9話
仮面舞踏会で皇太子様…スロイカ様と次の仮面舞踏会への出席することを約束してから数日後。
父様から次の仮面舞踏会について話があると呼び出されていた。
「今回は……許可できない」
「な、何故ですか?」
「前にも言っただろう。場によっては、警備の数も少なく、無理に事に及ばれてしまうかもしれないと。今回の会場は…過去にそういったことが起きているのだ」
「………」
前回でも、警備上問題ないはずの場でも無理やりに連れて行こうとした狼仮面を思い出す。
あの時はたまたまスロイカ様がいてくれた。
今度も大丈夫だという保証はない。
(スロイカ様は……きっと来る)
まだ二度目。別の機会の仮面舞踏会で会える可能性はある。
されど二度目。会う約束を初めてしてからの、再会。
そのまま父様に説得され、今回の仮面舞踏会出席は見送ることになった。
ダンスが踊れないこと、スロイカ様に会えないこと。それは確かに残念だ。
けれどそれ以上に、あの狼仮面に無理に抱き寄せられ、男の欲望に晒されかけたことが思った以上に後遺症として残っている。
あんな風に無理やり抱き寄せられたことなど初めてのことだった。
それも全く愛してなどいない、獣のような男に…
二度目の出席を予定していた仮面舞踏会当日。
もちろん私はトワイライ家屋敷にいる。
そもそも招待状が無いから、勝手に行ったところで門前払いだ。
ここ最近は、午前にランニングと筋トレ、午後からはダンスのステップの復習と父様の領地における過去の施策の勉強だ。
もともとトワイライ伯爵については、堅実な領地経営として有名だ。
莫大な効果を上げてはいないが、着実に成果を上げている。
その手腕を参考にしている他家もある。
シャルロットとしてその家の娘なら、その環境を大いに活用させてもらおう。
今はペラリと資料をめくりつつ、アリエスの入れてくれた紅茶を飲む。
「残念でしたね、お嬢様」
「何がかしら?」
「仮面舞踏会の件です。もっとちゃんとしてくださるお家であればよかったのに…」
「…しょうがないわ。父様の危惧するところもわかるもの」
「でも、先日はとても楽しかったんですよね?」
「………それは、そうよ」
「あの日の晩、お嬢様の寝顔はそれはもう楽しそうで……あんなに楽しそうな寝顔は初めて見ました」
「………………」
そんな話を嬉しそうに話すアリエスに、少し頬が熱くなる。
カップに残った紅茶を一気に飲み干し、お代わりを催促する。
(楽しかったに決まってるじゃない。なんせ皇太子様と…)
窓の外へと視線を向ける。
別にその先に今夜の仮面舞踏会の会場があるわけじゃない。
そもそも今回の場所は知らない。
けれど、つい外を向いてしまうのは、今夜も来ているであろう皇太子様…スロイカ様のことだ。
きっと、待ってくれている。
けれど、今夜私が行くことはない。
最後の逢瀬でもない。そんなことはないのに…
今夜会えないことが…………とても…………悲しい…………
視線を資料に戻しても、中身はさっぱり頭に入ってこなかった…
それから一か月。
ようやく父様の許可が下りて、仮面舞踏会に出席できる時が来た。
流れた仮面舞踏会の回数は実に4回。
その間、ずっと悶々としたものを抱えていたが、今日はようやくそれを発散させることができる。
けれど、別の不安もある。
もちろん、スロイカ様のことだ。
会う約束をしてから一か月。忘れられている…ことはないと思う。けれど、怒ってはいるはず。
もしかしたら踊っていただけないかもしれない。
そうなれば、目標達成までは一気に困難になってしまう。
(思い出すのよ、皇太子様が約束を破られるとどうなるか…)
どう対応するのが正解か、必死に過去の記憶を思い出そうとして…
(…そもそも私が約束破ったことないし、周りの人も誰も約束破ったことないわ…)
ある意味当然と言えば当然か、皇太子様との約束を破る不届きものがいるはずもない。
つまり、約束を破られた皇太子様は知らない。
このことに、一気に血の気が引いていく。
(…どうしよう……なんだか泣きたくなってきた…)
しかし無情にも馬車は仮面舞踏会の会場に着いてしまった。
前回と同じ、かぼちゃの仮面をつけると馬車を降りる。
ドレスも前回同様、全身を覆うタイプで肌の露出はほぼ無い。
…胸の部分にはフリルを多めにしてある。
招待状を見せ、会場へと入っていく。
前回同様、ダンスタイムに合わせて来たので、すでに多くの人が会場入りしている。
(スロイカ様は……もう来てるのかしら)
キョロキョロ見渡すも、あの鳥の仮面は見当たらない。
(来て、ない…のかしら)
前回の反省を踏まえ、ドリンクを受け取るとさり気無く警備員が近い壁際に佇む。
これで少しでも騒げばこちらに気付くはずだ。
少しのどを潤し、入り口付近を見つめる。
そうして、ドリンクを半分ほど飲んでいた時だった。
「……ここにいたのか、エシャル嬢」
「ひゃい!?」
入り口とは反対の方向から急にかけられた声につい声が上ずってしまう。
私の声に警備員がこちらに振り向くが、なんでもないと手を振ってごまかす。
「お久しぶりです、スロイカ様」
「…ああ、久しぶりだな」
挨拶を交わすも、スロイカ様の声色はどこか硬い。
これは、やはり怒っているのだろう。
「スロイカ様、この度は約束を交わしておきながらお会いできなかったこと、まことに申し訳ありませんでした」
謝罪の言葉とともに頭を下げる。
「……いや、エシャル嬢にも事情があるのだろう。気にしてはいない。顔を上げてくれ」
「は、はい」
ゆっくりと顔を上げる。
仮面越しのスロイカ様の目は、怒っている様子はない。
というよりは、なんだか少し目が泳いでいるように見える。
「スロイカ様、如何なさいました?」
「な、何がだ?」
「いえ、何だか……」
すると音楽が始まり、ダンスタイムがスタートした。
「エシャル嬢、行こう。今日も、付き合ってくれるな?」
さきほどまでの目の泳ぎを誤魔化すようにこちらに手を差し伸べてくれる。
(なんだか腑に落ちないけど……)
踊るというのならそれを断る理由はない。
そもそもここには踊りに来ているのだから。
そうしてしばらく楽しく踊っていると、ふと時間が迫っていることに気付いた。
「スロイカ様、申し訳ございません。本日はそろそろ…」
「なんだ、もう帰ってしまうのか?」
「父様が心配症でして…この前は時間をだいぶ過ぎてしまったので、大変だったんですよ」
苦笑しながら答えれば、「それなら仕方がないな」と了承してくれた。
「…次も、また逢えるか?」
「もちろんです」
また貴方と愛し合いたいから、と心の中で付け加えておく。
「ですが、さきほども申しました通り、父様が心配性なので家によって許可を出していただけなくて……」
「許可を出さない?どういうことだ?」
「それは………」
仮面舞踏会では男女での行為を求める者がいること、中にはそれを一方的に要求する者もいること。
それを話すと、みるみるスロイカ様の口元が険しくなっていく。
「…そういえば、以前にも君の仮面を取った愚か者がいたな。奴もその類か」
「あの時は本当にありがとうございました。スロイカ様に助けていただけなかったら…」
「気にするな。そんな奴のことなどとっとと忘れればいい。それに…」
ダンスの時はずっとつなぎっぱなしだった手。
一度は離したその手を、スロイカ様は再度握った。
「こうして君に出逢えた。それが全てだ」
「そ、そうですね」
顔が熱くなるのがわかる。
仮面で隠れていたのが幸いだった。
「それでは名残惜しいのですが、本日はこれで、御機嫌よう」
「ああ。また会えるのを楽しみにしている」
帰りの馬車の中。
とりあえず、スロイカ様が怒っていなかったことに一安心だ。
それに、父様によって毎回出席できないことも言えた。
本当は毎回出席したいけど、それは仕方のないことだし。
(…怒ってはいなかったけど、最初何か変だったのよね…)
少し硬い声色。泳ぐ目。
何か、困惑しているかのような雰囲気だった。
何に?
…まさか私がシャルロットであることに?
けれど、だとしたら困惑して、そのあとダンスに誘うだろうか?
もしかして、シャルロット事件は、思いのほか皇太子様の中では大したことないものだったり?
実はもう許されてたりするのかも?
いや、そうだとしても当初の予定通り、公式の場で謝罪することは変わらない。
…分からないことをそれ以上考えても仕方ない。
確かなのは、今日もダンスに誘っていただいたこと、その間、スロイカ様も、私も楽しんだこと。
「次の仮面舞踏会はいつかしら…」
馬車に揺られながら、次への思いを馳せるのだった…