
俺は、自分の立場で外部に漏らしてはいけなさそうな情報を出さないように気を付けつつ、その上で相手に不満を感じさせることのない範囲で適当に答え続けることが出来ていたが、かと言ってあまり長いこと話していてもボロが出るだけだと判断して、早いうちに本題に移ろうと言い出すことにした。
「公爵、よろしければそろそろ本題に移りませんか?」
「……そうですな、殿下の貴重なお時間を無駄にするわけにはいきませんし、そうしましょう」
……すると、公爵はまるで俺がそう言ってくるのを最初から予想していたかのように、あの執事風の男性を呼び寄せ、何かの合図をする。
そして何かを吹き込まれた彼は少し早足でどこかに消えていく……
どうやら、プレゼントは事前にここに用意してあったりはしないらしい。
無論段取りをよくすることを考えれば事前に用意してあるだろうから、必然的にそれはなんらかの理由でそうしていることになる。
だから、公爵が用意したプレゼントの内容も自然と『ある程度より大きいもの』に絞られてくるのだが……
───あ、しまった。ここでもし壺なんかが来たら、気の利いたコメントなんてできないぞ。
そこで初めて、俺はサイズの大きいプレゼントがどういう意味合いを持つのかということをまったくと言っていいほど教えられていなかったことに気付き、一瞬だけ思考がフリーズする。
家庭教師め、よくも「年齢一桁の相手に送る贈り物と言えば小物ばかりですから大丈夫ですよ」と言ってくれやがったな。次に会ったら誰かが勘違いして気を利かせない程度に嫌味でも言ってやろう。
俺は家庭教師に責任を押し付けながら、一切の対策が出来ていない現実を受け入れようとする。
いくら後悔したって、俺には時間を戻すだとか、ループものの主人公みたいな都合のいい能力なんかはないんだ。
だから、その場の勢いと他の知識を総動員して上手くこの場を切り抜けることにだけ専念する他に手はないだろう。
───大丈夫、俺には前世での約10年に及ぶ会社員としての経験があるんだ。上司のご機嫌取りとお世辞に関しては社内でもトップと言われていたかもしれない俺ならば、この場を切り抜けることくらい余裕さ。
俺はそのように自分を鼓舞し、この場をなんとか切り抜けるための方針を決める。
家庭教師に教わった知識が頼りにならない今回、前世の経験を生かしてご機嫌取りをすることで、的確なコメントが出来ないのを誤魔化すのだ。
やってることは公爵のヨイショとほとんど変わらないが、それしか今の俺に出来ることはなくなってしまったということだ。これでダメなら、もう諦めるしかない。
……俺が諦めなきゃいけないような事態とはつまるところ国が大変なことになりかねない大問題が発生していることとほとんどイコールだがな。
「旦那様、用意が出来ました」
「おぉ、流石だなバズ。お前は仕事が早い」
若干ヤケクソ気味に今回の方針を決めるたところで、ちょうど執事風の男性───バズさんが準備を終えたらしく、その報告をしていた。
いよいよ公爵が選んだプレゼントの全容が明かされるってわけだ。
俺は頭の中でいくつか定型文的なコメントを作り、プレゼントの感想を求められたら即座に対応できるように態勢を整えた。
つい先ほど、『バッチリ対策して試験に挑んだつもりが実は範囲とは違う場所ばかり対策していた時の学生』のような気分を久しぶりに味わって一瞬だけ思考がフリーズしたが、そのお蔭というかなんというか、逆に俺の緊張やらプレッシャーやらは悉くどこかに飛んで行ってくれていた。
これはあくまで薬品の副作用みたいなものだが、自分に都合よく働いてくれるならばそれでもいいだろう。怪我の功名って奴だ。
……まぁ、緊張とかそういうものはあった方が良い場合もあるから、ない方が必ず良いとは言い切れないのだがな。
そんなことを考えていると、公爵は不意に、小さな何かを俺に差し出してきた。
それはパッと見ただけではただの石の棒にしか見えない。一応、よく見ると何かしらのいみがありそうな模様が刻まれているが……まさか、これがプレゼントってことはないよな。
もしこれが本体と言われたら、全力でお世辞とヨイショを併用したとしてもリアクションに困りかねない。
「……殿下、ではこれに向かって『来い』と呟いてください」
本当にどうにもならない状況を想定して警戒してみたが、幸いなことにその線はなさそうだ。
しかし、こんなモノ(どうせ魔術的な何かがあるのだろうが)1つで呼び出せるということは、プレゼントの正体はゴーレムか何かだったりするのだろうか?
ゴーレムならあらかじめ用意しておかないのも納得だし、この石の棒で呼び寄せるというのも便利機能の1つとして搭載されていてもおかしくはない。
リモコンを使って動かすよりも、声で動かせた方がはるかに便利だろう。
俺は勝手にそんな期待を膨らませてワクワクしながら、言われた通りに『来い』と呟いた。
そうすると、その言葉がキーとなって呼び寄せられた何者かが、扉を開けて部屋に入ってくる。
はてさて、公爵の用意したプレゼントとは、一体なんなのか。ついにご対面だ。
ようやく正体が分かることにドキドキしながら、俺は入ってきたものに視線を向け……
───いや、これは反則じゃないですかね。
そして同時に、今日2度目の思考停止を味わうことになった。
もし、そのプレゼントの見た目を、簡単な単語のみを使って表すならば、美術品と言うべきだろう。
上から下まで、ほとんどが白と銀の二色で構成された体。
頭の上にぴょこんと生えた、可愛らしい犬耳。
その全身を構成するパーツの中で唯一青い、眼。
そのどれもが美しい。
───あぁ、なんてこった。これは本当に予想外の中の予想外だ。
奴隷……制度上存在しているらしいことは聞いていたが、まさかこんな場面で本物のソレを目にすることになるとは。
チクショウ、一本取られた。
俺は二度目のフリーズによって用意していたコメントが全て吹き飛んでしまった頭の中で、そう呟くのだった。